第7話「加護に乾杯。ただし珈琲で」
休日の午後、蝉の声が遠くで鳴いている。
水野慎吾は、喧騒を避けるように裏通りの喫茶店へと足を踏み入れた。
店名は《喫茶マナリア》。
その看板からして、ファンタジー文庫の背表紙にでもありそうな意匠である。
店内に漂う焙煎の香りは上質だが、メニューには──
「マナブレンド」「古城のブレンド」「賢者の遺産(限定)」
……中二病の遊びか、あるいは“本物”の棲処か。
水野は最も無難に見えた「マナブレンド(浅煎り)」を注文し、静かに腰を下ろす。だがその瞳は、戦場の斥候のように周囲をスキャンしていた。
「冷静になろう」と決めてきたはずだった。
──だが、カップを受け取った瞬間。香り立つ湯気の向こうに、“異臭”が混ざる。
斜向かいの席。ひとりの男がノートPCを開き、画面には色分けされたマインドマップ。
──【転生テンプレート型分類表】
水野、瞬時に姿勢が変わる。
二度見。
三度見。
コーヒーの香りで動揺を誤魔化しながら、四度目の凝視。
画面の端には「召喚型/事故型/死因分類」などの文字列。
さらに机上には、何度も開閉された痕跡の濃いノートが広げられていた。布テープで補強された表紙には、こう記されている:
『土魔法による建築考察:第19節──耐震性と耐火性について』
──水野、心拍数上昇。
「……グアテマラの香りじゃない」
コーヒーでは説明できない。 そこにあるのは、深い樹海の高濃度なマナを浴びたに近い“感触”。
この空間に、転生後を視野に入れた“備え”の匂いが漂っている。
水野は内心で呟く。
「この検出圧……ただの思いつきじゃない。テンプレ判定精度、第一級」
──ただの転生ネタに終わらせていない。 これは、“王宮魔導士選抜試験”に近い空気だ。
カップに口をつけるふりで、自身の表情筋を制御しながら水野は観察を続ける。
その男のペンがノートを走る速度、画面のウィンドウ切り替えのテンポ──。
「……分析と構築、両方の訓練を積んでるな」
静かに、しかし確実に水野の中で“結論”が弾ける。
──この香ばしさは、豆のせいじゃない。" 同志 " だ。
だが、すぐには動かない。接触のタイミングは重要だ。
戦場では、合流の瞬間こそが最も脆い。
こうして、彼の“索敵スキル”がグアテマラごと震えと共に目覚めたような、ある意味で非常に危険な午後だった。
* * *
水野はカップを手に、静かに香りを吸い込んだ。
だが、その瞳はカップの縁を越え、斜向かいの席へと釘付けになったままだった。
──動きがなめらかすぎる。
──ウィンドウ切り替えのタイミングが“構成型”だ。
──あのノート、厚さが“蓄積”の証明。
頭の中では評価ポイントが淡々と積み上がっていく。
だが、その積み上がりが一定のラインを超えたあたりから──水野の挙動が、急激におかしくなり始めた。
カップを持ち上げては下ろし、目線を逸らしては戻す。
コースターをいじりながらチラリ、メニュー表で顔を隠してはチラリ。
──ついには、メニューの裏から“チラ見”という " 完全に不審者の所作 "に突入した。
「……おちつけ、落ち着け俺。射線管理が素人すぎるぞ」
そう思った矢先、斜向かいの男──清水が、ノートにペンを走らせる。
そのページの見出しが、はっきりと水野の網膜に飛び込んできた。
『テンプレ転生パターンとその危険度分類:初日の生き延び方』
──ガッ。
心の中で水野が " 完璧なガッツポーズ "を決めた。
(完全にお仲間です、本当にありがとうございました)
全ての疑念が、今この瞬間に吹き飛んだ。
これはもう、ただの中二病ではない。本気の“ 構築型 ”だ。
水野はそっと深呼吸し、覚悟を決める。
そして──
「……すみません」
清水が顔を上げた。水野は一瞬だけ間を取り、言葉を選ぶ。
「それ……“ 転生テンプレ考察 ”ですよね?」
清水、一瞬だけ硬直。まばたきすら止まる。
──だが、逃げずに答えた。
「……は、はい。まぁ……趣味ですけど」
「実は、私も似たような趣味──というか、本気で備えをしておりまして」
そう言って、そっと胸ポケットから折りたたまれた紙を出す。
そこには「属性別魔法習得および魔力増強プログラムver.3.1」と書かれている。
清水の目に、明確な動揺が走った。
「……魔力増強プログラム……?」
「ずっと詠唱構文に囚われていましたが、転生直後はやはり優先すべきは最大魔力量の増強かと」
