表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淳于瓊☆伝  作者: けるべろす
党錮篇2
56/89

第52話 出席

更新遅くなりました。


5/16 家事→火事 訂正しました。ご指摘ありがとうございます

 豫州(よしゅう) 潁川(えいせん)出身の宦官、張譲(ちょうじょう)の父親の死は微妙な波紋を潁川(えいせん)の人士の間に広げていた。


 なにしろ逮捕投獄されたばかりの司隷校尉の李膺(りよう)と宦官 張譲(ちょうじょう)の間には抜き差しならぬ因縁がある。今回の李膺(りよう)の逮捕劇は、李膺(りよう)が司隷校尉の権限で天子のお気に入りの占い師を無断で処断してしまったというものだが、それは一年前の張譲(ちょうじょう)の弟が処断されたときの騒ぎとまったく同じ構図であり、口さがない者の中には今回の変事は張譲(ちょうじょう)の復讐ではないかと言い出すものまでいる状況でなのある。


 もちろん一年前の張譲(ちょうじょう)の弟の時とは全くの別物である。張譲(ちょうじょう)の弟のケースでは明確な罪があったのに対し、今回の占い師は'流言で人々を惑わした'という曖昧な罪である。そして何よりその'惑わされた人々'の中に天子も含まれてれていることが逆鱗に触れる原因となったのだから。




  "困ったなあ~"


 潁川(えいせん)淳于(じゅんう)家の次男坊である淳于瓊(じゅんうけい)も大いに悩んでいた。


 "葬儀に参列しなければ'党人'とみなされ、宮中から目を付けられ干される、か。清流派としてはそんな脅しに屈することはできない。それは分かっているんだけど・・・"


 淳于瓊(じゅんうけい)自身の立場でいえば、清流派の賈彪(かひょう)の弟子として宦官に尻尾を振るような真似など許される筈も無い。もし弔問に赴けば確実に名を落とすことになるだろう。それも自分だけの話ではない、師である賈彪(かひょう)の名声にも傷がつくかもしれない。


 その一方で潁川(えいせん)淳于(じゅんう)家としての判断は悩ましい。涼州に赴任している兄の淳于沢(じゅんうたく)がこのことを知ったときには葬儀はとうに終わっているはずで、つまり潁川(えいせん)淳于(じゅんう)家としての判断をくだせるのは淳于瓊(じゅんうけい)しかいないことになる。慎重に判断する必要があった。


 "潁川(えいせん)淳于(じゅんう)家が党人(清流派)とみなされる・・・"


 潁川(えいせん)淳于(じゅんう)家が党人である、とされても実害が発生するかどうかは微妙なところだ。所詮'県令ふぜい'にすぎないので取り越し苦労の可能性も充分にあり得る。いっぽうで兄が最前線に赴任しているだけにもし中央から嫌がらせを受けるようなことになればそれが致命傷になりかねず、極力避けたほうが良い事態には違いない。




 「奇妙さま、賈彪(かひょう)さまがお呼びです」


 淳于瓊(じゅんうけい)が悶々と考え事をしているところに波才(はさい)が呼びにやってきた。淳于瓊(じゅんうけい)は考えがまとまらぬまま賈彪(かひょう)の元へと足を運んだ。そこには賈彪(かひょう)のほか賈彪(かひょう)の家人である李栄(りえい)朱丹(しゅたん)趙索(ちょうさく)の三人も同席していた。


 「奇妙、単刀直入に聞くぞ。小黄門(張譲(ちょうじょう))の父親の葬儀にいくつもりか?」


 他家との外交担当である李栄(りえい)が聞いてきた。彼はその立場ゆえに反対するのは当然といえる。その表情は厳しかった。


 「偉節(賈彪(かひょう))さまのお許しがあれば潁川(えいせん)淳于(じゅんう)家として弔問に赴きたいと思っています」


 淳于瓊(じゅんうけい)は誤魔化しても仕方ないと考え素直に今の希望を口にした。これで駄目だと謂われればそれは仕方ない、あきらめるしかないだろう。


 「ふうむ、潁川(えいせん)淳于(じゅんう)家として、か」


 賈彪(かひょう)は思案顔であごひげをなでた。どうやら賈彪(かひょう)はどうしても反対というわけではなさそうだ。その態度に李栄(りえい)が改めて反対の意見を述べた。


 「偉節(賈彪(かひょう))さま、私は反対ですぞ。清流派としての名声が台無しではないですか。今は宮中から睨まれようとも節を貫くことで却って名声をあげるべきです。そしてそれは奇妙についてもいえることです。せっかく我が君の弟子として将来有望と見られているのに、わざわざ悪評を蒙りにいくことはありません」


 まったくもっての正論である。兄のことがなければ淳于瓊(じゅんうけい)とて何の異論も無く同意したであろう。


 「奇妙も偉節さまに迷惑をかけたくはあるまい?」


 李栄(りえい)が駄目を押す。その点を付かれると淳于瓊(じゅんうけい)にはどうしようもない。しかしここで思わぬ助け舟が入った。最近なにかと淳于瓊(じゅんうけい)と行動する機会の多くなった朱丹(しゅたん)である。


