第10話 大問題
人の生活でこの問題は避けて通れないと思うんです…
賈彪の家は豪邸であった。2階があるのである。
この時代は都の洛陽であっても2階建ては少なく、淳于家も平屋造りだった。
「すげえ、こんな家に住めるのか…夢みてえだ」
正直な感想を述べている波才を横目に、淳于瓊は不思議な違和感を感じていた。
”子どもの数が多すぎる。賈彪さんには子どもがいないから親類筋だとしてもやはり多い。それに年齢が偏っていないか?”
賈彪の家がある里は約40戸なのだが、子どもが鈴なりになってこちらを見ている。100人近くいるのではないか。都からやって来る子どもの客人というもの珍しさに、みな興味津々の様子である。
やや居心地の悪さを感じながら賈彪の家についた淳于瓊は、与えられた部屋にはいるとまず波才に体をぬぐってボロ服を着替えるように指示をだした。
「遠慮するな。というよりしてもらっては困る。汚れた格好で俺の傍についてまわるつもりか?」
淳于瓊のお下がりとはいえ、いままで着たことのないような上等の服を渡されて少々びびっていた波才だったが、そういわれるとどうしょうもなく覚悟をきめて袖を通してくれた。
「ぜんぜん似合うじゃないか。大きさもぴったりだな。」
「なにからなにまでありがとうございます。このご恩は必ず返しますんで。」
「うんうん、よろしく頼むよ。」
”なんだか兄さんと同じ匂いがするキャラだな。まじめで誠実、でもちょっと要領が悪い…うん、仕込めば使い物になるか。”
淳于瓊がそんなことを考えていると、朱丹からの呼び出しがやってきた。
「朱さん、何か御用ですか…ってもう作り始めているの?」
淳于瓊が呼び出された庭先では、朱丹が穀物用の梳き道具を作ろうと悪戦苦闘していた。
でっかい櫛を片手で持って藁を梳き取る方式のようだが、藁の途中でひっかかってうまくいかないようだ。
「はい、麦の収穫が近いですからね。日が暮れるまでになんとか形にしたいのですけど見ての通り巧くいかなくて。歯の間隔を広げすぎると穂が落ちないし、狭いと引っかかって梳けないし…」
「うーん、ではその櫛の歯を上向きにした状態でその台の上へ固定してみてください。」
朱丹が淳于瓊の言うとおりに歯を上向きに櫛を固定した。
「固定しましたよ。でもこれでは動かせないけどどうするんです?」
淳于瓊はこうするんです、といいながら藁を一束つかんで2度3度と台座に穂を叩きつけて軽くほぐすと最後に大きく振りかぶって櫛の歯へと叩きつけた。
すると藁のちょうど真ん中あたりがうまく櫛の歯の間に挟まるかたちになった。
「こうやって藁のほうを叩きつけるんです。で、ここから藁をこちらに引っ張ると…」
すると穂がうまく外れてほとんど落ちてくれた。
「すげえ、麦の穂があんなにあっさりと…」
波才が啞然としてつぶやく。
おなじくあっけに取られていた朱丹も我に返ると、淳于瓊の手を取ってよろこんだ。
「す、すごい。いやあ本当にありがとうございます。これで春の収穫に間に合いますよ。」
「たいしたことではないですよ。それより櫛では耐久性がありませんね。ここは釘を打ち込んで歯にしてみればどうでしょう?」
いわゆる千歯こきの雛形である。
朱丹は なるほど、と頷きひとしきり淳于瓊に礼を述べると、よっぽど嬉しかったのか 屋敷のことで困ったことがあったらなんでもいってください、と言ってきた。屋敷の管理を一任されている彼にはたいていのことには都合がつくらしい。
"ラッキー~。となると、なにはともあれ、まずは'アレ'だな"
淳于瓊にはこの時代に転生して以来、どうしても慣れることの出来ない大問題があったのである。
「朱さん、さっきからへんな匂いがします。便所はどうなっているのですか?」
「都と違って田舎に便所はありませんよ。さすがに屋敷の中には捨てないよう指導しているので、みな庭で用を足しているはずです。」
「でしょうね。ですがもう少しやりようがあると思うのです。」
そう言って、淳于瓊は朱丹に簡易便所の説明を始めた。
まず庭の隅っこに深めの穴を掘る。雨水が流れ込まないように少しまわりを盛り上げておくのがコツだ。
さらに木塀で周りをかこみ、ゴザ等で屋根をつける。
そして孔の開いた木の板をのせて足場とする簡単なものであるがとりあえず立派な便所の完成である。
庭の匂いもかなり改善される筈であった。
「ううむ、それくらいならすぐに出来そうですね。でも穴が一杯になったらどうするんです?」
朱丹が当然の疑問を訊いてきた。肥料にします、とは言えなかった。人糞を畑に撒くとか言い出したら気が違ったと思われかねないのである。それに、人糞を肥やしにするには肥溜めで発酵させる必要があったと記憶している。
「藁でも上にかぶせて土で埋めます。暫くすれば土に還りましょう。新しい便所は隣にまた穴を掘って移設すればよいのでは?」
これなら機会があれば掘り返して肥料に出来るかもしれない。
「なるほど、使いきりの穴ですか。それは楽でいい。塀や屋根も最初から移設しやすいもので用意しましょう。」
「あと、桶に水を常備しておき、手と尻を洗えるようにしておきましょう。あと夜の便所用に提灯を提供します。あれがあれば暗がりでも便所で用を足せるでしょう。」
「おお、あの提灯を使わしてもらえるのですね。旅でも随分と便利でしたからね。ぜひそうしましょう。」
”朱丹さん、かなり乗り気だな。まあ、屋敷の管理を一任されているなら汚物の処理は頭が痛いところだろうしな。この分なら賈郷に広めるのも簡単にいくかも”
常に古代の便所事情に悩まされてきた淳于瓊としてはこの上なくありがたい話であった。