第19話 白馬寺、再訪
今回すこし短めです。
潁川から洛陽までの道のりは特に問題なく進んだ。
周りに見える田畑も秋に入りそろそろ収穫の時期を迎えようとしている。
「あまり実りが良くないですね」
今夏の長雨の影響か、稗や粟といった雑穀類の実りが悪い。
これで来春の小麦の収穫まで悪くなると食料事情はかなり逼迫するだろう。
正直、清流派と濁流派の争いよりもそちらの方が問題だと思うのだが。
「奇妙が蕎麦と大豆を手配するように偉節さまに進言したのが役に立ちそうだな。秋の不作を予想していたのか?」
「まさか、ただの保険ですよ。人は食わねばなにも出来ませんからね。無駄になってくれればいいのですが。」
趙索の質問に淳于瓊が答える。賈郷だけが飢えをしのいで他の郷が飢える状況より、春の収穫がうまくいってくれたほうがいいに決まっている。
そうこうして馬を進める内に、白馬寺が見えてきた。洛陽の都まであと20里(1里≒0.5km)である。
予定では郭泰が司隷校尉の李膺に直接会って説得することになっている。
その間、淳于瓊は白馬寺で郭泰の帰りを待つのだ。趙索は郭泰の護衛として洛陽についていく。
「奇妙は白馬寺に知り合いが居るのか?」
郭泰は淳于瓊に尋ねた。
胡人が運営する白馬寺に知り合いいるというのが意外なのだろう。
「大月氏の僧、支楼迦讖どのに洛陽に来たら必ず寄るように言われております。先の三月に賈郷へ移動する際、知己を得たのです。手紙で西方の情勢を教えてもらっているのです」
「ああ、兄上が涼州にいるのだったな。」
さすがに郭泰は理解が早い。
これまで何人かの知識人を見てきたが、賈彪と郭泰は別格だと思っていい。
西方の情勢が知りたいなら、西方からやってきた胡人とつながりを持つ。
いたって合理的な考え方であるが、漢の時代においてはなかなか通じないのだ。
合理的思考が一般に受け入れられるには近代の到来を待たねばならない。
「司隷校尉もこれくらい理解が早ければいいのに。」
思わず淳于瓊の口からグチがこぼれる。
事を成すにあたって、もっとも精強な涼州兵を敵にまわさないよう味方につけておく。
"それだけのことなのになぁ、そんなのがリーダーで大丈夫か?"
と思わないではない。
「まあ、そういうな。」
郭泰が苦笑まじりにたしなめる。
「頑固な方だからな。何日かかかるかもしれん。すまんが、白馬寺で待機しておいてくれ。」
こうして郭泰と趙索は洛陽に向かい、淳于瓊のみ白馬寺に滞在することになった。
「ですから、おともは猿と豚と河童なんですって」
「ま、まて。猿と豚は判る。河童とはなんぞや?」
支楼迦讖に浮屠の教え(仏教)を庶民に広めるいい手立てがないか相談された淳于瓊は、
'徳の高い漢の僧侶がはるか西の天竺までありがたい経典を入手しに旅立つ冒険記'
を書くように勧めたのだ。
おもしろい冒険記ならば娯楽として庶民の間に広まってくれるだろう。
なんなら話の折々に仏教のエッセンスを加えていけばよいのである。
支楼迦讖もかなり乗り気になっている。
ちなみにいまはお供をどうするかで激論中である。
「河童は河の妖怪です。やんちゃな猿の妖怪と好色な豚の妖怪と真面目な水の妖怪をお供に連れて行くんですよ。」
「妖怪がなぜ、高僧のお供になるのだ?」
「天界でのいたずらや失敗を咎められ、償いとして高僧のお供につけられたことにしましょう。徳の高い僧と一緒に旅をするなかで、徐々に更正していくのです。」
「なるほど。浮屠の教えが怪しげな淫祠邪教ではないことも伝えられる。」
ちなみに猿の妖怪は印度のハヌマーンのイメージだといったらすぐに理解してもらえた。淳于瓊が何故インドの神のことをしっているのか訝しげな目を向けられたが。
郭泰らが戻ってくるまでの7日間はこんな感じで過ぎたのであった。
次話でようやく若き董卓の登場です




