家族恋情
それなりに裕福な家庭で育った。少なくとも私が小学生になるまでは貧しくはなかった。
小学校に入学してすぐに父の会社は倒産した。
私は裕福だった頃から、あまり服や靴を買ってもらえず、父と母だけが高級な衣類を身にまとい、二人だけが価値のある食材で作った料理を食べていた。私にはいつも平凡な食材で作ったありきたりな料理が出されていた。それが理由なのか、父の会社が倒産した頃には母の貯金は底をつき、たくさんあった父の預金はもうあまりなかった。
最初は求職中だった父は何度も不採用の通知を受け取り、やがて疲れ切っていき就職を希望しなくなった。廊下を歩いていて、父の書斎の扉を横切るときは必ずと言っていいほど、テレビの音声が流れていた。潔癖な母は家事をするだけでお金になる仕事は何もしていない。ようするに、私は父の貯金を切り崩しながらなんとか生活を維持していていたのだ。
小学校に入学する前の幼稚園の卒園式が終わった後のこと。家族でショッピングモールに足を運んで、母と父と私の三人で子供服を探していると、背丈の低いマネキンが着ていると首元にリボンの付いたフリルのかわいらしいドレスが目についた。
「入学式に着たい」
いつもはわがままを言わなかったけれど、入学式に毎日着ている安っぽい服を着ていくのがなんだか恥ずかしいことのように思えてしまったのだ。
「わがまま言わない」
母は私が繰り返し、ドレス買ってほしいことをしつこく言うので、あきらめずに何度も買えないことを告げた。それでも私がドレスを欲しがっているのを口で伝えていると、母は私にこう言った。
「静かにしなさい!」
眉間にしわを寄せて怒る母が怖かったから、私は黙ることにした。
父はそんな私と母をつまらないものでも見るような目で冷たく眺めていた。
それから、小学校の入学式まで父と母とは言葉を交わさなかった。
入学式のときに一年生の担任の先生に名前を呼ばれても私は返事をしなかった。
「先生に名前を呼ばれたら返事をしなさい!」
母は家に帰ってから私をそういって叱った。
私が黙っていると、母が口を開いた。
「しゃべれる口があるんだからしゃべりなさい!」
「だって、静かにしなさいって言われたから」
私はおおよそ一か月ぶりに声を出した。
「あっそう。気づかなかったわ」
母の言葉がえらく無関心に思えた。
父はあいかわらずつまらなさそうな目で私たちを見ていた。
私は父と母から愛されていないのだと自覚した。
勤務先だった会社が倒産して父が仕事をしなくなってから初めての夏。
学校帰りの私の水筒は空だった。
自販機で飲み物を買うお金もない私にとって七月の午後の強い日差しは暴力的だ。
のどがかわいて仕方なかった。だから、私は登下校の際にかならず通る川の水を水筒にふくませた。
家に帰ると、水筒がいつもより重いことを不審に思った母が私に聞いた。
「この水筒あんまり飲まなかったの?」
「うん」
川で汲んだ水は少ししか飲まなかったのでそう答える。
台所でシンクに水筒の中身を出しているときの母は静かに言う。
「この水どこで汲んできたの?」
「川で」
私が短く答えると、母は信じられないという気持ちになって力が抜けたのか水筒をシンクに落とした。母の手がふるえている。
「汚くていいのよ。不衛生なのがいいんじゃない」
ひとりごとらしい言葉を言ってから、母は楽しそうに笑い出した。
「最初からこうすればよかったのね」
母は体育の授業の日は体操着を着て帰ることを私に要求し始めた。
どうしてしまったんだろう。
そんなことを思っても母の変化の答えは見つからなかった。
学校から帰ってきたら、ガムを噛むように言われた。
数回、かんだだけでガムを吐くように指示されたので、それにしたがう。
母は私がガムをかんでいるときに毎回、携帯で動画を撮った。
「汚いものは撮影しておかないとね」
