悠久の栄光
悠久の栄光
1章 アーサーの思い
運命とは、決して抗えないものであり僕を構成する定めだった。アーサーの為に僕は全ての力を持ってして、かけがえのないものを守ろうとした。アヴァロンの湖に向かう道中で、彼の体温が静かに冷え切っていくのを感じながら、僕は運命に抗おうと何度も何度も彼を支え続けた。
「…言わせてくれ、お前に一度も言っていなかった」
アーサーは意識を手放す前に最後の力で僕に告げた。僕はアーサーの体の力が消えていくのを冷え切った彼の体と同時に感じながら、アーサーの最期の言葉を呆然と聞いていた。
「…ありがとう」
僕の中で静かに、目を閉じた彼を見て全ての彼の運命が終わったことを知った。
マーリンは弱り切ったドラゴンを呼ぶと、静かに眠るアーサーを抱えながら、アヴァロンの湖に立つ。
ギルガラーはマーリンに告げた。「残念だがもう手遅れだ」と。
それでも僕はその言葉を到底聞き入れることなどできそうにもなかった。
「……魔法の剣で刺された傷は、並大抵の魔法によっては治せない。そうガイアスは言っていた」
「…マーリン」
「……僕はアーサーを救うよ。僕の定めはまだ終わっていないのだから」
「無謀な真似はよせ、マーリン」
ギルガラーが低く唸ったが、マーリンはただアーサーを見つめ、アーサーの頬に触れながら淡々と呟く。
「太古の魔法、それを使えばアーサーは治せる。でも僕にはそれを使うことはできない。何故なら太古の魔法には強力な魔力か、代償が必要だからだ」
「それは命だけでは済まない話だ。マーリン、一体何を代償とするつもりだ?」
「……僕にとっての全てだ。それは魔法でも僕自身の命でもない」
マーリンは静かに自身を見つめるドラゴンを見ると、切なげに、それでもハッキリとした強い意思を持った目でドラゴンに全てを告げる。
「僕がアーサーと…キャメロットで過ごした全ての日々だ」
マーリンは低く魔法を詠唱し始める、アーサー自身の体と、マーリン自身の体が淡く光初め湖全体を包み込む。ギルガラーは悲しみに満ちた目をマーリンに向けていたが、マーリンは笑みを見せ、目をゆっくりと閉じた。
気づいた時には、全てが光に包み込まれていた。前に父上に会う為に来た黄泉の世界と何処か似ている様に思える。下を見ると、ゆらゆらと水面が揺らめいていた。この現実とはかけ離れた光景を見て、ああ、自分は死んだのだと。頭の片隅で密かに思った。
アーサーは一歩踏み出そうと前を見据える。自分の役目はここで終わったのだと妙に悟りきった頭の中で、キャメロットの全てと、最期に見た彼を想った。
「…アーサー」
幻聴かと思った。彼がこんな場所に居るはずがない。幻聴であってほしいと願いながら、アーサーはゆっくりと振り向くと、そこには馬鹿でも弱弱しくもない、己が守らなければいけない存在どころか、いつも傍で己を守り続けていた偉大な魔術師マーリンが柔らかい笑みを浮かべていた。
「…マーリン?」
「アーサー、僕は僕自身に約束をしたんだ。貴方を守ることを」
「…マーリン」
「僕は約束を絶対に破らない。それは貴方も分かっているでしょう?」
マーリンはゆっくりとアーサーに近づいた。その足取りはいつも荷物持ちをさせられながらも自身の傍についてきた、あのマーリンのものではなかった。
「貴方はこれから偉大な王となる。直に永遠の王と呼ばれるようになるまで貴方はキャメロットを統治し続ける。だから、僕に着いてきてほしい。どうかこのまま」
「……マーリンこれは一体どういうことだ。俺は確かに死んだはずだ、何故お前がここに居る?」
やっと投げかけられた疑問に、マーリンは何も答えずただ頷き、自身の後ろを指差した。
「貴方が行くべきところはその先じゃない。僕の後ろだ。僕を信じて真っ直ぐに進んで。そうすればキャメロット…貴方の王国に戻れる」
「マーリン、話を聞いていたか?命令だ、マーリンお前がここにいる理由を教えろ」
「ここは死海との狭間です。法律は効きませんよ。……僕がここに来た理由は、貴方を助け、導く為です」
いつの間にか掴まれていたマーリンの手に引かれて、アーサーは先程まで向かおうとしていた先とは反対方向に歩きだす。マーリンの背中は全てを物語っていた。自分の身に起きた事と、マーリンが何を想ってここまで来たのかを。世界の端とも思える、より一層光が漏れた場所に着くとマーリンふいに振り向いた。
「アーサー、この先です。さあ行ってください」
「……マーリン、お前が先に行け」
「僕はアーサーを導く為に来たのですよ?貴方がしっかりとこの先に行けるか見届けてから、僕も行きます」
「……それは俺との約束か?」
アーサーはマーリンをしっかりと見つめる。瞳同士の視線がぶつかり合うと、マーリンは笑みを見せた。何もかも分かり切ったような顔をして、俺がまるでその言葉を言うのを待っていたかのようにマーリンはゆっくりと口を開く。
「…はい、アーサー」
「……必ず、来い。これは命令だ」
アーサーはマーリンの肩に触れると、マーリンより先へ足を踏み出した。その瞬間今までの光景が遠ざかっていくのを意識的に感じ、後ろからマーリンの声が静かに響き渡る。
「さよなら、アーサー」
マーリンの方へ振り向く寸前で、全ての光は消え去っていく。目に見えない力に強く引っ張られ、その力に逆らうことは最早不可能だった。
アーサーがやっとの思いで最後に言葉にできたものは「マーリン」と。
ただ彼の名前を叫ぶことしかできなかった。
目が覚めた場所は、先程までいた場所とは打って変わっていた。アーサーは妙に軽く感じる自身の体を起こすと、直ぐに周りを見回した。湖が先に目に映り、その傍にはマーリンが倒れている。アーサーはすぐ後ろに居るドラゴンの存在にも気づかぬまま、マーリンに走り寄ると直ぐにマーリンを抱きかかえた。
