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淳于瓊☆伝  作者: けるべろす
党錮篇1
20/89

第18話 未来の軍師達

董卓(とうたく)、字を仲潁(ちゅうえい)---

189年、軍隊を背景に朝廷を牛耳ると暴虐のかぎりをつくし、

あげくに洛陽に火を放って本拠地(涼州)に近い長安へ遷都を強行する


曹操と並ぶ死亡フラグである董卓まさかのつながりに頭が真っ白となって固まってしまった淳于瓊であったが、趙索の話を聞いていくうちに少しずつ落ち着きを取り戻していった。趙索の話からは好人物との印象しか抱けないのである。


"そりゃ若い時代の董卓がそこまで極悪な人物ならそもそも軍隊を率いる立場まで出世できないわな。少なくとも外面(そとづら)は取り繕っているはずだ。恨まれるようなことをしでかさなければ危険視しなくてもOKか?いや、買いかぶられて目をつけられるようなまねも避けておくべきか。"


董卓とその上司で度遼将軍の張奐は并州に駐屯している。并州は、洛陽がある司隷の北に位置しており、一行はひとまず洛陽に向かうことになった。ちょうど淳于瓊が洛陽から賈郷へやって来た時の逆ルートである。ということは・・・


「では、今晩は潁陰の荀家に立ち寄るのですね。」


「うむ、慈明(荀爽)とも相談せねばならんしな。」


潁川北部にある潁陰は、潁川の南部に位置する賈郷から洛陽へ向かう通り道である。


"また荀彧(幼児)の子守かな〜"


などと軽く考えていたのだが、今回は少し様相が違った。


どうやら賈彪が荀爽に淳于瓊のことを手紙で自慢していたらしく、同じく子どもながらに評判である荀攸(じゅんゆう)を紹介されたのである。

さらにたまたま来ていた荀攸の二人の友人も一緒に紹介された。


荀攸(じゅんゆう)、字は公達(こうたつ)です。君の噂は慈明さんから聞いていますよ。僕が3つ年上になるのかな。よろしく。」

「僕は鍾繇(しょうよう)、字を元常(げんじょう)、15歳になる。ちょうど長社(ちょうしゃ)から荀公達に会いに来ていてね。よろしく。」

「俺は郭図(かくと)、字は公則(こうそく)。11歳。陽翟(ようたく)の人間だ。」


「ええと、淳于瓊、幼名は奇妙です。こちらこそよろしくお願いします。」


荀攸はまだ予期していたが、鍾繇や郭図は想定外だ。たしかに長社も陽翟も潁川の地であり、年齢的にも荀攸とつながりがあってもおかしくないのだが。


"荀彧と共に曹操の軍師として活躍した荀攸、政戦両面で魏を支えた鍾繇、官渡の戦いで同僚の足を引っ張り袁紹陣営を分裂させた郭図。タイプは違えど三人とも潁川出身なんだ。そういえば史実では淳于瓊の死に郭図が少なからず関わってるんだよなー。こいつもろ官渡の戦犯だし。なんか複雑・・・"


いきなりの有名どころとのご対面で思考がトリップしている淳于瓊をよそに、荀爽と郭泰の話は進んでいく。鐘繇以下、子ども達は聞き役である。


四ヶ月前に比べると、清流派が勢いづいている情勢だけに荀爽の機嫌が格段によい。

清流派の親族を持つ側室が新しい皇后となれるように仕向ける策も諸手を挙げて賛成してくれた。

だが、度遼将軍の張奐に渡りをつける案になると一転して渋い顔をみせる。


「直接、張然明(張奐)のところへいくのか?」


「いや、洛陽で李司隷校尉(李庸)の許可を得てからだな。」


「司隷校尉は良い顔をされまい。」


荀爽はそう断言した。なんでも昨年、張奐と同じく'涼州三明'の一人である皇甫規(こうほき)が李庸を訪ねたらしいが門前払いだったらしい。皇甫規は半引退気味とはいえ(れっき)とした中郎将の身分で、李庸はその時点では無官であったにも関わらず、だ。

どうも清流派のリーダーである李庸は相当プライドが高く、田舎(涼州出身)の軍人あがりを同志とするなど我慢がならないらしい。

夷狄の血が混じったような連中とつるめるか、といった処だろうか。


”なんか怪しい雲行きだな"とか話を聞いていると、いきなり郭泰が淳于瓊に話を振ってきた。


「奇妙はどう思う?」


”えー郭泰さん、そこでこちらに話を振ります?”


郭泰はいたずらっぽい顔をしている。


「•••周の文王、晋の文公の覇業について思いを巡らしておりました。」


仕方なく淳于瓊はそう郭泰の問いに答えた。

出自で人を差別してはいけないとか、綺麗事が通用する時代ではない。

しかも目上の人(李膺)を直接批判することも控えねばならない。めんどくさい。


太公望(たいこうぼう)(きょう)の流れを汲む出自ではなかったでしょうか?狐咎犯(こきゅうはん)(てき)です。」


淳于瓊の出した例えをフォローしてくれたのは鐘繇だ。流石というべきか。

太公望は周の文王の軍師で、狐咎犯は晋の文公の重臣である。名臣の代表格である二人はともに夷狄の出自なのだ。


「なるほど、太公望がいなければ殷周革命は無かった。狐咎犯が居らねば晋文公の覇業も無かった。確かに大事の前には出自など取るに足らない問題ですね。」


荀攸もそう同意してくれた。


「うむ、その通りだ。なんとか、司隷校尉には了承して貰わねばならん。」


郭泰は満足そうに頷いた。年少組が優秀な回答をしてきたのでご満悦といったところだろうか。

そんな中でひとり郭図だけは面白くなさそうにこちらを睨んでいる。史実通り嫉妬深い性格のようだ。


"現時点で気にしても仕方ないが気を付けよう・・・。"


淳于瓊は心の中でそっと溜め息をついた。

荀攸 字を公達 生年157年 荀彧の従子


鍾繇 字を元常 生年151年 豫州穎川郡 長社(ちょうしゃ)の人


郭図 字を公則 生年155年 豫州穎川郡 陽翟(ようたく)の人


荀攸や郭図の年齢なら通常は幼名なのですが、友人の鐘繇の元服に合わせて既に字を名乗っているという設定です。幼名はほとんど後世に伝わってないんですよね〜

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