かんだガムは包み紙で包んだ。包み紙にはそれぞれ異なる数字がマジックペンで記されていく。
私には母の考えがよく理解できないでいた。
その後、は湯船に入ってから体を洗うことを求められた。
トイレットルームの隣に脱衣所がある。
そこで、体操着を脱いでからバスルームの湯船に浸かった。そのとき二人分の人影が見えたけれど、父と母がちゃんと衣類を取りに来たのだと思った。
爪や髪や耳垢まで母がきれいにしてくれた。
小学校の運動会では熱心に母が汗で汚れた私の写真を携帯で撮っていた。
私の体から離れた汚い部品を母は大事そうに扱っていた。
それは小学校五年になってからも続いたし、生理のときに汚れた下着はどんどん新しい下着に変わっていった。
父も母も仕事をしていないのにお金に困るどころか昔のように裕福な暮らしができるようになっていた。
「体に良い食べ物たくさん食べていっぱい汚れなさいね」
二人とも仕事しないのにこんなに豪華な食事が毎日できるようになったのが不思議だった。
食卓に並ぶ豪華な料理をうっとりした目で見つめながら母が言う。
「いいこと教えてあげる。私とあなたのお父さんは体の付き合いだけの関係で恋人同士じゃなかったの。だから、あなたを妊娠したときは悲しくて二人でいっぱい泣いた。だってもう、産むしかないほどあなたが育ってしまっていたから。私たちは産んだ責任として仕方なくあなたを育てることにした。私たちがあなたを愛せないのはそういうことなの。でもね、この家族の形は私たちとっても愛しているのよ。私とあなたのお父さんは大学の同期で就職先も恵まれていた。他の同期の異性と私はたくさんの体だけの付き合いをした。あなたが水筒を川の水で汚したときにひらめいたの。この家をあなたの汚れの売り場にしようって。私にとってはあまりにも冴えた発想で川の水を水筒から出しているときに喜びで手が震えてしまって思わずシンクに落としちゃった。うれしかったなぁ。だって、私が体だけの付き合いを何人とも重ねてきたからこそ、彼らにあなたのいろんな汚れを売ることができたのだから」
母は食事の手が止まった私と目が合うと、朗らかな笑みをこぼしていった。
「あなたが家に帰ってくる前に、その日のゲストの彼らを二人だけ家に呼んで、あなたが脱衣所に入るときの扉の開閉音をお手洗いのなかで聞いていたの。包み紙に数字をつけたガムを売ったり、写真を売ったり、耳垢と髪と爪を売ったり、体操服売ったり、湯船のお湯があふれて流れる音を脱衣所でゲストたちに聞かせた後に、あなたが着替えて自室へ行ってからできたてほやほやのあなたの汚れにまみれた湯船の湯を売ったり、最近ではあなたの生理のときの物もね。この家はあなたの汚物の即売会の会場なのよ。だからこそ、私とあなたのお父さんは、この家族の形が好きなのよ」
なんとなく、予感はしていた。
私を体を洗わずに湯船に入らせたり、脱衣所に衣類を取りに来るときに人影が二人分あったり、ガムをかませるのも理由はなんとなくわかっていた。でも、私はなるべく悟らないようにしていた。
それが真実ならなんて悪趣味で気色の悪い家族だと思ったから。
母からすべてを聞いて思ったのは、最悪の家族ではないということ。
男を喜ばす体に良い高級な食材を使った料理や高い服も買ってもらえる。彼らのおかげでリボンとフリルの付いたドレスを小学校に入学した年のまだ暑い季節に買ってもらえた。寝汗をかきやすい私はパジャマ代わりに着用することを許されていたが、いっぱい汗をかいたら着させてもらえなくなった。ドレスの行方はゲストとして家に招かれた彼らのなかの誰かが知っているのだろう。
私は父からも母からも愛されていない。
けれど、父と母が家族の形だけは愛するように私にとっても身内から性的に利用されることで、体の付き合いだけだった男女が恋心に発展していくように、家族に対していびつな恋情のような物が心にこびりついていくのを感じずにはいられなかった。




