第11話 「錆びたバイクと、置いていくノイズ」
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夜の店は、昼とは別の顔をしていた。
焼き鳥の煙。
醤油と炭の匂い。
カウンター越しに、笑い声とグラスの音が交差する。
母の店だった。
マサオは、狭い流し場で黙々と皿を洗っている母を見ていた。
言葉を交わさなくても、動きだけで通じる距離。
(マサオか、、夜ご飯取りにきたんだね、片づくままで、少し待っておくれよ。)
母のノイズは、短く、少し疲れていた。
それでも、温度はあった。
離婚してから、ずっとこうだ。
兄とマサオの、二人の子どもを連れて、風呂なしアパート。
食堂から始めて、小料理屋になり、
今は焼き鳥とカラオケのある飲み屋。
派手じゃない。
楽でもない。
それでも、潰さず続けてきた。
(この人、強いな)
口には出さないが、マサオはそう思っている。
***
閉店後。
店の裏口で、母がタバコに火をつけた。
「卒業したら、どうすんの」
前触れもない一言。
「……通信で、美容師の学校」
「兄ちゃんと同じ?」
「うん」
母は、煙を細く吐いた。
(調理学校は、やめたんだな)
(あれは、金かかるからな)
そのノイズに、責める色はなかった。
計算と現実だけがあった。
マサオは、少しだけ肩の力が抜けた。
「オシャレそうだし」
冗談みたいに言うと、母は小さく笑った。
「似合うんじゃない。
あんた、そういうの」
***
店を出て、ベスパに跨る。
自分で塗ったブルーメタリック。
錆は、隠しきれていない。
エンジンをかける前、
マサオはハンドルに手を置いたまま、しばらく動かなかった。
(東京、か。)
通信の学費。
アパート代。
生活費。
バイト代だけじゃ、足りない。
(売るなら……これだよな)
ノイズが来るかと思った。
でも、来なかった。
ただ、静かだった。
(走る代わりに、
行く準備をするんだな)
そう思えた。
***
走り出すと、夜風がヘルメットを叩く。
信号。
交差点。
遠くのネオン。
ふと、過去の感覚が蘇る。
闇レース。
張りつめた空気。
息を詰める感覚。
世界が、異様に静かになる瞬間。
あれは――
確かに、もう終わった。
でも。
(捨てたわけじゃない)
一度、降りただけだ。
錆びたブルーの振動は、
まだ身体の奥に残っている。
***
校舎裏。
いつもの場所にベスパを停める。
明日も、まだ走る。
でも、遠くない未来で――
この音とは、別れる。
マサオは、ヘルメットを被り直した。
怖さはある。
迷いもある。
それでも、ノイズは鳴らなかった。
それが、今の答えだった。




