第54話 張譲(ちょうじょう)
5/19 後書き訂正しました。ご指摘ありがとうございます
賈郷を出発して丸一日、淳于瓊たちを乗せた荷車は襄城に到着した。襄城はなかなか大きな城市であり、初めて都会にでてきた波才は物珍しそうに周りを見て興奮していた。
「奇妙さま、大きな城市ですねえ。二階建ての建物がこんなにいっぱい建ってますよ!ほら、あの建物も瓦葺きです!」
やがて大通りの奥にひときわ壮麗な屋敷が見えてきた。宦官 張譲の屋敷であろう。その門前には弔問に訪れたと思しき人たちが数多く並んでいた。清流派(党人)が弾圧されている今は宦官にコネを持つ者にとっては出世の大チャンスなのだ。
「で、でっけえ屋敷・・・」
「ふん。どうせ賄賂をたんまり懐に入れて建てた家だ」
波才が屋敷を見上げて呆然とする一方で黄忠がおもしろくなさげに鼻をならす。
「で、どうするよ。俺らと一緒に屋敷に入るか。門前に並んでたらかなり時間がかかりそうだぜ?」
書家の師宜官は参列客というわけではないので直接屋敷に乗り込むつもりのようだ。たしかに一緒に連れて行ってもらえば列に並ぶ手間は省けるのだが淳于瓊はその申し出を辞退することにした。賈郷を出る前に李栄からもらったアドバイスがあったからだ。
「お心遣いありがとうございます。しかしながら、ここからは別行動とさせてください。波才と二人で門前に並びます」
「おいおい大丈夫か?」
子どもだけで乗り込もうとする淳于瓊に師宜官は心配する。実はこの反応こそが李栄の策の狙いなのだ。要は弔問に行かざるを得ない潁川淳于家の窮状を逆手にとって、むしろ窮状をアピールすることで同情を誘い非難を最小限におさえる作戦である。
"書家の師宜官と一緒にやって来ました、では周りの同情を誘えない。むしろ子どもだけで賈郷からはるばる危険を冒してやって来たように装うほうが周りの同情を買えるからな"
こうして淳于瓊はセコイ狙いを胸に秘めつつ師宜官らと別れ、正装に着替えてから張譲の屋敷の前の列にならんだ。場違いな子ども二人連れはさすがに目立ち、奇異の目で見られつつも特にトラブルはなくやがて受け付けの順番がやってきた。
「ええと、君たちも弔問にやってきたのかい?」
門番の受付けはあまりに幼い弔問客に戸惑っている。
「はい、私は淳于瓊、潁川淳于家の次男です。当主の淳于沢が遠く涼州に赴任しており弔問に参ることあたわぬゆえ、私が名代として参じました。こちらに控えていますのは従者の波紫雲。どうかお取次ぎください」
歳に似合わぬしっかりとした口上に無碍にするわけにもいかないと判断したのだろう、淳于瓊らは無事に控えの間へと通された。ちなみにこの段階でVIPなら直接 張譲のところへ通され、有象無象ならば記帳してハイさようならである。控えの間へと通されたということはそれなりの客との判断を受け付けがくだしたということだ。
「呼ばれたら俺だけが小黄門(張譲)のところへ行くことになる。紫雲はここで待っていてくれ。分かっていると思うけど騒ぎは禁物だぞ」
「は、は、はい!」
波才が慣れない場にガチガチに緊張している。まあこの控え室にいるのはほぼ似たような境遇で宦官のご機嫌取りにきた後ろめたさを持つ者ばかりだろうから、そうそう面倒なことにはならないだろう。
「潁川淳于家の方、こちらへ・・・っ!?」
やがて淳于瓊の名前が呼ばれた。門での受付けの時と同様、呼びにきた来た家人も淳于瓊の年齢に絶句している。淳于瓊としても'またか'とは言えず、スルーして案内を促すことにした。案内された先には張譲が先客の弔意を受け取っていた。
"あれが張譲、三国志最序盤の敵役かぁ"
二十年後の怪物もまだこの時点では四十ぐらいの、意外と大柄な壮年であった。もちろん大事なところを摘出しているのでヒゲなどは生えていないが、一般の宦官に抱くようななよなよしたオカマ・・・という印象では全くない。見た目ならば普通に有能な官吏としても通りそうである。現時点で小黄門の張譲も史実通りであればやがて中常侍に出世して宦官のリーダー格になる。そして最期は董卓に追い詰められて自死することになるのだろう。
そんなことを考えているうちに先客の挨拶が終わりいよいよ淳于瓊の順番がやってきた。淳于瓊が張譲の前に進み出ると周りがざわめく。その中で淳于瓊は弔意を述べた。
