5〜ポンポン叩く手のひら〜
分け目が右寄りのミディアムヘアー。
毛先は軽くすかれ、重たい雰囲気はもうない。
しかも。
眉カットまでされ。
メイクまで施されてしまって。
費やされた時間はおよそ二時間半。
できあがった時には『誰これ……!?』というくらい別人の顔が鏡に映っていた。
「……咲子かわいぃ〜……」
ほぅ……と溜め息をつく美央。その表情には驚きと嬉しさが表れている。
「うーん、俺自身も驚いたな。まさかこうも化けるとは」
信也さんも美央と似たような表情で鏡の中の私を見ている。
でも、一番驚いたのは……。
「これ……わ…私……?」
誰よりも、自分自身だった。
鏡の中に映る自分を何度も何度も凝視する。
――すごい……すごいすごいすごい!!
ヘアカットとメイクだけでこんなに変われるなんて!!
最初は驚きだけだった。けれどその後一気に喜びが私の心を満たした。
「信じられない……これ、私!?」
「正真正銘、咲子ちゃんだよ」
魔法の感想はいかが?と、魔法使い……もとい信也さんが私に微笑みかける。
私の胸の高まりは、どんどん高まっていく。
「あの、その、何ていうか……は、恥ずかしいですっ」
「恥ずかしい?何で?」
「……じ、自分の顔がまともに見れませんっ」
全然信也さんの問いに答えてない私の言葉に、信也さんはとうとう吹き出した。
「あっはっは……!咲子ちゃん面白いなァ!」
「も〜咲子可愛過ぎるぅっっ」
ぎゅうっと美央が私を正面から抱き締めてくる。
可愛い美央に可愛いって言われるのは、すごく嬉しい。
私の顔を覗きこんだ美央の瞳は、キラキラ輝いている。
「ね、咲子!この後私の服でコーディネートさせて?今の咲子に色々着せてみたいの〜っ」
「お、そりゃ楽しそうだな。にいちゃんも混ぜろ」
「えぇ〜おにいちゃんのえっちぃ」
「何でそうなるんだ!?」
まるで漫才のような二人のやりとりに、ただでさえ嬉しさで笑っていた私はますます笑ってしまった。
――ありがとう。美央、信也さん……!
その後デリバリーピザ(いつの間にか美央が注文していたのだ)で昼食を済ませると、私は美央の服を色々と着せられてしまった。
美央の服はどれも可愛いくて、着ている私も楽しくなってしまった。
美央も『着せ替え人形みた〜い』と笑いながら、楽し気に服を引っ張り出しては私に着せていた。
そして着るたびに信也さんに見せ、『白のインナーのがいい』だの『こっちのスカートのがいい』……と評価を頂いていた。
そんなこんなで時間はジェットコースターのように過ぎ、いつの間にか夕方になってしまったのだった。
「咲子、ごめんね。ショッピングする時間なくなっちゃって」
「ううん、いいの。すごく楽しかったし。ショッピングはまた今度にしようね」
時間は午後六時。
玄関で二人に見送られながら、私は最後の挨拶をした。
「美央、信也さん。今日は本当にありがとうございました」
ぺこっと頭を下げると、頭をポンポンと信也さんが叩いた。
「そんなに改まるなよ、照れるだろ」
どうやら信也さんは私の頭を叩くのが癖になってしまったようだ。
ちょうどいいとこに私の頭があるからだろう。
私はニッコリ微笑んだ。
「それじゃあ私、失礼します。美央、また明日ね」
「うん、バイバイ!……おにいちゃん、咲子頼んだよ!」
美央は少しだけすまなそうな顔をする。
私を駅まで送っていきたかったらしいが、塾がこの後あるので美央は行けないのだ。
けれどその代わりに、信也さんが送ってくれるという。
私は別にいいって、言ったんだけどなぁ。
「おぅ、任せとけ!」
手を振る美央に見送られながら私と信也さんは玄関を出た。
「さ、行こうか咲子ちゃん」
「は、はい」
前までの私なら男の人と二人で歩くなんて、緊張しまくりだったろう。
けれど信也さんは私を変えてくれた魔法使いの一人。
少しだけ緊張はするが、私はすっかり心を許していた。
美央と来た道を、信也さんと逆に歩いて行く。
夕焼けは赤く染まり、信也さんの髪の毛も部屋の時より赤く見えた。
信也さんの横にいると、ちょうど私の顔は信也さんの胸らへんになってしまう。
多分身長差は三十センチくらいあるに違いない。
だからもちろん足の長さも違うわけで……私は信也さんの歩くスピードに必死になった。
「それにしても、ほんと咲子ちゃん可愛くなったなぁ。変えた俺自身驚いたよ」
「そ、そうですか?」
慣れない早足に気をとられつつも、信也さんの言ってくれた言葉に私はとても喜んでしまった。
「うん!……でさ、ひとつ頼みがあるんだけど」
「頼み……ですか?」
信也さんから何を頼まれるんだろう。
きょとんとした私に、信也さんは言葉を続ける。
「良かったらでいいんだけど、これからも時々俺のカットモデルになってくれないかな?」
「え、でも、切ったばっかですよ?」
「伸びたらでいいよ。あと、パーマかけたいとか色染めたいって時も俺に声かけてよ。いつでもいいからさ」
ニコリと笑う信也さんに私は慌ててお礼を言う。
「あ、ありがとうございます!今日こんなにしてもらったのにこれからもだなんて……っ」
「おいおい、頼んでるのは俺の方だよ?しかも練習台になってほしいなんて頼みだし」
苦笑する信也さん。
でも、私は本当に感謝の気持ちでいっぱいだったの。
「れ、練習台でもいいんです。魔法……これからもかけてもらえるのなら」
そう言った私の顔はきっとだらしなく笑っていたに違いない。
けれど信也さんは目を細めると、またポンポンと頭を叩いた。
「ありがとう、咲子ちゃん……っあ!」
「きゃっ」
――と、その時私の体が傾いた。
早足で歩いていたせいで、まぬけにも自分の足にひっかかってこけそうになってしまったのだ。
しかし信也さんがすかさず私の体をキャッチしてくれたので、最悪の展開にはならなかった。
信也さんはたった一本の腕で、私の体を支えてしまった。
「大丈夫!?咲子ちゃん」
「は、はい、すみません!」
信也さんが近くて、ついつい顔が赤くなってしまう。
し、信也さん意外と筋肉質なんだなぁ……。
「……あ、もしかして俺、歩くの早かった!?」
信也さんは私の安全を確認すると、思いついたかのようにそう言った。
……その通りなんだけど、はっきりとは言えないのが私の性分。
「いえ、そんなことは……」
「ごめん!俺、ほんとそういうこと気付かないやつで!」
信也さんは本当にすまなそうに、両手を合わせて何度も謝る。
「まじでごめん!……はぁ、俺ってダメなやつだよなぁ」
溜め息をついた信也さんはポリポリと頭をかいた。
なんだかすごく落ち込んでいる。
ど、どうして?
