第1話「冬、エンジンの音が胸に刺さる」 「心声が聴こえる少年。暴走する街で真実へ走る。」
アマチュアレース大会まで、あと二時間。
高3の冬休み。まだ薄暗い朝。
マサオは古びたVespaのキックを踏んだ。
小さなエンジンなのに、胸に直接響くような音を立てる。
鉄工所で切り落とした後部フレーム。
青で塗ったミシュランのサイドウォール。
小さな赤目のテールランプ。
内臓が露出したみたいなマフラー。
誰かに褒められるわけでもないカスタム。
でも、マサオにとっては “唯一、自分の手で組み直せた人生の歯車” だった。
今日はなぜか胸騒ぎがする。
理由は分からない。ただ、朝から世界が“少しだけノイズが多い”。
そんな感覚がしていた。
***
レース会場へ向かう途中、国道の交差点。
信号待ちの対向車線に、薄紫色のボロい YAMAHA JOG が止まっていた。
乗っているのは見たこともない少年。
制服の上に黒のMA-1。
けれど、視線だけが妙に印象に残った。
(……なんだ、あいつ)
目が合った瞬間、少年の“内側”が流れ込んできた。
──カッケ……
──あのベスパ、めちゃくちゃイカしてる……
──ああいうスタイル、マネしてぇ……
声として聞こえたわけじゃない。
でも“響いた”。
胸の奥のスピーカーが勝手にオンになったような、あの感じ。
マサオは思わず視線を逸らした。
この感覚は、小学生のとき一度だけ経験した“あれ”と似ていた。
体育館裏の階段。
3人組にツバをかけられた瞬間、胸の奥で“何か”が弾けた。
自分でも制御できない衝動。
周囲の“感情の波”が混線して押し寄せてきた、あの瞬間。
まさか、あれがまた……?
信号が青になった。
薄紫JOGの少年が、マサオと同じ方向へ曲がってくる。
(ついてきてる……?)
また“声”が流れ込んだ。
──やべ、なんでついて行ってんだ俺。
──でも、あの人……なんか目を離せない……
──あのカスタム、写真撮りてえ……
──名前……知りてえな……
マサオはブレーキを握った。
世界が一瞬だけ静かになる。
白い息だけが空気に溶けた。
(……なんなんだよ。ほんとに聞こえてるのか?)
しかしJOGの少年は、マサオに気づかずそのまま前を通り過ぎていく。
ふと振り返ったその目と、ほんの一瞬だけ視線が重なった。
そして、遠くへ走り去った。
名前も知らない。
でも胸に残った“残響”だけが消えない。
***
レース会場の駐車場に着く頃には、ようやく呼吸が整っていた。
(……今日、何かが始まる)
理由は分からない。
でも確信だけが胸に残っていた。
あの薄紫JOGの少年。
後に “翔也” という名を知ることになるその少年との出会いが、
マサオの人生を「地上」から「別のレイヤー」へ引き上げていく始まりだった。
Vespaのアイドリングが安定する。
白い息が空気に滲む。
胸の奥は、それ以上に熱かった。
そして、この冬──
マサオの “第二覚醒” が、静かに始まろうとしていた。