「……マーリン!」
名前を呼んでも、マーリンは瞼一つ動かさない。アーサーが何度叫んでも、マーリンは「アーサー」と自身の名を返してはくれない。アーサーがマーリンを力強く抱きしめると同時に、背中の視線から以前に見た存在を感じ取る。反射的にマーリンを抱えたまま傍に落ちていた剣を構えた。
「永遠の王よ、マーリンはまだ生きている」
「……お前は…キャメロットを襲った、いや、あの時俺が撃退したあのドラゴンか!」
「残念ながら、アーサー、お前が撃退したのではない。マーリンによるものだ。分かったのなら、私の助言をよく聞いた方がいい」
マーリンはこのドラゴンは俺が撃退したのだとあの時に伝えていた。だが、あの老魔術師がマーリンだったというのならば全てが納得いく。あの老魔術師はドラゴンに向かって聞き取ることのできない言葉を使って、ドラゴンの動きを止めさせていた。アーサーがようやく剣を下すと、ドラゴンは死んだようにアーサーの胸で横たわるマーリンを見据える。
「一刻も早くマーリンを救いたければ、私の背に乗るがいい。昔のようには行かないが、キャメロットまで連れ帰ってやろう」
「…何故お前がそんなことをする?」
「マーリンを救うためだ。私のドラゴンとしての使命もまた、別にあるのだ」
最後のドラゴン使いであるマーリンを救うこと、それはドラゴンとドラゴン使いの間に定められたもの全てであった。アーサーは警戒心を崩すことなく、ドラゴンに一歩近づく。すると瞬く間にマーリンごと口に咥えられてしまいアーサーは焦ったように声を出した。
「何をするんだ!」
「これが一番早い」
ドラゴンは低く唸ると、弱り切った翼を一心に広げて空に飛び立った。見た事もない光景が目の前一杯に広がり、アーサーは何も言う事が出来ずに広がる光景をただ呆然と見つめていた。
***
キャメロットの城に戻る直前、ドラゴンは静かにアーサーに告げた。
「マーリンは生きている。これから定めを終えたマーリンが、どの様に変化していくのかは、全て永遠の王…お前次第である」
その言葉は妙に頭の中に残った。自らの手の中で眠るマーリンを見て直ぐにドラゴンの方に振り向いた時には、既にドラゴンは空に飛び立っていた。アーサーはドラゴンの背を静かに見つめると、マーリンを抱きかかえたまま森を走り抜けた。
城に戻ると瞬く間に事は進んだ。死んだと思われたアーサー王が帰って来た。国中は歓喜に満ち溢れた。目の前には泣きながらも自身を抱きしめる王妃グィネヴィアの姿と、我が仲間である騎士達の姿だった。久しぶりに戻った城で真っ先にやるべきことは、自身の体の疲れを癒すことではなく、ガイアスに預けたマーリンの様子を伺うことであった。
「マーリンは目を覚ましたか?」
「いえ、まだ目を覚ましません。陛下」
城に戻ってから1カ月が経った。アーサーはその間ずっとガイアスの元に通い続けた。マーリンは息をしながらも一向に目を覚まそうとしない。確かに脈を感じ、マーリンは生きている。何故目を覚まそうとしないのか、マーリンが一体何をやったのかアーサーは何処かで検討がついていた。
「ガイアス、すまない。マーリンは俺の為に全てを投げ打ったのだろう」
「…陛下が謝られることはありません。マーリンが全てを決めてやったことなのですから」
「…そうか、俺はまずマーリンに謝らなければならないな」
アーサーはフッと微笑み、眠るマーリンの髪に優しく触れると少しだけマーリンの瞼が動いたが、アーサーはその変化に気づかなかった。
それからまた日が暫く経ち、その間もずっとアーサーはマーリンの元に通い続けた。何度来てもマーリンの様子は変化しない。ただ静かに眠っているだけだ。その度に落胆の表情を見せるアーサーに、ガイアスは何度も慰めの言葉を掛ける。
「マーリンの脈は安定しており、体にはいたって目立つ外傷はございません。本来ならばいつ目覚めてもおかしくないはずです」
「…そうか」
「…陛下」
マーリンの髪に手を掛け、何度もその髪を梳く。人の体温を感じとることのできる頬を触り、動くことのない目の下を軽く撫でると、アーサーは何も言わずにマーリンに背を向ける。
また明日、マーリンの元へ行こう。明日こそはマーリンが目を覚ましているかもしれない。
未来を信じなければ、アーサーにはこの場に平然と立っていることさえ、出来そうにもなかった。
マーリンが眠りはじめてから、三カ月が経った。その間にも王国は進み、様々な問題が起きた。従者は城に新しく来た若い男の従者を傍に就かせている。しかし夜になればすぐに下がらせていた。グィネヴィアにでさえ「一人にならせてくれ」と伝え、アーサーは只一人部屋から窓を眺めていた。
「………」
何も言わずに、夜の窓を見つめる。いつもの様に「ほら、早く寝て下さい。蝋燭が勿体ないですから」と言った小言は聞こえてこない。朝になれば乱暴に俺を起こし、てきぱきと服を着せ、「完璧ですね」と笑うマーリンは何処にもいない。マーリンをあんな形で眠らせた全ての原因は俺にある。あれから魔法に関しての考えを少しずつ変えた。残酷な迫害はやめ、全てを見直す必要があった。その為にはマーリン、彼の存在が必要であった。
「…そうだ、今目を覚ましているかもしれない」
一度そう思うとアーサーは居てもたっても居られなかった。今行けばマーリンが「約束だったでしょう?」といつもの笑みで迎えるような、そんな希望が満ち溢れる。アーサーは直ぐに自室の扉を開けると、走り出した。
静まり返ったガイアスの部屋の扉を叩くと、直ぐに扉は開いた。今にも寝ようとしていたのか、寝間着のままでガイアスは驚いた様に此方を見ている。
「陛下どうされましたか?」
