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淳于瓊☆伝  作者: けるべろす
賈郷篇
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第15話 順風満帆?

淳于瓊が賈郷に来て、三ヶ月弱が経った。

新しい生活は概ね順調である。


まず、休耕地への紫雲英(れんげそう)の作付けだが、紫雲英が根を張っていくに従い、他の雑草の繁殖を抑える効果があることがわかり好評である。休耕地の雑草取りは大変なので、郷の人達から感謝されているのだ。

さらに紫雲英を飼料として与えた牛の乳の出がよくなることもわかり、朱丹に


「二畝といわず、もっと作付けしとけばよかった。」


と嘆かせるほどであった。


次に苗代であるが、こちらはより直接的な効果が現れている。

従来通り籾を蒔いた水田がまばらにしか苗が育っていないのに比べ、苗代で苗を育ててから田植えをおこなった水田は青々としているのだ。

田植えの手間ひまに不満をこぼしていたものたちも、口をつぐむしかない状況である。


こうして紫雲英も苗代も順調にいっているのだが、いかんせんまだ試験的に始めただけなので、全体の食糧事情を改善できる程ではない。

淳于瓊としては、つなぎの救荒作物を確保したいのだが、南米原産のサツマイモやジャガイモはこの時代の中国では手に入れるべくもない。

代わりに選んだのは、ソバと大豆である。

不作に備えておきましょう、と賈彪に進言したらあっさり認めてくれた。賈彪もこのところの長雨で従来型の水田や畑の実りが悪いのが心配なのだろう。


"痩せた土地はソバから始めろっていうしな。大豆も畑の端っこで勝手に生えたりしてたし。"


けっして、盛り蕎麦すすりたいとか、誰かが味噌や醤油を創作してくれないかと期待してたりするわけではない。たぶん…。


便所についてはさすがに賈彪の屋敷以外で設置する家はなかった。それでも郷内に三箇所ほど共同便所が設置されたことにより、衛生面も徐々に改善されてきている。


その他、千歯こきは春の麦収穫で威力を発揮したし、淳于瓊が持ち込んだ提灯や蚊帳もなかなか好評であっというまに賈郷全体に広まった。


「さすがは、都育ちの坊ちゃんはひとあじ違う。便利なもんを良く御存知じゃ。」


とは賈郷における大人たちの淳于瓊評である。洛陽育ちの子どもだからといってこれ程の便利道具を思いつく筈はないのだが、都合がよいのでそのままにしている。


一方で賈郷の子どもたち、特に'賈子'たちとの距離はほとんど縮まっていない。大人たちの評判がよいので苛められる様なことはないのだが、完全に遠巻きに見られている状態である。

そんな中で例の'西の丘'を教えてくれた子ども、陳良(ちんりょう)という三歳年上の子どもなのだが、が波才と仲良くなり、いくらか会話できるようになった。趙索の訓練では波才と陳良がなかなかの才能を示しており、お互い話が合うらしい。


賈彪による勉学指導も始まった。学問といってもひたすら儒教がらみであるが。四書五経と呼ばれるやつだ。淳于瓊が六歳にして文字をかなり読めることを知ると賈彪は驚愕していた。


「昨年潁川では、荀広陵(じゅんこうりょう)(=荀曇じゅんたん)殿の孫が八歳で春秋にしたしむとか評判になっておったが、奇妙はそれ以上じゃな。」


"荀広陵の孫とはだれだろ?年齢的に荀攸(じゅんゆう)のことか?"


淳于瓊はそんなことを考えながら、文字に関しては兄の淳于沢がつきっきりで教えてくれたのだと、賈彪に説明した。


「そうか、伯簡殿は3年間両親の喪に服しておったのだったな。」


「はい。私が生まれてから3年の間、喪に服しておりました。私が3歳の頃から文字を教えてくれたのです。」


まぁ、数えで3歳にしかならない幼児に文字を教えるなど普通ならば無茶以外のなにものでも無いのだが。16歳の少年であった淳于沢にはそこまで気が回らなかったのであろう。淳于瓊が望むまま文字を教えてくれたのだ。


その淳于沢からは先日手紙が届いた。無事任務地である涼州漢陽郡の冀に到着したそうだ。


「冀は城壁もしっかりしており、夷荻が攻めてきても持ちこたえることができそうだ。」


とあったので、一安心である。護羌校尉の段熲が西羌を派手に打ち破っている現状ではあるが、油断せず東羌の部族の動きに目を光らせ、いざというときの準備を怠らぬように、と念を押しておいた。



以上が西暦165年、延熹(えんき)八年六月における淳于瓊の現状である。順風満帆といっていいぐらい順調である。

このまま賈郷で実績をあげつつ勉学に励んでいれば、内政官としてそこそこの出世を見込めるであろう。内政官ならば現代知識も役に立つし、なによりローリスクだし。

李英の話をきくかぎり、曹操とか袁紹とかが同じ豫州内にいるようだが、あんな危険な連中と無理に関わることもない。君子危うきに近寄らずだ…そう淳于瓊は楽観し始めていた。



ある日、賈彪に春秋左伝の講釈を受けていると、郭泰(かくたい)なる人物が来訪してきて、賈彪を見るなり次のようなことを告げた。


「偉節、太尉の陳仲挙(ちんちゅうきょ)(陳蕃)様の意見が認められ、李元礼(りげんれい)(李膺)殿が司隷校尉に任ぜられたぞ。これからは濁流(宦官勢力)どもの好きにはさせんぞ。」


郭泰は興奮を隠そうともしていない。

どうやら時代は安穏とした生活を許してくれそうにないな、と淳于瓊は思わずにいられなかった。


陳良(ちんりょう) 生年157年 '賈子'のガキ大将的人物


陳蕃(ちんはん) 字を仲挙(ちゅうきょ) 生年99年 豫州汝南郡 平輿(へいよ)のひと

   165年に太尉になると上奏して、李膺の復帰に尽力する


荀曇(じゅんたん) もと広陵(こうりょう)太守 荀攸の祖父


荀攸(じゅんゆう) 字を公達(こうたつ) 生年157年 豫州潁川郡 穎陰(えいいん)の人

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