清水が、ついに苦笑いを浮かべる。
「……なるほど。やばい人ですね」
「いえ、お互い様かと」
互いのコーヒーが、同時に少し揺れた。
そこから、自然な流れで“初手テンプレの選別”や“死亡フラグ回避理論”の交換が始まっていく。
初対面なのに、語彙も温度も、なぜか完璧に噛み合う。
水野はふと、心のどこかで思った。
──(これは、ただの出会いじゃない。“加護”──そう呼ぶには、少し出来すぎている)
そんなふうに思える、初めての誰かだった。
* * *
水野は、自分のノートをゆっくりと開いた。
ページを繰る手には、どこか儀式めいた慎重さが宿っている。
中には図解、数式、詠唱構文、呼吸法と魔力量の相関グラフ──
異常な熱量で書き込まれた“魔法理論”の痕跡がぎっしりと詰まっていた。
「これが……私の現在の仮説です。
テンプレに準拠することのメリットとリスク、そして“言語理解補助”の初期スキル確率。私は83.4%と見積もっています」
清水の目つきが変わった。
無言でノートを開き、自分の分類チャートと注釈を見せながら、指でいくつかの枝をなぞる。
「ここ、たぶん発想の順番が逆です。
“テンプレに沿う”んじゃなくて、“テンプレが発生する構造”を先に理解すべきです」
水野が、わずかに目を見開いた。
清水は続ける。
「それと、属性の初期適性は、おそらく現世ででの“精神の周波数帯”と関係があります。
私の予測では、イメージの明瞭度よりも、魔力量の底上げと現世での神経耐性の構築が重要です」
水野は頷きながら、自分のページの隅に速記で書き込む。
“火耐性を得るために多少の危険は伴う必要あり”──
仮説が仮説を呼び、会話が理論を孕んで膨張していく。
「……これ、テンプレの分類精度が異常に高い。
いや、むしろ狂ってる」
「いえ、お互い様ですよ。構築の方向性は異なりますが、同じ異常さを持ってますよ」
空間に熱がこもる。
二人の会話が、喫茶店の空気から明らかに浮いている。
近くの席の客が、何度か視線を向けた。
やがて、カウンターの奥からマスターの声が届く。
「……お客さん、ここは居酒屋じゃないんで、勝手に酔うのはやめてもらえますか?」
一瞬、沈黙。
水野と清水は顔を見合わせ──
そして同時に吹き出した。
「……すみません、本気で酔ってました」
「いや、確かに酔ってます。スピリタスなみに……」
笑いが、卓上の理論を柔らかく包んだ。
水野はカップを持ち上げ、少しだけ頭を下げる。
「あなたと議論することで、澱んでいた思考がかなりクリアになりました。
この出会いこそ、女神の加護ですね」
清水もカップを掲げた。
「モブかもしれない我々への……かすかな祝福ってとこですかね」
グラスが静かに触れ合い、微かな音を立てた。
* * *
「そういえば──」
水野がゆっくりとノートPCを開き、画面を清水の方へ向ける。
「このサイト、ご存知ですか?」
そこに映っていたのは、白背景に黒字だけの簡素な掲示板。
スレッドタイトルは──
> 《異世界転生準備会(仮)》
清水が眉を寄せる。
「いや、初見です。なんか……禁書に触れるような緊張感ありますね、これ」
「感じますか、その空気。やっぱり……あなたは“本物”だ」
水野の声には、確信がにじんでいた。
スクロールが進むたびに、次々と現れる異常な熱量の書き込み。
> 「MP制御における呼吸法の応用」
> 「火属性取得時の火傷リスクと克服メソッド」
> 「関節を痛めない初期装備の選定方法」──
そして、ふと、二人の視線が止まった。
> 起動型ヒーラー(安田):
> 『限界です。そろそろ共に備えませんか?』
静かな間。
清水が息を呑む音すら聞こえそうな沈黙の中、二人はただ画面を見つめていた。
水野が、コーヒーを一口すする。
その目には、熱が宿っている。
「……これ、そんなに遠くないかもしれませんよ。清水さん」
清水も、まるで心のどこかが初めて開かれたかのような感覚で──
静かに、力強く頷いた。
その様子をカウンターの奥から見ていたマスターが、やや苦笑まじりに一言。
「……だから勘違いされるんで、うちのコーヒーで酔うのはやめてくださいね」
二人は、何も言わずに再び笑った。
まるで、この喫茶店が異世界への境界線にでもなったように。
▶【次回】第8話「結成、いや解散?──俺たちのプロローグ」
あなたの“ 本気 ”、彼らにも届いてしまったみたいです。