第46話 私塾
また間が空いてしまいました
時代背景を検討しだすときりが無い(>_<)
3/4 45話が2回かぶっていたので46話に修正しました。
ご指摘ありがとうございます。
「張青は文字の読み書きはできる?」
はるばる并州から医術を教わりに来た意気込みは買ってもこの時代の農村の少女が文字に明るいとは考えづらい。案の上、張青は淳于瓊の質問に目を伏せてしまった。
「うっ。じ、自分の名前ぐらいは書けるわ」
まあそんなものであろうか。自分の名前が書けるだけでもましな方だ。
「まずはそこからだな。偉節(賈彪)さま、賈郷に私塾を開いて賈子たちにも読み書きを教えたいのですがよろしいでしょうか?」
淳于瓊の申し出に賈彪が首をひねる。
「べつにかまわぬが、張青だけではなく賈子たちにも?それに医術ではなく学問(儒教)を教えるのか?」
賈彪の勘違いには理由がある。漢代において読み書きを学ぶということは学問(儒教)を学ぶということと同義なのだ。士大夫として身を立てるつもりでなければそのような機会を得ることはなく、それ以外の人間は仕事で必要となったときに必要な文字だけを覚えるのが普通であった。
しかし淳于瓊は義務教育の成否が社会の生産性を左右する未来を知っている。
「私塾で教えるのはあくまで読み書きのみです。それと簡単な算術ですね。張青には賈子たちと共にまずはそこで文字を覚えてもらいます」
「わたしは別に文字を学びに来たわけじゃないのよ?」
張青が不満の声をあげるが淳于瓊は取り合わない。科学的な医術を志向すれば読み書きは必須である。
そしてそれは医術以外についても同様である。口伝頼みでは社会の発展は非常に緩慢にならざるを得ない。それゆえ張青だけでなくこの機会に賈子たちにもいわゆる読み書き算盤を習わせようと考えていた。
「賈子たち全員に文字を教えると申すのか?」
賈彪が信じ難いといいた表情で念を押すかのように聞いてくる。
繰り返すが賈郷のような農村で生きていく限り読み書きが必要となる場面はほとんどない。にも関わらず全員に読み書きを教えるなど大人たちにとっては余りにも無駄なことであるように思われるのだろう。
「はい、彼らが将来どうするにしても学んでおいて損はないと思います。なに、本格的な学問をさせるのではありません。あくまで実用的な読み書きと算術を教えるのが目的です。もちろん儒を学びたいと志す者がでてくれば進学させてもよいと思います」
これから100人近くに読み書きを教えればなかには勉学の見込みがある者がでてくる可能性は大いにある。そうなれば本格的に学問(儒教)を学ばさせて身を立てさせればよい。実際にそういう者が出てくれれば波才とともに淳于瓊の左腕として重宝することだろう。
「そうは言うがな、奇妙。賈子の中にはどう考えてもそういうのに向いてない奴が結構いるぞ。たとえば陳良みたいにさ」
賈子たちに武術の指導をしている趙索が口を挟んできた。賈子たちと接する時間が長い分彼らのことを良く知っている張索はガキ大将キャラの陳良の名を挙げた。だが流石に陳良が張青に一目惚れしたことまではまだ知らないらしい。
「そうでしょうか?むしろ陳良は張青と共に読み書きを学べると知れば喜んで参加してくると思いますよ」
大人たちが微妙な顔をしているなかで事情を知っている波才だけが隣で笑いをかみ殺しながら頷いている。
「まあいきなり論語や春秋を読み聞かせても付いてこれる者などほとんどいないでしょう。ですから教材としては白馬寺の支楼迦讖とともに編纂中の大漢西域記を考えています。愚にも付かぬ冒険活劇ですが楽しみながら文字を学ぶにはちょうど良いかと」
大漢西域記とは例の西遊記もどきの紙芝居のことでシナリオはほぼ出来上がっている。ただ絵のほうは全く進んでおらず製作が滞っているところだ。賈子たちに文字を学んでもらいつつ絵心のある子ども達に絵を描かせてしまえばまったく一石二鳥なのであった。
「ふうむ、しかしそれは胡(西方のこと)の御伽噺であろう。教材とするには偏ってしまうのではないか?」
淳于瓊から簡単なストーリーを聞いたことのある賈彪が疑問を呈する。たしかに西域の地名や仏教用語などは漢人に馴染みが無いだけにその懸念もわからないではない。
「はい。ですから中原を舞台とした御伽噺も作成しようかと考えています」
実は淳于瓊は西遊記と並行してもうひとつ新しい紙芝居の構想を練っていたのである。
その御伽噺は姜子牙、後の太公望を主人公とした物語であり実は彼が仙人界から遣わされた道士であるという、この時代の人々にとっては驚愕の設定の物語だ。
名君であった殷の紂王が慢心から神である女媧の廟で暴言を吐いてしまい、怒った女媧は千年狐狸精の妲己を紂王に近づけて堕落させ殷は衰亡へと向かっていく。
そんな中、天命により三六五の神を封じる封神計画の執行を命じられた姜子牙が殷周易姓革命と仙人界を二分する騒乱に深く関わっていく壮大な話である。
文字の勉強用の教材はなんとかなる。それより問題は張青に教える医術の教材のほうであった。
「偉節(賈彪)さま'黄帝内経'が手に入らないでしょうか?」
これを聞くと賈彪は露骨に顔をしかめた。というのも'黄帝内経'というのが前漢に書かれた道教の原典ともいうべき書であって儒の学者である賈彪とはまったく相容れないものだからだ。
「奇妙よ、まじないや占いの書などを手に入れてどうしょうというのだ。まさかそんなものが役に立つと思っておるのか?」
賈彪にしてみれば'黄帝内経'は怪しげな書以外のなにものでもなく、これまでと違って明確に反対をしてきた。まあ淳于瓊も儒教の迷信を排除する思想は嫌いではない。
「鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。重々承知しております。」
淳于瓊は論語の一説を持ち出した。神仙というものは敬意を払う対象であっても距離をおいて頼ってはならないという意味合いだ。儒家は占いやまじないの類を忌避しているのである。
「ならばなぜ?」
「'黄帝内経'の中の怪しげな部分を排して真に有用な部分を抜き出して医術の教材とします。特に漢方(薬草)に関する記述は有用です。それを本草経として独立させて編集し世に広めれば多くの人を救うばかりか、邪教淫祀を排することにもつながるでしょう」
そう言いきって淳于瓊はまっすぐ賈彪の目を見た。儒の大家である賈彪が'黄帝内経'を求めたなどと広まれば名声に傷が付く可能性がある。それでもやってみる価値は充分にあると淳于瓊は判断していた。
しばらく目を合わせていた両者であったが先に折れたのは賈彪のほうであった。
「わかった。'黄帝内経'についてはなんとかしよう。私塾については朱丹と相談して適当な空家を使うとよい」
こうして賈彪の許可を得た淳于瓊は張青と賈子たちへの教育を施すことになり忙しい日々が始まったのであった。
漢の農村の暮らしのイメージが固まりきりません
ローマに比べ農業生産性や冶金技術は漢のほうが高かった筈なのですが・・・
とりあえず連投でいきます




