第47話 実りの秋~教育篇~
当時の情報とかありがたく参考にさせていただいてます。
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延熹9年(166年)秋〜
賈郷に私塾を開いたはいいのだが、講師となれる人間となると限られている。
大学の冠である賈彪の手を煩わせるわけにはいかない。内向き担当の朱丹は秋の刈入れや春に向けての麦畑の準備があって忙しく、外向き担当の李栄も清流派と宦官の対立がますます激しくなっているようで清流派の名士が多い潁川郡を飛び回っている。武の担当である趙索には柄じゃないと断わられてしまった。
結局ほとんど淳于瓊自らが講師となって張青と賈子たちへ文字を教えなければならなかったのである。1年前から淳于瓊について文字を学んでいる波才もには補佐にまわってもらった。
もちろん淳于瓊と波才だけで一度に百人からの賈子たちへ教えるのは物理的に無理がある。当初は3つの班に適当にわけて文字を教え始めたのだが、ほどなく子どもによって習熟度に差が出てきたため、習熟度別に班を再編して教育を進めることとなったのであった。
まず一番下の第一班であるがこれは数字と人の姓名の読み書きを学ぶレベルである。特に名前は本人の名前、友人の名前、世話になっている人たちの名前など最低限、賈郷で生活する中で関わりのある人たちの名前が読み書き出来るようにはなってもらうのが当面の目標である。算術については足し算引き算、紙芝居については専ら聞く専門のクラスでもあった。
次に第二班にあがると今度は物の名前(作物や道具、地名など)の文字を覚えていく。実務的に商売人などと同等のレベルまで読み書きを目指すクラスである。算術については掛け算割り算、紙芝居については裏側にかかれたシナリオを読みあげる練習をおこなっていく。
最後に第三班であるが、これは希望者のみを対象とした専門クラスであり書物を読み解いていくことになる。またこのクラスに進んだ者には第一班、第二班の面倒も見させることになった。算術は割合や平均値のほか面積や体積の公式なども理解してもらい、紙芝居については製作を手伝ってもらうことになっている。
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私塾を開いておよそ一月あまりで第三班に進む者が3名ほど現われた。波才もこのクラスに該当するレベルなので合計四人の少数クラスだ。波才を除く3名は次の通りとなる。
張青
さすがに具体的な目標があるだけに集中力が他の子どもたちとは違った。
それに言い出しっぺとして手を抜くことは出来なかったというのもあるのだろう。
陳良
恋の力おそるべし、である。
けっして頭をつかうことが好きなタイプではないのによく授業に食らいついてきている
陳正
陳良の弟で淳于瓊や波才と同じ七歳。
兄と違って身体が小さくこれまで目立つ存在でなかったが勉強の面で優れた素質をみせた。
この中でとくに陳正の存在がまわりに良い影響を与えてくれている。兄の陳良は弟に水をあけられまいとさらに必死にならざるを得ないし、波才もおない歳の競争相手出現に焦りを感じたのだろう今まで以上に勉強に身が入るようになった。
さらに埋もれていた新しい才能が見出されたという実績に、私塾に対して半信半疑だった大人たちが驚きを持って見かたをガラリと変えてくれたのも大きかった。
もっとも淳于瓊に驚きはない。百人近くに教育をほどこせば陳正のような子どもが出てくるだろうという予想があったからだ。極論すればそれがたまたま陳良の弟だったというに過ぎないのだ。
”偏差値70で上位約2%だからな。そりゃ優秀な子どももなかには出てくるさ。それより波才の方がうれしい誤算なんだよなあ”
それが淳于瓊の率直な感想である。淳于瓊にしてみれば波才が決して嫉妬をみせたり足を引っ張ろうとはせずに、ひたすら自らを高める方向に努力していることのほうがよっぽどありがたかった。将来のNo2候補としてこれ以上ない資質である。
”主への忠義が絶対のものでも関羽や張飛みたいに同僚や部下に恨まれて裏切りを誘発するようじゃ困るからな。そういえば袁紹陣営も足の引っ張り合いで自壊するんだよなあ。郭図とかすでに性格悪そうだったもんな”
淳于瓊は荀家を訪れた際に一度会ったことのある郭図を思い出していた。優秀な同世代の仲間(荀攸、鍾繇、淳于瓊ら)に妬みを隠せていなかったが、波才がそうでなくて良かったと心からホッとするのであった。
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こうして第三班の面子が揃い次のステップに移ろうかという段階になったころ、タイミングよく賈彪が'黄帝内経'の入手に成功していた。
”教材も手に入ったし次は医療改革だな”
淳于瓊の忙しい秋はまだまだ続く。
次は医術篇です。
ようやく内政チートらしく!?