「…マーリンは、マーリンはどうなった?」
「…今朝と変わらず眠り続けております。陛下、あまりマーリンのことを気になさると貴方も体を壊されます、どうか私に任せて下さいませんか。マーリンが目を覚ました時には直ぐに陛下にお伝えします」
「……自身の身などいい。マーリンが目を覚まして無いのならば、いいんだ」
アーサーが直ぐに後ろを振り向こうとすると、マーリンの寝室の方から盛大に何かが転げ落ちたような、ガン!と強い音が響き渡る。アーサーはガイアスと思わず目をパチリと合わせる。
「まさか侵入者が…陛下?」
「俺が様子を見て来よう」
アーサーは近くにあった箒を手に持つと、静かにマーリンの寝室の方へ歩み寄る。扉に耳を抑えつけ、中から何も物音がしないことを確認する。後ろに立つガイアスに目を向けると、静かに頷いたと同時に扉をバンと強く押し明けた。
「誰だ!」
「うわあ!」
暗くてよく見えない寝室に、間抜けな声が響き渡る。扉を開けたと同時に光が差し込んだ寝室にはよく見知ったマーリンが背中を向けて立っていた。背中に当てられた箒を剣と勘違いしたのか、マーリンの体は微かに震えている。
「僕は…気づいたらここに居て…怪しい者ではないんです。それよりもここは…うわ!」
「マーリン!」
アーサーは直ぐに箒を投げ捨てると、マーリンを後ろから力強く抱きしめた。隣にいるガイアスはまだ驚いているようだったが口元は満面の笑みを見せている。抱きしめたマーリンから離れ、マーリンを正面に向けさせると、マーリンは目をいっぱいに広げて此方を見つめた。
「ああ、マーリン。駄目な従者…いやお前のような従者を無くしたかと思った。あの時何度も命令と言ったのに、お前は聞こうとしなかったからな。その見返りを求めたいところだが、お前は思ったよりも俺のことを救ってくれていたようだ。だから全てを含めて今回のことはなかったことにしてやってもいい」
「……あっあの…僕は…」
「二日休みをやると言ったな。あれは本当だ。二日と言わず、お前の体力がつくまでずっとここに居ていい。これは中々お前に与えたことのないチャンスだ。それとお前の今後についてだが…」
「お願いですから僕の話を聞いてください!」
アーサーがマーリンが目を覚ましたら真っ先に伝えたかったこと。その全てを話している途中で、マーリンは突然アーサーの言葉を遮った。アーサーが瞬きを何度かすると、マーリンはもう一度周りを見回し、ガイアスの存在に気づいてもなお表情を変えることもなく、淡々と呟く。
「ここはどこですか?…それに貴方は誰なんですか?僕を知っているのですか?」
「…マーリン?」
「僕は気づいたらここに居た。貴方の言っている事もさっぱり分かりません。貴方の呼ぶその名前も、誰の名前ですか?」
「……冗談を言っているんだよな、マーリン」
「冗談なんか言いませんよ。この状況で…もしかすると、僕は貴方達に助けられたのでしょうか?」
アーサーは直ぐにガイアスに目を向けると、ガイアスは思った以上に深刻な表情を浮かべてマーリンを見つめていた。理由を説明しろとでも言いたげなアーサーの瞳に答えることはなくただ静かに首を振る。
「そうだとも。私達は君が道で倒れているところを救ったのだよ」
「ああ、やっぱりそういうことでしたか…でも何故貴方達に嘘の名前を教えたのでしょう?僕の名前はエムリス。それが僕の全てです」
「……っ」
ガイアスはエムリスと名乗ったマーリンを見ると息を呑んだ。「何か知っているのか?」とアーサーがガイアスに囁いても、ガイアスはそれには答えずにマーリンの方を見て頷いた。
「そうか。エムリスというのか。もう疲れただろう。休みなさい、エムリス」
「……分かりました。僕を救ってくれてありがとうございます」
マーリンはガイアスの言葉には大人しく従い、傍のベッドに横たわる。再び何かを言おうとするアーサーにガイアスは軽く首を振って制すると、アーサーを連れてマーリンの寝室から出て行った。
「ガイアス。今すぐ説明をしてくれ。マーリンに何があった?」
「…陛下にこの事実をお伝えすべきことか、私には判断しかねます」
「…言ってくれ、ガイアス」
アーサーに燃え上がるような真意を持った瞳を向けられて、ようやくガイアスはゆっくりと重い口を開いた。
「マーリンは、全ての力を持ってして陛下を救いました。救う為に使ったものはマーリン自身の魔法です。しかし、それは簡単な魔法ではなかった。本来ならばアヴァロンの湖の者でしか治せないものでした。恐らくマーリンは強力な魔法…太古の魔法を使うために、“何か”を犠牲にしたのでしょう」
「……犠牲?だがマーリンは生きている。誰かを失ってもいないだろう。マーリンの魔法は成功した」
「それは違います、陛下」
ガイアスは低い声でしかし、確かにハッキリとアーサーに告げる。静寂が訪れた室内で、ガイアスの声だけが重く響く。
「マーリンの犠牲にしたもの…それはマーリン自身の命でも、誰かの命でも、それこそ魔法ですらありません。マーリンの最も大切なものは貴方であると同時に、貴方と過ごしたキャメロットでの記憶…マーリンとして培われた記憶なのです、陛下」
「………っそんな馬鹿なことがあるか…」
「私はマーリンが眠る間ずっと考えておりました。何をマーリンが犠牲にしたのかを……マーリンの様子を見てようやく気づくことができました。マーリンの記憶の失い方は簡単なものではありません。犠牲によって失ったものは二度と戻ってはこないでしょう。もう私のことも陛下のことも、この国のことすらもマーリンには残ってはいない」
「例え全てが事実だったとしても、もしかしたらマーリンの記憶が戻るかもしれない。そうだろう?ガイアス」
