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処刑台に立つ偽りの王女ですが、本物が逃げ出したので玉座ごといただきます~影武者聖女、断頭台からの下剋上~

作者: uta
掲載日:2026/09/15

断頭台の刃が、朝日に光っていた。


磨き抜かれた鋼が、昇りたての陽を受けて、まるで祝福のように輝いている。処刑道具のくせに、ずいぶんと綺麗なものだ。


「――偽りの王女に、死を!」

「アデリナを吊るせ! 国を売った女に、報いを!」


王宮前の広場を埋め尽くした群衆が、口々に罵声を浴びせてくる。石が飛んでくる。腐った野菜が頬をかすめる。


私は膝をつかされ、木製の台に首を差し出す格好で固定されていた。両手は後ろで縛られ、蜂蜜色の髪が首筋にまとわりつく。


(――さて)


私は、ぼんやりと考える。


(本物のあんたが逃げたせいで、なんで影武者の私が死ぬわけ?)


レナ。それが私の名前だ。


辺境の孤児院で拾われ、『本物の第一王女アデリナと瓜二つ』というただそれだけの理由で、王宮に買い上げられた娘。


表向きは存在しない。公務の身代わり。毒味役。暗殺の的。危険な外交の盾。


『王女アデリナ』が笑顔で手を振る場所には、たいてい私がいた。本物が浪費に耽り、男を漁り、失政の責任を投げ捨てるたびに、その尻を拭ってきたのも私だ。


前世の記憶がある。


現代日本で、危機管理と情報分析の仕事をしていた社会人。過労で倒れて目が覚めたら、剣と魔法の異世界の孤児院で、赤ん坊としてやり直していた。


正直、二度目の人生くらいは、のんびり生きたかった。


(磨いた断頭台なんて、処刑道具のくせにずいぶんと綺麗なものね。……二度目の人生くらい、のんびり生きたかったんですけどね)


刑吏が刃の縄に手をかける。群衆の熱狂が最高潮に達する。


「時間だ! 縄を引け!」


そのときだった。


処刑台の階段を、一人の男が上ってきた。


銀灰色の短髪。光の加減で琥珀に燃える竜眼。首筋から手の甲にかけて、硬質な竜鱗が浮いている。並外れた巨躯。


革命派の若き指導者――竜人の血を引く将軍、ガイウス。王宮を制圧し、この処刑を執り行っている張本人だ。


「……待て」


彼は私を見下ろし――そして、動きを止めた。私の、瞳を見て。


(あら。処刑を止めるなんて、監督者としてはずいぶんと不手際ね、将軍さん)


ガイウスの竜眼が、大きく見開かれた。


私の瞳は、他の誰とも違う。翠玉に、金の斑が散っている。本物のアデリナには、これがない。


だが、この場でそれを知る者はいないはずだ。


「……お前。その髪を、払わせろ」


「どうぞ。首を落とす前に、身だしなみでも整えてくださるので?」


彼は膝を折り、私の乱れた髪を、そっと払った。


首筋が、露わになる。


そこには――孤児院の焼き印がある。奴隷でも罪人でもない、ただ『捨てられた子ども』であることを示す、消えない刻印。


ガイウスの喉が、ごくりと鳴った。


「……その瞳。翠玉に、金の斑……そして、この首筋の焼き印……」


低い声が、震えていた。戦場で鬼神と恐れられる将軍とは思えないほど、掠れていた。


(あー、この人、知ってるんだ。この瞳のことも、この焼き印のことも)


記憶の底を探る。


幼い頃。孤児院を抜け出して、辺境の森で迷子になった日。血まみれで倒れていた、大きな青年がいた。魔物に襲われたのだろう。竜鱗が砕け、片脚を潰され、もう助からないと本人も諦めていた。


私は――前世で齧った止血の知識と、薬草の判別で、彼を朝まで生かした。名も告げず、助けが来たのを見届けて、また孤児院に戻った。


それだけのことだ。すっかり忘れていた。


「……まさか。あの日、森で、俺を生かした少女は……お前、なのか」


(血まみれで倒れてた、あのでかいガキ。まさかここまで育つとはね。竜鱗、ちゃんとくっついたみたいで何より)


「さあ。何のことでしょう。人違いでは?」


「……ごまかすな。この瞳を、俺が忘れるはずがない」


「――時間だ、将軍! 群衆の熱が冷めぬうちに!」


刑吏が焦れたように叫んだ。ガイウスは弾かれたように立ち上がる。命令を下すべき立場の彼が、明らかに逡巡している。


私は、その隙を使うことにした。ずっと、この瞬間を待っていたのだから。


「将軍。一つだけ、よろしいですか」


「……言え」


「――処刑の前に、皆さんに聞いていただきたい話があります」


喚かない。命乞いもしない。ただ、淡々と。


群衆がざわめいた。断罪される王女が、命乞いではなく交渉を始めたからだ。


「聞く価値もないわ! 早く殺せ! 偽物の戯言など――」


宰相バルドメロの声だった。脂ぎった五十絡みの貴族。指輪を幾つも嵌めた手で、忌々しげにこちらを指す。革命が起きてなお、うまく立ち回って処刑の監督者に収まっている。


(この狸が。一番に消えるべきなのは、あんたなんだけどね)


