第62話 天子との対面 その4
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(褒美をとらして → 褒美をとらせて)
「直訴してくる'学者'に辟易したヴェスパシアヌスは次のように言いました。'お前は、私によって死刑になるためには何でも言うつもりのようだが、私はキャンキャン吠えるからといってその犬を殺しはしないのだよ'と」
大秦国の平民王の昔噺の反応は予想以上であった。
凍りついた空気の中で淳于瓊はじっと天子のリアクションを待つ。固まっていた天子であったが暫くしてごくり、と息をが呑む音がやけに大きく響いた。
「い、犬か、その平民王は犬とぬかしたのか?」
「はい。これ以降 大秦国では現実を見ず無責任な理想論を主張する学者のことを'犬儒派'と呼ぶようになったと伝えられ・・・」
最後まで言い切ることは出来なかった。天子がまるで壊れたかのように笑い出したのだ。淳于瓊はその哄笑がおさまるまで発言を控えざるを得なかった。
”やっちまったな。もう後には引けない。・・・ん?竇武のおっさん何をする気だ?”
と、ここで計算外のことが起きた。卒倒しかけていた城門校尉にして皇后の父親である竇武が前に進み出て発言を求めたのだ。
「陛下、御気が晴れましたでしょうか?君主として大秦国の平民王の大度を見習うべきです。獄につながれた者たち(清流派)を放免いただきますよう申し上げます」
ちっ、と淳于瓊は心の中で舌打ちをついた。竇武は助け舟のつもりで発言をしたのだろうが、それは天子の口から言わせてこそのことで周りが言ってしまえば逆効果にしかならない。まったく余計なことをしてくれる。
「だまれ竇武!差し出まがしいぞ!」
案の定、天子の機嫌は一気に急降下し怒号がとんだ。竇武の顔は蒼白になり頭を下げるしかなかった。
「大秦国の平民王には内戦を鎮め大秦国に平和をもたらしたという誰の目にも明らかな業績がありました。それゆえ犬呼ばわりされた大秦国の学者たちはぐうの音も出なかったのです。いま陛下がご寛恕をお示しになられても漢の学者たちは不遜な態度を改めはいたさぬでしょう」
淳于瓊はかなり際どい発言をおこなった。天子がこれといった業績をあげてないから舐められるんだ、と言っているようなものである。しかも先だって竇武が上奏文で'陛下が即位して以来、未だ善政を聞かず'とか言ったばかりである。天子が渋い顔をするがかまわずに続ける。
「ですから大秦国の昔噺に倣うのであれば、まずはケチのつけようの無い業績を見せつけた上でなければならないのです」
「ふん、子どもは気楽に言ってくれるわ。絵解き(紙芝居)のおとぎ話ではではないのだ。そんなに簡単に出来るなら苦労はせん」
「これはしたり!なんの腹案もなくこのようなことを申し上げるなど畏れ多いことは致しませぬ。これから申し上げるは万の兵、億の銭を必要といたしませぬ。ただ二人の'王昭君'を用意するだけで光武(光武帝)以来の成果を漢朝にもたらす策に御座います」
ここで淳于瓊は最後の切り札をきった。'王昭君'とは前漢の元帝の後宮にいた絶世の美女のことである。時に匈奴の王へ下賜する女性を後宮より選ぶことがあった。自らの美貌に自信のあった王昭君は似顔絵を描く絵師に賄賂を贈っていいなかったため醜く描かれてしまい、元帝はこの醜女なら匈奴にくれてやっても惜しくないと王昭君を選んでしまったのだ。別れの儀で初めて王昭君の美貌を目の当たりにした元帝は大いに後悔したという話だ。
「今の漢の北辺の情勢を鑑みますに、北方の鮮卑が強大化し西方の匈奴や東方の烏桓を従えております。対して漢の兵は涼州 武威には段校尉(段熲)が守り、并州 雁門には張大司農(張奐)が昨年まで率いていた軍が守っております。なれど、匈奴が涼州を、烏丸が幽州をそれぞれ侵している中では漢の兵は動けず、鮮卑は悠々と恐れることなく深く司隷関中にまで攻め入っておる有様に御座います」
