第33話 初めての実戦
三月のある晩、南の物見櫓に淳于瓊と波才の姿があった。
物見櫓が完成してからは皆で交代しながら見張り番をしており、この日は二人が早番であった。
ちなみに賈子たちは半分に分かれて早番と遅番で就寝時間をずらしており、有事にすみやかに対応できる体勢を取っている。
「もうすぐ紫雲と出会って一年か…」
「俺、拾われたのが去年でよかったって心底思います」
波才の述懐に淳于瓊は頷いた。まったくその通りで、今年の食糧事情ではとても賈郷に受け入れることはできなかっただろう。一年早く行き倒れたことが波才の命運を分けたのだ。
「そういえば昨日、陳良の隊が狩りの獲物を横取りされたんだって?」
賈郷の周りは補強された柵が囲んでいる為、郷内では目立った被害はまだでていないが、柵の外側ではかなり治安が悪くなっている。賈子たちも安全のため郷の外では5人一組の隊を組んで行動している。
「ええ。陳良たちが撃ち落とした鳥を回収しにいったら流民らしき連中に横取りされたっていってました。この辺りにもだいぶん流民が増えているみたいです」
豫州、司隷を中心に、昨秋に続いてこの春も不作が確定的となったことで、どこの郷でも食糧事情が非常に深刻となっている。
賈郷も例外ではない。ソバや大豆といった夏には収穫できる雑穀類を手配していたことで夏まで食いつなげればなんとかなるのだが、賈子達が狩りに走り回った分を入れても、ぎりぎり食いつなげるかどうかといったところだ。
とはいえ賈郷は周りの郷に比べればぜんぜんマシな状況である。
それはそれで食い詰めた連中に狙われやすいという問題が発生しているのだが。
「張さんも最近表情に余裕がないよな」
「仕方ないですよ。賈郷の守りの要ですからね。いろいろ心配なのでしょう」
"それもあるだろうけど、それだけじゃないんじゃないかな"
淳于瓊はそう思う。彼らはいまは野盗に身を落としているといっても、ほんの少し前までは普通の農民だったもの達だ。そんな彼らに剣を向け、抵抗してくれば切り伏せなくてはならない。そのストレスは相当のものだろう。
"いや、他人事じゃないか。俺だってこの時代で生きて行く以上、避けては通れない道だよな"
直接にせよ、間接にせよ、人を殺めてでも自らが生き延びる。史実通り乱世となれば、淳于瓊も間違いなくそうせざるを得なくなるだろう。その時、自分のメンタリティは保てるだろうか?
そんなことをぼんやり考えながら、南の平原を眺めていた淳于瓊は、遠くに灯りがチラつくのに気付いた。
「なんだ?」
「松明・・・ですね。隊商でしょうか?」
「隊商なら夜に移動したりなんかしないと思う。それにあの辺りは街道から外れてる。賈郷の正門は東側なのに街道から外れて南側に向かって来るのはおかしい」
賈郷の地勢は西側が丘で、北側が川になっており、東側が街道に面している。
彼らの目的がまっとうなものであれば街道をそのままのぼって東側の正門へ向かうはずだ。わざわざ街道を外れて郷の南側に回り込む理由がない。
正体不明の集団に不穏なものを感じた淳于瓊は、波才に人を呼びにいかすことにした。
「紫雲。急いで櫓を降りて賈子たちに召集をかけてくれ。投石紐を忘れないようにな。その後、趙さんへ報告へ向かってくれ」
指示を受けた紫雲が急いで物見櫓を降りて走っていく。
ひとり物見櫓の上に残った淳于瓊は南の方角に目をこらす。まだ2里(約1km)以上離れているが、間違いなく賈郷の南側へと向かってきている。
”野盗なのか?それとも思い過ごしか?”
