第68話 三君八俊
淳于瓊が部屋に入るとそこには荀爽、何顒とともに初めて見る40代の男が座っていた。おそらく彼がこの家の主である劉陶だろう。荀爽が淳于瓊を紹介してくれた。
「おお、奇妙。よくぞ来てくれたな。こちらが劉陶どのだ。奇妙も名前は聞いたことがあるだろう、これまで幾度と無く天子に諫言をしてきた気骨ある人物だ。劉陶どの、この子どもが淳于瓊だ。この歳であの賈彪どのに認められ弟子となっておる」
「潁川淳于家の淳于瓊です。以後お見知りおきを。よろしければ奇妙とお呼びください」
淳于瓊は頭を下げた。劉陶は淳于瓊を見てその年齢に戸惑いはしたものの、しっかりとした挨拶と堂々とした態度にひとまず疑念を脇へ置くことにしたようであった。
「うむ、よろしく頼む。早速ではあるが時間が惜しい。都の情勢を教えてくれ」
劉陶にせかされ、淳于瓊は洛陽でのいきさつを説明する。もちろん真実をありのままに話すことなど出来る筈が無い。天子を説得したところは適当にボカしてである。外戚にして城門校尉でもある竇武にその辺の手柄はおっかぶせる腹積もりだ。
「城門校尉(竇武)さまのご尽力により天子さまは清流派の赦免に前向きになられました。おそらく一月か二月の間に赦免されることになるでしょう」
「なんとまことであろうな?流石は竇武どのだ!」
望外の報告に荀爽が感嘆の声をあげる。
「はい、間違いありません。宴の場で確かにそのように仰せられていました。いま暫くは静観をなされますようにお願いいたします」
いまここで清流派に事を起されては台無しである。念を押す淳于瓊に荀爽は当然とばかりに頷いた。しかし劉陶はあの天子の難儀な性格を良く知っているようでにわかには信じ難い表情である。
「やはり信じられんな。あの天子がか?」
劉陶は信じられん、とばかりに首を振る。
「劉陶さまはあの天子さまをご存知なのですか?幾度と無く諫言をされたとのことですが」
「ふん。八年ほど前、銭が不足した折に五銖銭よりも目方の軽い銭を鋳造して国庫を増やしてはどうかという馬鹿げた案が下問されたことがあってな、'五銖(約3g)'と銘を刻みながらその目方を誤魔化したとあっては漢朝は民の信を失ってしまだろうとお諌めしたのよ。それ以来官職からは干されてしもうたわ」
政府自らがニセ金を発行するなどなんともひどい話である。たしかにそのようなことをすれば誰も貨幣を信用できなくなり貨幣価値が暴落し物価高騰を招くことになっただろう。
"そういえば董卓も実権を掌握すると粗悪な通貨を発行するんだよな。歳入不足がそれだけ深刻なんだろうけどやっぱ禁じ手だよなあ。もっともでは歳入不足をどうするかというところが抜けてるいるのが儒家(清流派)の限界でもあるんだろうけどね"
「あの天子さまのご気性からして朝堂でいくらお諌めしてもヘソを曲げられてしまうのがオチでありましょう。此度は非公式な宴の席でのことであったがゆえ上手くことが運んだのだと推察いたします」
「ぬう、そのようなものであるか・・・たしかに正面からの諫言を受け入れる度量はないのに裏で耳に囁かれる甘言には踊らされてしまうお方であるからのう」
劉陶としても思い当たるところがあったのか納得してくれたようだ。しかし収まりが付かない人物が一人いた。何顒である。
「そうはいっても数多の同志が獄に入れられておる状況でただ黙って待つことなど出来るものか!」
なんとも短絡な男である。しかし裏を返せば何顒は清流派の中でも実行力に秀でていると評判の男なのである。放っておけば何をしでかすか判らない。
「ならばせめて獄中にいる方々の迷惑にならぬやり方でお願いします」
何顒が胡散臭いものを見る目で続きを促してきた。
「そうですね。都の市中で清流派の方々を称える謡を流行らせるというのはどうでしょうか?たとえば’天下忠誠は竇游平(竇武)’といった具合に七字の韻をふんで誉めそやすのです。そのような謡が都で流行れば良い牽制となって獄中の方々の安全も増すのではないでしょうか」
突拍子も無い案に何顒があっけに取られる一方で、目を細めて食いついてきたのは荀爽だ。
「それはおもしろい。ならば’天下模楷(天下の模範)は李元礼(李膺)’だな。陳蕃どのは’不畏強禦(強権を畏れぬ)陳仲挙’といったところか。賈彪どのはどうする?」
「偉節(賈彪)さまは含めないでください。売名の為にそのような謡を流行らせたなどとぬかす口さがない者がでてこないとも限りませぬ」
「ふむ。発案者は控えたほうが無難か。わしもそうなれば辞退をせねばならんな。その代わりにといってはなんだが、荀家からは荀昱どのをいれさせてもらおうか。’天下好交(天下の名士たちと交友を結んでいる)荀伯條’ぐらいがよいか」
「ええと、余りに人数が増えるようでしたら『三君』とか『八俊』とかいう具合に位階をつけて如何でしょう?」
ノリノリの荀爽にアドバイスを送るとさらに火がついたのかさらに『八顧』『八及』『八廚』まで定めることになった。『八顧』には郭泰の名が入ったほか、『八及』には劉表、『八廚』には張邈といった三国志にでてくる名前も挙がっていた。
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「では何顒どの、都に入って太学を中心にこれらの謡を広めてもらえるか?」
劉陶の言葉に何顒が頷いている。どうやらこれで清流派の暴走を抑えることが出来たようで淳于瓊はようやく一息つくことができたのであった。
「そういえば、奇妙はどうして此処(劉陶の家)に来ておるのだ?」
話が一段落したところでまったく今さらながらの質問がやってきた。淳于瓊は苦笑しながら此処へ来たのはたまたま大秦国人のデキウスが士燮への紹介状を貰うために訪問したのだと告げる。
「白馬寺の関係者として宮中の宴に潜り込んだことがばれないようにデキウスと共に南へ行き、しばらく身を隠すことにしたのです」
身分を隠して天子のところへと乗り込んだことと併せて淳于瓊の行動力に何顒は感じ入った様子であった。それまでの胡散くさげに見ていた態度を完全に改めてフレンドリーに話しかけてきた。
「その歳でそこまでするとはな。私も行動力だけは誰にも負けぬつもりでいたが、奇妙の発想力と行動力にはほとほと感心させられたよ。うむ、弟分の袁紹にもお前のことは伝えておこう。汝南袁家の御曹司だよ。今後は奇妙の力となってくれるだろう」
ホッと油断していたところに落とされた爆弾発言に淳于瓊は固まってしまった。史実では官渡の戦いで処刑されることになる淳于瓊にとって袁紹は董卓、張譲、曹操と並んで避けねばならない要注意人物である。
"へ?何顒ってそんなに袁紹と親しいの?これで死亡フラグコンプリートってこと?マジデスカ?"
想定外の事態にあ然とする淳于瓊なのであった。




