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ー 8 ー 阿笈愛と水無月碧① 邂逅

「お母さん、良い人材をゲットしたよ」


川の(ほと)りで愛と話をした日の夜、由依に風呂上がりの濡れた髪を乾かしてもらいながら碧はそう言った。まだ七歳と幼い碧は知能こそ高いものの、相手に細かい説明をするのは苦手だ。案の定、由依は「え? どういうこと?」と尋ねる。


「スカウトしたんだよ」


所々質問しながら碧の話を聞き、由依は頭を抱えた。碧は子どもならではの自由奔放さがあり、普段の会話内容だけを判断基準にしていると時々突飛な行動に驚愕させられる。


「明日お家に来てねって言ったの。ちゃんと住所覚えたんだよ」


碧は褒めて欲しそうにこてんと由依に体を預ける。柔らかい茶髪をよしよしと撫でると碧は満足気に笑った。


(こういうところは年相応なんだよなぁ)


由依を“お母さん”と呼ぶこと、自分の名前を“橘水咲”とすること。大人でもすぐには慣れないこの変化に即座に適応しつつあるのは碧が優秀だからなのか、それとも幼い子どもは適応力が高いからなのか。一緒に暮らし始めてまだ日の浅い由依には分からない。それでも、小さな碧の頭の中にある年単位の壮大な計画からは碧の才能の片鱗が窺われる。


乾いた髪を梳いていると、いつの間にか碧は気持ち良さそうに寝息を立てていた。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



翌日、碧が言った通り愛が叶を連れて訪れた。チャイムが鳴ったため由依が玄関のドアを開ける。


「いらっしゃい。あ…水咲の母です」


危うく『碧』と言いそうになった由依の挨拶に愛は僅かに眉を寄せた。


「“水咲”……?」


「え、違う? まさか違う方を名乗ってた?」


「え?」


「え?」


混乱すればする程余計なことを言ってしまう由依なので、「わー!待って、お母さん」と碧が慌てて止めに入り愛の方に顔を向けた。


「道迷わなかった?」


「あ、うん。大丈夫」


頷く愛の手を引いてローテーブルに案内する。碧はお気に入りのぬいぐるみを抱いて向かいに座った。


「じゃあお話ししましょう。私は橘水咲って言います。あなたのお名前は?」


「私は愛。と、妹の叶です。名字はもうないから好きに呼んでね」


自己紹介をする二人を見て由依は内心(失敗したなぁ……)と溜め息を吐いた。家に呼ぶと言っていたため、まさか名乗っていなかったとは思わなかった。先程の愛の反応はそもそも『水咲』という名の人物に心当たりがなかったからなのだろう。同時に、名字がないという愛の言葉に疑問を抱いた。


「名字がないってどういうこと?」


由依が尋ねると愛は「えっと……」と若干気不味そうに笑い、口を開いた。


「私たち、両親がいないんです。死別とかではなく…何というか、いなくなったんです。私が小…五のときかな? 母がいなくなって、その一年後に父も消えまして」


「そんな、ごめんなさい。何も知らないのに無神経に……」


謝る由依に愛は首を振って「気にしないでください」と笑う。


「私たちにとってあれはもう思考の対象ではありませんから」


意味深な言葉と共に叶を優しく撫でる愛は一体どのような人生を送ってきたのだろうか。由依のみならず碧も何か思うところがあったのか、立ち上がっていつも由依がするように愛と叶をぎゅっと抱き締めた。


「もう怖いことはないから大丈夫だよ」


妹と同じくらいの小さな体に抱き締められた愛は一度ぱちぱちっと瞬きをし、空いている方の手で碧の背中に手を回した。


「ありがとう、水咲ちゃん。お陰で私も叶も元気一杯だよ」


「本当に? 良かったぁ。ぎゅーってするとね、オキシトシンが沢山分泌されて幸せな気持ちになるんだって」


「あ、そうなんだ……物知りだね……」


子どもらしい行動に癒されていたが、一転して急な雑学に子どもらしさが霧散する。そんな愛に由依が耳打ちした。


「水咲はちょっと、いや結構普通じゃないから気を付けてね。悪い子ではないんだけど」


「はい、気を付けます」


これでは精神が()たないと気合を入れる愛だった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



愛の大まかな状況を聞いた由依は同級生たちの言動や学校の対応に怒りを示し、「愛ちゃんは絶対に大学に行けるようにするから!」と豪語した。


「碧、私の……あ」


しまったと思ったときは既に遅く、愛は由依と碧を交互に見ていた。


「“碧”……さっきも名前が違う方だとかって言ってましたよね。どういうことですか? どうして名前が二つもあるの?」


こうもはっきり言ってしまえば流石に隠しきれないと思い、変に疑われるよりはと告白することにした。由依が頷いたのを見て、碧が愛に説明する。サイドの髪を反対側の手で軽く梳くと、艶やかな白の髪が跳ねた。


