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25〜キレイの素〜

二人乗り用のボートは結構狭く、信也さんの長い足が私を挟むようにして放り出されていた。

オールを持った信也さんは上手に漕ぎながら、広い池の中をまわっている。

他にも何組かボートに乗っている人たちはいたけれど、それぞれ離れた場所にいるから二人きりと言えば二人きりという状態だ。

「はー、さすがに疲れたな。ちょっと休んでいい?」

池の真ん中辺りにくると、信也さんがそう言った。

「あ、はい!お疲れ様です」

「こら、また敬語」

「あ……」

――あちゃ〜、またやっちゃった……。

しまった、と思っていると、怒った顔した信也さんが耐えきれないようにプッと笑った。

「はは、まぁそれが咲子ちゃんだから仕方ないか」

あっはっは、と信也さんの笑いがボート上に響く。

「す、すみません」

うう、さっきまではうまく敬語使わないでできたのにな。

ちょっと油断すると出ちゃうんだから、もう。

「謝らなくてもいいよ」

まだ笑ってる信也さんは、オールを手に添えたまま私を優しく見つめている。

そして穏やかな瞳を見せると――こう言った。


「そんな真面目なとこが、咲子ちゃんの《キレイの素》なんだろうな」


(え……)

キレイの――素?


何か不思議なニュアンスの単語に、私はきょとんとする。

そんな私を見て信也さんは、教えるように話してくれた。

「俺、女の子には皆《キレイの素》があると思うんだ」

信也さんはゆっくりとオールで漕ぎ始めた。

「それは人によって全然違ってて、時には負けん気だったり好奇心だったり夢のためだったりするんだ」

それを聞いて私はふと思う。

――そういえばクラスにもいろんな子がいる。

友達と張り合うためにメイクを研究している子。

純粋に服が好きで自分で作ってまでオシャレをしている子。

雑誌の読者モデルになりたくて頑張っている子。

みんなキレイになりたいきっかけは、違うんだ。

「みんなバラバラの素だから、もちろんバラバラのキレイができる。例えば……」

そこで信也さんはニヤリと笑う。

「美央は男の子たちから虐められていて、見返したいがために今は男を魅了するようなキレイを手に入れた」

「あ……確かに」

美央のモテっぷりはハンパない。

なんてったって学年一の美少女。

美央に告白してはフラれる男子生徒を、何人か見たことがある。

けれど美央は男嫌い……ううん、なんか勿体ない気もするなぁ。

そんな風に考えていると、信也さんがコホンと咳ばらいをした。

「で、次が本題ね」

少しだけ真面目な表情になって、私を見ていた視線を池の水面に移す。

あれ?

心なしか頬が赤いような……?

「咲子ちゃんはさ、自分に自信を持ちたいからキレイになりたいって言ったじゃん?俺それ聞いた時すげーいいな、て思ったんだ」

いい?

なんでだろう……自信持ちたいからなんて、すごく自己満足なことなのに。

「話してる時の表情がいいな……てさ。この子が可愛くなる手伝いホントにしたいな、て思ったんだ」

(……!)

ドキッと胸が弾む。

え……。

だってその話した時って、私まだ魔法かけられる前だよ?

そんな私を『可愛い』って……。

「きっと、真面目に自分と向き合ってるその気持ち……《キレイの素》に惹かれたんだろうな。だんだん可愛くなる咲子ちゃんを見るのは嬉しかったよ」

そんな風に言われて、私は嬉しいやら恥ずかしいやらでどう反応していいのかわからなかった。

けれど……。

斜め下を見る信也さんが耳まで真っ赤になっていたから、何だかくすぐったい気分になってしまった。

「でさ、真面目がキレイの素の咲子ちゃんは、やっぱキレイになるのも真面目な分吸収が早かったんだよね」

……ん?

信也さん何が言いたいんだろう。

「おかげで藤原みたいな奴が現れるわナンパはされるわで、俺はかーなーり、心配なわけ!」

「ナンパって……見てたんですか!?」

「ジェットコースターから手振ろうとしたら見えたの!降りたかったけどもう乗っちまってるし降りたら美央と観覧車行ってるし、ほとほと自分が情けなかったよ、俺は」

これだからフラれてばっかなんだ……と呟く信也さんだけど、いえいえそれは違います。美央のせいです。

(そっか、だから二人きりになりたかったのかな)

単純な頭の信也さんに、思わず笑みが零れる。

美央といい信也さんといい……まったくこの兄妹は可愛いんだから!

「だからさ、咲子ちゃん!」

信也さんがバッと前を向いた。

真正面の私は少しだけ驚き――次の台詞にますます驚いた。


「もうキレイの魔法おしまいにして!」


――え。

「ええ!?」

ちょ、ちょっと待って!?

「そ、それはキレイにならないでってことですか?」

「んー……極端に言えばそうなの……か?」

自分でもよくわかってなさそうに信也さんは呟く。

「いや、キレイなのは嬉しい……でもそれが他の男も呼ぶもんだからで……。わかる?この男心」

うーむ、と呟く信也さん。

まるで子どもみたい。

……もう、これだから妹にまで恋愛邪魔されちゃうんだよ?

苦笑した私は、信也さんに言った。

「キレイの素は、ひとつだけじゃないですよ」

「え?」

教えてあげるよ、信也さん。

女の子にしかわからない、キレイの魔法を――。



「女の子は、恋をしたらもっとキレイになれるんです」



――それはきっと、恋する女の子なら誰もが知っている、秘密の魔法――



「だから私がキレイでいられるのは、信也さんが好きってことなんです」

キレイの一番の魔法は……恋愛なのかもしれない。

それが、私の今まで頑張ってきた答え――。

「咲子……ちゃん」

信也さんは呆然と呟く。

そして。

くしゃりと笑った。

「これじゃあどっちが魔法使いかわかんねーな」

信也さんは恥ずかしそうに微笑んだ。

「咲子ちゃんが好き過ぎて魔法使い本来の仕事を忘れてたよ。ならもっと俺は、咲子ちゃんをキレイにしてあげないとな!」

「はい、よろしくお願いします!」

そこにはもう、駄々っ子のような信也さんはいなかった。

いるのは私のもう一人の、キレイの魔法使い――。

「じゃあ、罪滅ぼしにひとつ魔法をかけますか」

「え?」

次の瞬間、ふっと私たちのボートが影に包まれた。

気付けば私たちは、池のまわりにある木の枝が伸びた水面下にいた。

影になったそこは涼しく、日光を塞いでくれている。

少しだけ、大人しい世界。

空間が、切り離されたような……。


ボートが、揺れた。

それは、一瞬の温もり。

一瞬の温もりは――唇に落とされた。


近くに来た信也さんの顔がまた遠退いても、私はまだ状況が掴めないでいた。

いや……正しくいうなら。

状況はわかっていても、気持ちがまだ追い付いていなかった。


――もしかして。

――いや、もしかしなくても……今のは!


「これでまたキレイになるかな?」

また見せた悪戯っ子の表情。

瞬間、カーッと体も顔も熱くなるのがわかった。

「し、信也さん!」

キ、キスをされてしまった!

動揺する私に、信也さんはホントに嬉しそうに笑う。

「好きだよ、咲子ちゃん」


ああ、もう。

そんな嬉しそうに言われたら。


「……私も……です」


そう言わずにはいられない。

もしかしたら私も結構、単純なのかもしれない。

そして。

キラキラ光る水面に映るふたつの影が、また寄り添うようになるまで時間はかからなかったのだった。

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