淳于瓊が櫓の上でヤキモキしているうちに、賈子の面々が集まりだした。その中には陳良の姿もあった。
「淳于の坊、どうなってる?」
陳良が櫓の下から声をかけてきた。
「郷まであと1里ぐらいかな(約500m)。奴らの目的はまだわからないが油断はできない。賈子隊ごとに別れて投石用の石を集めて準備をしておいてくれ」
そうこうしているうちに正体不明の集団は、およそ60丈(約200m)の距離まで近づいてきた。さすがにここまで近づけば月と松明の明りで識別がつく。彼らは槍や剣を手に武装していた。
「やつら武装しているぞ!野盗団だ!100人ぐらいいる」
賈子たちの間に緊張がはしる。こちらは早番の賈子たち50人程度でしかない。しかも向こうは大人、こちらは子どもだ。まともにやりあえば勝ち目などあるはずが無い。
「紫雲が張さんを呼びにいっている。落ち着いて柵の外側で撃退して時間を稼げば俺たちの勝ちだ。狙いは各隊の隊長が指示を出してくれ。いつもの狩りと同じようにすれば大丈夫。各隊、投擲準備!」
賈子隊が慌てて石を投石紐にセットして回転を始める。
その間にも野盗団が近づいてくるが、まだ投石の有効範囲(50~60m)にはない。
彼らは賈子隊の存在に気付いていないようで、音を立てないようにはしているものの警戒するそぶりは見せていない。およそ30丈(約100m)の距離まで来たタイミングで淳于瓊は櫓の上から警告を発した。
「こんな夜更けに賈郷になんの用だ?まっとうな用件ならば武器を置いて東の正門へまわれ!」
奇襲をかけるつもりがいきなりの警告で戸惑ったのだろう、野盗団の動きがとまった。しかしそれが子どもの声であることで、組し易し、とでも判断したのか、どっと笑い声があがり武器を振り上げて向ってきた。
「第1隊から第3隊、放て!」
ヒュンッ、ヒュッ、ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュッ
投擲された石が野盗団の前のほうにいた2人に命中した。
当たり所がわるければ充分に殺傷能力のあるサイズの石が暗闇から飛んでくるのだ。避けられるものではない。野盗団の前進が止まる。
”たのむ、このまま引き上げてくれ”
しかし淳于瓊の願いは野盗団の頭目らしき男のだみ声でかき消された。
「ばかやろう!ここで引いたら報酬がもらえねえだろうが。なあに、投石ってのは一回撃っちまえば次に撃つまでまで時間がかかるもんよ。びびってんじゃねえ。進め!」
前半に聞き捨てならない内容があったが、今は撃退することが最優先だ。淳于瓊は投擲指示を再開する。
「第1隊から第3隊、次の投擲準備! 第4隊から第6隊、放て!」
「第4隊から第6隊、次の投擲準備! 第7隊から第10隊、放て!」
「第7隊から第10隊、次の投擲準備! 第1隊から第3隊、放て!」
野盗団の頭目が指摘した通り、投石というものは投擲した後、次弾の準備に時間がかかる。その欠点を補うために淳于瓊が考えたのが長篠の戦で運用されたとされる三段撃ちの要領であった。(長篠の戦の史実は多少違ったようであるが)
いずれにせよ、安全な陣地内より大量の間接攻撃で押し寄せる相手を削る、というのは戦術としては古来有効な手法であることに間違いはない。
間断なく撃ちだされる投石にひとり、またひとりと倒れていく。しかも柵に近づけば近づくほど命中精度も威力もあがるのだ。そして投石をかいくぐりようやく柵にたどり着いた賊が投石の集中砲火を浴びて脳漿を撒き散らしながら吹っ飛ばされた時点で、野盗団の戦意が完全に失われた。
「だめだ。逃げろ!」
悲鳴交じりで野盗団のだれかがそう叫ぶとあとは早かった。倒れた味方を助けようともせず、我先に逃げ出していく。淳于瓊はフウッと息をついて、投擲の指示を出すのをやめた。
このころになると賈郷の大人たちも少しずつ集まってきていた。遅れて趙索と波才が自警団を連れて駆けつけてくるのが見える。淳于瓊は櫓の上から声をかけた。
「みんな、お疲れさま。もう大丈夫だ。賊は南の方に逃げていったぞ!」
賈子たちの間に歓声があがる。子供たちだけで大人の野盗団を退けたのだ。しかもひとりのけが人も出すことのない完勝である。賈郷の大人たちはこの戦果に目を丸くしている。
「張さん、賊は賈子隊が撃退しました。ただ気になることがあります」
淳于瓊は櫓を降りて、ようやく到着した趙索に手短に経過を報告した。やはり、頭目らしき男が言っていた’報酬’うんぬんは趙索も気になるようで、すぐに逃げ遅れた賊の捕縛がおこなわれた。
柵の外側には即死した者が3名、重症者が4名、手や足が潰れて逃げることもままならなかったものが4名残っていた。重症をおった者には簡単な聞き取りのみおこない、趙索が止めを刺してやる。櫓の上から見ていたのとは違う目の前のスプラッタな光景に思わず目をつぶってしまう。趙索が気を使って淳于瓊に声をかけてきた。
「奇妙、無理についてこなくても良かったんだぞ?」
「いえ、俺がやったことの顛末です。目をそらしたくはありません」
賊から得られた証言で、ある男が前金を渡して賈郷を襲うように唆し、上手くいけばさらに後払い報酬も約束されていたことがわかった。ただその男は覆面をしていたため、身元も人相はわからないとのことであった。
「誰の差し金だろう?」
死体から金目のものを剥ぎ取りながら趙索が聞いてきた。
「判りません。偉節さまを憎むものなどほとんどいないでしょうし…。濁流派の嫌がらせの可能性もありますが…」
淳于瓊はさすがに手を貸すことはしなかったが、剥ぎ取り行為自体を止めるつもりは無かった。賈郷が食いつなぐためにはこういうことも躊躇ってはいられない。
「そこまでするかな?たしかに司隷さま(李庸)の活躍で清流派と濁流派の対立が激しくなってるとは聞いてるけどよ」
賈彪か李栄あたりに聞いているのだろう、趙索が天をあおぐ。
”まさか涼州にいる兄さんより先に争いにまきこまれるとはね。もし彼らが濁流派の差し金ならまた襲ってくるだろうな”
この淳于瓊の予想はすぐに当たることになるのであった。