アーサーは何処か縋る様にガイアスを見つめる。しかしガイアスは重い表情を崩すことなく、ただ首を振る。太古の魔法に詳しいガイアスにはマーリンの犠牲の大きさを直ぐに理解していた。全てを失ったマーリンがエムリスと名乗ったのは、それが本来のマーリンの名だからだ。マーリンの存在そのものがエムリスであり、それは永久に変わることがない。きっとあれが本来のマーリンの姿なのだろう。
「…俺を迎えにきたマーリンは全てを覚悟していたというのか?記憶を無くしてまで、何故そこまでマーリンは俺に尽くそうとしたのだ」
「…貴方だからです。陛下。以前お話しされていた死海の狭間の世界で会ったというマーリンは、陛下の仰る通り全て覚悟していたのでしょう。マーリンは最後に何かを貴方に伝えませんでしたか?」
「……さよならと…ただ別れの言葉を言っていた」
「それが、答えなのでしょう。一旦陛下もお休みください。また明朝、マーリンに全てを伝えなければなりません」
アーサーはただ呆然と、ガイアスに言われるがままに部屋から出る。ガイアスの部屋の扉が閉まっても尚、アーサーはガイアスの言葉を受け入れられずに居た。
あの馬鹿な…いや、ずっと、俺に魔法使いであることを明かさず、ただ馬鹿な従者だと思われ続け、見返りすら少しも求めずに傍に居続けたあのマーリンが、記憶全てを失ったなど、そんな馬鹿な話があるはずがない。「貴方に仕えるのが僕の定めであり、それは僕の誇りです」そうマーリンは最後の野営地で語った。あの言葉が何故か頭の中で蘇る。
ぽたりと自然に落ちる涙をアーサーは抑えようとはしなかった。
涙は頬を伝い、自身の顔を濡らした。しかしアーサーは拭わずに、ただ一点に前だけを見つめていた。
翌日の早朝、ガイアスの元を訪れると「マーリンはまだ眠っております」とだけ伝えられ、アーサーは近くの椅子に座り、滾々とマーリンが目覚めるのを待っていた。
「陛下、マーリンはいつ目覚めるか分かりません。マーリンが目を覚ましたら直接私が陛下にお伝えしましょうか?」
「いや、ここにいる」
昨夜は少しも眠れなかった。寝室に戻ると、グィネヴィアが起きており、己を労わる言葉を掛けられたが、それに上手く返事すらできなかった。早朝、未だ眠る王妃を置いて、ただ一目散にマーリンの元へ向かった。今更マーリンを待つ時間が少し増えようと関係がない。此方は三カ月もずっとマーリンの目覚めを待ち続けていたのだから。
「………おはようございます」
突然気配もなく後ろから声が聞こえ、アーサーとガイアスは驚きながらも後ろを振り返った。マーリンは寝間着のままで何処か落ち着かない雰囲気で立ち尽くしている。きょろきょろと忙しなく見回しながら、此方に一歩近づいた。
「あの…ここは何処なのですか?珍しい薬みたいなものが沢山ありますね」
「ここはキャメロットの城だ、マーリン」
「…僕の名前はエムリスって言った筈ですが…」
「お前の名前など、今更変えた所でどうにもならない。お前はマーリンだ」
アーサーは立ち上がってマーリンに近づき強い瞳でマーリンを見下ろすと、マーリンはびくりと肩を揺らす。何故かアーサーにだけは警戒しているのか、ガイアスに救いを求めるように目を向ける。
「あの…そこの貴方の名前は…?」
「…わしはガイアスという。エムリス」
エムリスという名前で呼ばれると、マーリンは何処かホッとしたような表情を見せ直ぐにガイアスの元に近づく。それに気に入らなかったのか、アーサーは咳を軽く鳴らした。
「マーリン、何故俺の名前を聞かない?」
「……いつまでたっても僕を別の名前で呼ぶからですよ。僕はエムリスです」
「…そういう所は少しも変わっていないな」
アーサーは溜息を軽くつくと、ガイアスの後ろに隠れてしまったマーリンの目の前に立ちマーリンに分かる様に、ゆっくり話し出す。
「俺はキャメロットの王…アーサーだ」
「貴方が王?キャメロットとは、国の名前ですか?」
「…いいからそのまま聞け、マーリン。お前は俺の従者だった。長年仕え、俺の傍にずっと居た。それはこれからも変えるつもりはない。お前は俺の傍に居て貰う」
「……アーサー、そう言いましたね。アーサー、貴方が王だというのは分かりました。ですが、僕が貴方の従者だったことは覚えがありません。人違いでは?」
アーサーは直ぐには答えられなかった。久しぶりにマーリンの口から聞こえた自身の名前が胸に染み渡るように響いていたからだ。突然黙り込んでしまったアーサーに不審な目をマーリンが向けると、ようやくアーサーは口を開く。
「…人違いではない。お前は確かにずっと俺の傍に居た。それは城中の者が知っていることだろう。お前ももう体が動かせるのなら、俺についてこい」
「……まだ体が思うように動いてないんですが…」
「いいから、来い。マーリン。準備ができるまで俺はここで待っている」
ガイアスは思わずアーサーに無理をさせるべきではないと伝えようとしたが、アーサーの余りにも真剣な瞳を見て、その言葉を伝えるのはやめておくことにした。アーサーの有無を言わさずの言葉にマーリンは「僕が何故、貴方の言うことなんかを…」と嘆いていたが、次第に諦めたのか、「服はどこです?」と軽い調子でガイアスに聞く。
「…エムリスの寝室にある」
「…僕の?」
「…使っていた寝室にな」
「ああ、助かりました。ありがとう、ガイアス」
マーリンは直ぐに寝室へと入って行く。こうしていると本当にマーリンが無事に戻って来たと錯覚させられる。もうマーリンには記憶どころか、あの様子では自分が魔法使いということさえ忘れてしまっているのだろう。それでもマーリンの笑顔を見ると、その考えは信じがたいことであった。それはアーサーも同じようで目を少し細めて、マーリンの寝室を見つめている。
