ルルドは神を信じない
――その凛とした横顔に、惹かれていた。
『ルルドは神を信じない』/未来屋 環
「――ねぇ、ミゲル。ミゲルったら!」
大声で名前を呼ばれ、僕は我に返る。
前を見ると、小動物のように頬を膨らませた幼馴染みがいた。
「……あぁ、なんだい? ミア」
「なんだい、じゃないわよ。早く次の問題を教えてちょうだい」
そう言って口唇を尖らせる彼女に、僕は逆に問い返す。
「わかった――けど、その前に。ミア、今中庭を出ようとしている青いワンピースのひとを知っている?」
「え? 何……ってやだ。ミゲル、彼女のこと知らないの?」
頷くと、ミアは大袈裟にため息を吐いてみせた。
「あなた、勉強大好きで頭でっかちな割には世間知らずだものねぇ。お蔭さまでミアはこうして恩恵を受けられるけれど」
「うん、それで?」
「……ルルド様よ。キャンタベリ伯爵のご令嬢」
――あぁ、彼女が。
ミア曰く『世間知らず』の僕でも知っているくらい、ルルド・キャンタベリは有名人だった。
キャンタベリ伯爵は有能で人格者として知られている。
しかし、数年前に自然災害が起こり領地が打撃を受けてからというものの、財政が厳しくなり伯爵夫人も体調を崩すなど、一向に明るい話を聞かない。
それは一人娘のルルド様に関しても同じだった。
「ミゲルだって知っているでしょう。ルルド様に近付く者たちは皆不幸に見舞われる。結果、ついたあだ名が『不幸令嬢』」
「君に教えてもらったからね。ただ、僕には不運な偶然か、単なる噂にしか思えないのだけれど」
「そんなことないわよ。入学式で彼女の隣に座ったのはミアのお友だちのお友だちだけれど、朝は元気だったのに式の途中で具合が悪くなってしまったんだから」
お友だちのお友だち、そう聞くと信憑性が低くなる気がするのは僕だけだろうか。
「他にも同じグループの令嬢が急遽転校していなくなったり、婚約者が馬車の事故に遭ったり」
「へぇ、婚約者がいるの?」
「過去形ね。とっくの昔に婚約破棄されたみたい」
――なるほど、確かに踏んだり蹴ったりの様相だ。
僕はルルド様の姿を思い出す。
つい先程のこと、問題集と格闘するミアから視線を逸らしたその瞬間、たまたま中庭を訪れた彼女が視界に入ったのだ。
装飾の少ない控えめな青色のワンピース。
ただまっすぐ背中まで伸びたこげ茶色の髪。
正直なことを言えば、とても伯爵令嬢とは思えない質素な見た目だ。
しかし――前をしっかり見据える凛とした横顔に、僕は心を奪われた。
ルルド様は僕の視線に気付くことなく、静かに中庭を出ていく。
その日から、僕の頭は彼女のことでいっぱいになった。
***
「ルルド、隣に座っても?」
聞き慣れた声が響き、私は視線だけを動かす。
そこには今日もミゲルが立っていた。
「――えぇ、勿論」
そう返すと、ミゲルは「どうも」と答えて隣の席に座る。
そして鞄の中から何冊も重たそうな本を出し、その内の1冊を静かに読み始めた。
眼鏡の奥の瞳は知性の色に満ちていて、成績が学年首席というのも頷ける。
――そんな彼が、何故私に興味を示すのだろう。
子爵令息である彼にとって、爵位が上とはいえ評判の悪い私の家との関係性はあまりプラスになるとは思えない。
それでも、ミゲルはいつの日からかこうして私に接してくるようになった。
同じ講義の時は、こうして隣の席に。
学園内で行き合えば「少し話をしませんか」とベンチに誘われる。
「ねぇ、どうして私に話しかけてくださるの?」
何度目かに彼が私の隣に座った時、勇気を出してそう話しかけた。
すると、彼は少しだけ眉を寄せ「……もしかして、嫌でしたか?」と呟く。
想定外のリアクションに戸惑いつつ、私は咳払いをした。
「いえ、嫌なわけではないですが……私には近付かない方がいいと思って」
「何故?」
「何故って……」
自分で言うのも情けなくて、私は口を噤む。
確かに私は『不幸令嬢』なのだから。
自然災害から復興を遂げてはきたものの、未だに領地の財政は厳しい。
母は原因不明の病で塞ぎ込み、命に別状はないものの屋敷内でひっそりと暮らしている。
それ以外にも近くの席のクラスメートが体調を崩したり、家の都合でいなくなってしまったり。
極めつけは元婚約者が事故に遭ったことだった。
といっても、御者のよそ見による自損事故で、馬車に乗っていた彼はすり傷で済んだ。
