表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/12

第7話「加護に乾杯。ただし珈琲で」

 休日の午後、蝉の声が遠くで鳴いている。

 水野慎吾は、喧騒を避けるように裏通りの喫茶店へと足を踏み入れた。


 店名は《喫茶マナリア》。

 その看板からして、ファンタジー文庫の背表紙にでもありそうな意匠である。

 店内に漂う焙煎の香りは上質だが、メニューには──


「マナブレンド」「古城のブレンド」「賢者の遺産(限定)」


 ……中二病の遊びか、あるいは“本物”の棲処か。


 水野は最も無難に見えた「マナブレンド(浅煎り)」を注文し、静かに腰を下ろす。だがその瞳は、戦場の斥候のように周囲をスキャンしていた。


「冷静になろう」と決めてきたはずだった。


 ──だが、カップを受け取った瞬間。香り立つ湯気の向こうに、“異臭”が混ざる。


 斜向かいの席。ひとりの男がノートPCを開き、画面には色分けされたマインドマップ。


 ──【転生テンプレート型分類表】


 水野、瞬時に姿勢が変わる。

 二度見。

 三度見。


 コーヒーの香りで動揺を誤魔化しながら、四度目の凝視。


 画面の端には「召喚型/事故型/死因分類」などの文字列。


 さらに机上には、何度も開閉された痕跡の濃いノートが広げられていた。布テープで補強された表紙には、こう記されている:


 『土魔法による建築考察:第19節──耐震性と耐火性について』


 ──水野、心拍数上昇。


「……グアテマラの香りじゃない」


 コーヒーでは説明できない。 そこにあるのは、深い樹海の高濃度なマナを浴びたに近い“感触”。


 この空間に、転生後を視野に入れた“備え”の匂いが漂っている。


 水野は内心で呟く。


「この検出圧……ただの思いつきじゃない。テンプレ判定精度、第一級」


 ──ただの転生ネタに終わらせていない。 これは、“王宮魔導士選抜試験”に近い空気だ。


 カップに口をつけるふりで、自身の表情筋を制御しながら水野は観察を続ける。

 その男のペンがノートを走る速度、画面のウィンドウ切り替えのテンポ──。


「……分析と構築、両方の訓練を積んでるな」


 静かに、しかし確実に水野の中で“結論”が弾ける。


 ──この香ばしさは、豆のせいじゃない。" 同志 " だ。


 だが、すぐには動かない。接触のタイミングは重要だ。

 戦場では、合流の瞬間こそが最も脆い。


 こうして、彼の“索敵スキル”がグアテマラごと震えと共に目覚めたような、ある意味で非常に危険な午後だった。


 * * *


 水野はカップを手に、静かに香りを吸い込んだ。

 だが、その瞳はカップの縁を越え、斜向かいの席へと釘付けになったままだった。


 ──動きがなめらかすぎる。

 ──ウィンドウ切り替えのタイミングが“構成型”だ。

 ──あのノート、厚さが“蓄積”の証明。


 頭の中では評価ポイントが淡々と積み上がっていく。

 だが、その積み上がりが一定のラインを超えたあたりから──水野の挙動が、急激におかしくなり始めた。


 カップを持ち上げては下ろし、目線を逸らしては戻す。

 コースターをいじりながらチラリ、メニュー表で顔を隠してはチラリ。

 ──ついには、メニューの裏から“チラ見”という " 完全に不審者の所作 "に突入した。


「……おちつけ、落ち着け俺。射線管理が素人すぎるぞ」


 そう思った矢先、斜向かいの男──清水が、ノートにペンを走らせる。

 そのページの見出しが、はっきりと水野の網膜に飛び込んできた。


『テンプレ転生パターンとその危険度分類:初日の生き延び方』


 ──ガッ。


 心の中で水野が " 完璧なガッツポーズ "を決めた。


(完全にお仲間です、本当にありがとうございました)


 全ての疑念が、今この瞬間に吹き飛んだ。

 これはもう、ただの中二病ではない。本気の“ 構築型 ”だ。


 水野はそっと深呼吸し、覚悟を決める。

 そして──


「……すみません」


 清水が顔を上げた。水野は一瞬だけ間を取り、言葉を選ぶ。


「それ……“ 転生テンプレ考察 ”ですよね?」


 清水、一瞬だけ硬直。まばたきすら止まる。

 ──だが、逃げずに答えた。


「……は、はい。まぁ……趣味ですけど」


「実は、私も似たような趣味──というか、本気で備えをしておりまして」


 そう言って、そっと胸ポケットから折りたたまれた紙を出す。

 そこには「属性別魔法習得および魔力増強プログラムver.3.1」と書かれている。


 清水の目に、明確な動揺が走った。


「……魔力増強プログラム……?」


「ずっと詠唱構文に囚われていましたが、転生直後はやはり優先すべきは最大魔力量の増強かと」


 清水が、ついに苦笑いを浮かべる。


「……なるほど。やばい人ですね」


「いえ、お互い様かと」


 互いのコーヒーが、同時に少し揺れた。

 そこから、自然な流れで“初手テンプレの選別”や“死亡フラグ回避理論”の交換が始まっていく。


 初対面なのに、語彙も温度も、なぜか完璧に噛み合う。

 水野はふと、心のどこかで思った。


 ──(これは、ただの出会いじゃない。“加護”──そう呼ぶには、少し出来すぎている)