少しの時間が経ち、いつもの姿で出てきたマーリンに、尚更その考えを止められそうにもない事実にアーサーもガイアスも顔を少し顰めたが、マーリンだけにはその表情の真意が少しも分からなかった。
***
アーサーという男に連れられて、城内を歩いていると道行く人々から声を一心に掛けられ続けた。
「マーリン!もう体は大丈夫なのかい!?」
「マーリン、心配したぞ」
召使の様な人ばかりに声を掛けられたが、恐らくこの城の騎士である者でさえ、驚いた様にマーリンへ直ぐに駆け寄った。何度も頬を触られたり、頭を撫でられたりした後から知らない名前を呼ばれ、感嘆の声を上げる。
「これは、ガウェインが驚くだろうな。あいつはずっとお前のことを心配していたから」
すぐに騎士が走り去ってしまうと、何処からか女性にモテそうな顔をした男を連れてきた。
少し足を引きずっており、怪我をしていることが直ぐに分かった。
「マーリン!またお前の顔を見ることができるとはな!」
「……うわ!!」
ガウェインはマーリンをきつく抱きしめる。マーリンは直ぐに隣にいたアーサーを見たが、アーサーは表情を変えずに、ただ此方を見つめるだけだ。じたばたとガウェインの腕の中で暴れていると、ようやくガウェインは異変に気付いたのか、マーリンから離れる。
「マーリン、どうした?嬉しくないのか?」
「……あの、貴方は誰ですか。それにその先程から僕に言う名前は僕の名前ではありません。…僕は―――」
「もう行くぞ、マーリン」
マーリンの言葉に呆然と目を見開くガウェインの横を通り、マーリンの腕を掴んだまま城の廊下を進んで行ってしまう。ガウェインは何とか呼び止めようとしたが、マーリンからの受け入れがたい言葉に声すらも出なかった。マーリンの声の音色から、あの言葉が冗談によるものではないと気づいてしまったからだ。
アーサーという男は何も言おうとはしなかった。僕が知らない名前を呼ばれ抱きしめられたり、頭を触られたりしている時もただ黙って見ているだけだ。僕は一体何をさせられているのか。まるで僕が僕ではない「マーリン」という別の人物になってしまったかのようだ。僕はエムリスであり、それは遥か昔から決まっていた。僕を今構成しているのは、その事実だけだった。
最後に着れて来られた先は、何てことのない城の一室であった。豪華なベッドに豪華なテーブル。その部屋は高貴な者が住んでいる場所だということが一目でわかった。
「ここは王の寝室だ。ここでお前と多くの時間を過ごした。お前はいつも従者の癖に俺に小言ばかり言っていた、大層駄目な従者だった」
「…僕はその従者ではないですけど、何故か苛つきますね…」
「…お前がその従者だ。マーリン。お前は駄目で馬鹿で、いつもフラフラとしていた。……だがお前は妙に頭がいい時があった。今思えばそれが全て物語っていたと痛感させられる。お前は誰よりも頭が良く、俺のかけがえのない友だった」
アーサーは未だに言葉を理解していない、三カ月も眠っていたからか前よりも更にやせ細ってしまった様に見えるマーリンを、突然強く抱きしめた。誰もいない室内に、アーサーの息遣いだけが耳から聞こえる。マーリンは突然の抱擁に何と言っていいか分からず、少し体を強張らせた。
「……アーサー?泣いているのですか?」
「……黙っていろ、マーリン」
「でもどう見ても泣いて…」
「マーリン」
マーリンはきつく抱きしめた腕を解くと、マーリンを真っ直ぐに見据える。その瞳にはやはり涙が溜まっており、マーリンは目を見開いた。
「何で貴方が泣くのですか?」
「お前が馬鹿だからだ。どうしようもない馬鹿だ、お前は…」
アーサーはそう言うと、少し震えたその体でもう一度マーリンを抱きしめる。自身の悪口を言いながらも、何故そこまで強く抱きしめるのだろうか。嗚咽を噛み殺し、アーサーは静かに泣いていた。マーリンは何と言っていいか分からずに、ただアーサーの抱擁を受け入れることしかできない。震えるアーサーの背中に腕を回すと、ゆっくりと背中を叩く。
「…マーリン?」
「こうすると少しは落ち着くだろうと思って」
「…そのまま止めるなよ、マーリン」
アーサーはやはり命令口調で、マーリンを抱きしめ続ける。抱擁の意味はアーサーにとって、マーリンが眠りについてから異様に長く感じた三か月間の間の喪失感を埋める為、マーリンの温もりを感じとる為であった。
ようやく落ち着いたアーサーにマーリンは静かに「子供みたいですね」と笑った。アーサーはそれに何も言い返すことが出来ず、きつくマーリンを睨み付けると、マーリンは肩を少し竦める。
「貴方は、初対面の僕に偉そうに命令口調だし、一体どんな性格をしているのかと思いましたが、そういう感情的な所もあるのですね」
「…マーリン、これ以上言うとお前の首がなくなるぞ?」
「やっぱり貴方はとても傲慢で乱暴的な性格だ」
マーリンは直ぐに言い直すと、物珍しそうにあたりを見回す。この部屋に入って来た途端にアーサーに抱きしめられたから、よく部屋の中は見ていなかった。
「そういえば、貴方は王様なのですよね。王妃は居るのですか?」
「ああ、王妃は居る。お前に会わせてやってもいいだろう。間違えても惚れるなよ」
「…僕は興味本位で聞いただけですが…会わせてほしいとは一言も…」
「もしかすると、お前の記憶が戻るかもしれないからな。お前の近しかった者には全て会わせるつもりだ」
アーサーはマーリンの手をもう一度掴むと、部屋から出て暫く経ってもその手を離そうとはしない。道行く人に、驚いた様に視線に送られる。その視線に耐えきれずにマーリンはアーサーの手を離した。
「…マーリン?」
「あの、手そろそろいいかと思いまして」