私は、後ろ手に隠し持っていた羊皮紙の束を――マレナが命がけで縛めに仕込んでくれたそれを、縄をほどきながら、掲げた。


「私を殺すのは構いません」


一拍、間を置く。


「……ですが、その前に。――この国の本当の泥棒は、もう国境の外です」


広場が、静まり返った。


「……なんだと?」


「な……何を、世迷い言を!」バルドメロの声が上ずる。


「世迷い言かどうか、皆さんで判断してください」


私は、束の一枚目を掲げた。


「――王家の粉飾決算。過去五年、国庫は帳簿上、黒字でした。ですが実際は、三割が空。埋めていたのは辺境からの重税と、隣国からの『借款』という名の売国資金です」


「で、でたらめだ! そんな紙切れ、いくらでも――」


二枚目。


「宰相バルドメロ殿の横領記録。金額、日付、送金先。すべて筆跡と印影付きです」


前世の『会計の目』が、影武者として立ち会ったすべての現場で、静かに記録し続けたもの。


「会計とは、嘘をつけない言語なんですよ。数字は、必ず辻褄を求めますから」


「ぐ……なぜ、その印影を……!」


三枚目。


「そして――隣国との売国密約。この署名は」


私は、群衆を見渡した。


「本物の第一王女、アデリナ。国庫を丸ごと抱えて、昨夜のうちに国外へ逃亡した、あの女の署名です」


「……本物の王女が、逃げた……?」


群衆の空気が、変わっていくのが分かった。怒りの矛先が、ぐらりと傾く。私という『偽物』から、逃げた『本物』へ。


「嘘だ! でたらめだ! そんな替え玉が、どうやって王家の帳簿を読めるというのだ――!」


「替え玉だからですよ」


私は、静かに遮った。


「な……?」


「私は影武者です、宰相殿。あなた方が『数字も読めぬ替え玉』と侮って、あらゆる密談の席に平然と座らせていた、あの影武者です」


バルドメロの顔から、血の気が引いていく。


「毒味役として毒殺の宴に。身代わりとして売国の調印に。盾として隣国との密会に。――あなた方が本物を危険から遠ざけるために、私を『いてもいい駒』として置いた、すべての現場に」


私は微笑んだ。淡々と。


「私は、そこにいました。ずっと、ノートを取りながら」


「ぐ……ぬ……そ、それでも証拠は今ここにしか――取り上げてしまえば――!」


「証文はすべて、写しを取って場外に保管済みです。私を殺しても、真実は消えません」


私は視線を、群衆へ。


「むしろ――私を殺したら、それこそ『真実を握った者を口封じした』証拠になりますが。よろしいので?」


沈黙。そして、爆発。


「宰相を捕らえろ! 本物の王女はどこだ! 国庫を取り返せ!」


怒号が、バルドメロへと殺到する。


「ま、待て、違う、私は――誰か、誰か助けを――!」


取り巻きたちが我先にと逃げ出し、脂ぎった宰相は、みっともなく地面を這った。


私は、まだ処刑台の上にいる。だが、もうそこは断頭台ではなかった。演壇だった。私が、この国の真実を語る、たった一つの高みだった。


(我慢はもう終わり。……私は、駒として死ぬために生きてきたんじゃない)


私は、縄を完全にほどいた。


混乱が渦巻く広場で、ガイウスが私の前に立った。


「……お前は。なぜ、こうなると分かっていた? まるで、すべてを見越していたようだ」


鋭い。竜人の直感か。私は、少しだけ本音を漏らすことにした。


「見越していましたよ。全部」


「なに?」


「クーデターが起きることは、三ヶ月前から分かっていました。宰相の横領が限界に達し、辺境の重税で民の不満が沸騰し、隣国の資金が尽きかける――帳簿を読めば、崩壊の日付は計算できます」


