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第4話「引き寄せられる狂気」

 深夜。


 古びた蛍光灯の残照すらない六畳一間。

 ただ、ノートパソコンの青白いディスプレイだけが、水野慎吾の顔面を斜め下から照らしていた。


 ちゃぶ台の上には一冊のバインダー。魔法陣、詠唱構文、属性別魔力収束率の表──そのすべてが手書きで、異常な密度で書き込まれている。

 余白を埋め尽くすように付箋が重なり、文字は震えるように小さい。


 指先でそのバインダーをめくりながら、水野はキーボードに手を乗せる。


 検索ワード:『転生 準備 スキル構築』


 エンター。


 ──数秒後、ヒットしたページ群に目を走らせる。


 医学系ブログのなりすまし、ネタまとめ、5年前のまとめスレの亡骸。


 その中の一つ。

 明朝体。下線付き。HTMLタグの剥き出し感。


 《異世界転生準備スレ》


 その不格好なリンク文字に、指が止まった。


(……あった)


 クリック。


 一瞬の読込を経て、開いた掲示板には──地獄。


「TSしてまずハーレムやろがいwww」 「転生先がスライムじゃなくて詫び石配布されて草」 「異世界行ったらまず女騎士にテイムされたい」


 ──つまり、いつもの。


 だが、水野は笑わなかった。いや、" もう笑えない体になっていた。"


(違う。“憧れ”の季節はもう過ぎた。今は“備え”だ。分かっていない)


 画面をスクロール。

 一番下の、誰も注目していない書き込みフォームを見つけた。


 静かに息を吸い、吐く。


「試すか」


 彼は打ち込む。


 > 『異世界が魔術体系なら、構文構造の記憶術は基礎。……そう思ってるの、俺だけ?』


 送信。


 ──沈黙。


 スクロールバーは微かに揺れ続ける。数秒後、反応が来る。


「またガチ勢きて草」 「構文暗記w。駅前魔法留学ですか?ww」 「おまえだけ定期」


 毒にも薬にもならない“いつものレス”が画面を流れる。


 水野の表情は変わらない。

 ただ、モニターの奥──その文字列の“温度”だけを感じ取ろうとしていた。


 ──そして。


 > 『構文単位で記憶するのは非効率。“音声発動系魔術”は語源起点の意味解析が鍵』


 一文。

 たった一文。


 その瞬間、空気が変わった。

 水野の目が、ようやく画面に焦点を結んだ。


(この感じ……俺よりも“知っている”奴のなのか?)


 バインダーのページが閉じられる。

 水野は付箋を一枚めくり、そこに書き足す。


『対話開始フェーズ:共鳴個体との接触』


 そして椅子に浅く座り直し、姿勢を正す。

 キーボードに置いた指が、ゆっくりと、しかし確実に浮かび上がる。


 誰かが、いる。


 ただの酔狂ではない。空想ではなく、" 準備 "している者が。


 ──それを見つけた瞬間、

 水野の世界は、静かに、しかし確実に“転位”した。


(……始まったかもしれない)



 * * *


 ──即応。


 水野の指が走る。


 > 『正しい構文で詠唱することが魔法の効果を高める。つまり古代語の文法を転生後に速やかに理解する必要があると、俺は思う。』


 数秒後。


 > 『転生者のアドバンテージはその想像力。イメージこそが魔法の精度や効果に重要。無詠唱などその最終形態』


 ……来た。


 ──話が、通じる。


 画面の中では、他の書き込みがまだ流れていた。


「おまえら勝手に盛り上がんなw」 「何この会話、本気臭がキツいww」 「イメージで無詠唱、わかります!」


 だが、水野にはもう見えていなかった。

 画面の余白すら“相手”の言葉だけで埋め尽くされていた。


 > 『回復系魔法において、正確な医学的知識、少なくとも解剖学と生理学は必須かと』

 > 『あと、食後の方が魔法うまくいくの、あれ多分血糖値な』

 > 『風属性って火と相性良いって言うけど、体感では火×土が燃費良い気する』

 > 『蘇生呪文ってAEDと同じ除細動を魔法により電気的に行っているだけかも』


 ──思考が加速する。


 水野も、即座に返す。


 > 『自分の検証結果では詠唱時に語尾伸ばすと成功率下がる。イメージによるバイアスはあるかもしれない』

 > 『あー分かる。ブドウ糖ラムネ食って3分後が一番集中できる』

 > 『イメージの重要性について、無の状態と比較試験するため禅寺に申し込んだ』

 > 『火×風は派手だけど、土を組み合わせたほうが指向性は改善しそう』


(この感覚……自分の足りないパーツが嵌め込まれていくような……)