「手…?ああ、そういえば握ったままだったか。…だが手は握ったままにしていろ。お前は鈍くさいのだから、直ぐに何処かへ行くだろう?」
「さっきから聞いていれば僕をけなしているのか、褒めているのか分かりませんね」
「…いいから行くぞ」
マーリンの手を引き、アーサーは城内をただ突き進んでいく。道行く人の好奇心を含んだ視線にも気づいていないアーサーは、何かを耐える様な目つきで真っ直ぐに目の前だけを見つめていた。
「グィネヴィア入るぞ」
王妃がこの部屋にいると言われ、アーサーは中のグィネヴィアに声を掛けた。中々中に入ろうとしないマーリンに痺れを切らして、アーサーは背中を押す。勢いよく前のめりになったまま部屋の中に入ったマーリンは、目の前の黒髪の女性に気まずそうに目線を合わせた。
女性はマーリンの姿を見ると大層驚いた様に信じられない物でも見るかのような目つきを浮かべた。
「マーリン!?」
「あっ貴方が王妃様ですか…僕は…そう!挨拶をと思いまして…」
「……マーリン?何を言っているの?……アーサー、これは一体どういうことなの?」
「…いずれ皆を集めて説明するつもりだ。今はお前だけに話しておきたい」
マーリンはグィネヴィアを見ても、ただ王妃としか認識しなかった。マーリンを不審気に見つめるグィネヴィアを見て、アーサーは静かに呟く。
「マーリンは記憶を無くしている。この王国での全ての日々の記憶をだ」
「……そんな…」
「俺も最初は信じられなかった。…マーリンが記憶を無くしたのは俺のせいだ」
「…何故貴方のせいなの?マーリンがあの戦いで負傷したからなのでは?」
「いや、違う。あの時マーリンは一つも傷など追っていなかった。寧ろ重症を負っていたのは俺の方だ。マーリンは………」
「アーサー」
先程までしどろもどろと落ち着きのない様子だったマーリンが突然口を開いた。マーリンは首を傾げ、淡々と話す。
「…何故、今僕は貴方を呼んだのでしょう?」
アーサーは直ぐに口を閉ざすと、マーリンを真っ直ぐに見つめる。静まる室内の中、アーサーの胸は妙に高鳴っていた。まるでマーリンがいつもの様に俺を呼んだのかと錯覚した。今のマーリンの言い方は、記憶を無くす前のマーリン、そのものだった。
マーリンの記憶を取り戻せるかもしれない。
アーサーの目は再び、希望を取り戻し始めていた。アーサーにはマーリンの記憶がなくなり、全ての日々がマーリンから消え去ったなど、信じられる話ではなかった。アーサーが希望に満ちた表情を見せる中、グィネヴィアは静かに記憶を無くしたマーリンを見つめていた。その瞳は何処か寂しげに、どんな時でもずっと彼の傍に居続けたマーリンだけを確かに捉えていた。
ようやくアーサーから解放されたマーリンは、ガイアスの元に戻って来た。
「ガイアス、助けてくれてありがとうございます。今までお世話になりました」
扉を開けるなり早々マーリンは早口で言い外に出て行こうとしたので、ガイアスは何事かと直ぐにマーリンを引き止める。
「僕はあの方の従者など出来そうにもありません。確かに皆から慕われている王様のようでしたが、僕には何故彼が王をやっているのか、分かりません。彼はことあるごとに僕の悪口ばかり言うのですよ。全て命令口調なのも、幾ら王だからと言ってもあんまりだ。それに僕を見る度、別の名前を呼ぶ人達も可笑しい。僕はエムリスだ」
「…エムリス。……こうしていると昔を少し思い出す」
「ガイアス?何か言いましたか?」
ガイアスが静かに微笑んだのを見て、マーリンは首を傾げる。ガイアスは直ぐに何でもないと訂正を入れると、マーリンの肩に手を置いた。
「エムリスなら、従者を務められるだろう。エムリスは見かけよりもずっと強いのだから」
「僕が強い?」
「今は分からないかもしれないが、時が来れば知る事になるだろう。その時までは自分を信じなさい、エムリス」
「……ガイアスもあの王の従者になることに賛成なの?」
「…これはエムリス自身が決めることだ。よく考えてみるといい」
ガイアスは何度も頷いてから、何処からかスープの入った皿を持ちテーブルに置く。マーリンは突然のことにただ目の前に置かれたスープを見下ろす。
「ずっと眠っていたのだからお腹が空いているだろう」
マーリンは眠る間、息をしてはいるが体自身の時間は時が氷ついたようにそのままであった。髪もあれから伸びてはいなく、まるで死んでいる様だった。それでも確かに体温を感じマーリンは生きているのだと、ガイアスは自身を納得させていた。ようやくマーリンが目を覚まし、その体を動かしているのを確かに見止めると、ガイアスは今すぐにでもマーリンを抱きしめてやりたい衝動に駆られていた。しかし記憶を失ったマーリンを驚かせない為に、敢えてそれはしなかった。
「ありがとうございます。ガイアスは僕に優しいですね。僕をエムリスと呼んでくれる唯一の人だ」
マーリンは嬉しそうににっこりと笑みを浮かべると、目の前のスープに口を付けた。ガイアスはひっそりとマーリンに見えない所で、涙を浮かべた。
***
翌日の早朝、ガイアスの部屋の扉が強く手で打たれると、ガイアスはすぐに目を覚まし扉を開けた。
「…陛下?」
「つい習慣でな。来てしまった。マーリンを待たせてもらうぞ」
アーサーはいつもの様に真っ直ぐにマーリンの寝室に向かうことは無く、ただ目の前の椅子に憮然と座る。マーリンが眠っている間、アーサーは一日も欠かすことなく早朝、まだ誰も城に人が居ない時間帯にガイアスの部屋を訪れていた。従者も眠る時間帯の為、どうやって自分で服を着ているのかは謎であったが。
「…陛下、もうこんな朝早く訪れる必要は無くなったのですよ」