 そんなふうに思える、初めての誰かだった。


 * * *


 水野は、自分のノートをゆっくりと開いた。

 ページを繰る手には、どこか儀式めいた慎重さが宿っている。

 中には図解、数式、詠唱構文、呼吸法と魔力量の相関グラフ──

 異常な熱量で書き込まれた“魔法理論”の痕跡がぎっしりと詰まっていた。


「これが……私の現在の仮説です。

 テンプレに準拠することのメリットとリスク、そして“言語理解補助”の初期スキル確率。私は83.4%と見積もっています」


 清水の目つきが変わった。

 無言でノートを開き、自分の分類チャートと注釈を見せながら、指でいくつかの枝をなぞる。


「ここ、たぶん発想の順番が逆です。

 “テンプレに沿う”んじゃなくて、“テンプレが発生する構造”を先に理解すべきです」


 水野が、わずかに目を見開いた。


 清水は続ける。


「それと、属性の初期適性は、おそらく現世ででの“精神の周波数帯”と関係があります。

 私の予測では、イメージの明瞭度よりも、魔力量の底上げと現世での神経耐性の構築が重要です」


 水野は頷きながら、自分のページの隅に速記で書き込む。

 “火耐性を得るために多少の危険は伴う必要あり”──

 仮説が仮説を呼び、会話が理論を孕んで膨張していく。


「……これ、テンプレの分類精度が異常に高い。

 いや、むしろ狂ってる」


「いえ、お互い様ですよ。構築の方向性は異なりますが、同じ異常さを持ってますよ」


 空間に熱がこもる。

 二人の会話が、喫茶店の空気から明らかに浮いている。


 近くの席の客が、何度か視線を向けた。

 やがて、カウンターの奥からマスターの声が届く。


「……お客さん、ここは居酒屋じゃないんで、勝手に酔うのはやめてもらえますか?」


 一瞬、沈黙。


 水野と清水は顔を見合わせ──

 そして同時に吹き出した。


「……すみません、本気で酔ってました」


「いや、確かに酔ってます。スピリタスなみに……」


 笑いが、卓上の理論を柔らかく包んだ。


 水野はカップを持ち上げ、少しだけ頭を下げる。


「あなたと議論することで、澱んでいた思考がかなりクリアになりました。

 この出会いこそ、女神の加護ですね」


 清水もカップを掲げた。


「モブかもしれない我々への……かすかな祝福ってとこですかね」


 グラスが静かに触れ合い、微かな音を立てた。


 * * *


「そういえば──」

 水野がゆっくりとノートPCを開き、画面を清水の方へ向ける。


「このサイト、ご存知ですか?」


 そこに映っていたのは、白背景に黒字だけの簡素な掲示板。

 スレッドタイトルは──


 > 《異世界転生準備会(仮)》


 清水が眉を寄せる。


「いや、初見です。なんか……禁書に触れるような緊張感ありますね、これ」


「感じますか、その空気。やっぱり……あなたは“本物”だ」


 水野の声には、確信がにじんでいた。


 スクロールが進むたびに、次々と現れる異常な熱量の書き込み。

 > 「MP制御における呼吸法の応用」

 > 「火属性取得時の火傷リスクと克服メソッド」

 > 「関節を痛めない初期装備の選定方法」──


 そして、ふと、二人の視線が止まった。


 > 起動型ヒーラー(安田):

 > 『限界です。そろそろ共に備えませんか?』


 静かな間。

 清水が息を呑む音すら聞こえそうな沈黙の中、二人はただ画面を見つめていた。


 水野が、コーヒーを一口すする。

 その目には、熱が宿っている。


「……これ、そんなに遠くないかもしれませんよ。清水さん」


 清水も、まるで心のどこかが初めて開かれたかのような感覚で──

 静かに、力強く頷いた。


 その様子をカウンターの奥から見ていたマスターが、やや苦笑まじりに一言。


「……だから勘違いされるんで、うちのコーヒーで酔うのはやめてくださいね」


 二人は、何も言わずに再び笑った。

 まるで、この喫茶店が異世界への境界線にでもなったように。



 ▶【次回】第8話「結成、いや解散?──俺たちのプロローグ」

 あなたの“ 本気 ”、彼らにも届いてしまったみたいです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