第66話 小人物
「揚州は丹陽郡出身の笮融です。いやあデキウス殿が白馬寺に縁がある方とは存じておりませんでしたぞ。実は浮屠の教えには前々から興味がありましてな。これを機に白馬寺の方々とも懇意にさせて頂きたいと思っておる次第でして」
白馬寺にやってきた笮融は随分と下手であった。まるで揉み手でもしそうな態度である。胡人を見下すことが普通である漢人にしては珍しい、というより不自然なぐらい低姿勢といえる。対応する支楼迦讖も若干引き気味であった。
「そ、そうですか。浮屠の教えに興味がお有りとは。漢人が我ら胡人の教えに興味を持たれるとはこれまた奇特なことですな」
支楼迦讖がチラリと淳于瓊という例外を見やりながら答えた。もともと白馬寺は立場の弱い胡人の互助団体的な色彩が強く、漢人に対して布教らしい布教をしているわけではない。(であればこそ仏教徒ではないデキウスとの協力も自然に行われているのであるが。)
いきなり漢人の笮融から浮屠の教えを教えてくれと謂われて戸惑い、目を白黒させている。
「なにを謂われますか。絵解きとか言いましたかな?白馬寺の奇想天外な講談はいま都で評判になっておりますぞ。なんでも二日前には天子さまからも宴で絶賛されたとか」
宴での出来事は白馬寺の余興が天子の歓心を買ったということで城門校尉の竇武に辻褄をあわせてもらっている。どうやらそれに沿って噂が流れているようだ。笮融はそれを聞きつけて評判をあげた白馬寺に取り入ろうと考えたということらしい。たしかに天子のお墨付きを得た白馬寺に近づけば甘い汁が吸えると考える人間が出てきても不思議ではない状況である。
"笮融ね・・・たしか三国志では劉繇配下にいたよな。能力は・・・あれ、笮融って文官タイプだったっけ?武将タイプだったような気もするが???"
淳于瓊は思い出そうとするものの、笮融がどういう武将であったかはっきりと思い出せなかった。なんせ袁術、孫策と争ったとはいえ弱小君主の代表格である劉繇のさらに大した活躍もしない脇役である。同じ脇役ではあれど中原の覇者に一番近かった袁紹陣営でそれなりの立場にいた淳于瓊と比べても相当に地味である。
"たしか同僚の張英が孫策との戦いで敗戦の責任を問われたときにかばったりしてたような気がするな。なんにせよ董卓後の群雄割拠の時点までは生存しているわけだから、笮融と手を組んでも悪いことは無いのか?まあ信用できる人物かどうかはこれから付き合って見極めるしかねえけど。それにしても一昨日の宮中での宴の情報をすでに入手してるとか、耳がはええってレベルじゃねえ!"
ちなみにこの時点で淳于瓊は気付いていないのだが、大抵の人物が演義では史実よりもデフォルメされて描かれているなかで、史実の方が演義よりもイカレテいる例外がある。その例外のひとりが笮融なのである。
「笮融どの、我々(白馬寺)が宴で天子さまからお褒めの言葉を賜ったことをどなたからお聞きになったのでしょうか?」
支楼迦讖も宴の情報の出所が気になったらしく笮融に質問した。
「よくぞ聞いてくださった。我ら揚州人の出世頭、太尉の周景さまから聞いたのです。周景さまにはこれからの交易でお世話になることもあるだろうからと挨拶に行ったのです。その際に白馬寺が天子さまからお褒めに与かったことを教えていただき是非とも誼を通じておくようにご助言を頂いたのですぞ」
後に周瑜らを輩出する周家は揚州九江郡の名族である。現当主の周景は清流派の陳蕃が失脚したあとの太尉に任じられている。涼州人ほどではないにしても揚州人が三公(太尉、司空、司徒)に任じられるのは珍しい。周景は揚州人にとっての希望の星なのであろう。周景の名を出すときの笮融は鼻高々だ。
"へえ、随分と入れ込んでるんだな。先のこととはいえ周家が孫策の後ろ盾になることで 笮融の仕える劉繇が揚州刺史の座をおわれることになるんだがなあ。ま、孫策も周瑜もまだ生まれても居ない筈だけどね。さすがに孫堅は生まれているか?"
「ところでこちらの子どもは?見たところ漢人の子どものようですが」
笮融は先ほどから当然のように会話を聞きながら難しい顔をしている淳于瓊に訝しげな視線を向けた。たしかにこの場に年端も行かない子どもがいるのは不自然である。
「ああ、これは失礼しました。私は潁川の淳于瓊と申します。こちらは波才、私の従者です。兄の淳于沢が涼州へ赴任中で師の賈偉節(賈彪)の元でお世話になっておりましたが、このたびデキウス殿とともに南方へ赴くことになったのです。宜しくお願いいたします」
淳于瓊の名乗りに笮融が一瞬ぎょっとした表情を浮かべたのを淳于瓊は見逃さなかった。引っかかったのは賈彪の弟子であるという点だろう。
清流派が次々と投獄されている今のご時勢に清流派の名士と所縁のある者に関わることを躊躇う者は多い。いや、気骨のあるもの以外はむしろそれが普通であるといってもいいぐらいだ。
「ほ、ほう、あの高名な賈彪どのの弟子とな。幼いにも関わらず優秀なのだな。しかし賈彪どのも獄につながれたと聞いておるぞ。師が大変なときに洛陽を離れて大丈夫なのか?師の身を案じるならば都に残ったほうがよいのではないか?」
どうやら笮融は淳于瓊に一緒に来て欲しくないようだ。清流派弾圧のとばっちりを恐れているのだろう、淳于瓊に洛陽に残るよう勧めてきた。
「問題ありません。世を騒がせている党錮の禍はもうすぐ収束する見込みですので」
「な、なんだと?それはまことか?」
淳于瓊の言葉に笮融が愕然としている。この反応からすると笮融は宴で実際に起きたことを教えられたわけではなさそうだ。周景には笮融を騙す理由は無いのだから、周景自身が真実を知らないのだろう。情報操作が上手くいっていることを思わぬ形で確認できた淳于瓊は内心でほくそ笑んだ。
「はい。外戚にして城門校尉である竇武さまからの情報です。気になるのであればご確認されれば宜しいかと」
狼狽する笮融に追い討ちをかける。笮融としては清流派と関わって累が及ぶリスクをあくまで避けるべきか、清流派の名士と知り合いになって名声を得るメリットを取るべきか、頭の中で天秤にかけているのだろうか逡巡の表情をみせる。しかしどうやら後者を選んだようで、いまさらながら笑顔をつくり淳于瓊に話しかけてきた。
「いやいや、それはよかった。賈彪どのの高名は天下に響いておりますからな。さすがにそのお弟子さんともなれば落ち着いておられる。そういうことであれば南方への旅は全てそれがしに任せて大船に乗ったつもりで居てくだされ」
うまくいけば賈彪との伝手を持ち名声を得られるのでないかと期待して淳于瓊への態度がいきなり下手になった。しかし淳于瓊はただのお客さんではない。
「いや笮融どの、この奇妙はただ単に物見遊山で我らについてくるのではないぞ。豫州潁川の賈郷を交易の拠点する、その窓口になってもらうのだ。一人前の相棒である」
デキウスの説明に笮融はぽかんと口をあけて淳于瓊を見やるのみなのであった。
笮融は若い時分は目先の利で右往左往するところがあったのではないかと。経験を積んでも目先の利で動くところは変わらず裏切りを繰り返すような人物になることでしょう




