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“魔竿(まさお)“  作者: リキュウ


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7/7

第7話 幼き日のノイズ(前編)

 縁石に頭をぶつけたのは、幼稚園の送迎バスを待っていた朝だった。

 ぐらりと視界が傾き、世界が一瞬、白く瞬いた。


(……こいつ、またこけた)

(泣くのか? 泣かないのか?)

(なんでこの子、いつも無表情なの?)


 耳の奥で、誰かの“声にならない声”がざわついた。

 そのときマサオは、それを現実の声だとは思わなかった。ただ、世界の裏側から響く雑音――まるでラジオのチューニングが合わないときのノイズのようだと、本能的に感じていた。


 それ以来、マサオはときどき、周囲の人間の“気持ちの形”を拾ってしまうようになった。

 言葉にならないのに、言葉以上にはっきりと伝わってくる、他人の奥底の温度。


 だが本人は言わない。

 もともと口数が少ないのに、さらに周囲と距離ができていった。


 母親は困惑していた。


(……ほんと、この子は何を考えてるのか分からない)


 夕方、母親はマサオを熱い風呂に押し込んだ。

「あったまれば喋るっしょ」と言いながら。

 だがマサオは、お風呂のお湯の熱さと水音の奥にある“母の苛立ちの温度”だけを感じ取って、もっと黙ってしまった。(火傷はしなかったが凄く熱かったし、なんでこんな思いをしなかきゃ無いんだろうと、今でもずっと頭から離れない記憶)


 兄との関係も、距離はあった。

 兄は3歳年上だし、魔竿よりも確実に走るのが速かった。家の周囲を走るとき、マサオはいつも大きく遅れた。


(なんでこいつこんな遅いんだよ)


 苛立ちのノイズが背中を刺した直後、その背中に兄の蹴りが飛んできた。

 顔面からアスファルト転び、手のヒラと膝と太ももとかの皮膚が血まみれに擦りむける。


 泣くよりも先に、兄の心の奥底の“面倒くささ”が胸に重く沈んだ。


 またある日は、自宅で兄に、「動くなよ」と言われ、シャレにならない遊びが始まった。

 プラモデルのラジコンの戦車を、お腹から胸、、首を胸に付けろ!と、言われて、マサオの顔面を走らせ、鼻に引っかかって

皮膚を削り、血が滲み、皮膚を切った。。


(あ、やべ、血出た。)


(でもまぁ、こいつ泣かないし。)


 兄の心の奥は、罪悪感よりも“揉めたくない”という薄い感情が広がっていた。

 その冷たさが、一番痛かった。

 そのとき負った傷跡は、今でも鼻筋に薄く残っている。


 小学校に上がる頃、マサオの“ノイズ体質”はより強まった。

 田舎の祖母の家に行った夏休み、兄と連れ立って歩いていると、地元のガキ大将とその仲間――二つか三つ年上の小6くらいの四人組が絡んできた。


「お前ら、どこの子だよ」

「兄ちゃんだけ強そうで、こいつ弱そー」


 マサオは反応しない。

 代わりに、四人の心の奥から次々にノイズが流れ込んできた。


(兄貴のほうだけいじりてぇな)

(あいつ逃げたら追っかけよ)

(このちっさいのは泣かすだけでいい)


 殴られた瞬間、胸の奥の何かが切れた。

 世界の明るさが急に消え、ノイズの意味だけが鮮明になる。


(やっべ、こいつ立ち上がった)

(目つきやば…)


 気づけばマサオは、殴り返していた。

 ガキ大将の腕を掴んで転ばせ、地面で取っ組み合いになり、結果的に殴り勝った。

 初めて“人に勝った”瞬間だった。


 あとで兄が言った。


「お前、なんで急に切れたんだよ……」


(こわ……)


 兄の本音のノイズだけが、マサオの耳にいつまでも残った。


 そして――思春期が近づくにつれ、ノイズはさらに鮮明になっていく。

 小6の冬、ゲーセンの薄暗いトイレで中学生に絡まれたときも。


 中3の時は、鍵が鍵穴についたままのスクーターがあり、調子に乗ってそのスクーターを盗み、隠して乗り回していたら、捕まって家庭裁判所に呼び出されたあの日も。


(なんでお前みたいなのがここに来てんだ)

(俺は悪くねぇ)

(反省してるふりしとけばいい)


 大人も子どもも、ノイズは同じように汚れていた。


 魔竿はますます喋らなくなり、同時に“読み取る能力”だけが静かに成長を続けていった。


 その延長線上の未来に――

 黒スーツの男たちや、

 翔也という少年や、

 パールホワイトのスクーターを磨く謎の少年と出会うとは、当時のマサオは知る由もない。


 ただ、あの日の縁石の痛みだけが、すべての始まりになっていた。


――――――

第8話 「ノイズの思春期」へ続く

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