「分かっている。だが、あいつの顔を朝一番に見ないと落ち着かなくなってしまった。そうなったのは全てあいつの責任だ。マーリンには責任を取ってもらおう」
アーサーはいつもより何処か嬉しそうに笑みを浮かべている。ガイアスはこの三カ月のアーサーのマーリンを見る度に落胆した様子をよく知っていた為、それ以上は何も言わずにただ頷く。
「昨日のマーリンの様子はどうだった?あいつは従者になると言っていたか?」
「何故自分が従者になる必要があるのか分からないと。そうマーリンは言っていました」
「……そうか」
アーサーは直ぐに考え込むような素振りを見せ、マーリンの寝室に足早に向かう。突然マーリンの寝室の扉を乱暴に開けたのを見て、ガイアスにはそれを止める時間すらなかった。
「マーリン!…マーリン!」
「……ん」
「マーリン!」
ようやくマーリンが目を覚まし、飛び起きるように起き上がるとアーサーはマーリンを睨みつけたまま、深く溜息をつく。
「従者の仕事にも来ないで何をやっている?」
「僕は従者をやるって一言も言った覚えはないですが…大体今はまだ早朝では?」
「いいから来い、これは命令だ」
アーサーはきっぱり言い放つと、マーリンより先に寝室から出て行ってしまう。マーリンはあまりのことに様子を見に来ていたガイアスとパッチリと目を合わせる。
「ガイアス、あれを許せますか?」
「わしには何とも言えんな…」
マーリンは「何で僕が…」と言いながらも、近くにあった服を取り、軽く羽織る。アーサーのもう一度「マーリン!」と呼ぶ声に、「僕はエムリスですよ!」と何度目になるか分からない訂正を入れて、早々に出て行ってしまった。
「お前の覚えていることは何だ?言ってみろ、マーリン」
「…突然何です?」
アーサーに無理やり連れられて、王の寝室に向かう途中でアーサーは突然立ち止まった。
「お前の名前は?」
「…エムリスです」
「…そこからして間違えている。お前はマーリンだ…次の質問だ。お前はどこで生まれた?」
「……生まれ?知らないですよ」
「知らない?」
マーリンの生まれはイアルドアだ。しかしマーリンはそれを知らないという。マーリンは一体何処まで忘れてしまったのか、アーサーにはそれを知る必要があった。
「僕の存在は、エムリスです。僕にとっての全てはそれだけです」
「お前の言っていることが分からん。お前の生まれはイアルドアという村だろ?」
「イアルドア?聞いたこともありませんね」
「…冗談にしては度が過ぎているぞ、マーリン」
マーリンは何故アーサーが怒ったように自身を見つめるのか、少しも分からなかった。
アーサーは深く溜息をついたまま、こめかみを抑える。首を振ってから、もう一度マーリンに目を合わせる。
「いいか、お前の家族は?」
「家族?僕に家族はいません」
「…何を言っている?」
「僕の存在そのものがエムリスだと言ったでしょう?僕は僕だけです」
「もっと分かりやすく話せ」
「貴方はきっと理解できないでしょうね、キャベツ頭の中身には何が詰まっているんですか?」
「…マーリン!」
マーリンは楽しそうに笑い声を立てる。アーサーがマーリンの頭を叩くと、「何をするんですか!」と頭を抑えた。
「…近いうちにお前を故郷の村まで連れて行く必要がありそうだな…次の質問だ、この城の中を見ても懐かしいと感じる場所は一つもなかったか?」
「そもそも僕がこの城に来たのは初めてですが…懐かしい場所などあるわけないです」
「よく考えてから答えろ、本当に一つもなかったか?」
マーリンはアーサーの質問に少し眉を顰めると、人一人通らない城の中を静かに見渡す。暫くしてからマーリンは首を振り、「ありません」とだけ答える。アーサーは直ぐに顔を顰めたが、マーリンは平然とした表情でゆっくりと歩き始める。
「それで、何をすればいいんですか?従者と言っても、色々あるでしょう?貴方の身の周りのお世話ですか?一日くらいなら付き合いますよ、陛下」
「お前にはずっとこの城に居て貰う。今部屋にはグィネヴィアが居るからな…起こすわけにはいかない。まずは鎧でも磨いてもらおうか?」
「…鎧?ああ、貴方の鎧ですか。いいですよ、それで貴方の気が済むのなら。でも気が済んだらすぐに言って下さいね。僕はここから出て行くので」
「何故出て行く必要がある?」
「僕は誰にも縛られません。僕はエムリスですから」
マーリンは此方を振り向いて、微笑んだ。その笑みはいつものものではなく、マーリンが何処か別人の様に思える。確かに口に出す発言はマーリンそのものである。だが、マーリンはこんな表情を俺に見せたことなどなかった。自身の秘密を打ち明けたあの時でさえ。
「マーリン、お前自分のことはどれだけ知っている?」
「自分のこと?」
「ああ…例えばお前の秘密とかだ」
マーリンはあの最後の野営地で、秘密を打ち明けた。「僕は魔法使い」そう打ち明けたマーリンの瞳は、切なさを含み何かを押し殺していた。昔、俺が「魔法を受け入れるべきか?」とマーリンに訪ねたことがある。その時マーリンは「魔法を受け入れるべきではない」と答えた。今思えば何故マーリンはあの答えを出したのか。
「僕はエムリスと言ったはずです。僕には秘密など存在しない」
アーサーはそれ以上何も言えなかった。やはり目の前のマーリンは、以前までのマーリンとは違うのだろうか。自分の最大の秘密さえ忘れ、誰一人のことも覚えていない。しかしアーサーには諦めきれない理由があった。何故なら、あの時マーリンが「アーサー」と呼んだ声の音色は、確かにマーリンのものだったからだ。
「…気は済みましたか?それでは貴方の鎧でも磨いてきますね」
アーサーはマーリンを睨み付けたままだったが、マーリンはそれに何とも思わずに城の中を進んで行ってしまう。マーリンにとってよく見知った城のはずなのに、マーリンの足取りは何処かおぼつかないものであった。
