第8話 ノイズの思春期
中学に上がってから、マサオは余計に喋らなくなった。
理由は単純だ。喋れば喋るほど、相手の“本音”が流れ込んでくるからだ。
(こいつ、何考えてんのか分かんねぇ)
(気持ち悪くね?)
(でも、目だけは妙に落ち着いてる)
教室に座っているだけで、ノイズは絶え間なく降り注いだ。
言葉にされない悪意、軽蔑、恐れ。
ときどき、ほんの少しの好奇心。
それらは全部、同じ音量で聞こえてくる。
マサオは学んだ。
目を合わせなければ、ノイズは少しだけ弱まるということを。
だから、うつむく。
だから、返事を最小限にする。
だから、目立たない席を選ぶ。
それでも、絡んでくるやつはいる。
昼休み。
校舎裏で、二年の先輩二人に呼び止められた。
「おい、無視すんなよ」
「ナメてんのか?」
声は荒いが、ノイズは違った。
(ビビらせてぇだけ)
(反応したら勝ち)
マサオは黙って立っていた。
心臓は速く打っているが、頭は冷えている。
(やられてもいいが、コイツら、殴れば楽になる。)
(でも、殴ったらもっと面倒になる)
その“計算”が、自然にできてしまう自分に、マサオは少しだけ嫌気がさした。
結局、先輩の一人が吐き捨てるように言った。
「……つまんねぇ奴」
去っていく背中から、
(気味悪い)
(目、合わなかったな)
というノイズが遅れて届く。
――それでいい。
マサオはそう思った。
***
中二の終わり頃から、スクーターに興味を持ち始めた。
理由は速さでも不良への憧れでもない。
ノイズが減るからだ。
エンジン音。
風切り音。
排気の匂い。
それらが、他人の心の声を上書きしてくれる。
夜、こっそりと親のスクーター(ホンダのスカイ)を借り、住宅街を流すだけで、頭の中が静かになる。
(……やっと、音が一つになる)
それが、嬉しかった。
だが、中三のある夜。
鍵が刺さったままのスクーターを見つけてしまった。
(ちょっとだけなら)
(誰も見てない)
ノイズは軽かった。
罪悪感より、好奇心の方が勝っていた。
結果は、最悪だった。
警察。
家庭裁判所。
無言で並ぶ大人たち。』
(反省してるフリして、早く終わらせたい)
(この子、何考えてるの?)
(面倒くさい案件だな)
ノイズは、あの頃と何も変わっていなかった。
マサオは、頭を下げながら思った。
(……俺は、何も言わない方が正しい)
言葉は、信用されない。
本音は、汚れている。
なら、黙っていればいい。
『最後に、実のなる木を書いてみてください』
そう言われ、マサオは理由もなく、実が大量についた木を描いた。
評価される答えが、それだと分かってしまったからだ。
***
その夜、家に帰ってから、マサオは一人でバイク雑誌とイギリスを舞台にした、ベスパを跨ったモッズスタイルの少年と、トライアンフやノートンに乗った、ロッカーズ少年との対決、ドラック、社会への反発等を描いた映画「さらば青春の光」を、繰り返し観たりして、どうしても、バイクが欲しいと更に思いはじめた。
盗んだスクーターは、もうない。
だが、エンジンの振動だけは、まだ体に残っている。
(いつか)
(ちゃんとしたバイクで)
(誰にも邪魔されずに走りたい)
その“願い”だけは、ノイズじゃなかった。
静かで、真っ直ぐで、
誰の声でもない、自分の音だった。
――それが後に、
Vespaを選び、
改造し、
レースに出る理由になることを、
この時のマサオはまだ知らない。
ただ一つ、確かなことがあった。
ノイズは消えない。
なら――乗りこなすしかない。
そうやって、マサオは
“魔竿”へと、静かに近づいていった。』




