第26話 ならわし
孔明さんごめんなさいm(_ _)m
天幕の外で激しく言い争う声が聞こえて、淳于瓊は目が覚めた。
寝ぼけた頭を振りつつ外にでると、張青が見知らぬおばさんと言い争いをしていた。
「肝心な時にいなかったくせに勝手なこと言わないでよ。そんなの認められるわけないじゃない。」
「小娘がなにえらそうなこと言ってんだい。昔からそうするしきたりに決まってんだよ。あんたの姉さんには気の毒だけど諦めてもらうしかないね。」
どうやら近隣の産婆がようやく到着したようである。ただそれにしては張青の興奮っぷりが尋常じゃない。
「あっ、趙さん。おはようございます。いったいなに揉めてんですか?」
「おう、目が覚めたか。昨日は大変だったな。いやな、結局夜があけてからやっと産婆が連れてこられたんだけどさ、この辺じゃ逆子は川に捧げてしまうのが'ならわし'なんだと言い出してな…」
淳于瓊は天をあおいだ。古い迷信やならわしというものが無視できない時代である。
それに逆子を育てないというのも非合理的だと断じてしまうこともできない。
医療技術が発達していない中で逆子となれば障害児が生まれてくるリスクが上がってしまうため、集団が生き残るために間引く対象とするのはあながち間違いとはいえないからだ。
”さて、どうしたものか…、あれでいってみるか。”
淳于瓊は走って軍の炊事場にいくとちょうど煎餅(水に溶いた小麦粉を焼いたもの)をつくっているところであった。煎餅は一般的な兵の朝食である。
”うーん、煎餅じゃちょっとゆるいなぁ。”
淳于瓊は調理兵に小麦粉を水溶きではなく卵と水で練ってから焼くように頼み込んでみた。
董卓から便宜をはかるよういわれているのだろう、貴重な卵を云々といいながらも一枚焼いて淳于瓊に渡してくれた。
淳于瓊はそれを受け取ると中心にひだつくるようにを寄せて最後は楊枝を刺して合わせた。これで即席の具なし肉まんの出来上がりである。
”よし。こんなものか。”
淳于瓊が天幕にもどるとまだ張青と産婆のあばさんが言い争っていた。
周りに董卓たちもいるのだが仲裁することもできず苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「仲潁(董卓)さん、どうなってますか」
「奇妙か。どうもこうもならん。産婆を連れてきたのが裏目に出たな。」
董卓たちはあくまで駐屯軍であって行政権があるわけではない。雁門太守や県令の職権を侵すことはできないのだ。
「では、いまから仲裁にはいりますので適当に合わせてもらえますか?」
「なんだと?」
淳于瓊は董卓の疑問をすっとばして言い争う二人のほうへ近づいた。
「張青、おはよう。お姉さんと赤ん坊の様子はどう?」
「おっおはよう。二人とも落ち着いて今は寝てるわ。って、いまそれどころじゃないのよ。見ればわかるでしょ。」
淳于瓊ののんきな声に調子を外された張青が戸惑いながら答える。
「まぁね。おばさん、逆子を川に捧げないと悪いことが起きるんですよね?」
「そうだよ。逆子が生まれたら川に流す。そうしないと災いが起きるのさ。その子のお姉さんには気の毒だけどそういうならわしさね。」
「わかります。そういう'ならわし'って大事ですよね。」
「ちょっ、ちょっと、あんたまでなに言い出してんのよ!」
予想外の発言に食ってかかろうとする張青を制して淳于瓊は続けた。
「ところで西方には赤子の身代わりをさせる'ならわし'があるんですよ。」
「なんですって」「なんだって」
張青と産婆の声が重なった。淳于瓊はじゃじゃ~んとふところから即席具なし肉まんを取り出して見せた。
「なによ、それ?」
「これは饅頭といって、小麦の粉をこねて焼いてから包んだものです。西方ではこれを赤子の代わりに捧げるのです。ほら、赤子の頭に形が似ているでしょう?」
「ま、まぁ言われてみれば‥」
少し強引だったか張青が引きつりながら答える。淳于瓊は駄目を押すことにした。
「今回の逆子は奇縁あって羽林の陣営で生まれました。これはこの地の'ならわし'だけでなく、西方の'ならわし'もまた用いよとの天の意思であるといえましょう。」
小難しい言葉を使って天意がどーたらとかいう議論に、学のないそこらの郷の産婆がついてこられるはずがない。目を白黒させている産婆を納得させるため、淳于瓊は董卓に確認をふることにした。
「仲潁(董卓)さん、この地の'ならわし'では逆子は川に捧げるとのことですが、西方の'ならわし'によって身代わりに饅頭を捧げるということでよろしいですね。」
「うむ。奇妙のいう通りそれが妥当であろう。」
これで決まりである。'ならわし'を否定するのではなく別の'ならわし'で上書きするという淳于瓊の意図を理解した董卓が上手く合わせてくれた。
お礼を述べる張青と連れ立って赤ん坊の様子を見に行った淳于瓊を見送りながら、董卓は趙索に声をかけた。
「あの子はいったい何者なんだ?」
「奇妙は奇妙ですよ。今まで弟子を取らなかった偉節(賈彪)さまがいきなり子どもを引き取って教えるって聞いたときは耳を疑ったけど、いまじゃ誰も疑問に思っちゃいませんよ。」
潁川淳于家の次男坊、大学の冠である賈彪の一番弟子、あの子がそんなもので言い表せるものかと、董卓は心の中で呟いた。
いままで会った誰とも違う、そうまるで神仙が天から下界を見下ろすかのような視野をもつ淳于瓊に董卓は背筋がぞわりとするものを感じていた。