「あのね、私は戸籍が二個あるの。本当の名前は“水無月碧”っていうんだけど、それだとすぐにバレちゃうから“橘水咲”っていう名前の戸籍を新しく作ったの」


「……“バレちゃう”って誰に?」


その後説明されたことは衝撃の連続で、愛は一生忘れないだろう。愛は自分のことを不幸な生い立ちだと無意識の内に考えていたが、碧の話を聞いて自分の考えを改めた。この日本という国において愛はそういった人々の上位十パーセントには含まれているのではないかと。少なくとも、愛が今まで出会った人の中に自分よりも過酷な人生を送ってきた人はいなかった。勿論、世界に目を向ければ高校どころか小学校にすら行くことの出来ない子どもが大勢いることは知っている。貧困でその日食べるものにも困るような生活を送っている子どもがいることも知っている。しかし、日本という平和な国の中で考えればそれは十分悲惨なものだった。それは紛れもない事実だ。ただ、碧がそれを大きく超えていただけ。


そんな碧が考えた壮大な計画を聞いた愛は、ほぼ無意識に頭を下げていた。年齢差など考えるまでもない程のものがそこにはあった。


「碧ちゃん、……いえ、碧さま。私は一生あなたに尽くすことを誓います」


感動の再会を果たした恋人に愛を告げる映画のワンシーンのように、或いは主人公に忠誠を誓う騎士の異世界物語のラストのように、身長130cmにも満たない碧に跪く。


「私を絶望から救って下さった碧さまに、私の人生を()して恩返ししたいと思います」


そこにあったのは絶対的な忠誠と信頼。そして、ともすれば崇拝とも取れる敬意。突然のことに困惑する碧と姉をじっと見つめる叶だったが、由依が声を掛けるまで愛は動かなかった。


その後、お金のやり取りが発生するためそれらを円滑に済ませるために由依と養子縁組を結ぶことになり愛と叶は橘姓を名乗ることになったのだが、由依が「どうせなら自分の好きな名字にした方が良いでしょ」と言い出した。新しい服を選ぶかのように言った由依に対し愛は驚きを隠せない。ここに来て何度目か分からない疑問の声を上げる。


「え? いや、そんなこと出来るんですか?」


「出来ますよー。何と言っても碧…じゃなかった、水咲の戸籍を作ったのは私だからね」


「えぇっ!?」


結局由依に押し切られて新しく名字を考えることになり、「うーん」と悩む。元の両親の名字はもう忘れてしまったし、思い出したくもない。どうせなら愛の門出を祝ってくれるようなものが良い。そう感じて、頭に浮かんだものを口にした。


「阿笈……私はこれから“阿笈愛”と名乗ります」


「私と同じ名前だぁ。何で? もっと別のにすれば良いのに」


碧が不思議そうに首を傾げるが、愛は「これが良いんです」と笑う。


一年後、愛が十八歳の誕生日を迎えた日、ルナアイネット株式会社とルナアイ製薬株式会社が設立され、それらの株式を保有するルナアイホールディングスが創設された。当時まだ高校生だった愛が設立した会社は大きな話題となり連日メディアにも取り上げられたが、何より特筆すべきは製品の質の高さと企業理念だろう。ルナアイネット株式会社が開発したSNS“Moonall”は瞬く間に日本中に広まり、使い易さと個人情報の秘匿性、そしてAIの搭載により誹謗中傷コメントの自動削除を融合した機能により幅広い年齢層から支持を集めている。ルナアイ製薬株式会社が開発に成功した新薬は、同業他社が取り扱っていないものだったため既得権益会社とのトラブルもなく、それ故に安価で市場に出回ることとなった。また、同社が行っている新たな有機化合物の合成についての研究も注目を集めている。


愛はテレビ取材のインタビューで、度々碧の存在について語った。


「私が今こうして目標を持って生きていられるのは水無月碧という恩人のお陰です」


「どういった方なんですか?」


「誰よりも優しくて、自分の全てを懸けてこの国の未来をもっと明るいものに変えようとしている人です。この企業を立ち上げたのも実質的には彼女なんです。ですから、後七〜八年程で私は代表取締役を辞めて彼女に譲ろうと思っています。勿論、役員の方の賛同は必要ですけどね」


笑顔で語る愛の言葉に、インタビュアーは引っ掛かりを覚えた。


「七〜八年というのはどうしてですか?」


「彼女が十五歳になるまでにそれくらい掛かるんです。それまでは職に就けないでしょう?」


驚きのあまりインタビュアーは思わず前のめりになる。


「ちょっと待って下さい、十五歳と仰いました? それでは水無月さんという方は七歳か八歳…小学校低学年でルナアイホールディングスを設立したということですか!? それはいくら何でも…」


「驚かれるのに無理はありませんが、でも彼女は実際に私に指示を出して経営に関わっているんです。……まぁ、いくら彼女でも細かい内部情報までは流石に言えませんけどね」


綺麗な笑顔で応じる愛の言葉は瞬く間に拡散された。『水無月碧は誰だ?』『女子高生社長、阿笈愛の恩人は小学生!?』など、Moonallによっても広まった碧の存在だったが、本人が“橘水咲”として暮らしていることと二度目はないと誓った由依が徹底的に隠していることが相俟って、その素顔が世間に露呈することはなかった。


それこそ、碧の計画の一部だった。

お読み頂きありがとうございます。


カットした碧と愛のやり取り

「ねぇ、愛さん」

「碧さま、私のことは『愛』とお呼び下さい」

「そういうのは好きな人にしか言っちゃいけないんだよ?」

「ふふっ、どこでそんなこと覚えたんですか? 大丈夫です、私が好くのは碧さまだけですから」

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