第23話 虎賁
「仲潁さま、例の連中の陣がなにやら騒がしくなっています。どうやら近くの郷を襲って来たみたいですがいかがいたしましょう?」
駆け込んできた伝令はそのような報告をしてきた。
なにやら駐屯軍の中で問題が発生したようである。
「くそ、また虎賁の奴らか!索、奇妙、すまんが野暮用が出来た。すぐに戻る。」
報告を受けた董卓はそう言うと、盃を投げ捨て剣を手にして立ち上がった。
怪しい雲行きの会話から開放された淳于瓊が安堵したのもつかのま、こんどは趙索がとんでもないことを言い出した。
「董の兄貴、俺達も行きますよ。」
"ちょ、趙さん、'俺達'って俺も入ってる?やばくね?"
趙索の発言に董卓はちらっと淳于瓊に目をやると、’奇妙の身を危険さらすなよ’とだけ言って同行を認めてしまった。
"いやいや、6歳児を荒事の現場に連れてくの認めるんかい?そこは断れよ!"
さんざん6歳児らしからぬ言動をしてはいるが、所詮は子どもである。
荒事の役には立ちそうもないのだが、かと言って1人で董卓の陣中に残るのも心細い。
結局ついて行く以外の選択肢はなかった。
「このようなことがよく起きるのですか?」
董卓たちに遅れないよう走りながら淳于瓊は董旻に尋ねる。
いくら士気が高くないとはいえ官軍がそんな賊のような真似を繰り返すとはにわかには信じがたい。
まして虎賁といえば羽林と同様に天子の親衛隊ではないか。
けっしてその辺からかき集めてきた雑兵ではないのだ。
だがそんな想いもむなしく董旻の答えは驚くべきものだった。
「そうだな、もうこれで3回目だ。」
「しかし、張将軍がこのような狼藉をゆるさないでしょう?」
淳于瓊の当然すぎる疑問を董旻はかぶりを振って否定した。
「虎賁は都の子弟が中心で宦官とつながっている者が多いからね。将軍といえども簡単に処断することは出来ない。それで奴らは図に乗ってるのさ。そもそもあいつらを統括する虎賁中郎将が病気で都に引き篭もったままだしね。仮病というもっぱらの噂だけど。」
"マジか。漢がそこまで腐っているとは。"
少なからずショックを受けつつ走っていくと、前方の陣営での喧騒がひときわ大きくなってきた。どうやら乱闘騒ぎになっているようである。
「やめんか、てめえら!」
董卓がその身体にふさわしい大声で怒鳴り込んでいく。
さすがの威圧感で一瞬周りの騒ぎが収まる。が、すぐに董卓にくってかかるものがでてきた。
「なに他所の陣にまで来て口出してんだ。てめえらには関係ねえだろ!」
古今東西を問わず軍隊の縄張り意識というのは強いのが相場だ。
しかし董卓はひるむ気配をみせず言い放つ。
「俺は先日、張将軍(張奐)に司馬に任命された。陣を検めさせてもらう。」
司馬とは副官的な立場であり、軍の司馬が陣を検めるというのは理が通っている。
「兄貴が司馬になれたのは、索と奇妙のおかげだよ。」
董旻が耳打ちして教えてくれた。なるほど清流派の名士と橋渡しをしてくれた董卓に対して、張奐は司馬に任命することで報いたのだろう。
司馬に任命されたということは、郎(武将)のなかでも頭ひとつ抜き出たことになる。
「ふざけんな!なんで…」
「仲潁さま。酒と食いもの、あと若い女が…」
虎賁の兵は諦めが悪くなおも食下がろうとしていたが明らかな現行犯では旗色が悪い。
酒や食料はまだしも女がでてきては誤魔化しようがないだろう。
結局30人近い女が救出されたことで言い逃れのしようがなくなった。
その中には子どものような少女からお腹の大きくなった妊婦までいる。
吐き気がするような光景であるが董卓は冷静に職務を遂行していく。
「追って将軍から沙汰がでる。それまで謹慎しておれ。」
董卓の宣告に、虎賁の連中は自分達の所業を棚に上げて不満をにじませた。
親のコネで好き勝手やったあげく捕まっても悪びれない馬鹿どもはなにも現代社会の専売特許ではなかったようだ。
事後処理を部下に任せ保護した女たちを連れて引き上げようとした董卓の背に、虎賁の兵たちの間から負け惜しみの声が投げつけられる。
「へっ、涼州の犬っころが偉そうに。羽林なんざ朝廷の番犬じゃねえか。」
「っ!いましゃべったの誰だ!?」
この言葉に反応したのは顔色ひとつ変えない董卓ではなく、兄貴分を馬鹿にされた趙索のほうであった。
趙索は刀に手をかけ虎賁の兵を睨みつけ踏み出した。だがここで怒りに任せて切りつけては董卓の立場が悪くなる。処断はあくまで将軍に仰がなくてはならないのだ。
董卓が趙索を制止するよりも早く、淳于瓊の声が響いた。
「番犬は人の役にたつ存在です。宮中で柱を腐らせる白蟻や国庫を食い荒らす鼠の眷属にはいわせておきましょう。」
幼い子どもの声に似つかわしくない淳于瓊の毒舌の苛烈さにその場の誰もがあぜんとしてしまった。
趙索も毒気を抜かれて我に返り、刀をさやへ戻した。
「奇妙、ありがとう。せっかく収まってた騒ぎをぶり返しちまうところだった。」
「いいんですよ。趙さんが怒るのも判ります。」
そうフォローしながらも淳于瓊の心の中は複雑であった。
涼州人に対する差別感情は思った以上に根深い。
将来の董卓が変わってしまうのはこのあたりが影響しているのかもしれない。
”涼州に赴任した兄さんはうまくやれてるんだろうか?”
董卓の陣へと引きあげつつ淳于瓊は遠くの地にいる兄、淳于沢のことを思い出していた。