しかし「それもこれもおまえが不幸令嬢だからだ!」と罵られ、一方的に婚約破棄された。
――まぁ、今思えば単に婚約破棄する理由を探していたのだろう。
誰だって不幸を振り撒く女の近くにはいたくない。
気付けば、私の周りには誰も残っていなかった。
それでも、私は私の運命を受け入れるしかない。
このまま生涯独り身となれば、ゆくゆくは私がキャンタベリ家の当主となるのだから。
領民たちのためにも精一杯務めを果たさなければ――そう決意し、来る日も来る日も一人で勉学に励んでいた。
それなのに、そんな私にミゲルはさらりと言う。
「僕は事実だけを信じる主義なので」
それは穏やかな声だったけれど、確固とした意志に満ちていて。
私は「……そう」とだけ返すのが精一杯だった。
その内、ミゲルと私は一緒に勉強をするのが日課となった。
中庭に置かれた小さなテーブルと、向かい合う2脚の椅子が私たちの定位置だ。
成績優秀なミゲルは授業の範囲より遥か先を進んでいて、驚かされることも多かった。
ただ、私が行き詰まっていると、自分の学びの手を止めて丁寧に教えてくれるのだ。
「ねぇ、ミゲルは今何の勉強をしているの?」
私の問いにミゲルが顔を上げる。
いつしか二人の時は敬語を使わなくなっていた。
やわらかそうな金髪が風にそよいで、彼は少しだけ目を細める。
「あぁ――今は神について考えている」
「……神?」
数学か、それとも歴史学――そんな私の想像を超越した答えに驚いていると、ミゲルは「そう、神」と繰り返す。
「この世界には様々な神がいる。僕たちの信じる神もいれば、違う大陸には別の神もいて、東洋の方では森羅万象あらゆるものに神が宿っているとされているんだ」
そう話すミゲルの瞳はキラキラと光を湛えている。
本当に学ぶことが好きなんだろう。
普段落ち着いている彼がたまに見せる少年のような顔が、私には眩しく見える。
「僕はもっともっと学びたい。家督は兄が継ぐけれど、突き詰めれば学問は人々を豊かにすることにつながるから」
「そう、それは素晴らしいことね」
「――ちなみに、ルルドはどう思う?」
「どうって――何が?」
「すなわち、神について」
――私の脳裡を過去の思い出が通り過ぎていく。
ぐっと言葉に詰まったあと、私は静かに白状した。
「こんなことを言うのは憚られるけれど……私は神なんていないと思うわ」
「なるほど、ルルドは無神論者なんだね」
「だって――神様がいれば、この世界につらいことや悲しいことなんて起こらないはずじゃない」
あの災害も、母の病気も、それ以外のすべても――もし神がいたならば、何故このような試練を私に与えるのだろうか。
それきり黙った私に、ミゲルは何も言わなかった。
それから季節が過ぎ、私たちの国に冬が訪れた。
中庭が寒くなってきたので、私たちは勉強の場を図書室へと移す。
ロケーションは変わっても、私たちは変わらない日々を過ごすはずだった。
――しかし、或る日を境にミゲルが現れなくなったのだ。
最初は何か用事でもできたのかと思ったけれど、1週間も学校に来ないとなるとさすがに心配になってくる。
それを振り切るように勉学に取り組んでも、目が滑って書物の内容がなかなか入ってこない。
先生に事情をお伺いしようかとも思ったが、何の関係性もない私が訊くのもおかしい気がして、結局何もできなかった。
そこから更に1週間が経った日の夕方、廊下を一人で歩いていると、どこからか声が聞こえた。
「――なんといっても、相手があの不幸令嬢だものなぁ」
一瞬、足が止まる。
その声が聞き覚えのあるものだったからだ。
忘れもしない、私に婚約破棄を言い渡した声だった。
「俺はすんでのところで命拾いしたよ。まぁあいつは子爵の次男の分際で、学業ができることを鼻にかけるいけ好かないやつだった。きっと天罰が下ったんだろう」
下卑た台詞を追いかけるように複数の品のない笑い声が響く。
思わず口唇を噛み、声の発信源へと足を向けた。
――許せない。
私のことはいくら言っても構わない。
しかし、ミゲルを揶揄されることだけは許せなかった。
ミゲルと勉強をしていて気付いたことがある。
それは、彼が開くどの書物にもびっしりと書き込みがあることだ。
あれだけの内容を読み込むにはかなりの時間がかかったことだろう。
学年首席の成績の陰には血の滲むような努力があるのだ。
それを知りもせず、自分はろくな努力もしない癖に天罰だなんて――!
