第27話 別駕従事
「それじゃ僕らはこれでいなくなるけど、お姉さんはもう二,三日静養したほうがいい。赤ん坊は二十日ぐらいはあまり連れ回したり人に会わせたりはしないよう控えてね」
「仲潁(董卓)様もしばらく陣に留まっていいって言ってくれてるしそうするわ。奇妙、いろいろとありがとう」
「あと、これを赤ん坊への餞別に」
そういって淳于瓊は荷物から刺繍の入った絹の服を取り出し張青に渡した。
「ぼくの一張羅だよ。まあまだ赤ん坊に着せるには大きいけど、もしどうしても金策が必要なときは売り払って足しにしてもいいしね」
「ちょっ、こんな良い服もらう理由が無いわよ」
張青がおわてて返そうとするが淳于瓊は笑ってそれを受け取らせた。
「いいって、これも何かの縁だよ」
「おいおい、ほんとにいいのか?」
傍で見ていた趙索が口を挟んできた。
「ええ。どうせ私が持っていてもそんなに着る機会があるわけでもないし…」
「索がいいたいのはそういうことじゃないだろ」
董卓まで苦笑しながら言ってくる。
どういうことかな、と頭をひねった淳于瓊は彼らが言わんとするところに思い当たった。
”そうか、張青たちの郷は虎賁の連中に荒らされてこの先の苦労は目に見えている。それでなくても成人できる確率が低いこの時代に、今回の赤ん坊が無事に生き延びて成人できる可能性は相当に低いということか”
なんとも厳しい世の中である。だからといって淳于瓊に餞別を取り下げる気などさらさら無かった。
「…仲潁さんが牛を屠って羌族をもてなしたとき、見返りが返ってくると思っていましたか?」
「ん?いいや、まさか連中が十数頭も送り返してくれるとは予想しとらんかったさ」
「私もおんなじですよ」
こういうことは損得ではない、董卓自身がかつてそうしているではないかという喩えである。
虚を突かれた表情を一瞬浮かべた董卓であったが、理解するとひときわ大きな笑い声をあげた。
「それをいわれちゃあ、わしには止めれんな。まあ、赤子たちのことは任せておけ。悪いようにはせん」
「仲潁さんがそう言ってくれれば安心です。それではお世話になりました」
これで董卓たちとお別れである。
このあとは郭泰とともに洛陽まで戻り、そこからは趙索と二人で賈郷へ帰る手筈になっている。
「董の兄貴、潁川にきたら必ず賈郷によってくださいよ」
「ああ。索も、もし万一のことがあったら奇妙を連れて落ち延びて来い。かくまってやる」
シャレになっていない董卓の返しに、引きつった笑みを浮かべて趙索は頭を下げた。
このあと董卓たちと別れた淳于瓊と趙索は、郭泰が待つ本営へ向かった。
そして度遼将軍の張奐が見送るなか、三人は馬上の人となり駐屯地をあとにした。
「林宗(郭泰)さま、首尾は上々でしたね」
軍の陣営が見えなくなってから淳于瓊は郭泰にそう話しかけた。
度遼将軍の張奐は名士の仲間入りできるとあってあっさりと清流派に与する言質を与えてくれた。これで洛陽の北、并州に展開する軍を味方にするという当初の目的は達成できたことになる。
「うむ。司隷校尉(李膺)どのに良い報告ができるわ。奇妙、すまんが洛陽で司隷どのとの話が終わるまで待っていてもらえるか?偉節(賈彪)に伝言を頼むやもしれん」
「判りました。では私はまた白馬寺の世話になり待つことにします」
"支楼迦讖たち胡人は涼州人よりも差別される立場だ。彼らからみた涼州人の立ち位置というのも聞いておくといいかも知れないな"
淳于瓊は董卓たちと知り合うことによって'涼州人'という想定外のファクターについて情報を集める必要性を痛感した。その時代おける感覚というものはなかなか後世に伝わらないものであるが、人々がどう動くかは歴史に残る思想信条よりもそういう感覚こそが決め手になる気がする。
"董卓が変わってしまう可能性もあるが、後世に伝わる董卓像が歪められたという可能性も高い。中央の名士たちが田舎者の涼州人(董卓)に反発してたのが実情ってのはいかにもありそうな話だし…でもそんな理由で董卓暗殺までしたのならそうとうエグい話になるけど"
淳于瓊がそんなことを考えながら馬に揺られていると、郭泰が声をかけてきた。
「仲潁どのが保護している女たちだがな、知り合いに并州刺史の別駕従事を務めている王子師というものがおる。晋陽で彼のところに寄って便宜をはかるように頼もうと思う」
「ほんとですか?それは彼女たちも喜ぶでしょう。ありがとうございます」
別駕従事は直属の属官であり、現代でいう秘書のようなものである。
刺史の別駕従事の力添えがあれば税の減免や見舞い金が受けられるかもしれない。張青たちもずいぶんと助けられるだろう。
それにしても郭泰はこれまで宮仕えを拒んできた人物である。正直このような伝手があるとは意外であった。そのことを郭泰につたえると、苦笑しながら答えてくれた。
「同郷の太原郡祁の人物で、かつて'王佐の才を持つ'と評したことがあってな。それを今でも恩に感じてくれておるのよ」
「林宗さまにそのような評価をいただければ、それは恩義に感じるのが普通でしょう」
天下の名士(郭泰)にそこまで言われれば、それだけでその人物の前途は明るい。
それにしても'王佐の才を持つ'との最上級の評価がもらえるというのは凄い。
"たしか将来の荀彧もそう評される筈だが、その人物も荀彧並みの実力があるということか"
淳于瓊が興味を持ったのを察したのであろう、郭泰がその人物について教えてくれた。
「王允、字を子師という、なかなか気骨のある青年だよ。たしかいま29歳だったかな」
つい先ほどまで未来の董卓について考え事をしていたこのタイミングで王允の名がでたことに、淳于瓊は愕然として絶句してしまった。
王允 字を子師 137年生まれ 太原郡祁県の出身
演義では「連環の計」を用いて呂布を利用し董卓を討つことになる人物




