ー 2 ー 水咲の日常
「すーいちゃん、おはよ!」
教室に入ると、同じクラスの九谷紫礼が碧の元までやって来た。背中の中程まである長髪を二つに分け、肩の辺りまで緩く三つ編みにして前に流している。紫礼とは昔から一緒に遊んでいる幼馴染且つ親友で、“すいちゃん”とは水咲の“水”から取って紫礼が命名したあだ名だ。
「おはよう、紫礼。朝からテンション高いねー」
窓際の自席に荷物を降ろしながら紫礼を見ると、ぱたぱたと手を振って笑っていた。
「いや、これ空元気。明日模試だって、高校入試対策の」
「嘘っ!? 聞いてないよ?」
「あー、その日すいちゃんいなかったかも」
恐らく告知と共に学年掲示板にも情報は貼り出されていた筈だが、基本的に必要最低限のことしか熟さない碧である。呆れたように笑う紫礼だが、結局は問題なく乗り切ることを二人とも分かっている。
「模試嫌なんだけど……え、でも明日土曜日だよ?」
「月曜日に代休あるって。だからさ、来乃波も誘って遊びに行こうよ。ショッピングとか」
「良いねー」
模試に関する心配事は面倒であるということ以外ないため、話題はその後の話に移っていく。
最近の碧は“仕事”に時間を割いていて友だちと遊ぶ時間がなかったため、久し振りに空いた時間とそこに被った休みを使わない手はない。紫礼からも快諾が得られたため放課後にでも来乃波に声を掛けてみることにする。
教科書類を机の中に仕舞いリュックサックを横に掛けると、丁度プリントが回って来た。
「うわぁ、志望校の決め方だって……」
憂鬱そうな紫礼の声には同意だが、年明けには高校受験があるため学年が上がってからはそういった内容の説明会が何度か行われている。
そうこうしているといつの間にか予鈴が鳴っていた。
窓の外に目を向けると、紫陽花の葉の上に乗ったかたつむりが雨を求める様に触角を伸ばしている。窓から入ってきた風が碧の前髪を僅かに揺らす。
今年の梅雨は極端に雨が少ない。年々季節の変化に異変が起きている。
いつも通りのホームルーム、いつも通りの授業。
いつも通りが長く続かないのは、碧自身が良く知っている。
口から溢れそうになる溜め息を呑み込んで、碧は今日も“橘水咲”の人生を送る。
・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・
授業が終わり、掃除を手早く済ませた碧は紫礼と共に昇降口の隅で雑談をしていた。と言っても碧は主に紫礼の話を聞くだけだったが。弓道部の紫礼は肩に矢筒を掛けている。傍を通り過ぎる生徒たちを横目に時間を潰していると、後ろから誰かに抱きつかれた。
「近いよ、来乃波」
ふわりと揺れるショートカットと蛍光色のスニーカーがよく似合う彼女は、碧と紫礼の親友の櫻井来乃波だ。二人とは別のクラスの来乃波とはこうして昇降口で落ち合って毎日一緒に下校している。
「そんなこと言わないでよ。あたしはこんなに会いたかったのに!」
「まぁまぁ来乃波」
よしよしと紫礼に背中を撫でられている来乃波はどこか猫を彷彿とさせる。進級してクラスが分かれたことで学校では会う機会が少なく、会えても一言二言交わすのが精々なので来乃波は最近やたらと距離が近い。機嫌を直す様に紫礼が声を掛けた。
「朝すいちゃんと話してたんだけど、明日の模試の代休があるらしくてね。月曜日三人でどっか行こうよ」
「行く! 部活ないし!」
一瞬で上機嫌になったことに安堵しつつ、碧はお詫びとばかりに来乃波にオレンジキャンディーを渡した。美味しそうにそれを口の中で転がしている。
家に着くまでにどこに行くか決めようと昇降口を出た所で、「橘さん!」と言う声が聞こえた。振り返ると何度か話したことのある同級生の男子が立っていた。
(うわ……)
「蓮くん!」
(……薪原くん)
紫礼の華やいだ声とは対照的に、碧の気分は下がっていく。どうしたのかと思って尋ねると、月曜日の予定を聞いてきた。何かに誘うつもりだったのだろうが、丁度紫礼と来乃波と約束をしたところだったため「三人で遊びに行くつもりなんだ」と答えた。少し寂しそうな蓮に若干の申し訳なさは感じるが、どうすることもできない。しかし紫礼の発言に碧は驚く。
「じゃあさ、蓮くんも一緒に行かない?」
「いや紫礼、流石に女子三人の中にっていうのは気不味いんじゃない?」
「良いの!?」
紫礼の耳元で碧が囁くのと蓮が返事をするのはほぼ同時だった。
(あ、良いんだ?)
本人が乗り気なのでこちらから誘った以上無理に断る理由もなく、女子会の予定が何故か蓮が加わり四人で遊びに行くことになったのだった。
お読み頂きありがとうございます。
一気に登場人物が増えました。