「あなた――」
――バシャアッ!
「わあぁ!!?」
瞬間、濁った悲鳴がロビーに響き渡り、私の声はかき消された。
目の前では、元婚約者とその一団がずぶ濡れになっている。
何事かと目を丸くしていると「あらぁ」と階段の上から可愛らしい声が降ってきた。
顔を上げると、バケツを下に向けた小柄な令嬢が階段から身を乗り出している。
「ごめんなさい、ミア手が滑っちゃった。お掃除を一生懸命手伝っていただけだし、許してくれるわよね?」
***
そして私は今、ミゲルの家へと向かう馬車の中にいる。
半月ぶりの再会だが、私の心を覆っていたのはなんとも表現し難い不安感だった。
「ルルド様、よろしければミゲルの元へどうぞ」
階段から降りてきた彼女はミゲルの幼馴染みだという。
「あの……ミゲルはどうしたのですか? ここのところ姿を見かけなくて……!」
「それは行けばわかります」
行けばわかるとは、どういうことだろう。
学校に来られない程体調が悪いのだろうか。
私は鞄の中のハンカチをぎゅっと握り締めた。
程なくして馬車が速度を緩める。
そろそろ到着かと思ったところで、馬車のドアが勢いよく開いた。
顔を上げた私の視界に光が射し込む。
ふわふわと踊る金髪が中庭で見慣れたそれよりも輝いて見えたのは何故だろう。
――あぁ、恋しかったのだ、きっと。
「ルルド、何故ここへ……!?」
驚いた顔をするあなたの胸に飛び込みたい――そんな衝動を抑え込み、私はもう一度鞄の中のハンカチを握り締める。
はしたないことをして、嫌われるのが怖かった。
「何の連絡もなく押しかけてごめんなさい。あなたがいきなり学校に来なくなるから、心配になって……」
「……心配? 僕のことを?」
きょとんとした様子のミゲル。
普段見せる真面目な表情とのギャップに思わず胸が高鳴る。
「それは心配するでしょう。あなたは、その……私の大切なお友だちなのよ」
そう告げると、ミゲルの頬が心なしか赤く染まった――気がした。
「……光栄だね」
そして「そうだ」と何かを思い出したように、私の向かいの席に座る。
「ルルド、君にこれを」
渡された袋の中を覗くと、小さな包みが複数入っていた。
何だろうと首を傾げた私に、ミゲルが「東洋の薬だよ」と続ける。
「あちらでは漢方薬と呼ばれ、世間一般で広く飲まれている。身体への負担も小さく体質改善につながると聞いて」
「……これを私に?」
「出過ぎた真似だけど、その――君のお母様にどうかと」
私は驚いて目の前の彼を見つめる。
ミゲルの青く澄んだ瞳が私をまっすぐに捉えていた。
「東洋の医者と薬剤師を招いたんだけれど、他の国々に立ち寄られたせいか思った以上に時間がかかって……待ち切れず隣国まで迎えに行ったんだ。ようやく先程連れて戻ったから、明日から復学するよ。それと、もしキャンタベリ家のご都合がよろしければ、一度彼らと共にお伺いしたいんだけれど――」
そんなことまでしてくれていたなんて。
本当に、いつでもあなたは私の想像を超えてくる。
「勿論、すぐにでもお越し頂きたいわ……!」
――がしゃん
身を乗り出しそう答えた瞬間、私の鞄が床に落ちた。
慌てて視線を移すと、中身が散乱している。
しまった、と思った時にはミゲルがその中のひとつを手に取っていた。
「……これは」
ミゲルが手にしたそれを掲げてみせる。
それは十字架の形をしたアミュレットだった。
他にも同じようなものが幾つも散らばっている。
「ルルド、君は無神論者だと……」
不思議そうな顔でミゲルがこちらを見た。
私は顔から火が出る思いだ。
それでも、何も言わないわけにもいかない。
「……あなたにずっと逢いたかったの」
そう白状したところで、ミゲルに優しく抱き締められた。
「ルルド、君は――なんて愛らしいんだ」
その言葉に体温がもう一度上がる。
それはもしかしたら、私を抱き締めるミゲルも同じように。
――あぁ、この瞬間がずっと続きますように。
かつて無神論者だった私は、神様にもう一度お願いをした。
(了)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。




