第52話 出席
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5/16 家事→火事 訂正しました。ご指摘ありがとうございます
豫州 潁川出身の宦官、張譲の父親の死は微妙な波紋を潁川の人士の間に広げていた。
なにしろ逮捕投獄されたばかりの司隷校尉の李膺と宦官 張譲の間には抜き差しならぬ因縁がある。今回の李膺の逮捕劇は、李膺が司隷校尉の権限で天子のお気に入りの占い師を無断で処断してしまったというものだが、それは一年前の張譲の弟が処断されたときの騒ぎとまったく同じ構図であり、口さがない者の中には今回の変事は張譲の復讐ではないかと言い出すものまでいる状況でなのある。
もちろん一年前の張譲の弟の時とは全くの別物である。張譲の弟のケースでは明確な罪があったのに対し、今回の占い師は'流言で人々を惑わした'という曖昧な罪である。そして何よりその'惑わされた人々'の中に天子も含まれてれていることが逆鱗に触れる原因となったのだから。
"困ったなあ~"
潁川淳于家の次男坊である淳于瓊も大いに悩んでいた。
"葬儀に参列しなければ'党人'とみなされ、宮中から目を付けられ干される、か。清流派としてはそんな脅しに屈することはできない。それは分かっているんだけど・・・"
淳于瓊自身の立場でいえば、清流派の賈彪の弟子として宦官に尻尾を振るような真似など許される筈も無い。もし弔問に赴けば確実に名を落とすことになるだろう。それも自分だけの話ではない、師である賈彪の名声にも傷がつくかもしれない。
その一方で潁川淳于家としての判断は悩ましい。涼州に赴任している兄の淳于沢がこのことを知ったときには葬儀はとうに終わっているはずで、つまり潁川淳于家としての判断をくだせるのは淳于瓊しかいないことになる。慎重に判断する必要があった。
"潁川淳于家が党人(清流派)とみなされる・・・"
潁川淳于家が党人である、とされても実害が発生するかどうかは微妙なところだ。所詮'県令ふぜい'にすぎないので取り越し苦労の可能性も充分にあり得る。いっぽうで兄が最前線に赴任しているだけにもし中央から嫌がらせを受けるようなことになればそれが致命傷になりかねず、極力避けたほうが良い事態には違いない。
「奇妙さま、賈彪さまがお呼びです」
淳于瓊が悶々と考え事をしているところに波才が呼びにやってきた。淳于瓊は考えがまとまらぬまま賈彪の元へと足を運んだ。そこには賈彪のほか賈彪の家人である李栄、朱丹、趙索の三人も同席していた。
「奇妙、単刀直入に聞くぞ。小黄門(張譲)の父親の葬儀にいくつもりか?」
他家との外交担当である李栄が聞いてきた。彼はその立場ゆえに反対するのは当然といえる。その表情は厳しかった。
「偉節(賈彪)さまのお許しがあれば潁川淳于家として弔問に赴きたいと思っています」
淳于瓊は誤魔化しても仕方ないと考え素直に今の希望を口にした。これで駄目だと謂われればそれは仕方ない、あきらめるしかないだろう。
「ふうむ、潁川淳于家として、か」
賈彪は思案顔であごひげをなでた。どうやら賈彪はどうしても反対というわけではなさそうだ。その態度に李栄が改めて反対の意見を述べた。
「偉節(賈彪)さま、私は反対ですぞ。清流派としての名声が台無しではないですか。今は宮中から睨まれようとも節を貫くことで却って名声をあげるべきです。そしてそれは奇妙についてもいえることです。せっかく我が君の弟子として将来有望と見られているのに、わざわざ悪評を蒙りにいくことはありません」
まったくもっての正論である。兄のことがなければ淳于瓊とて何の異論も無く同意したであろう。
「奇妙も偉節さまに迷惑をかけたくはあるまい?」
李栄が駄目を押す。その点を付かれると淳于瓊にはどうしようもない。しかしここで思わぬ助け舟が入った。最近なにかと淳于瓊と行動する機会の多くなった朱丹である。
「しかしな李栄、奇妙のこれまでの賈郷への貢献はでかい。偉節さまに極力迷惑がかからないような範囲で認めてやってもいいんじゃないか?」