 彼の呼吸は浅く、早くなっていた。

 両手は汗ばんでいるのに、指は迷わない。


 > 『少なくとも薬草などの知識に関してはこっちと相関あると睨んでいる』

 > 『あとさ、手かざす位置ずれると成功率下がるの絶対ある。脈管系の把握は重要』


 水野は──確信した。


(この男……間違いない)


 以前、深夜に偶然たどり着いた、あのブログ。

 “転生後ヒーラーを目指す者の日記”


 あの中に記されていた、血液型と属性適性、MP制御の生理学的裏付け。

 書いていたのは“本物”だと感じた。


 そして今。


 ──会話をしている。


 あの筆致と、思考回路と、用語の選び方。

 間違いなく、同じ人間だ。


 水野の頬が、わずかに引きつる。

 だがそれは、笑っているわけではない。


 興奮でもない。


「……これは」


 声が漏れる。


(“発見”だ)


 ──この世のどこかに、自分と同じ方向を向いている人間がいた。

 それが、今、確かにここにいる。


 この出会いは──偶然ではない。いや、必然だ。やはり……転生が近いのか。


 ディスプレイ越しに繋がる、このわずか数行のやりとりが、

 誰よりも正確に、水野の“魂の震源”に触れていた。


 * * *


 タイピングの音が、ふと止んだ。


 水野は椅子にもたれ、モニターの光に照らされた部屋の天井を見つめていた。

 深夜。外の世界は完全に沈黙している。


 キーボードの前で、しばらく動かない。

 ただ、息だけが静かに吐かれる。


「……背中を任せるべきか」


 呟きは自分に向けてではない。

 まるで、まだ会ってもいない仲間に、あるいは来世の自分に語りかけるような声音だった。


 PCの脇に置かれた黒いノート。

 水野はゆっくりとペンを取り、淡々と書き込む。


『魔術医療担当 候補:1名』


 その字は、震えもためらいもない。まるで既定事項のように、当然のように。


 しばらくして、水野はマウスを動かし、スレッドの過去ログをたどる。

 スクロールしながら、あるURLに目を止める。


 ──あのブログだ。

 “転生後ヒーラーを目指す者の日記”


 クリック。


 白背景に黒文字、更新は3日前のまま。

 だがその文体、その切り口。


 ──間違いない、と思った。


 水野の指が、画面右上の“メッセージを送る”のアイコンへと伸びる。


 ──が、止まる。


「……DMを送るべきだろうか」


 少しだけ口の中で転がすように呟き、

 しかし次の瞬間、静かに首を振る。


「いや、ここは焦る場面じゃない。むしろ自分が彼の同志たれるか見直す必要がある」


 彼は画面を閉じる。

 モニターの明かりが消え、部屋が闇に沈む。

 その中で、ノートをもう一度開き、別のページに追記する。


『連絡:保留。信頼評価を継続』


 書き終えたページを見つめながら、水野はふと思いついたように、端の余白に小さく書き添えた。


『初対面時の挨拶案:魔力親和度に応じて水/風/土のいずれかを添える』


 そして、その文字列を見つめながら、わずかに笑みを浮かべる。


 ペンを置いた指が、しばらく宙に浮いていた。


 それは、計画でも、感情でもない。


 ──ただの、“準備”だった。


 * * *


 ──画面に目を戻すと、スレッドの最下部に、新たな書き込みがぽつりと表示されていた。


 > 「...貴族としての振る舞いに歪み無き様、無限の可能性を考慮しロールプレイを重ねる必要性ありますわ」


 水野は目を細め、画面に映るその一文を見つめた。


「……これは……」


 わずかに、口元が動く。


「“支配構造系”の思考だな。となれば……」


 その声は、驚きでも警戒でもない。

 むしろ、懐かしさに似た共鳴だった。


 椅子から体を起こし、ノートを開く。

 淡々とペンを走らせる。


『支配属性キャラ枠:候補 1名(検証中)』


 書き終えたあと、水野は指を動かし、静かにスレッドを閉じた。

 そして、タブをひとつ開き、新たなスレッドタイトルを打ち込む。


 > 《スレッドNo.7:異世界転生準備会(仮)》


 エンター。


 画面に白紙のスレッドが立ち上がる。

 まだ誰もいない、ただの仮設の場所。


 けれどその一行が、彼の中ではすでに始まりの合図だった。


(個々で備える時間は、もう残り僅か....忙しくなるぞ)


 水野は画面を見つめたまま、ゆっくりと、ほんのわずかだけ──頷いた。



 ▷【次回】第5話「筋肉と異世界は裏切らない(はず)」

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