閑話 草原の覇王
今回の話の登場人物たちは主人公達とからむことはないので
出てくる人名や地名は流してもらって大丈夫です
次話より主人公、淳于瓊(奇妙)サイドの話に戻ります。
并州雁門より北に数百里、弾汗山の大人庭に鮮卑の有力者たちが集結していた。
「烏桓の丘力居が(幽州)遼西、遼東への侵寇を開始しました」
「南匈奴の居車児もすでに涼州の安定郡、北地郡を荒らしまわっています」
鮮卑族の大人(部族長)、檀石槐は蹋頓の報告に満足げにうなずいた。鮮卑族の支配下にある烏桓と南匈奴は檀石槐の指示通り漢への進攻を始めている。
「東羌の状況はどうだ?」
東羌族は鮮卑族の支配下にいるわけではないが昨年より秘密裡に交渉を重ね、時を同じくして漢への侵寇を開始することになっていた。
「彼らも涼州の金城郡、漢陽郡へ攻め込んだようです、ただ…」
と、ここで蹋頓が言い淀んだ。
この烏桓より事実上の人質として寄越された青年はなかなか優秀であり檀石槐は重宝していた。
「なにか問題が起きたのか?」
「はい、漢陽の守りが思いの外かたく、なかなか成果が上がっていないようです」
檀石槐は眉をひそめた。事前の調査では漢陽郡の太守は取るに足らぬ人物で苦戦することはないとの予想であったのである。
今回の大規模な侵寇の最終目的地はけっして辺境の幽州や并州、涼州などではない。肥沃な土地が広がる司隷西部・関中と呼ばれる地方こそが檀石槐の真の狙いであった。
しかし前漢の都、長安がある関中地方に攻め込めば、いかに清流派と濁流派が対立し混乱している漢といえども本腰をいれてくることは間違いない。
それでも侵寇をあきらめるには関中の地は魅力的に過ぎた。三方向から鮮卑、南匈奴、東羌が時を同じくしてなだれ込み、漢軍を翻弄しつつ荒らし回れば十分に勝算があるというのが檀石槐の見込みであった。東方で幽州に攻め込んだ烏丸は雁門に駐屯する漢軍への牽制としていきてくるだろう。
古来より北方異民族の中原へ侵寇は頻繁に行われてきた。侵寇と撃退の繰り返し、それが中国史であるとさえいえる。その中でも多民族をまとめあげ戦略を持って中原へ兵馬を進めた最初の人物こそ、檀石槐である。
檀石槐はまだ鮮卑が匈奴の支配下にあったころ、父親が匈奴に兵として取られている間に生まれた。彼は不義の子と疑われ殺されかけたため母親の部族で育てられたのである。
長じて檀石槐は勇敢な少年となった。母親の部族の家畜が奪われると単身追いかけて奪い返すなどその勇敢さが評判になると多くの部族がその支配下に集まるようになり、やがて鮮卑族の大人(部族長)となったのである。さらに彼のその公正な態度が広まると他の民族、烏丸や分裂した南匈奴までがその支配下に入り北方に一大王国を築き上げていたのだった。
その生い立ちと半生は千年後に現われる英雄・チンギスハーンを髣髴とさせる。
ただ二人の英雄の間には決定的に異なる点があった。
檀石槐にはジョチやムカリのような戦略戦術の両面で信頼して任せることのできる優秀な方面軍司令官はいなかった。また楚材やヤラワチのような攻略した地に適した統治システムを築くことのできる文官もおらず、なによりオゴティやトゥルイのような大事業をさらに発展させることのできる優れた後継者を得ることはなかったのである。
鮮卑族は彼の死後は分裂を繰り返し急速に勢力を落とすことになる。それゆえ漢はほんの少し、董卓や曹操があらわれるまで命運が尽きるのを先延ばすことができたのである。
"もし東羌が漢陽郡を抜けず関中に攻め込めないとなれば目算が狂ってくるな"
慎重な思考に沈んでいた檀石槐の耳に成人したばかりの不肖の息子、和連の声が響いてきた。
「はん、羌族は頼りにならねえな。なあに、漢ののろまどもなんざ俺らだけでも充分さあ」
威勢ばかりで中身のまったく伴わない発言であったがそれでもその場は沸き返った。
それを見た檀石槐は嘆息した。檀石槐を大戦略を理解できているものは人質兼客将の蹋頓ぐらいしかおらず、他の皆の頭の中はもう肥沃な土地を襲って得られる収奪品のことでいっぱいのようであった。
"今さら侵寇を止める訳にはいかぬか"
北方で数年来うち続く旱魃の影響は配下の諸部族を苦しめている。嫌な予感を振り払って檀石槐は号令をかけた。
「我ら鮮卑族も遅れをとるわけにはいかん。并州朔方郡へ兵馬をすすめるぞ。蹋頓は弾汗山に残り烏桓と連携しつつ雁門の漢軍を牽制せよ!」
こうして"一代の英雄"にして"草原の覇王"たる檀石槐は本格的にその牙を漢に突き立てようとしていたのであった。




