第14話 お米を作ろう
紫雲英の作付けは拍子抜けするくらいあっさりと認められた。
趙索の 馬の飼料になる、との口添えもあり、二畝(約700平方米)が割り当てとなった。無論、今年麦の実りが悪くなった畑である。
"計算どおり!"
やや黒い笑みが止まらない淳于瓊であった。
ちなみに紫雲英の自生場所は賈郷の近くにもあり、毎度誰か大人についてきてもらう必要もない。
麦の連作障害に四圃制で対応しようとしている淳于瓊だが、気になることがひとつあった。
というか、元日本人として気になっているのかもしれないのだが…。
「朱さん、米は作らないのですか?水稲ならそもそも連作障害がおきないと思うのですが?」
数日後、淳于瓊は朱丹に直接聞いてみることにした。
潁川はその文字が示すとおり水が豊富であり、水稲栽培が不可能には見えなかったのだ。
「うーん、少しはやってますけど、水稲は大変なんですよ。」
朱丹があごをさすりながら、疑問に答えてくれた。
「まず、水稲ってのは泥に籾を撒くんですが、いかんせん芽の出ない籾が多くて、効率が良くない。」
”ちょっとまて”
思わず突っ込みそうになる淳于瓊にかまわず、朱丹は続けた。
「次に、少し雨が続いて水かさが増すと、水に浸かって腐ってしまう。」
「なにより刈り取りが大変でして。ばらばらに育った稲を泥にまみれながら刈り取らないといけないですしねえ。これが重労働なんですよ。」
淳于瓊は頭を抱えてしまった。自分の記憶している米作りと随分と違う。
たしかに畦をつくり水路を引いて水位を管理できる水田など此方では見たことがない。
”治水はおおごとだな。棚田にしても相当の労力がいる。だが、発芽効率と稲の整列だけなら!”
「朱さん、苗代をつくりましょう。」
気を取り直した淳于瓊は苗代作りを提案した。
「なんですか、それは?」
きょとんとした朱丹に淳于瓊は説明した。
「苗代とは籾の中で水に沈む粒だけを種籾としてえらび、特定の場所で密集状態で発芽させるものです。」
「苗代で発芽して5寸(約15cm)弱まで成長させたら、苗代から抜いて水田に間隔を空けて移し替えるのです」
「これにより、発芽効率が劇的に改善すると予想されます。水に完全に浸かる危険も小さいですし、整列して移植しておけば刈り取りも幾分か楽になるでしょう。」
「ううむ…。試す価値はあるか…。」
朱丹の食いつきがやや悪い。もともと長江流域の食物である米は、黄河流域の人間には人気がない。'米は蛮人の食べ物'という概念がまだ少し残っているのだ。
長江流域の楚が中華に組み込まれてすでに永いのだが、泥まみれになる水稲栽培は黄河流域の中原の人にとって抵抗があるのかもしれない。
「では朱さん、苗代に使えそうな場所を探してきます。」
朱丹の気が変わらないうちに と、淳于瓊は屋敷を後にした。
屋敷を出ると、ちょうど波才の訓練が終わったところであった。
一緒に訓練を受けていたらしい郷の子どもたちとなにやら話をしている。
「紫雲、今日の訓練は終わったのかい?」
「あっ、奇妙さま。はい、ちょうど終わったところです。」
波才が淳于瓊に気付いた。郷の子どもたちは頭をさげていってしまおうとするが、淳于瓊は彼らを呼び止めた。
「ねえ、この辺の丘陵で水の湧いている処を知らないかな?」
子どもたちの内の一人が郷の西側を指して、
「西の丘に湧き水がある。」
とだけ言い残して走り去ってしまった。まだまだ打ち解けるには時間がかかりそうである。
淳于瓊が溜め息をつくと、波才がフォローを入れてきた。
「あいつら、遠慮してるんですよ。やっぱり、奇妙さまは普通じゃないですから。」
「普通じゃないとか云うな。」
やや、凹み気味の淳于瓊である。とはいえ無理もない。
士大夫として学問を習い将来は仕官することになるであろう淳于瓊と、農村の子どもでは対等の友人にはなりづらい。
彼らにとって淳于瓊は雲の上の人といえる賈彪と同じ人種である。波才ならばその従者ということで壁を感じずに付き合えるのであろう。
もっとも、ひとたび黄巾の乱がおきてしまえば、かつての王侯将相いずくんぞ種あらんや、の時代に再び突入してしまうのだが。
「で、湧き水のある丘を探してどうするんです?」
「稲の籾が発芽するまで栽培する場所を探している。湧き水の注ぎ込むくぼ地がいいな。傾斜のある土地で水が常時注ぎ込むなら、水が溢れ出ている経路も当然できているはずだ。そこに水位調整用の仕切り板を打ち込むことで水位を一定に管理できるだろう。」
「えーと、とりあえず傾斜のある地で水が常に注ぎ込んでいる水溜りを探せばいいんですね?」
半分くらいしか理解できていない波才を連れて西の丘へ向かうと、
郷の子どもがいっていた通り、水の流れをすぐに見つけることが出来た。
さらに流れに沿ってのぼっていくと、やや開けたところにでた。
”これはいいな。ここら辺だけ平らになっていて湿地になっている。増水時用にまわりを少し囲んでやれば水の出口を限定できるから水位も管理しやすい。”
「紫雲、蝌蚪で遊ばない。土手をつくるぞ。」
それから二人で湿地の周りに石を積み、隙間を粘土質の土で埋めて簡易の土手を作り始めた。
1日では終わらなかったが、明日には形になるだろう。
”生まれてからこの方、麦、ヒエ、アワ中心の食生活に慣れてきたけど、やっぱ日本人は米だよなぁ。”
米の増産にも展望が開けてほくほくの淳于瓊であった。