〈クローデット伯爵家客間にて③〉
「ケイト様は異母妹を殺してなどいない。なぜなら、ケイト様とカーレン様は同一人物だからだ」
アーサーの言葉にキャロラインは大きく目を見開き固まった。一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「カーレン様はケイト様が変装された姿だったんだよ。だから、容姿も似ているし、当主交代や婚約者入れ替えも法的には問題にならんかったんだ。同じ人間なのだから手続きなど必要な訳がない」
「お待ちくださいアーサー様。どうしてケイト様がわざわざ別人に変装される必要があったのです?」
「推測だがきっかけは教育係からの体罰だったのだろう。若くして女主人として振舞わねばならないストレスに加えて過度の体罰にケイト様の精神は限界を超え、その結果ストレスを発散できる別の人格を生み出されたんだ」
ケイトの行動がいわゆる多重人格というものだったのか、それとも意図的に演技をしていただけなのかはわからない。ただ、精神的にも肉体的にも限界を迎えていたケイトは、別の人格を作り出し思うがままに好きに振舞うことで自分の心を守ったのだ。
「『ケイト』も『カーレン』も彼女の本名だった『キャサリン』の愛称だ。当主引き継ぎ時にわざわざ名前を変更したのは少しでも秘密がバレないようにする為だろう」
「そんな……ですが、カーレンお婆様が養子縁組をしたという記録は残っておりますわ。お二人が同一人物というのであれば、この時養子になったのは一体どなたなのですか?」
キャロラインの疑問は尤もだ。
不思議がる彼女にアーサーはとある劇団の公演チケットを差し出した。
「これはカーレン様と同時期に孤児院にいたという人から貰ったものだ。今度一緒に観に行こう……じゃなくて、彼女の話では孤児院にいたのは『カレン』という赤い髪に赤い瞳の少女だったそうだ」
「えっ……」
キャロラインの記憶ではカーレンは赤い髪に黒い瞳の女性だった。
「カーレン様がよく通っていたという喫茶店のマスターにも確認したが、店に来たカーレン様は赤い髪に珈琲のような黒い瞳の女性だったと言っていた」
「では、孤児院にいた少女というのは……」
「この公演は引退した元看板女優が脚本を手掛けたということがうりになっているんだが、その看板女優、今は歳をとって白髪になっているものの若い頃はそれは見事な赤い髪をしていたらしい」
「まさか、養子縁組をした『カーレン』というのはその女優だとおっしゃるのですか」
キャロラインの言葉にアーサーが頷く。
「カーレン様としての振る舞いは当時の貴族令嬢としては致命的だ。変装しているとは言えいつ誰がその正体に気づくかわからない。だから、前伯爵は孤児院からなるべく『カーレン』の条件の合う子どもを養子にして迎え、記録上だけでも元平民の異母妹がいるという体にしたのだろう。
養子縁組の日付が祝花祭の後から前にわざわざ改ざんされていたのも、祝花祭の日に『カーレン』の姿で出歩いていたのを誤魔化す為だと思う」
「でも、それならどうして引き取った『異母妹』を他所の劇団にいれたのでしょう」
「……偽の異母妹が家に居てはケイトとの違いに気づかれてしまうかもしれないし、何より、孤児とは言え無関係の少女によからぬ噂を一手に被ることになる『カーレン』役を押し付けることを義父は良しとしなかったんだ」
キャロラインの疑問に答えたのは、それまで黙って話を聞いていたベルナルドだった。
彼の反応はアーサーの推測が当たっていることを意味していた。
「カレン嬢には名前と孤児院に居たという経歴を貰う代わりに、彼女の夢だった劇団女優への支援を約束した」
「お爺様、それでは本当にお婆様がケイト様だったのですか」
「ああ」
ベルナルドは何か吹っ切れたように語り出した。
「ケイトは優秀で皆の期待によく応えてくれた。私も義父も使用人達もそんな彼女を愛し、彼女の幸せを願って行動していたつもりだった……だが、それが逆に彼女を追いつめてしまった」
