第42話 戦乱の幕開け 後
淳于沢は14歳のときに両親を失ってから5年間、両親の忘れ形見となった弟の淳于瓊と二人で暮らしてきた。
多感な少年時代を弟の子守をして過ごした淳于沢は弟から影響を誰よりも受けていた。彼の価値観は後漢の平均的な士大夫のそれとは知らず知らずかけ離れていたのである。
もし淳于瓊=奇妙を弟に持たなければ彼はどこにでもいる普通の県令でしかありえなかったであろう。
涼州人に対して田舎者と下に見ることも無く、また自分よりずっと才に優れた賈詡や樊稠らを妬むことも無く助言を受け入れてきた淳于沢には目の前で女や子どもたちが襲われるのを羌族であるからといって見て見ぬ振りをすることは出来なかったのである。
「文和(賈詡)さん、県令失格でもいい。城門を開けて出撃させよう」
淳于沢は賈詡の主張を退ける決断をした。
「本当にそれでよろしいのですな?」
賈詡が厳しい表情で念を押してくる。淳于沢はその迫力に気圧されながらも決意を込めて頷き返した。
賈詡はそれを見て、ふう、とため息ををついた。だがそのしぐさとは裏腹になぜか晴れやかな目をしているのに淳于沢は気づかなかった。
賈詡はひとつ首を振ると城門の下に向かって大声で命令をくだした。
「県令どのの指示がでたぞ!城門を開けろ!奴らをうち払え!」
「応!」
樊稠率いる騎兵部隊から 鬨の声があがり、次々と出撃していく。
それを見下ろしながら淳于沢は恐る恐る賈詡に話しかけた。
「文和(賈詡)さん、怒ってるかい?」
淳于沢はこれまで賈詡の建言を退けたことはほとんどなかった。賈詡の行政官としての能力は淳于沢より数段高く、退ける必要が無かったからであるが、それがこの重大局面において初めて我意を通しただけに不安になったのだ。
「伯簡どのの判断は間違っていませんよ」
「へ?」
賈詡の予想外の返答に淳于沢は呆気に取られた。さっきまでの反対は一体何だったのかと理解に苦しむ。
「先ほどの建言は'県令として'どうすべきか伝えたまでです。それが'最善の策'であるかどうかはまた別ものですよ」
「な、なんでそんな回りくどいことを?」
「一応これでも冀の県丞(下級役人)として禄を食んでおりますからな。あくまで県丞の義務として県令の役割を説いたのです」
あっけらかんと答えながらも賈詡はその先を心の中で続けた。
"伯簡(淳于沢)どのは県令の立場を踏み越えた決断を下した。本人はその意味に気づいていないでしょうけどね。ふふっ。知略に関しては私が付いている。武略は…伯密(樊稠)どの、頼みますぞ"
眼下では樊稠を先頭にした騎兵集団が今まさに羌族に襲い掛かろうとしていた。
そして両軍が接触した瞬間、二人は感嘆の声をあげた。
「おおっ、すごい!」
「ほう、これ程とは!」
樊稠は馬上で戟を自在に振り回しながら敵陣を斬り裂いていった。その後ろを偃月刀を振るう麴義が率いた小隊が続き、さらに他の小隊がそれについていく。樊稠や麴義に叩き落とされた敵兵は後続の騎兵集団になす術も無く踏み潰されていく。樊稠が宣言していた通りまさに鎧袖一触である。
たしかに羌族は騎馬民族で馬の扱いには長けている。しかしその武装は軽装であり神出鬼没の機動力を生かしての奇襲や距離をとって馬上からの弓矢による攻撃こそが脅威になるのである。
今回のように平原で正面からぶつかる分には漢の騎兵でも互角以上に戦うことが出来るのであった。
その他に勝因をあげるならば、敵が獲物を襲うことに気を取られていて陣形がとれないまま突撃を受けたこと、騎兵の持つ性質からもともと突撃する側が有利であること、そして先陣を切った樊稠、麴義の存在が挙げられる。
鐙のないこの時代において馬上で戟だの偃月刀を振るうにはかなりの膂力が必要でありだれにでもできる芸当ではない。しかしもしいわゆる'馬上槍'ができればその威力は絶大である。なんせ普通の騎兵は馬上で片手剣を振り回すのが精一杯で馬を横付けしない限り攻撃をあてることすらできないのだ。そんな相手に正面から戟や偃月刀を振り回して突っ込むのだから文字通り単騎無双の状態になってしまうのだ。
ちなみに淳于沢が単に樊稠らの無双っぷりに声をあげたのに対し、賈詡は樊稠がその個人の武勇をもって強引な単騎駆けをするのではなく100騎全体のバランスを取りながら敵陣を蹂躙していったことに感嘆したのであった。
"千の兵は得易きも一人の将は求めがたし、といいますが伯密(樊稠)どのはまぎれもなく将器の持ち主といえましょう。兵の大半は戦場経験の無い新兵でしたがこれで自信を持つでしょう。仲武(麴義)どのもなかなかの将来性を感じさせますし、これならば・・・"
賈詡は眼下の戦場を見下ろしながらその頭脳をフル回転させ、これからの算段について思案を始めていた。
翌日、淳于沢が助けた側の羌族の男たちが輜重運搬の仕事を終えて冀に帰ってきた。彼らはことの顛末を家族から聞くと淳于沢の元に赴き次のように述べた。
「我らの家族と家畜を守ってくれた県令どのの恩義に報いたい。我々は県令どのに対してならば忠誠を誓おう。我が部族の男たちは戦場で役に立つぞ。存分に使ってくだされ」
この申し出を受け帰順した部族の男たちを加えた結果、樊稠が預かる兵力は一気に2倍の200騎にまでふくれあがったのである。
それを知った樊稠は顔を引きつらせることになる。
なんせこの数字は樊稠が董卓の下で率いたことのある兵力のおよそ10倍にもなるのだから。
このようにして漢陽郡 冀においても異民族との戦いが始まった。延熹9年(西暦166年)黄巾の乱よりも18年前のこの年、涼州は一足早く激動の時代へと突入したのである。
これでいったん涼州篇は一区切りです。
閑話を挟んで主人公サイドの話に戻ります。