「信也さん……どうしたんですか?」
歩くスピードが早いのに気付かなかっただけで、こうも落ち込むものかな?
不思議に思った私に、信也さんはバツが悪そうに苦笑する。
「いや、俺あんま気ぃきかないやつだろ?この性格でフラれてばっかなのに、治らねぇなぁ〜……と自己嫌悪なだけ」
苦笑いする信也さんに、私は驚いた。
「フラれてばっか!?信也さんが?」
こんなに格好いいのに!
「俺思ったこと結構ズバッと言っちゃうだろ?んで、やれデリカシーがないだの気がきかないだので結局フラれるんだよなぁ……。まぁ悪いのは俺だから仕方ないんだけどさ」
「……確かに信也さんはっきり言いますよね。今日も初対面が『だせぇ』だったし……」
「わ〜〜ご、ごめん!ごめんなさい!!」
慌てる信也さんに笑ってしまう。
……なんか、可愛い。
「でも、いいんじゃないですか?それで。私は思っても言えないことが多いから、逆に羨ましいくらいです」
考えてみると、信也さんと私の性格って真反対かも。
「そうかな?こういう男、女の子は嫌がるもんじゃない?」
「私は嫌じゃありませんよ。むしろ、魔法をかけてもらえてすごく感謝してるんです。今まで信也さんをフッた人は、きっと見る目がなかったんです」
信也さんを見習って、思ったことをなるべく言葉にしてみた。
信也さんには本当に感謝してるから、その気持ちを伝えたくて……。
「い、いい子だなぁ〜!咲子ちゃん!」
どうやら私の気持ちは伝わったらしく、信也さんはぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた――というより乱した。
(あぁ!せっかくのセットが〜っ)
しかし感動してしまった信也さんは更にわしゃわしゃと頭を乱す。
「美央が咲子ちゃん大好きな理由わかった気がするぜ〜」
「あ、あの、髪が……!」
「お、悪い悪い!」
信也さんは慌てて髪の毛を直す。
なんか信也さんて、年上なのに子どもみたい。
年は三つ上って聞いたけど、同い年の男子よりよっぽど喋りやすいや。
そんなことを考えている間に、信也さんの手は乱れた私の髪の毛を直していく。
信也さんの魔法の手。
大きくて……温かい。
(……あ、あれ。何か緊張してきちゃった)
髪の毛に触れられているうちに、徐々にドキドキしてきてしまった。
多分、男の人に触れられることに慣れていないせいだろう。
……でも。
それにしては緊張しすぎているような……っ。
「よしっ……と。じゃあ行こうか咲子ちゃん」
「あ、は、はい!」
私はハッと正気に戻る。
何ボーッとしてるの、私ったら……っ。
「今度はちゃんとゆっくり歩くからね」
「あ、ありがとうございます」
信也さんはまたきちんと私の横に並ぶと、小さく足を踏み出した。
慣れない気遣いが可愛くて、私は笑ってしまった。
夕焼けの帰り道。
たった十分程度のその道は、信也さんとの楽しい時間を満喫するには短すぎたみたいだった。
駅に着いた時、私は少しだけがっかりした。
家までじゃ悪いと思って駅まで……って言ったけど、やっぱ短かったなぁ。
「じゃあ、気をつけて帰ってね」
「はい」
「可愛くなったから、ますます心配になるなぁ」
「し、信也さん……」
これは多分、冗談よね?
苦笑いする私に、信也さんはまたしても私の頭をポンポンと叩いた。
くすぐったい、不思議な感触がどうやら私は嫌じゃないみたい。
「またね」
「はい、さようなら」
さようなら、信也さん。素敵な魔法をありがとう。
信也さんと別れると、私は家に向かって歩き出した。
春の柔らかい風が私の頬を撫でた。夕焼けの空にはそろそろ星が姿を現そうとしている。
いつもと変わりない日曜日。
でもいつもとは違う日曜日。
私は頭に何度も感じた温もりを思い返しながら、家路を歩いた。
家族はこの姿見てなんて言うかな?
びっくりするかな?
稔はからかってきそうだけど……。
私は一人笑いをこらえながら、家路を急いだ。
――こうして運命の日曜日は、終わりを告げた。
そして。
私の平凡な生活が、たちまち変わっていくことを……この時はまだ知る由もなかったのだった。




