20〜幸せな眠り〜
その着信音を聞き間違えるはずがなかった。
美央が帰った後の部屋の中、突然鳴り響いた携帯電話に慌てて私は出た。
――信也さんの着信音だったから。
「は、はい、もしもし!」
……あ、声裏返っちゃった。
そんな事を後悔する間もなく、私の好きな信也さんの声が耳をくすぐった。
『もしもし、咲子ちゃん?』
「は、はい」
突然の電話にかなりドキドキしている。
両想いになったのはついさっき……何だか落ち着かなくて、座るクッションを指で弄っていた。
『ごめんね突然電話して』
「い、いえ!何か用がありましたか?」
そう言うと、電話の向こうから苦笑する声が聞こえた。
え、私何か変なこと言ったかなぁ?
不安になっていると、信也さんがやんわりと苦笑しながら言った。
『咲子ちゃん、敬語使うのやめようよ』
そして、続けてこう言った。
『……付き合ってんだしさ』
―――ドキン、と鼓動が大きく跳ね上がった。
信也さんにそう言われると、夢物語みたいだった出来事が現実なのだと自覚され――途方もない幸せに胸がいっぱいになる。
――私が、信也さんの彼女。
――信也さんが、私の彼氏。
甘酸っぱい何かが、さらに呼吸を苦しくさせるから。
「はい……」
私にはそう言うことがやっとだった。
そしてさらに電話の向こう側の信也さんは、私を呼吸困難にさせるようなことを言う。
『まぁ、電話したのは……声、聞きたかっただけだからさ』
――信也さん……っ。
ああ、もう!
そんなに私を虜にさせようとしないで下さい!
「し、信也さん……」
『はは、照れた?俺も今照れた』
「もう……からかわないで下さいっ」
そう言う私の顔はかなりにやけていた。
美央とも仲直りできたし、信也さんとこんな風に電話ができて、私はまさに幸せの絶頂にいたのだ。
『……咲子ちゃん、もう大丈夫?』
「え?」
一瞬何が大丈夫なのかわからなかったけれど、すぐに藤原さんのことだと気付いた。
そういえばそうだった……。
信也さんと両想いになれたのと美央と仲直りできた喜びから、すっかり頭の中から放り出されていた。
「はい、大丈夫です」
『そっか、ならよかった。……もう少し早く行けたらよかったのにな。ごめんね』
「そんな!信也さんが謝る必要ないです!」
そうだよ、必要ない。
だって……。
「……あの時信也さんが来てくれてすごく嬉しかったんです。……心の中で呼んだら本当に来てくれて、感動しちゃって」
あの時ばかりは本気で神様の存在を信じてしまうくらい。
嬉しかったの。
『………』
――あ、あれ?
信也さん無言……?
少し不安になると、信也さんが電話越しにため息をついた。
『……咲子ちゃんってさぁ……』
「は、はい?」
――な、何?
『ほんっと、可愛いな』
「――え!?」
はへ!?可愛い!?
思いがけない嬉しい台詞に私は真っ赤になってしまう。
ふ、不意打ちは……ずるいっ!
『無意識だから余計質が悪いな』
「す、すみません」
『プッ……謝るとこじゃないし!それに敬語はやめてって言ったでしょ?』
「あ、はいっ」
――じゃなくて。
「……うん」
そう答えたらますます信也さんは笑ってしまった。
私って……よっぽどおバカなのかしら。
その後、信也さんとはとりとめのない話をした。
けれどその何でもない話がすごく楽しくて。
気付けば三十分も信也さんと話してしまっていた。
切る時は名残り惜しかったけれど……大丈夫。
また、会えるから。
(――あぁもう、幸せっ!)
あまりの幸福感に、私は思わずベッドにダイブした。
バフッ、と思い切り沈んで全体重を任せる。
――もうダメ。幸せ過ぎ。
こんなに幸せでいいのかなぁ……?そんなことを考えていたら、部屋の扉が開いた。
ノックもせずこんな風に入ってくるのは……あいつしかいない。
「稔、どうしたの」
稔が姿を現した。
稔は私の質問には答えずにニヤニヤ笑っている。
「何か幸せそうじゃん?咲子」
「なっ……聞いてたの!?」
「バーカ、顔見たらわかるって」
……私の顔って、そんなに正直?
とりあえず私はベッドから身を起こしコホン、と咳ばらいをした。
「そ、それよりも稔!ナンパなんて恥ずかしいことやめてよね」
「何で?出会いを求めてるだけなのに」
もー、このマセガキ!
出会いなんてなくても、あんたは充分モテてるでしょう!
「よりによって私の友達にしないでよね」
「ああ、美央ちゃん可愛いよね」
噛み合わない会話はいつものことだ。
しかしチラリと私を見た稔の瞳は、いつもと少し違っていた。
何か企んでる……?
「美央ちゃんめっちゃ好みなんだよね」
ニヤリ……と稔の口角が上がった。
「だからダブルデートしない?」
「えぇ!?」
――ダ、ダ、ダブルデート!?
不意打ちのキーワードに私は思わず口をあんぐりと開けてしまった。
だ、だって、稔と美央はついさっき会ったばかりじゃないの?
てか、私まだ信也さんと付き合い始めたばっかでデートしてないんだけど!
「だ、だめだよ!」
「何でさ?俺は美央ちゃんとデートしたい」
「そ、それなら勝手にすれば……」
……と言いかけてそこで気づく。
ちょっと待て、勝手に稔が美央に毒牙をかけている方が問題ではないか?
稔には悪いけれど、私はできれば美央に稔を近づけたくない。
だって稔の女癖の悪さは姉である私がよく知っているもの。
と言うか、まだ中学一年生の弟が自分の友達に言い寄る……てのはかなり姉として恥ずかしいのだけれど!
そう考えるとダブルデートが私の中でイイ安全策のように思えてきた。
「んん〜……じゃあ、美央と信也さんにちょっと聞いてみる」
「やり!日にちはそっちで決めてくれていいからさ」
二カッと笑う稔には申し訳ないけれど、頭の中では美央にどう忠告しようかと考えていた。
稔……悪いけど美央にはちゃんと言っておくからね、あんたの悪癖を!
「じゃ、美央ちゃんによろしく〜」
軽やかに部屋を出て行った稔を見送ると、私はふぅ、と息を吐いた。
何だか今日はいろんなことがありすぎて疲れちゃったな。
でも、いい事ばかりだったからそんなに嫌な疲れじゃない。
むしろ晴れ晴れとしているよ。
私はまたベッドに沈むと、静かに目を閉じた。
美央には学校で相談して……信也さんにはバイト先で声をかけようかな。
いきなり私の弟とダブルデートして下さい、なんて言ったらどんな顔するかな。
こみ上げる笑いに私の心はくすぐったくなる。
――ああ、幸せ。
心地よいだるさに包まれて、私はそのまま眠りに入ってしまった。
そのダブルデートで稔が何を企んでいるかなんて、その時は知りもしなかったけれど―――。




