第12話 紫雲
"さて、どうしたものか"
馬上で淳于瓊は頭をフル回転させていた。
"まず、紫雲英の作付けをなんとか認めてもらわないと始まらない。いきなり四圃制の説明をしても理解してもらえるとは考えづらいし。"
しかし、麦の実りが悪くなった畑は休ませて地力を回復させるのが定石である。そこに草を植えることを主張してもいい顔はされないだろう。
"いきなり全面的には無理だな。休耕地の一部で牛馬の飼料用として作付けるように奨めてみるか。"
"今年は紫雲英、来年秋には麦を作付けて、地力回復効果が確認できるのは再来年、167年春の収穫…。そこでようやく休耕地への紫雲英の全面展開を説得できる。"
さらにこの段階で牛馬の数を一気に増やすことを合わせて提案する。
"そうすれば、冬季の飼料確保という名目でカブの作付けにも理由付けができるしな。"
そこから、ようやく四圃制の検証が始まるのだ。
紫雲英→麦→カブ→麦→紫雲英→以下繰り返しである。
間に合うだろうか?
レンゲの地力回復効果を示すのに2年。
土地を休ませることなく、飼料と麦を安定生産できることが明確になるまで、5年。
その成果を天下へ広めるにはさらに最低10年はかかるとみていい。
計算通り行ったとしても17年はかかるのだが、黄巾の乱まではあと19年しかない。
史実通り黄巾の乱がおこり乱世へ突入する事態も十分考えられる。
"食料増産で黄巾の乱の発生自体を押さえ込めれば理想なんだが…。
いずれにせよ信頼できる右腕は必要だ。となると、第1候補はこの波才…"
波才は初めての馬乗りで淳于瓊の背中にしがみついて固まっている。
"昨日、郷へ運ぶ時は気を失っていたからなぁ。とりあえず今回の件は波才にとって絶好の'とっかかり'になる。李さんたちにも協力してもらって、話を広めよう。うん、多少の脚色もありだな…"
もともと四圃制は地力の回復と飼料の生産を兼ねた一石二鳥の方式なのだが、淳于瓊は三鳥目をも狙っていた。次のような評判を広めてしまうのである。
偶然によって食糧増産の方法が発見される
⇒天意が介在する吉事である
⇒淳于瓊と波才は天意によって選ばれた
⇒二人は有徳の人である
現代感覚からしてみれば無茶苦茶の四段論法なのだが、これがまかり通る時代なのだ。そしてこれは特に貧民の出自である波才にとって非常に美味しいイベントといえる。
漢は出自が低くても出世可能であるとはいえ、実際には相当に不利であることは否めない。淳于瓊のように名門の子弟であれば(ちゃんと学さえあれば)機会が与えられるのだが、貧民の出では才能を発揮する機会を与えられずそのまま埋もれてしまうケースがほとんどである。どうしてもなにか'とっかかり'が必要なのだ。
○○の××は・・・らしいとか、△△の☆☆は・・・だとか、噂話の域をでない評判が'とっかかり'となり、孝廉や茂才として推薦されている中で、具体的な'紫雲英の効果の発見と四圃制の導入'となればそれはもう最大級の評判を得ること間違いないのである。逃す手はない。
「波才。」
淳于瓊はしがみついている波才に声をかけた。
「は、はいっ」
波才は声が裏返りながらも、必死で返事を返してきた。
「波才、これからは字を紫雲と名乗るんだ。」
「し、紫雲ですか?」
「そうだ、波才。いや、波紫雲。」
「は、はいっ!奇妙さま。」
今度はしっかりとした返事を返してきた。
淳于瓊は自然と頬がほころぶのを感じていた。
守るべきものが増えるのも悪くない。
「波紫雲、生き抜くぞ!」
ほどなくして二人を乗せた馬は、目的地へと到着した。