「よく知っておるな。だがそれをどうせよというのだ?二人の王昭君と関係があるのか?」
やはりこの天子はあまり出来がよろしくない。もし聡明な人物であれば王昭君のくだりから皆まで謂わずとも提案内容を先読みできるだろうに。
「匈奴と烏桓を漢に従属せしめるのです。彼らに王昭君を送ってでも」
匈奴と烏桓が漢につけばどうなるか?まるでオセロのように情勢は反転する。後顧の憂いなく関中に攻め入った筈の鮮卑族は本拠地を匈奴と烏桓に攻め込まれ、さらに枷の取れた涼州 武威と并州 雁門の漢兵に退路を絶たれてしまうのだ。
もともと同じ夷狄である鮮卑の大人による匈奴単于や烏桓大人の承認よりも、天下の漢皇帝による承認の方がブランド価値は圧倒的に高い。そこへさらに後宮の美女付きでと言われれば匈奴や烏桓の心は大きく揺れるだろう。
「さすれば元凶たる鮮卑はもはや袋の鼠。不遜にも関中にまで攻め込んだその強欲に相応しい報いを与えることができましょう。匈奴や烏桓との交渉に万全を期すならば張大司農(張奐)を雁門へ遣わされればなお宜しいかと存じます」
張奐の勇名は夷狄の間に鳴り響いている。現在の侵寇自体が張奐を都に召還したことが呼び水になっているのだ。張奐が雁門の兵を再び率いるとなれば烏桓は慌てふためき漢との和平交渉を望むだろうし、烏桓が漢に降れば匈奴も追随することになる。
再び場が沈黙に包まれた。しかしこれは先ほどとは違う戸惑いの沈黙だ。天子は判断を側近に委ねることにしたらしく後ろに控える宦官に問いかけた。
「侯常侍(侯覧)、この者の提案について是非を答えよ」
進み出てきたのは張譲と違い一目で宦官とわかる小男の宦官であった。
"侯覧、こいつが去年 賈郷に野盗をけしかけた黒幕か!"
淳于瓊の内心に気付く筈もなく、侯覧は恭しく跪いて天子の問いかけに答えた。
「恐れながら、上手くゆかずとも損害はほとんど無く成功したときの成果は非常に大なるものが有ります。試してみる価値は充分にあるかと愚考いたします。ただ張大司農(張奐)を雁門へ遣わすなら九卿の俸禄を安堵した上で遣わすが後々の為になりましょう」
なるほど、将軍に戻しても九卿としての俸禄を保障し降格ではないことにするのか。さすがにこの辺りは宮中で渡り歩いてきた人物の知恵なのだろう。なんにせよ側近中の側近である侯覧が同意したことで淳于瓊の策は成った。
もし匈奴と烏桓を漢に寝返らせる提案をかしこまった朝堂の場で誰かがおこなったとしてもその上奏が通ることはまずなかっただろう。漢に損害を与えた夷狄(匈奴、烏桓)に破格の待遇を与えることなど体面を重視する士大夫たちには認められないからだ。
しかしこの場は違う。西遊記や封神演義での騙し合いに大秦国の平民王の昔噺ときて、みなの頭の中は突拍子も無い案でも冷静に損得勘定できるぐらいにほぐされていた。だからこそ素性の知れぬ子どもの提案を受け入れることが出来たのだ。
"これで夷狄の問題が解決できれば気分の良くなった天子は自らの業績を自慢するために清流派を獄から出して見せ付けようとするだろうな。それまで早くても一ヶ月といったところか"
興奮した天子から絶賛のお言葉をいただき絵解きの続編が出来上がったら再び宮中を訪れるように念を押された上で淳于瓊たちは宴の場から辞することとなった。しかし出来る札は全て出し切り上手くやれた、と喜ぶのは少し早計であった。
褒美をとらせてもらえるとのことで案内された部屋で淳于瓊を予想外の人物が待ち構えていたのである。
"おいおい、父親の死からまだ三ヶ月だろ?なんで宮中に居るんだよ"
「淳于、いや此処では奇妙どのでしたか。いやはや只者ではないと思っていましたが、まさかこれ程とは。まったく予想を遥かに超えられてしまいましたな。喪を早々に切り上げて宮中に戻った甲斐があったというものです」
そこにはおもしろいものを見せて貰ったと、にこにこ顔で一同を出迎える小黄門の張譲が居たのである。




