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淳于瓊☆伝  作者: けるべろす
党錮篇1
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第25話 出産

"まあこの時代の田舎ではこれ以上は望みようがないか。"


用意された天幕の中は、地べたに(むしろ)が引いてあるだけの簡素なつくりである。

だが贅沢はいってられない、いまはできることをするしかないのだ。


董卓に大釜でお湯を沸かしたら鍋かたらいに小分けにして持ってくるように頼むと、淳于瓊は手伝いを申し出てきた女たちに向かって次のように述べた。


「お湯が届いたらしつこいくらい手を洗ってください。それからお産が始まったら乾いた布で口と鼻のまえを(おお)って息がかからないようにください。」


当然のように指示を出してくる淳于瓊を女たちは不思議そうな顔で見てくる。


「あなたいったい何者なの?」


そう聞いてきたのは12,3歳だろうか、女たちの中で一番年若い少女であった。

それでも6歳の淳于瓊よりよほど年上だ。

年端もいかない子どもに指示されれば困惑するのは当たり前である。


「奇妙と申します。出産のことはわからないのですが、多少医学の知識があります。もし疑問があればそのつど何でもいってください。ただ手をしっかり洗うこと、口と鼻を覆うことは基本中の基本ですので必ず守ってください。」


「なによ、あなた医者の子なの。お父さんは何処にいるの?」


どうも誤解があるようだが、面倒くさいので淳于瓊は否定せずに誤魔化すことにした。


「父も母もすでに他界していません。産婆を近くの郷に呼びに行ってもらってますが間に合わなければここにいる者でなんとかするしかないのです。頼りないとは思いますが覚悟を決めてください。ええと…」


「私は張青。この人の妹なの。お願い、お姉ちゃんをたすけてあげて!」


もちろん淳于瓊に否やはない。

張青の他に手伝いを申し出たのは出産経験がある2人であった。


ちなみに2人に出産時のことを確認したところラマーズ呼吸法みたいなものは特になく、赤子が子宮から分娩を始めたらいきむ、それだけだったらしい。


”ラマーズ呼吸法ってヒッヒッフーッってやつだよなぁ。過呼吸防止と緊張緩和だっけ?分娩時の痛みも軽減されるんだったか?”


うろ覚えながら淳于瓊は説明をしていく。


「最初の内は息をフーッと吐き出すことに集中してください。だんだん苦しくなってきたらヒッフーッと途中で一度息を切るようにしてください。それでも苦しいようでしたら、ヒッヒッフーッと二回息を切って吐き出すように。」


妊婦は苦しそうだが、淳于瓊の説明に頷いてくれた。


「張青はお姉さんの手を握って励ましてあげて。」


「わかった。お姉ちゃん、しっかり。」


張青が姉に声をかける。姉妹が傍に居てくれるというのは妊婦にとって心強い。


「あとの二人はお湯を絞った布で腰から下を拭って温めてあげてください。」


ちょうどお湯が届けられたので、淳于瓊は他の二人にも役割を与える。

二人が妊婦の腰の周りを暖めてあげると少し楽になったのか、呼吸もだんだん落ち着いてきた。


「とにかく意識して息を吐くようにしてください。そうすれば吸うほうも自然に行われますから。」


淳于瓊は、早く産婆を連れてきてくれ、と祈るような気持ちであった。






「お、おしり…」


天幕に入って1刻半(3時間)、張青が青ざめた表情で呻いた。

結局、産婆は間に合わず分娩が始まってしまったのである。しかも逆子であった。


”まじかよ。よりによって逆子とは…”


この時代に帝王切開などできるはずがない。

逆子でもなんでも経膣分娩しかないのだが、これでは出産経験のある二人にしてもほとんど役に立つことはなさそうだ。こういう時のためにこそ経験豊かな産婆がいて欲しかったのが本音である。


”とにかく、あれだ。逆子ということは頭が子宮口につっかえて出て来れなくなるのがやばいんだよな。あとへその緒が絡まって窒息とかもリスクがあるのか。”


「大丈夫、落ち着いて。頭さえ抜けてこれるなら逆子でも問題ない。とにかくみせて」


まだ少女といえる張青の目の前で情けない姿を晒したくない、という見栄もあって

淳于瓊は卒倒しそうな心に鞭を打って覚悟をきめた。


”うう、グロい…。でも男としてここで逃げ出すことはできねえ!”

”たしかにこれお尻がでてきている。まだ足は出てきていないのか。足が下にきて時間がかかってしまうのが最悪のケースなんだよな。でもこのまま続けてたら足が抜けてきそう。やばい…。ええい、ままよ!”


淳于瓊は思い切って手を突っ込んで赤子のお尻を押し戻した。こころなしか赤子が子宮側に戻った感じがする。その衝撃で妊婦がガハッとむせた。


「ちょっ、ちょっと。なにするのよ!乱暴にしないでよ!」


「逆子の場合、子宮の口や産道に頭がつかえることが危険なんだ。いったん押し戻してもう少し子宮口が開くのを待つ。」


「ほ、ほんとうにそれで大丈夫なの?」


張青の質問に、’たぶん’と正直に答えるわけにもいかず、淳于瓊はただ黙って頷いた。

不安が無いわけではないだろうが、張青のほうもそれ以上はなにも言わず淳于瓊を信じることにしたようであった。他に選択肢がないからだろうが、それでも感情的にならないのはなかなか見所がある。


そうこうしてなんどか赤子を押し戻した後、ようやく淳于瓊はGOを出すことにした。


”妊婦の体力的なものもあるし、そろそろかな。つーか、これ以上は俺の心がもたねえ。”


「無理にいきまないで。赤子が自然に出て行く感じで」


幸い充分に子宮口や産道が開いていたのか、腕や頭がつかえることはなく4半刻(30分)ていどで赤子を取り出すことができた。でてきた直後には産声をあげずヒヤッとしたものの、呼吸は始まっていてやがて赤ん坊らしく泣き声をあげ始めてくれた。

へろへろになっている淳于瓊もようやくほっと胸をなでおろすことができた瞬間である。


「奇妙、生まれたか?」


赤ん坊の泣き声を聞きつけたのか、趙索が天幕の中に入ってきた。


「趙さん。天幕に入るなら手足を洗って鼻と口を布で覆ってください。それに赤ん坊は取り出せましたがまだお産は終わっていませんよ。」


淳于瓊に注意され趙索はすごすごと天幕を出て行った。


「張青、お姉さんはまだ胎盤排出がある。もう少し手を握っていてあげて。」


へその緒をきった赤子をお湯を絞った布でかるくぬぐってやるように二人の女に指示しながら、淳于瓊は張青にそう声をかけた。妊婦だけでなく張青の目にまで涙が浮かんでいる。


「ありがとうございます。兵たちに捕まったときはもう全てが終わったと観念しておりましたが、こうしてぶじに赤ん坊を産めるなんて…」

「ありがとう、奇妙。私もこの恩は一生忘れない。」


張青姉妹はそうお礼を述べてきた。

こうして想定外のお産が一通り終わり淳于瓊が天幕を出た時にはすでに東の空が白み始めていた。


「よくやったぞ、奇妙。」


趙索だけでなく、郭泰もいつのまにか天幕の外に来ていたようだ。

淳于瓊は郭泰に生返事を返しながらひざからくずれ落ちた。


”子どもの身体で徹夜はつらすぎる。もう限界…”


押し寄せる眠気にこれ以上抵抗することはできず、淳于瓊は意識を完全に飛ばして眠りに落ちた。こうして淳于瓊の長い長い一日がようやく終わったのであった。

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