第69話 立場の変化
「天下の名士を『三君八俊』として讃えるってかあ、どうせなら我が揚州からも周景さまあたりを入れてくれればよかったのによお・・・」
劉陶の家を辞したのち、別室でのいきさつを淳于瓊から聞いた笮融が残念そうに天を仰いだ。揚州を代表する名家の周家に恩を売るチャンスだったとでも考えているのだろうが、ことはそう単純ではない。
「周景さまみたいな大物だとむしろ迷惑に思われるんじゃないかな」
淳于瓊の言葉の意図がつかめず首をひねる笮融に説明をした。
「揚州の周家、豫州汝南袁家、あるいは司隷弘農楊家、といった大物中の大物は清濁の争いからは距離を取って関わらないのが基本だから。金持ち喧嘩せずってやつですよ」
「ううむ、そういうものか」
笮融は理解が追いつかず唸っているが、おそらくいま挙げたような超大物の名家にしてみれば『三君八俊』などに入れられて清流派に肩入れしていると見なされることなど迷惑でしかないだろう。彼らはリスクを負ってまで名声を求めずともヘマさえしなければ最高位である三公の地位まで昇ることができるのだ。
「そういや前に書家の師宜官も言ってましたね。南陽さま(袁隗)が洛陽の甥っ子が過激な発言をやめないで苦労しているって」
波才は師宜官とともに旅をしていたときのことを思い出して述懐した。
「そういうことだな。たぶんそのはねっかえりの甥っ子ってのが何顒さんが紹介するって言ってた袁家の御曹司である袁紹なんだよ。うーん、何顒さんは親切から言ってくれたんだろうけど交易で汝南袁家の協力を仰ぐことを考えると微妙かな」
予定している南方交易ルートは豫州を潁川から汝南に抜けて揚州、交州へと到る。汝南を通過する以上は汝南袁家とは良好な関係を維持しなければならないのだ。ところが実家への悪影響を考えずに清流派に入れあげている袁紹と下手に友誼を結んでしまうと実家の汝南袁家に警戒される恐れがある。
「おいおい汝南袁家の御曹司と友誼を結ぶ話を微妙って、そんなもったいない…」
笮融がブツブツ言っているが淳于瓊は無視する。
”現段階ではただの悪ガキでしかない袁紹と仲良くするぐらいなら、思い切って袁紹の叔父にして南陽太守の袁隗を最初から頼ったほうがいい。将来のフラグ的にも”
汝南袁家とは関わりたく無かったがそうもいかない情勢ならば、次善の策として死亡フラグの袁紹を避けて直接実家と関わるべきだと淳于瓊は判断した。幸い汝南袁家のNo2である袁隗の任地である南陽は賈郷から馬で三日ほどの距離でしかない。
「賈郷に着いたら師宜官を通じて南陽さま(袁隗)に連絡をとってみよう。南陽さまの諒解を得ておけば汝南でいろいろ動きやすくなるだろうからね」
あの酔っ払いなら清酒の二、三本でも贈ってやれば嬉々として頼みをきいてくれるだろう、と失礼なことを考える淳于瓊なのであった。
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潁陰の劉陶の家を出発して二日、一行が賈郷に着いたのは陽がすっかり沈んで薄暗くなった時分であった。
「おーい!都の情勢は、偉節(賈彪さまはいったいどうなった!?」
奇妙帰還の報告を受けた朱丹と李栄が提灯で足元を照らしながら大急ぎで駆けつけてきた。
「首尾は上々です。おそらく一月か二月の内に党錮の禍は終結するでしょう。偉節(賈彪)さまも無事に開放される筈です。趙索さんと張青、陳良は洛陽に残って偉節(賈彪さまとともに戻ることになっています」
「おお、まことか!流石は奇妙さまだ!」
手を取り合って喜ぶ二人であったが、淳于瓊は違和感に眉を顰めた。
「ええと、朱さん、李さん。奇妙さまってなんなんですか?ついこないだまで普通に奇妙って呼び捨てでたじゃないですか?」
洛陽に向かうまでは間違いなく'奇妙'だった筈だ。
そりゃ昨年の野盗退治以降の賈郷での淳于瓊の立場は大きく上がったし、将来的に仕官するようにでもなれば賈彪の家人に過ぎない彼らより立場は上になる。しかし今はあくまで賈彪の弟子であり、賈彪>>>朱丹=李栄=趙索≧淳于瓊といったところなのだ。
いったい自分が不在の間に賈郷で何があったというのか。
「奇妙さまが危険を顧みず都に向かわれた後、二人で話し合って決めたのです。これまでは随分と不躾けな口をきいておったがこれからはそうはいかぬな、と。奇妙さまは偉節(賈彪)さまの弟子であると同時に恩人でもあるのですから」
李栄の言葉に頷きながら、朱丹がさらにかぶせる。
「それにこの春の小麦の収穫のこともあります。紫雲草を植えていた畑の収穫が驚くほど回復しておりました。産院も順調ですし賈郷の中には奇妙さまを神農の生まれ変わりではないかというものまで出ているほどです」
まじか、と淳于瓊は天を仰いだ。神農とは医と農を人類にもたらした伝説上の神様だ。これはまた留守にしていたこの二ヶ月で随分と偉い立場になってしまったものである。同年代の清流派に近い者たちからは評価を下げてしまった淳于瓊であったが、賈郷での評価は天井知らずにあがっているようで却って恐ろしいくらいだ。
もっともこのぶんなら賈郷を南方交易の拠点とすることもすんなりといきそうで手間は省けたわけだが。
「とりあえずこれからの賈郷について大事な話があります。こちらのデキウスどのと笮融どのを客人として案内してください。ほら、笮融どの。提灯がそんなに気になるのでしたら後でひとつ差し上げますから、さっさとくつろげるところへ移動しましょう!」
李栄の持ってい提灯に目が釘付けになっている笮融をせかして、淳于瓊らは賈彪の屋敷へと向かうのであった。