ケイトの父親が長年再婚しなかったのは自分が妻を愛していたこともあるが、それ以上にケイトの為を思ってだった。当時、女性の当主就任は法的には認められていたものの、実際には数が少なく再婚後に男児が産まれればそちらを跡継ぎにすることが一般的だった。そしてその場合、前妻の子どもは大抵周囲から邪険にされることが多かった。
間の悪いことに、その頃、後妻やその実家によって前妻の娘が虐げられ最悪殺されるという事件が度々発覚しており、きな臭い世間の話を耳にした父親は跡継ぎとして努力する娘の為にも再婚を躊躇したのだ。
「その結果、クローデット伯爵家は女主人が不在となり、ケイトは幼くしてその代わりを務めなければならなくなってしまった」
不運だったのはケイトが同世代の子どもよりも優秀なことだっただろう。
始めは親族にも協力して貰いケイトの仕事はほとんどなかった。しかし、勉強の為という名目で少しずつ仕事が任され、それをあっさりこなすとまた新たに課題が追加され……ということを繰り返すうちにいつの間にかほとんどの仕事がケイトのものとなっていたのだ。
ケイトがすぐに助けが必要だと判断できるほど優秀でなければ、或いはこれらの仕事を余裕でこなせるほどの並外れた天才であれば良かった。
だが、実際は傍目には軽く仕事をこなしているように見えて、しかし内心そこまで余裕がないという最悪の状態だった。
「仕事や勉強のことだけではない。プライベートの趣味嗜好に関しても、ケイトに自由は無かった」
ケイトが身につける衣装、持ち物、趣味は毎回家族や婚約者、使用人から“貴族令嬢として相応しいか”という見極めが行われ、少しでも彼女に相応しくないと判断されればさり気なく別のものに誘導された。
すべては彼女の品位を損なわない為、彼女が貴族令嬢としていらぬ苦労をしない為にと心を鬼にして接していたつもりだった。
「そう思っていたが、実際は自分達が思う理想の貴族令嬢像を押し付けていただけなのかもしれない」
皆がケイトのことを思っていたのは事実だ。だが、世間からどう思われるかばかり気にして彼女の本心に寄り添ってあげられなかった。
「お爺様、ケイト様にはそれだけ厳しくなされていたのに、どうしてカーレン様の時には自由にさせていらっしゃったのですか?」
「私達が自分達の行動が間違っていたと気づいた時、既にケイトは『カーレン』を生み出し度々彼女として振舞ってた。医者からは『カーレン』がケイトが自分の心を守る為の存在であり、その行動を制限すれば今度こそ本当にケイトは壊れてしまうと忠告された」
だから、『カーレン』にはなるべく自由に過ごせる環境を用意し、彼女の望みは出来る限り叶えた。そうして心の傷が癒えればいつかまた『ケイト』だけに戻ってくれると信じて。
「だが、ケイトは元に戻るどころか日に日に『カーレン』でいる時間の方が増えていった……今になって思えば当然だろう。『ケイト』であれば出来ない事、叶えて貰えないお願いも『カーレン』であればできるのだから。戻りたいと思う訳がない」
彼女がまだ『ケイト』だった頃、婚約者同士とは言え未婚の女性が男性とお忍びで出かけてはどんな嫌な噂が立てられるかわからないと頑なに二人きりで出かけることを拒んでいた。
それが『カーレン』になれば、わざわざ変装してまで一緒に出歩いてくれる婚約者のことを彼女は一体どう思っていたのだろう。
その答えはケイトが消えてしまって以来、永遠にわからないままだ。
「昔……ケイトが一度だけ髪を染めたいと言ったことがあった。当時、若い令嬢達の間で流行っていたんだ。だが、私も義父も使用人達も反対した。彼女の黒髪は亡くなった母親譲りのものだったから」
染めるなんてとんでもない。
今の髪色が一番ケイト様にお似合いです。
君はそんなことしなくても十分素敵だ。
そんな風に言われたケイトは少し困ったように笑い、それっきり二度と髪を染めたいとは言わなかった。
「どうしてあの時、髪を染めたいと言った彼女を肯定してあげられなかったのでだろうか。本当はどんな髪色にしたかったのか聞いてあげられなかったのだろうかと今でも思う。そうすれば……」
その言葉の続きは聞けなかった。きっと、今更言っても仕方のないことなのだろう。




