第50話 米作りの危機
ついに党錮の禁が始まりましたが、主人公は内政に逃避ぎみ。
今回は話が党錮と内政の両方に関わる話になっていますが、
いちおう今話までを賈郷篇2とし、次話より党錮篇2の始まりとします。
清流派のリーダー、司隷校尉李膺投獄の凶報は賈郷にも大ニュースとして届けられたのだが、淳于瓊になにが出来るというわけでもなく、相変わらず忙しく郷内を走り回っていた。間違いなく世界でもっとも忙しい七歳児である淳于瓊にとっての喫緊の課題は来年の米の生産についてであった。
「そんな!来年の米の作付けを減らすのですか?」
苗代の導入で米の生産量が跳ね上がり、賈郷の危機を救ったばかりにもかかわらず米作の前途は厳しいものがあったのである。
「確かに春の麦の収穫が壊滅的だったのに賈郷が飢えずにすんだのは今年の秋に米が豊作だったおかげだってのは皆も理解しているよ。でもやっぱりな、米は人気がないんだ。去年の冬はすでに春の麦の収穫が危ぶまれてたから皆も積極的に苗代造りに協力してくれたけど、今年は今のところ麦のほうが順調だからね」
「うっ」
朱丹の言うとおり豫州潁川の人々にとっての主食とはあくまで小麦であって、米はあくまで非常用あるいは雑穀との認識なのであった。
ちなみに同じ豫州内でも潁川の隣の汝南は揚州への入り口だけあって米を好む者が少なくないらしい。もっとも汝南といえばあの袁氏の本拠地だ。淳于瓊としては最大級の死亡フラグに近づく気はさらさら無かったりする。
「それにな。米は腹にもたれるって意見も多いんだよ」
"いや、それって腹持ちがいいってことなんだけどなぁ"
淳于瓊はそう思うが口に出しても詮なきことであり、とりあえずその場は引き下がるしか無かったのである。淳于瓊にとってのソウルフードである米も賈郷に根付かせるにはなにか一工夫が必要なのであった。
どうやって賈郷の皆に米を受け入れてもらうか思案するなかで、賈郷に郭泰がやってきた。李膺投獄の知らせが届いてから五日後のことで、郭泰はめずらしく単身ではなく二人の人物を伴っていた。そのうちの一人は淳于瓊も知っている人物、荀家を代表する清流派の荀爽であり、そしていま一人は見知らぬ人物であった。
「郭泰さま。遠路はるばるご苦労さまです。皆さんやはり都で起きた変事の件で来られたのですね?初めてお見かけする方もおられるようですが」
たまたま外に出ていた淳于瓊が郭泰らを見かけ声を掛ける。
「おう、奇妙か。こちらの御仁は荊州は南陽郡の襄郷の何顒殿だ。太学の学生で李膺殿が捕縛されるところに居合わせたのだ。で、偉節(賈彪)は居るか?」
郭泰と賈彪は太学の冠であり、何顒は清流派期待の若者といったところだろうか、まだ二十代前半らしきその人物はなかなか精悍な風貌をしていた。
「偉節(賈彪)さまは館のほうに。すぐにお会いになられるでしょう。しかし司隷(李膺)さまはいったいどのような罪状で投獄されたのでしょうか?」
賈郷には李膺が投獄されたことのみが伝わって来ており、なにが都で起きたのかは誰も知らず憶測が飛び交っている状態だ。その場に居合わせたという何顒ならば当然その経緯も知っているだろう。しかし何顒の言葉に首をひねらざるを得なかった。
「ある占い師が罪を犯したので李膺殿が捕縛して処断したのだ」
「司隷における罪人を捕まえ処断するのが司隷校尉の職務だったと思うのですが?」
それでは普通に自分の仕事をしただけで、いくらなんでもそれで逮捕投獄はないだろう。
「それが天子が贔屓にしていた占い師でな」
続けて何顒が苦々しげに吐き捨てた。淳于瓊はあまりのくだらなさに唖然として二の句がつげなかった。そんな理由で世を騒然とさせるとは統治者として失格としか言いようがない。
"たしかに今の天子は儒教嫌いが嵩じて道教にはまっているとは噂になっているけどまさかそれ程とは。職務を果たさずに処罰されるなら分かるが職務を果たして逮捕されるのかよ。くっそくだらねえー!"
すっかりあきれかえった表情の淳于瓊に、荀爽がお前もそう思うだろう、といわんばかりに毒づいた。
「まったくバカバカしくて呑まねばやってられんわ」
「っ!?それだ!」
荀爽がもらした呟きに淳于瓊は思わず大声を出してしまった。不謹慎ではあるが賈郷の皆に米を受け入れさせる糸口が思わぬところで見つかり思わず我を忘れてしまったのである。
"酒造りだ!米から酒を造ればいいんだ。呑ん兵衛は賈郷にもたくさんいるし、余剰がでても酒ならいくらでもさばけるはずだ"
今の淳于瓊にとっては会ったことのない李膺の逮捕投獄より米作りのほうがよっぽど大事である。気もそぞろに郭泰らを賈彪のもとへ案内した足でそのまま朱丹のところへと向かい、米による酒造りを強く奨めたのであった。話を聞いた朱丹もすぐに乗り気になった。
「なるほど酒か。それなら喜ぶ者も多いだろうね。やってみる価値があるぞ」
「ありがとうございます。もし賈郷で飲みきれなければ近隣に売ればよい稼ぎになるのではなると思います」
「うーん奇妙がいうように酒を売り捌くのは難しいんじゃないかな。酒ってのはすぐに味が落ちてしまうものだからね」
朱丹は酒を売り物にすることに対しては否定的であった。
"火入れをしていない生酒は発酵が止まってないから日持ちしないんだな。酒瓶に入れて封をして湯煎で低温殺菌すればいけるはず。ついでに濾過もして濁りをとってしまうか?"
「それなら何とかできると思いますよ。酒の味が落ちなくなる方法を聞いたことがあります」
「ほんとうか!そんな方法が本当にあるのか!?」
淳于瓊の言葉に朱丹が食いついてきた。それが本当ならばこれまでの常識を覆す大発明だ。もちろん他の郷に酒を売り捌くことも可能となるであろう。淳于瓊は自信満々に頷いた。
「おそらく大丈夫ですよ。酒造りの歴史は古いですからね。大昔からいろいろな方法が試されてきたのですよ」
えらそうに講釈をたれている淳于瓊にもじつは知らないことがあった。
現代における河南省賈湖村、すなわち賈郷の西の丘には新石器時代の遺跡(賈湖遺跡)が眠っていて、そこには紀元前七千年ごろの「人類最古の酒」造りの痕跡が残されていたりするのである。
もちろん西の丘にそのような遺跡が眠ることなど誰も知らないのではあるが。
閑話休題、こうして始まった賈郷の新しい酒造りは近隣に評判となり賈郷の名産品として好評を得ることになったのである。濾過して澄んでいることと清流派の賈彪にあやかって'清酒'と名づけられたその新しい酒は飛ぶように売れ、淳于瓊の一連の改革によって逼迫していた賈郷の財政はようやく一服付くことができたのであった。
何顒 145年生 字は伯求
荊州南陽郡 襄郷県のひと
党錮の禁で弾圧されてもめげずに活動を継続し袁紹らに敬慕を受ける




