第1話 出会い
「ようこそおいでくださいました。大したもてなしも出来ませぬが、おあがりください。」
先日の会話より三日後、淳于沢はそういいながら賈彪を迎えた。
「気を使わんでもかまわぬぞ。
伯簡殿の涼州行きについて情報を集めようと思っておったのだがな、皆きのうの日食の件で騒いで取り付くしまもなかったわ。」
賈彪はため息をつきながら続けた。
「まったく、此度は誰の首がとぶことやら。
ひとりやふたり人をを入れ替えたところで凶事が収まるわけもなかろうに…」
この時代、災害や日食など凶事が起こるのは天が怒っているからだと考えるのが一般的であり、三公(高位の重臣)が罷免されるということが繰り返されていた。
「まあよい。それより肝心の弟君はどこにいるのかな?」
「それが先ほどから呼んでおるのですが、どこへいったのか…」
目上の客人が会いに来ているのに目下の者がどこかへいってしまうなど、無礼な振る舞いである。
淳于沢は俊才とは言えないまでも、根はまじめで善良であり、弟の奇行をいつも心配していた。
そのとき先端がぼんやり光っている棒を手に提げた子供が部屋に駆け込んできた。
歳は5,6歳であろうか、賈彪をみとめると姿勢を正して挨拶をした。
「お出迎え出来ずご無礼いたしました。
淳于瓊、小字を奇妙と申します。どうぞお見知りおきを。
西の空を観察している内に、つい時を忘れておりました。」
そう言って淳于瓊は手に提げていた棒=提灯を机に置いた。
賈彪は机の上を物珍しげに眺めながら尋ねた。
「君が奇妙か。伯簡殿から噂に聞いてるよ。
ふむふむ、竹ひごを球状に編んで紙で覆い、中に油皿をしこんで内から照らしているのか…たしかにこうやって棒の先にくくり付けておけば持ち運びに便利だな。それに火がついたまま机や床に置けるし、風で火が消える心配もない。
うまくできているな。これをどこで入手したのかね?」
「ええと、これは私が考案して作成したもので…提灯と呼んでおります」
淳于瓊がそう答えると賈彪は大きく目を見開いた。
「君がだと!…」
賈彪が眉間に皺を寄せてなにやらぶつぶつ呟いていると、淳于沢は慌てて話をかえようとして言った。
おかしな子どもという評判は弟にとって好ましいとは思われなかった。
「ところで奇妙、西の空を観察していたと言っていたが何かあったのかい?」
「はい兄上。日食の原因について、私の説が正しいことを確認しておりました」
兄の心、弟知らず。あんまりな弟の爆弾発言に思わず頭を抱えてしまう淳于沢であった。
「日食の原因とな?」
賈彪は厳しい表情で問うた。
「太陽は天子の象徴である。
それが欠けるというのは、まさに天が天子の不徳を諌める為に起こす凶事に他ならぬ」
いわゆる当時の常識である。だが臆することなく淳于瓊は賈彪へと反論した。
「天が天子を諌めるために起こすというのであれば、なぜ日食は決まって末日か朔日に起きるのでしょうか?」
「なに?」
淳于瓊の質問は賈彪は意表をついた。言われてみればそのように思われるが、これまでそのような事を気にする者はいなかったのである。
「私の考えならば、そのことをうまく説明することができるのです。」
「偉節様が宜しければ説明いたしますが…」
「聞かせてみよ」
賈彪は毒気を抜かれて、この風変わりな子どもの説明をとりあえず聞いてみようと思った。
「まず太陽も月も東からのぼり西へ沈みます」
「当たり前だな」
「上弦の月は日の入りのときに南の中天に在ります。
満月は日の入りとき、ちょうど東よりのぼり始めます。」
「それがどうしたというのだ」
「ではこの提灯を用いて実際にご覧にみせましょう。」
そう言うと淳于瓊は提灯を賈彪から向かって右の方向に置くと、部屋のの灯りを消した。
そして机の上にあった湯飲みの椀を手にし、賈彪の正面に立って椀の底を賈彪に向けた。
「私の仮説は二つございます。まず、一つ目は月は自らは光らず太陽に照らされて輝いているということ。すなわち、灯りのついた提灯が西の空にある太陽、この椀が中天にある月と思ってください。この時、上弦の月と同じように椀が照らされて見えます。」
「確かに椀の右半分だけが照らされておるな」
賈彪が答えると淳于瓊は満足げに頷き、椀を持ったまま賈彪の左手に移動し、椀の底を賈彪に向けた。
「今度はどのように見えますか?」
「椀の底全体が照らされておる。太陽が西で月が東に、これが満月の状態ということか…」
提灯を初めて見た時といい賈彪の理解の高さに淳于瓊は内心驚きつつさらに続けた。
「はい。月は太陽に照らされている部分だけが見えているのだと考えれば、月の満ち欠けの説明がつくのです。」
「だが、日食の説明にはなっておらんぞ」
「日食を説明するにはもうひとつ、二つ目の仮説が必要です。太陽が月よりずっと遠くを廻っている、と考えればよいのです。」
そう言って今度は提灯(太陽)を賈彪の正面に持ってくると、椀(月)を提灯の前に掲げてみせた。
賈彪から見て提灯の一部が椀で隠されるかたちになる。
「っ!」
「これが日食です。新月ならば太陽と月がほぼ同じ方角にありますが、通常は高さが異なるので重なることはありません。
しかし、たまたま向きと高さが一致して太陽と月が直線上にならぶと…」
「太陽が欠けて見えるということか…」
淳于瓊は完全に舌をまいた。隣で涙目になっている兄にも同じ説明をしたことがあるが、月の満ち欠けすら理解できなかったのである。むしろそれが普通で、賈彪の理解力、六歳児の話を聞く度量は並のものではなかった。
"兄さんに無理やりついて行く積もりだったけど、この人の処なら悪くないかもしれないな"
淳于瓊がそんなことを考えているとき、賈彪もまた思っていた。
"これは予想以上だ。伯簡殿にはとうてい手におえまい。是が非でもわしの手で第一等の人材に育て上げてみせようぞ。"
数えで6歳になったばかりの淳于瓊、太学の冠である賈彪。現代風にいえば幼稚園児と国家公務員1種の首席が対等に論じ合っているようなものであったが、たしかに2人には通じ合う部分があった。
卒倒しそうな淳于沢には否やはなく、淳于瓊の穎川行きはあっさりと決まったのであった。
当時は太陰暦です…