第55話 邂逅
ついにあの人の登場です
一箇所で指輪物語のセリフを借用しています
張譲のもとを辞してほうほうの体で控えの間へと下がりこれでホッとひと息つけると思った淳于瓊であったが、残念ながら控えの間のほうでも不測の事態が発生していた。
黄忠が控えの間に来ているのはまあいいとしよう。師宜官が仕事を終えるまでここで待機することにでもなったのだろう。
問題は波才である。騒ぎを起こすなと言い含めていたはずの波才が12、3歳ぐらいの少年に顔を真っ赤にして食ってかかっているのだ。波才が自分から騒ぎを起こすような性格ではないだけに珍しい状況だ。
「紫雲、いったいなにがあった?」
淳于瓊が波才に声をかけると波才はこちらに気が付いて振り返った。少し涙目になっている。
「奇妙さま、も、申し訳ありません。」
騒ぎを起こすなという言い付けを守れなかったことに気付いて謝ってくる波才に改めてなにがあったのかを尋ねると、揉めていた相手の少年のほうが口を出してきた。
「お前がその生意気な従者の主か。きちんと従者に教育をしておくんだな」
その少年のあまりに一方的な物言いにさすがの淳于瓊もカチンときてしまった。
「お言葉ですがこの波才は無用な諍いを起こすような者ではありません。それなりの理由があったのではないですか?」
言外に揉め事の原因は其方にあるのだろう、との意を込めて淳于瓊は言い返した。しかし相手は怯むどころか胸をはってとんでもないことを言い出したのである。
「ふん、小黄門(張譲)のご機嫌取りにくるような輩などたかが知れておると教えてやっただけよ」
この控えの間にいる全員にけんかを売るようなあまりにぞんざいな言い草であった。どうやら波才はこの少年の暴言に主人の名誉を傷つけられたと思い、黙っていられずに食ってかかっていたようだ。しかし腑に落ちないことがひとつある。
「それを言い出せばあなたとて同じ立場ではないですか?」
そう。この控えの間に居ると言うことは弔問客かその連れ、あるいは黄忠や師宜官のような葬儀の関係者であって、それはこの少年も例外ではないはずだ。同じ立場のこの少年に見下される謂れはないのだ。
「俺は違うぞ。祖父様は小黄門(張譲)ごときに頭をさげたりしない。むしろ頭を下げるのは向こうのほうだからな。それにここへは祖父様と都から譙に帰るついでに立ち寄っただけだ。誇りも節度も無い貴様らなんぞと一緒にされてたまるか」
張譲が頭を下げる側と言うことはかなりの高位にいる人物に間違いは無く、目の前の少年はその関係者ということだ。このクソ坊が、と心の中で毒づきながらふと傍をみやると波才が悔しそうに唇をかみ締めているのが見えた。そして波才が耐え切れずに口を開こうとしたところを淳于瓊は手で制した。ここは主としてそれらしいところを見せねばならない場面だ。
「紫雲よ、このような場で主人を差し置いてしゃべってはならぬ。主人の方が智恵において勝っている場合はとくにな」
波才の前で格好をつけたセリフをいいながら格好をつけると、淳于瓊は覚悟を決めて反論を展開した。
「我が兄 淳于沢はいま涼州漢陽郡にて羌族の侵攻を食い止めております。もし漢陽が羌族に破られることになればどうなるでしょうか?昨年より関中は北から鮮卑匈奴に侵されています。さらに南西から羌族がなだれ込むような事態になれば関中は夷狄の恣に蹂躙されてしまうでしょう」
「関中には西漢(前漢)の都である長安があります。高祖を始めとした歴代皇帝の陵墓も。それらが夷狄によって荒らされてしまえばそれは即ち漢朝の天命が尽きるということ。人心は大いに乱れ無数の民が苦しむこととなりましょう」
「誇り?節度?それがどうしたというのですか。此処に来ることで少しでも兄の助け、延いては天下万民の為になるのであれば私はそれを拒否したりは致しませぬぞ。たとえそれにより我が身に悪評を蒙ることになろうともけっして恥じ入るものではございませぬゆえ」
敢然と言い切った淳于瓊の迫力に控えの間は静まり返ってしまった。思いもよらぬ反論を受けた相手の少年は呆然として二の句が継げないでいる。そしてこの混沌な状況を破ったのは控えの間に入ってきた老人の笑い声であった。
「ほっほっほっほ。小黄門(張譲)どのが小さき賢者であると褒めておったがまさにその言葉に違わぬ優秀さよの。淳于瓊とか申したか。あの阿瞞が同年代に言い負かされるところなど初めて目にすることができたわ。礼を言うぞ」
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"なんで張譲からそんな高評価受けてんだ? ってそんなことはどうでもいい! こいつが、あ、阿瞞だと? 譙! 大宦官! ま、まさか・・・"
衝撃のあまり茫然自失としながらも淳于瓊は控えの間に入ってきた老人、曹騰に頭をさげた。波才の前で格好をつけて威勢よくタンカをきった相手がよりによって中国史上最も毀誉褒貶の激しい傑物にして後の魏の事実上の創始者、曹操であるとは悪夢のようであった。もっとも夢であって欲しいと切実に願うも現実はそんなに甘くない。
「貴様、淳于瓊とかいったな。覚えておくぞ」
曹操がそんな捨て台詞をのこして曹騰と出て行った。勘弁して欲しい。
二人の姿が見えなくなると気が抜けてへたり込んでしまった淳于瓊の肩に手を置いて慰めてくれる人物がいた。黄忠である。
「坊主、いや奇妙。見直したぞ。奇妙がそこまで考えているとは思いもつかなかった。これまでさんざん考えなしなことを言ってしまった。許してくれ」
張譲からは高評価を受け、曹操からは競争相手認定。ありがたくないフラグがたちまくりのなかで最期にうれしい友好関係が築けそうで少しだけ気を取り直した淳于瓊なのであった。
曹操 生年155年 豫州沛国 譙県の出身
字を孟徳、幼名は阿瞞または吉利
いわずと知れた三国志の超大物
曹騰 生年不明 字は季興 4人の皇帝に仕え中常侍、大長秋に昇進
この時点ですでに引退しており張譲らにしてみれば大先輩になる