 「しかしな李栄(りえい)、奇妙のこれまでの賈郷(かごう)への貢献はでかい。偉節さまに極力迷惑がかからないような範囲で認めてやってもいいんじゃないか?」


 内向き担当の朱丹(しゅたん)にしてみればこれまでの淳于瓊(じゅんうけい)によって賈郷(かごう)がどんどんと発展していることを誰よりも実感しており、多少の不都合は目をつぶってやるべきだと思いがあるのだろう。予想外の援護に李栄(りえい)がぐっと唸る。確かに普通の師弟関係は出世払いが基本であるのに対し、淳于瓊(じゅんうけい)の貢献はあまりにも出色に過ぎた。


 「奇妙、私に迷惑をかけるとかは考えなくても良い。奇妙自身は小黄門(張譲(ちょうじょう))のもとへ弔問へいくということに対してどのように思っているのだ?」


 これまで沈黙していた賈彪(かひょう)淳于瓊(じゅんうけい)にその真意を問うてきた。


 「孔子は孝悌也者、其為仁之本与(孝悌はそれ仁を為すのもとか)といっています。私自身の名声を惜しんで兄を危険に晒すというのでそれは孔子のいう'孝悌'の徳に背くことになるのではないでしょうか?」


 親兄弟への'孝悌'よりも臣下としての'忠義'優先せよなどと孔子は述べていないし、そもそも淳于瓊(じゅんうけい)は漢の禄を食む臣下ですらない。兄の安全を優先してなにが悪い、という気持ちがあった。


 「たとえ相手が宦官であってもか?弔意を払うべきだと思うか?」


 「はるか東方には村八分という風習があります。それはたとえ郷からはみ出た家であっても火事と葬式の2つに限ってはのけ者にしない、というものです。東夷でさえそのような分別がつくのです。子が宦官であるからといってその死に際して弔問にいくことに問題があるとは思えません」


 村八分に関して言えば、死体を放置すれば疫病の蔓延の恐れがあり火事を放置すれば延焼の恐れがあるから、という現実的な理由からつちかわれた知恵なのであろう。だとしても日本的な価値観から淳于瓊(じゅんうけい)には宦官の家族だから葬式にでるなという考え方より、どのような人であれ死んだ人には礼をつくせという考えかたの方がしっくりとくるのであった。


 「・・・わかった。ならば葬儀にゆくといいだろう」


 「!?偉節さま!・・・わかりました。偉節さまがそう仰るのであれば仕方ないでしょう。しかし奇妙よ、我らが直接手を貸すわけにはいかぬのだ。襄城(じょうじょう)まで送るわけにもいかぬぞ」


 李栄(りえい)としても賈彪(かひょう)の評判を落とすことだけは認められない立場だ。淳于瓊(じゅんうけい)もそのへんは百も承知である。


 「わかっています。偉節さまのお許しがでただけでも充分感謝しております。これ以上は迷惑をかけることはできません」


 「おいおい、ちょっとまて。いくらなんでも子どもひとりで襄城(じょうじょう)まで行かせるのは危険すぎる。昨年の不作で流民が増えたからな。街道でも盗賊の被害が頻発してるんだぞ」


 慌てて止めに入ったのはここまで我関せずだった趙索(ちょうさく)だ。


 「ひとりではありません。紫雲(しうん)波才(はさい))と行くつもりです」


 「おんなじだよ!確かに紫雲(しうん)は八歳とは思えないほど腕が立つけど無茶がすぎるぞ」


 同じ潁川(えいせん)郡内の賈郷(かごう)から襄城(じょうじょう)まで馬であれば一日、子どもの足でも二日あれば着く距離でしかないのだが趙索(ちょうさく)は心配なようだ。


 「うーむ、誰か襄城(じょうじょう)まで奇妙と波才(はさい)を連れて行ってくれる者がいればよいのだが・・・」 


 「それは無いものねだりというものです。襄城(じょうじょう)の葬儀に行く者は清流派の偉節さまに気後れして賈郷(かごう)に立ち寄ろうとしませんし、清流派の方々はそもそも葬儀に行かないのですから」


 趙索(ちょうさく)はやはり誰か大人をつけるべきだと考えているようだが、李栄(りえい)は否定的であった。淳于瓊(じゅんうけい)としてもまさか道中の問題で止められるとは思っていなかったため戸惑うばかりであった。




 「そういえば一人ちょうどよい者が賈郷(かごう)に来ておるぞ」


 そんな中で賈彪(かひょう)の口からでた思わぬ言葉に一同の目が集まった。そんな都合のいい立場の人間がいるのかと。


 「荊州(けいしゅう)南陽(なんよう)郡で売り出し中の書家で、たしか師宜官(しぎかん)とかいったな。葬儀で碑文を書くために襄城(じょうじょう)に向かっている途中らしいが'清酒'の噂を聞きつけて賈郷(かごう)に寄っているのだそうだ」


 「なるほど、書家ですか。それならば清流も濁流もなく仕事で襄城(じょうじょう)に向かっているのですな。これはちょうどいい」


 この時代、家が裕福であれば名の知られた書家を招いて碑文を書いてもらうことが一般的だ。師宜官(しぎかん)も書の腕を買われて襄城(じょうじょう)に向かっているのだろう。

 さっそく賈郷(かごう)に滞在していた師宜官(しぎかん)のもとへ使いが出され交渉が行われた。結果、襄城(じょうじょう)まで荷車を出すことと清酒を二瓶の条件で子ども二人の同行を快諾されたのであった。

 こうして淳于瓊(じゅんうけい)波才(はさい)とともに張譲(ちょうじょう)の父親の葬儀へ行くことが決まったのである。

師宜官(しぎかん) 生年不詳 荊州(けいしゅう)南陽(なんよう)郡の書家。

              酒呑みでも有名

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