「潁川淳于家の淳于瓊と申します。当主である兄、淳于沢の名代として弔問に参りました。このたびはお悔やみを申し上げます」
「これはこれは、なんとも小さな弔問客よ。潁川淳于家の淳于沢どのはいま遠方におられる筈。まさか潁川淳于家から弔意を受けられるとは思っておりませんでしたぞ」
後宮の世話だけでなく天子の連絡役でもある宦官はその役割ゆえに人事には詳しくなければならない。張譲もご多分にもれず淳于沢の現状をきっちり把握しているようであった。さらに張譲は事情通であるところを見せ付けてきた。
「それにしても淳于沢どのの弟どのといえば高名な賈彪どのに師事していると聞き及んでいますがよろしいのですか?」
そこまで知っているのか、と背中に嫌な汗が流れるのを感じながらも淳于瓊は必死に動揺を隠した。葬儀の場ゆえに笑みこそ浮かべていないがその表情からは清流派の子どもをからかっている余裕が窺がえる。まったく潁川は名士の産地であり多くの士大夫階層の家があるのだがそのほとんどの動向を把握しているのだろうか。気圧されながらも淳于瓊は潁川淳于家としての立場を強調した。
「私は潁川淳于家の次男として参ったのです。いま兄は遠く涼州の地にあって夷狄の侵攻を食い止めておりますが、もし兄が潁川に居れば必ず兄自らが弔問に訪れた筈ですから。それゆえ同い年の従者と二人でこの襄城まで駆けつけて参った次第」
子どもだけで襄城まで旅をしてきたと聞いて周りが再びざわついた。まさに狙い通りである。これで張譲は淳于沢が中央から切り捨てられることがないように尽力せざるを得なくなったことになる。
なぜなら潁川淳于家が危険を冒してまで葬儀に駆けつけたにも関わらず、淳于沢があっさり切り捨てられてしまう事態になれば'張譲はアテにならぬ'という宦官としては致命的なレッテルを貼られてしまうからだ。宦官にとっては頼ってきた者にどれだけ利益を供与できるかという影響力こそが、清流派にとっての名声と同じように何よりも大切なのだ。
そのことに張譲も気付いたのか眉間にしわを寄せている。
「それはなんともありがたい話ですな。しかし党人の中では私たち(宦官)の評判は最悪でしょう。このようなところへ来るのに含むところがあるのではないですかな?」
張譲が淳于瓊に若干の皮肉を込めた質問をしてきた。この質問にいかに答えるべきか。機嫌を損ねるわけにもいかず、といってへりくだった答えもよろしくない。ここはとにかく原則論を押し通すしかない。
「'死は民の卒事なり'(死は人生最後の一大事である)と言います。人の死を悼むのに党派の別などないのではないでしょうか」
淳于瓊としてはあくまで一般論を述べただけのつもりである。しかしその答えを聞いた張譲の顔つきが目に見えて急変した。もはや子どもと侮った余裕はそこにはなかった。
いったい今の答えのどこに地雷が?と焦る淳于瓊にとっては幸運なことにちょうどそのタイミングでVIPと思しき弔問客が到着したのである。さすがに淳于瓊にかかずらっている場合でなく張譲はそちらへと挨拶に向かった。
"なんか知らんが助かった。張譲の方から挨拶に向かうということは相当の大物だな。ここはさっさと逃げるに限るな"
「これは大宦官さま・・・」と挨拶をしている張譲を尻目に淳于瓊はそそくさと退席して控えの間へと下がっていった。それゆえ淳于瓊にはその後に続く会話を知る由もなかったのである。
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「小黄門(張譲)どの、潁川の士大夫たちに脅しをかけたとは噂に聞いておるがあのような幼い子どもまで弔問に来ているのか?まったく家のためとはいえ健気なものよ」
「あくまで噂に過ぎませぬ。しかしあの子ども、潁川淳于家の者でしたが見た目の歳とは違いすでに並大抵の者ではありませぬぞ。まさかあの幼さにして'人の死を悼むのに党派の別などない'などとあの陳寔どのとまったくおなじ言葉を返してくるとは・・・」
後漢末の怪物、張譲に対してもしっかりとフラグをたてた淳于瓊なのであった。
陳寔 潁川郡 許の士大夫。陳羣の祖父
梁上の君子の故事で有名な清流派の名士。張譲の父の葬儀に出席した