内向き担当の朱丹にしてみればこれまでの淳于瓊によって賈郷がどんどんと発展していることを誰よりも実感しており、多少の不都合は目をつぶってやるべきだと思いがあるのだろう。予想外の援護に李栄がぐっと唸る。確かに普通の師弟関係は出世払いが基本であるのに対し、淳于瓊の貢献はあまりにも出色に過ぎた。
「奇妙、私に迷惑をかけるとかは考えなくても良い。奇妙自身は小黄門(張譲)のもとへ弔問へいくということに対してどのように思っているのだ?」
これまで沈黙していた賈彪が淳于瓊にその真意を問うてきた。
「孔子は孝悌也者、其為仁之本与(孝悌はそれ仁を為すのもとか)といっています。私自身の名声を惜しんで兄を危険に晒すというのでそれは孔子のいう'孝悌'の徳に背くことになるのではないでしょうか?」
親兄弟への'孝悌'よりも臣下としての'忠義'優先せよなどと孔子は述べていないし、そもそも淳于瓊は漢の禄を食む臣下ですらない。兄の安全を優先してなにが悪い、という気持ちがあった。
「たとえ相手が宦官であってもか?弔意を払うべきだと思うか?」
「はるか東方には村八分という風習があります。それはたとえ郷からはみ出た家であっても火事と葬式の2つに限ってはのけ者にしない、というものです。東夷でさえそのような分別がつくのです。子が宦官であるからといってその死に際して弔問にいくことに問題があるとは思えません」
村八分に関して言えば、死体を放置すれば疫病の蔓延の恐れがあり火事を放置すれば延焼の恐れがあるから、という現実的な理由からつちかわれた知恵なのであろう。だとしても日本的な価値観から淳于瓊には宦官の家族だから葬式にでるなという考え方より、どのような人であれ死んだ人には礼をつくせという考えかたの方がしっくりとくるのであった。
「・・・わかった。ならば葬儀にゆくといいだろう」
「!?偉節さま!・・・わかりました。偉節さまがそう仰るのであれば仕方ないでしょう。しかし奇妙よ、我らが直接手を貸すわけにはいかぬのだ。襄城まで送るわけにもいかぬぞ」
李栄としても賈彪の評判を落とすことだけは認められない立場だ。淳于瓊もそのへんは百も承知である。
「わかっています。偉節さまのお許しがでただけでも充分感謝しております。これ以上は迷惑をかけることはできません」
「おいおい、ちょっとまて。いくらなんでも子どもひとりで襄城まで行かせるのは危険すぎる。昨年の不作で流民が増えたからな。街道でも盗賊の被害が頻発してるんだぞ」
慌てて止めに入ったのはここまで我関せずだった趙索だ。
「ひとりではありません。紫雲(波才)と行くつもりです」
「おんなじだよ!確かに紫雲は八歳とは思えないほど腕が立つけど無茶がすぎるぞ」
同じ潁川郡内の賈郷から襄城まで馬であれば一日、子どもの足でも二日あれば着く距離でしかないのだが趙索は心配なようだ。
「うーむ、誰か襄城まで奇妙と波才を連れて行ってくれる者がいればよいのだが・・・」
「それは無いものねだりというものです。襄城の葬儀に行く者は清流派の偉節さまに気後れして賈郷に立ち寄ろうとしませんし、清流派の方々はそもそも葬儀に行かないのですから」
趙索はやはり誰か大人をつけるべきだと考えているようだが、李栄は否定的であった。淳于瓊としてもまさか道中の問題で止められるとは思っていなかったため戸惑うばかりであった。
「そういえば一人ちょうどよい者が賈郷に来ておるぞ」
そんな中で賈彪の口からでた思わぬ言葉に一同の目が集まった。そんな都合のいい立場の人間がいるのかと。
「荊州南陽郡で売り出し中の書家で、たしか師宜官とかいったな。葬儀で碑文を書くために襄城に向かっている途中らしいが'清酒'の噂を聞きつけて賈郷に寄っているのだそうだ」
「なるほど、書家ですか。それならば清流も濁流もなく仕事で襄城に向かっているのですな。これはちょうどいい」
この時代、家が裕福であれば名の知られた書家を招いて碑文を書いてもらうことが一般的だ。師宜官も書の腕を買われて襄城に向かっているのだろう。
さっそく賈郷に滞在していた師宜官のもとへ使いが出され交渉が行われた。結果、襄城まで荷車を出すことと清酒を二瓶の条件で子ども二人の同行を快諾されたのであった。
こうして淳于瓊は波才とともに張譲の父親の葬儀へ行くことが決まったのである。
師宜官 生年不詳 荊州南陽郡の書家。
酒呑みでも有名