私は指を折る。


「だから、あえて泳がせました。革命が起きれば、腐った王家は勝手に倒れる。あとは、逃げる本物を捕まえればいい」


「逃げる、本物を……? まさか、アデリナが逃げることまで――」


「想定内でした。というより――マレナ」


私は、群衆の中に紛れる、質素な侍女服の女に目をやった。三十路手前の、目立たない女。


「はい、お嬢様。手筈は、すべて整えてございます」


彼女が、小さく頷く。


「私の侍女が、『商人へ妙な手紙を出す』のを、宮廷の誰かが見ていたはずです。あれは――逃亡するアデリナの逃走ルートを、追手に流すための情報操作でした」


「……お嬢様の集めた証拠を、この身に代えても外へ運ぶ。それだけが、私の役目でしたから」


マレナが、静かに言う。


「……あの女の逃げ道は、もう塞がれている、というのか」ガイウスが絶句する。


「国境で捕縛されるのは、時間の問題かと」


「……お前は。処刑台に立たされてなお、盤面のすべてを、掌の上で回していたのか」


「働きたくなかったんですけどね」


私は、肩をすくめた。


「仕方ありません。後始末は、得意なので」


「お嬢様。……それは、少々言い足りないかと。あなたほど、この国のために働いた方はおられません」


「褒めても何も出ませんよ、マレナ。……ありがとう。あなたがいなければ、今頃私の首は籠の中でした」



革命は、成った。


だが、革命の後には、必ず問題が残る。誰が国を回すのか、という問題が。


王族は逃げた。腐敗貴族は失墜した。宰相は牢の中だ。実務を知る者が、いない。


――一人を除いて。


「レナ殿」


ガイウスが、私の前で片膝をついた。巨躯の竜人将軍が、頭を垂れる。広場の民が、息を呑んで見守っている。


「……なぜ、片膝をつくのです。将軍ともあろう方が」


「この国の外交も、財政も、実務のすべてを、実質的に回してきたのは、あなただと知った。影武者として、誰よりも国の内側を見てきたあなただ」


彼は、竜眼を上げた。琥珀の光が、まっすぐに私を射る。不器用に、けれど懸命に。


「あなたに、玉座を」


「……偽物の王女に、玉座を……?」群衆がどよめく。


一拍。


「――いや。あなたに『しか』、この国は託せない」


(さっきまで断頭台の上で鬼神みたいな顔してた人が、何を言い出すのやら)


「そ、それは……その、べ、別に、昔助けてもらった恩とか、そういう、私情ではなく……」ガイウスの語尾が、急に弱くなる。


「私情、なのですか」


「……い、いや。私情も、少しは……ある……」


強面の竜人将軍が、耳まで赤くして視線を泳がせている。


(何この人。耳まで真っ赤にして。竜眼が泳ぎまくってるんだけど)


「……お嬢様。将軍は、それはもう、必死でございますよ」


マレナが、そっと囁く。


「見れば分かります。……ふふ」


そのギャップに、思わず笑ってしまいそうになった。私は、一拍の間を置いて、答えた。


「働きたくなかったんですけどね」


いつもの台詞。だが今度は、少しだけ、口の端が上がっていた。


「仕方ない。この国の後始末、私が引き受けましょう」


「……! 感謝する、レナ殿。この命に代えても、あなたを支える」


「命に代えなくて結構です。あなたには、まだ働いてもらいますので。――さて。まずは逃げた本物の始末から、ですね」


民の歓声が、天を割った。


断頭台に立たされた偽りの王女は、その日、玉座への階段を上り始めた。


影武者としてではなく。初めて、自分の名前で。



国境の砦。


冷たい石造りの牢の中に、一人の女が座っていた。


蜂蜜色の髪。かつては贅を凝らした装飾に埋もれていたその姿は、今や見る影もない。


本物の第一王女、アデリナ。


国庫を持って逃げた彼女は、あらかじめ塞がれていた逃走ルートで、あっけなく捕縛された。金は回収され、罪状はすべて彼女の名で確定した。


粉飾。横領の隠蔽。売国。そして――影武者を身代わりに立て続けた、非道の数々。すべての罪を、彼女一人が背負うことになった。


「……なんで。なんで、あの子が……」


アデリナは、膝を抱えて呟いた。


瓜二つの、あの娘。焼き印を持つ、辺境の孤児。


「使い捨ての駒だと思っていた。名前すら、まともに覚えていなかったのに……」


公務が面倒なときは、あの子に。危険な席は、あの子に。責任も、失敗も、全部、あの子に。そうやって、笑って生きてきた。それが、当たり前だと思っていた。


「公務が面倒なときは、あの子に。危険な席は、あの子に。責任も、失敗も、全部、あの子に押しつけて……それが当たり前だと思っていた」


声が、震えた。


新しい女王の噂は、こんな辺境の牢にまで届いていた。有能で、冷静で、民に慕われる、翠玉の瞳の女王。


「あの子が全部……私の代わりに……」


国を回していたのは、最初から彼女だった。王家を支えていたのも。外交を守っていたのも。全部、あの『偽物』だった。


「有能で、冷静で、民に慕われる、翠玉の瞳の女王……国を回していたのは、最初から、あの子だった」


アデリナは、格子に額を押し当てた。


「……私のほうが。私のほうが、偽物だったんだ」


失って、初めて。持っていたものの価値に、気づいた。


窓の外を、一羽の鳥が横切っていく。王都の方角へ。


新しい女王が、今日も淡々と、この国の後始末を続けているであろう、その方角へ――。


(了)

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