第9話 初めての配下
"お主の両親は気の毒なことじゃった。じゃが、分かっとるとは思うがわしらもぎりぎりの生活なんじゃ。すまんが、これ以上お主を養い続けることは出来んのじゃよ。"
里の父老にそう告げられ里を追い出されてから三日、空腹の余り倒れてこのまま死んでしまうのだろうかと思っていたのだが…
目をさますと何故か馬の背中に腹ばいになって乗せられていた。
自分の身に何が起こったのか理解できないまま顔を上げると、自分と同じくらいの子どもが轡を引いていた。
「おっ目が覚めた?」
「腹が減ってるんだろう?いきなりたくさん食べるとお腹によくないから少しずつ口に入れるんだ」
轡を引いていた子が、餅のようなものを渡してきてくれた。
わけがわからずに受け取った餅をぼーっとながめていたのだが、頭がはっきりしてくるにつれて今の自分の状況の異常さに混乱が増すばかりである。
「あのっ、俺…たしか倒れて…というか此処は?」
「此処は賈郷。君は十五里(約7km)ぐらい離れた川辺の草むらに倒れてたんだ。
ちょうど通りがかりに君を見つけて此処まで連れてきた。ちょうどいま着いたところだよ。と言っても俺も初めて此処に来たんだけどね。」
すごく冷静な答えが返ってきた。自分と同じくらいの歳なのに、まるで大人のような落ち着きである。
「あの、あなたは?」
「ん?俺は淳于瓊、奇妙と呼ばれている。洛陽からこちらに移り住むことになって、今日着いたんだ。君の名前は?」
「お、俺は波才って言います。年末に両親が流行り病で死んで、里から追い出されて、それで…あぁっ馬の上から、す、すいません。すぐ降ります。う、うわぁ!」
失礼な態勢なのに気付いてあわてて馬から降りようと身体を起こしたのだが、バランスを崩して…落馬した。
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「お、俺は波才って言います。年末に両親が流行り病で死んで、里から追い出されて…」
淳于瓊は落馬した波才を助け上げながら、まぁそんなところだろうな、と聞こえないように小さくつぶやいた。
"平均寿命30歳、生まれてくる子どもの半分は成人出来ずに死んでしまうような時代だ。この子みたいな例はそれこそ掃いて捨てるほどあるんだろう"
「それで、波才はこれから行く当てがあるのかい?」
淳于瓊の質問に波才は答えずに下を向いた。
行く当てがあればあんなところで行き倒れているはずがない。淳于瓊はさてどうしたものかと思案顔になった。
"うーん、俺も居候の身だからなぁ。頼めば波才も面倒みてくれるだろうけど、やっぱそれなりに賈郷に貢献しないとまずいよな…。"
とりあえず賈彪に頼み込むしかない。
「偉節さま、この者を賈郷で面倒をみて頂けないでしょうか?もちろん私も、波才と共々この賈郷に貢献できるように頑張りますゆえ」
「ははは、その歳で賈郷に貢献するとは大きくでましたね。でも今さら子どもの一人や二人増えてもたいしてかわらないんですよ。」
賈彪より先に、話しを聞いていた朱丹が横槍を入れてきた。
なんでも、賈彪が官吏からの賄賂の要求を断ってくれるおかげで賈郷は他の郷よりもだいぶん豊かなのだとか。賄賂分がなければ漢における租税は軽い(10分の1)のだ。ただし漢の賦役は重いので、賈郷も慢性的な人手不足になっているらしい。
それでも他の郷で働き手を賦役に取られてまともに耕作できない上に官吏から不当な搾取をうけ、食えなくなって良民としての戸籍を捨てるものが続出しているのに比べればましなのだろう。
"うん、人手不足ならちょうどアレがいいな"
おもむろに淳于瓊はふところからある物を取り出し、賈彪と朱丹の前に差し出した。
「これをご覧ください。」
「これはまた古い櫛だな。歯が随分欠けておる。」
「はい、洛陽の屋敷を引き払う際に持って来たものです。」
「これだけ歯が欠けては髪を梳くには使えません。が、このように使うことは出来ます。」
そう言って淳于瓊は道端に生えている鼓草を摘んで、その綿帽子を梳いてみせた。
綿毛はきれいにとれて風に飛ばされていく。
「きれいに綿毛が取れましたね。でもそれが何の役に立つのですか?」
朱丹が怪訝そうな表情で訊いてくる。
淳于瓊はにっこりと笑って種明かしをした。
「同じことが麦や稲でも出来ると思いませんか?穀物の種類に応じて歯の間隔を調整しなければならないと思いますが。」
「「!!」」
淳于瓊の狙いを理解した賈彪と朱丹が目を見合わせる。
確かに収穫の後の脱穀は重労働である。麦などは一束ごとに棍棒で叩き続けて穂をおとさなければならないのだから。この方法が実現すれば画期的に作業効率が上がることは疑いない。
賈彪が無言で頷くと朱丹は一礼して馬を走らせて先に行ってしまった。
そして賈彪は淳于瓊のほうに向き直ると次のように決定を下した。
「奇妙よ、波才をお前の従者としてつけることにする。自ら連れてきたのだ。責任を取るがよい。」
「波才とやら。奇妙が我々を説得してお前を連れてきたんだ。それも自分の馬をお前に譲って自分は歩いてな。もしあのまま放っておいたらお主の命はなかったであろう。それゆえこれからは命の恩人である奇妙に身命をかけて仕えよ。」
こうして、淳于瓊は六歳にしてはやくも配下持ちとなったのである。
ちなみに波才はというと、事態の急展開についていけず目を白黒させているだけであった。
波才 生年160年設定 字は不詳
史実では黄巾の乱で潁川方面軍の賊将として名が残っている。
今後は淳于瓊の右腕として活躍する予定。




