第53話 紅顔の老将
アルファベットの'X'を思い浮かべて欲しい。
その左上に首都洛陽、左下は荊州の中心地である南陽、右下には袁家の本拠地である汝南、そして右上に兗州の中心である陳留を配置すると、'X'の交点に位置するのが潁川となる。
潁川は多数の名士を輩出しているだけではない。後に荀彧が'四戦之地'と呼ぶように重要拠点間を結ぶ要衝に位置しているのであった。それゆえにかの曹操も潁川郡の許に都を定めたのである。
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淳于瓊は波才とともに、潁川郡の南部に位置する定陵県の賈郷から潁川郡の中央にある襄城へと移動中であった。
荷車に揺られながら淳于瓊は非常に居心地が悪い思いをしていた。その原因は二人を襄城まで同行することを受諾した酔っ払いの書家 師宜官ではなく、師宜官に護衛として雇われている若者からの視線にあった。
淳于瓊に冷たい視線を向けるこの若者は姓を黄、名を忠という。そう後の蜀漢五虎大将がひとり、'老将'黄忠なのである。もちろん老いてますます盛んの代名詞として後世に名を残す彼も、今は紅顔の少年といって差し支えない年齢である。
黄忠は南陽郡の出で、同郷の師宜官に道中の護衛として雇われていたのであった。
”まいった!いずれ蜀漢の関係者とも会うことになるとは思っていたけど、まさかこんな形で会うことになるとは!しかも印象最悪じゃねえかよ。やっぱ宦官の家に弔問に行くってイメージ悪いかぁ・・・”
これまで董卓や荀彧、荀攸ら三国志の重要人物と知り合いになってはきたが、基本友好的な関係を築くことができていた。しかしながら黄忠は清流派の賈彪の弟子でありながら宦官 張譲の家に弔問へ向かう淳于瓊に対しての不満がありありと顔に出ており、友好関係を築くどころではなかった。
「おいおい黄忠よお、そんな目で子どもを脅すんじゃねえよ。場の雰囲気が悪いとせっかくの旨い酒も不味くなっちまうじゃねえか」
師宜官が空気を読んでいるのか読んでいないのか微妙な発言で黄忠を諌める。しかし黄忠は憤懣やる方ないといった感じで反論した。
「そうはいってもですね、あの賈彪どのの弟子でありながら宦官のところに弔問に行くなど納得いきかねませぬ。賈彪どのもいったい何を考えておられるのか」
「偉節(賈彪)さまは関係ございません。今回のことはあくまで潁川淳于家の次男としての行動なのです」
淳于瓊としては師である賈彪に迷惑がかからぬよう、なによりその点だけは注意をしておかねばならなかった。
「だとしてもだ坊主、悪評をわざわざかぶりに行くことはないだろうよ。今は目先の小利に捕われずに欠席するのが、のちのち坊主の為になると思うぞ。今からでも遅くない。やめた方が利口だ」
厳しい顔と口調ではあるが、根はいい人なのであろう。淳于瓊のことを案じてくれての苦言であるのがよく分かる。だからと言って、はいそうですか、とは簡単には言えない理由がこちらにはあるのだ。
「ご忠告は感謝します。しかしながら当家には特殊な事情がありますゆえ取り止めるわけには参りませぬ。目先のことかも知れませんが、決して小利の為ではないのです」
淳于瓊はそう言って頭を下げた。
「そうそう。人それぞれ事情ってものがあるもんさ。お前さんだってその宦官の家に向かってんだから人様のことをどうこう言える立場じゃねえだろ?」
なお不満そうにしていた黄忠に師宜官が宥めようとしてだろうが、逆に火をつけるようなことを言い出してきた。
「それはもともとあなたが騙して私を護衛に雇ったからじゃないですか!宦官の家にいくと知っていればこんな仕事引き受けなかったですよ!」
どうやら黄忠は行き先も知らないまま護衛を引き受けさせられたようであった。実際、黄忠のような十代の若者にとっては清流派こそが正義で宦官が悪に他ならず、今回の仕事に忸怩たる想いがあるようであった。
「わははは。まあ、そういうなよ。俺だって仕事なんだからよお。南陽さま直々に頼まれちゃ断るってわけにもいかまいて」
「南陽さま?汝南袁家の?」
師宜官の言葉に淳于瓊が反応した。
「そうだ。南陽郡太守の袁隗さまからわざわざご指名でな。最近は都でも俺の名前が売れてきてるんだぜ」
”なるほど、そういうことか。名門ならではの処世術ってやつだな”
胸を張る師宜官を横目に淳于瓊は彼が派遣された背景に合点がいった。
汝南袁家としては宦官と対立したくはないが、一方で葬儀に出て濁流の汚名をかぶるのもよろしくない。そこで登場するのが書家の師宜官だ。碑文を書く腕の良い書家を紹介することで宦官に恩を売りつつ、あくまで書家の仕事を斡旋しただけで葬儀に参列したわけではないとの言い訳もたつ。まさに名門中の名門ならではのウルトラCといったところだ。
ちなみに南陽郡太守の袁隗は袁紹の叔父にあたる。
汝南袁家の家督を継ぐはずであった袁紹の父、袁成は既に早逝している。袁成には二人の弟がいて、上の弟が袁術の父にして京兆尹の袁逢、下の弟が南陽郡太守の袁隗である。
袁逢、袁隗の兄弟はともに郡太守なのであるが、そこらの郡太守と一緒にはできない。首都洛陽を含む河南尹、旧都長安を含む京兆尹、そして光武帝の出身であり後漢の宗室の陵墓がある南陽郡太守は特別な地位で、この地を任されているということは将来の三公九卿が確実な、まさに出世コースに就いているということなのだ。
つらつらとそんなことを淳于瓊が考え込んでいると、師宜官がなにやら誤解したらしくフォローを入れてきた。
「坊主よお、黄忠の言ってることをそんな気に病むことはないぜ。若いうちってのはだいたい潔癖症になりやすいもんだ。南陽さまだって洛陽にいる甥っ子が過激な発言をやめないで抑えるのが大変だってぼやいていたぐらいだからな」
その甥っ子というのは袁紹か袁術か、或いはその両方か。
淳于瓊は苦笑しながら師宜官に礼を述べるのであった。
黄忠 生年150年 南陽郡出身。演義における蜀漢の五虎大将




