第58話 奇妙、洛陽へ行く
賈彪が洛陽へ出立してから二ヶ月あまり、事態は清流派にとって悪化の一途を辿っていく。天子は李膺に与する党人の名簿を届けさせたのだ。これにより弾圧の対象は州郡の地方官吏を務めるものにまでおよぶこととなった。潁川だけでも杜密や陳寔、荀昱といった錚々(そうそう)たる名士が獄へとつながれた。
そんな状況下では洛陽に入っていた賈彪も無官の身とはいえ難を逃れ得なかった。三月末、護衛として供に洛陽に赴いていた趙索が一人で戻って来た。趙索の表情には主を守りきれなかった無念さが浮かんでいた。
「なんで偉節さまがこのような目に・・・」
趙索の説明を聞くとどうやら淳于瓊の予想の悪いケースをほぼなぞって推移したようだ。
荀爽らと都に入った賈彪は清流派やその協力者たちの間を積極的に駆け回り天子に上奏をするように働きかけた。それによりいくつかの上奏文が提出される運びとなったがその中でも特に城門校尉にして外戚でもある竇武の上奏文がまずかった。
外戚といえば皇后の父親のことで天子の義理の父親である。いわば身内からの上奏文、それが相当激烈に天子を批判する文であったことから大問題になったらしい。
なんでもその上奏文は'陛下が即位して以來未だ善政を聞かず'で始まり、さらに宦官を重用することに対する批判を書き連ね、あげくに宦官に政治を委ねて滅亡を招いた秦の二世皇帝 胡亥になぞらえる表現まであったとか。
「すごいですね。そこまで言い切ったのですか?」
「ああ。竇武さまもさすがに覚悟されて城門校尉の職と爵位の返上も併せて申し出られたのだがそれは却下された。代わりに竇武さまを唆した者として偉節さまが捕縛されたんだ」
"そりゃ義理の父親から皇帝失格の烙印を押されたなんてみっともない話をおおっぴらにはしたくないわな。しかしそこまで言われても竇武の辞職を認めなかったのか。天子は竇武の罪を問うて竇皇后まで連座させることを嫌がったのか?竇皇后に寵があるのならそれを利用して・・・"
淳于瓊は意を決して自らも洛陽に向かうことを宣言する。
「李さん、朱さん、趙さん。私も都へ向かいます」
李栄、朱丹、趙索は顔を見合わせた。賈彪を救い出したい気持ちはみな同じだが淳于瓊が都へ行ったからといってどうこうできる問題とは思えなかったからだ。
「奇妙よ、気持ちは分かる。しかしそうは言っても出来ることと出来ないことがある。それともなにか?うまい手立てがあるとでもいうのか?」
「ええ。天子さまに謁見し説得するのですよ」
「いやいやそれはいくらなんでも無理筋だろ。謁見どころか奇妙が宮中に入るって時点で無茶だぞ」
それはその通りである。素姓の定かではない者がほいほい宮中に入れる訳がない。しかし淳于瓊には腹案があった。
「李さん。不可能では無いのですよ。例えば今回の変の発端となった李膺さまに処断された占い師は天子様に会っていたのでしょう?例外はあるのです。外戚の竇武さまに協力をして頂けば可能だと思います」
「竇武さまにか?どういうことだ?」
「皇后様の無聊をお慰めする、との名目で後宮へ入るのです。絵解き(紙芝居)を洛陽で上演し、城門校尉である竇武さまを通じて娘の皇后さまに評判が伝えて頂き、皇后さまたっての希望で慰問するという形をとれば疑われることはないでしょう」
城門校尉とは都の十二の城門を警護する、つまりは市中警護の総責任者だ。都で絵解き(紙芝居)を堂々と上演するためには城門校尉の竇武に許可を求めるのが自然である。つまり竇武は市井で評判の珍しい出し物についてよく知り得る立場であり、それを娘の皇后に伝えることに不思議はないのだ。
「で、皇后さまが絵解きを見たいと仰れば天子さまもそこに同席されるだろうということか」
「はい。珍し物好きの天子さまですから必ず同席されるでしょう。絵解き(紙芝居)の要員として紫雲(波才)の他に張青と陳良も連れて行きます。あとは絵解き(紙芝居)の出来次第ですね」
賈郷で顔見知りの郷民を相手に上演するのとはわけが違う。講談本や奇談といった庶民文化は中世以降に発展する。漢の時代にも需要が無いわけではないが、洛陽の行きずりの住民や兵士を相手に評判を博し、天子を相手にお褒めの言葉を頂かねばならないのだから大変だ。
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「絵解きで天子さまにお目通りするなんてよくそんな突飛も無いこと考えついたわね」
洛陽へと向かう道中、張青があきれながら淳于瓊に話しかけてきた。
「城門校尉(竇武)さまに了承をもらってからだ。それと白馬寺の支楼迦讖の協力も取り付けないと。それでまずは城門の兵士や人の集まる辻角で大漢西域記(西遊記)を上演をして腕を磨き評判をとる」
「ほ、封神演義じゃないのか?」
どもりながら陳良が質問してきた。どもっているのは張青と二人乗りで緊張しているからだ。馬に乗れない張青は陳良に、波才は趙索に乗せてもらっている。組み合わせは逆でも良かったのだが、おもしろそうだからとこの割り振りにしたのは淳于瓊である。
「浮屠(仏教)の僧侶が道教色の強い封神演義じゃ不自然だろう。まずは大漢西域記(西遊記)で評判をとり宮中へ招かれ上演する。で、大漢西域記(西遊記)の後に追加上演を希望をして頂くよう皇后さまに手をまわしておくんだ。そこで封神演義をお披露目する。老子に傾倒している天子さまは間違いなく食いついてくるだろうね。そこで支楼迦讖から封神演義の作者として紹介してもらう、という流れだな」
「なるほどね。それでご褒美として賈彪さまを赦してもらうのね」
張青が納得の声をあげた。ただ淳于瓊としては西遊記や封神演義で天子を楽しませることはできるとは思うものの、清流派を腹に据えかねている天子から赦免を勝ち取るというところまでは流石に虫が良すぎる気がする。
"紙芝居はあくまで謁見の機会を得るためであって、それとは別に天子を上手く説得する方法を考えないといけないよなあ・・・"
淳于瓊としてはもうひと工夫もふた工夫も考える必要性を感じていた。
洛陽への途中、潁川北部にある潁陰で間一髪難を逃れていた荀爽に会い意見を求めてみたが荀爽も同意見であった。荀爽からはその程度で赦免を引き出すのは無理だろうときっぱりと言われてしまった。
その後も洛陽への道すがら淳于瓊は思案を続けたのだが結局大した妙案がでてこないまま洛陽郊外の白馬寺へ到着したのであった。
そこで淳于瓊は意外な人物と再会する。なんと昨秋洛陽入りした大秦国の使節を名乗る男、デキウス=アウレリウス=アラブスが支楼迦讖と共に居たのであった。そしてデキウスとの再会をきっかけに淳于瓊は天子を説得する妙案を思いつくことになるのである。