「やっとお前を見つけた」
「……昨日の方ですよね?」
マーリンがやっと辿りついた武器庫で出逢ったのは、昨日突然城の廊下で抱きしめてきた、女性にモテそうな顔をした兵士の男だった。兵士の男はマーリンにグイッと詰め寄ると、マーリンの直ぐ傍でジッと見つめてくる。
「…何ですか?」
「マーリン、昨日のあれは冗談ではないんだよな?本当に俺が分からなくなったのか?」
「僕は貴方を知りませんし、マーリンという人でもありませんよ」
「何てこった…」
兵士の男は唖然と口を広げたまま、頭を抑え項垂れる。直ぐにパッと顔を上げるとマーリンの両肩をがっしりと掴んだ。
「お前、まさか自分の名前すらも忘れてしまっているのか!?いや…その割に主人と一緒にいるところを見ると、アーサーのことは覚えているんだな?」
「僕はアーサー王の事を知りませんよ。この城だってこの国だって初めて見たのに、その王のことなんて知るはずもないじゃないですか。そもそも貴方は誰なんです?」
マーリンに不信感を持った瞳でジロジロと見つめられ、兵士の男、ガウェインは更に深く頭を項垂れさせる。いや、今落ち込んでいる場合ではない。何故マーリンは突然全てを忘れてしまったのか。アーサーの昨日の不機嫌ぶりは、これが原因だったのだろうか。取りあえずマーリンに不審がられない為、ガウェインは自己紹介をすることにした。
「俺はガウェインだ…よろしくな、マーリン」
「…僕はエムリスです。マーリンではないですよ、ガウェイン」
「エムリス?聞いたこともないな」
マーリンが何故エムリスと名乗るのかガウェインには検討もつかない。ガウェインの横を通り、暫く武器庫を見回し考え込んでから、ようやく目の前にあったアーサーの鎧を手に取ったのを見てガウェインは何の気なしに聞いてみる。
「また主人の鎧磨きか?」
「ええ、そうですよ」
「……お前はいつもそうやって鎧磨きばかりして、疲れないのか?」
「いつも?これが初めてですが…」
この手には引っかからなかったかとガウェインは落胆する。ほんの少しの僅かな可能性にかけて、マーリンがわざと記憶喪失の振りをしているのかとも思ったが、どうやら違ったらしい。これはじっくりとマーリンと話をする必要があるようだ。
「マーリン、今夜は暇か?暇なら一緒に酒場に行こう」
「…今夜?初対面の人にまさか酒場に誘われるとは思ってもいませんでした」
「別に特に用事もないんだろ?ならいいじゃないか」
「用事はありませんが…僕はここの王の言いつけが終わったらこの城から出て行くつもりですし…」
「出て行くだって!?」
ガウェインは思わず大きく声を上げると、マーリンは手に持っていた鎧を盛大に床に落とした。鎧による金属音が武器庫中に響き渡り、反響の様に耳まで震えた。
「突然大声を出さないで下さいよ…」
「あまりにもお前が素っ頓狂のことを言ったからな…まさか本気か?マーリン」
「本気ですよ」
ガウェインが叫び声にもならない程低い呻き声を微かに上げると、訳もなく室内をぐるぐると歩き始める。ガウェインが少し足を引きずっている様子を見て、マーリンは少し顔を顰める。
「怪我ですか?」
「…ああ、これはモルガーナにな。といっても今のお前には分からないか。後少しで完全完治するそうだから、問題はないぞ?」
「大分酷い怪我だったようですね」
「…そうだな。あの時は死ぬ直前だった。助かったのはパーシヴァルのお陰さ」
「騎士にそれだけの怪我を負わせるなんて、よっぽど相手は手強い相手だったのでしょうね」
マーリンはモルガーナの名を聞いても、「手強い相手」としか認識しない。マーリンが鎧を拾い上げたのを見て、ガウェインはマーリンの肩を組む。
「酒場についてだが、また夜になったらここに来てくれ。案内するからな」
「僕はまだ了承してはいないんですが?」
「いいだろ?長い付き合いじゃないか」
ガウェインはにっこりと笑顔を見せたまま、手をひらひらと軽く振り出て行ってしまう。
マーリンは唖然と口を開き、「この城の人は強引な人ばかりだ…」と嘆かずにはいられなかった。
アーサー王の鎧を持って、マーリンが廊下を歩いていると、目の前からはこの鎧の持ち主の張本人であるアーサー自身が不機嫌そうにマーリンに近づく。
「お前は鎧を磨くのに、一体何処まで行っていたんだ?城の外まで花でも摘みに行ったのかと思ったぞ」
「この城は広いですからね。あちこち道を聞いている内に大分迷ってしまったのですよ。鎧は準備できています。僕は貴方に着せればいいんですか?」
「当然だ」
やっぱりアーサーは偉そうだ。マーリンは心の中で大きく溜息をついた。アーサーが直ぐに歩き始めたのを見て、マーリンもそれに着いていく。マーリンの頭の中は何とかこの場から逃れる方法はないものかと、そればかりが支配していた。
部屋に戻り、鎧をたどたどしい手つきでようやくアーサーに着せ終わった頃にはアーサーは既に不機嫌さを通り越しているようであった。
「お前、今の真面目にやったんだよな?」
「ええ、そうですよ。鎧を誰かに着せたことなど一度もないもので」
「そんな馬鹿なことがあるか、お前は毎日…」
「僕は貴方の様に一方的な考え方を持っていないので、誰かができないことを非難したりもしませんよ」
マーリンが最後に、アーサーの赤いマントをアーサーに付けようとアーサーの後ろに行こうとすると、その手は突然掴まれアーサーの方に引かれた。
「……何ですか?」
「今日、俺は遠方まで謁見に向かわなければならない。ごく少数の騎士とだ。お前も来い」
「…はあ」
「いいか、これは名誉あることなんだぞ。そのことをよく覚えておけ、マーリン」
マーリンは暫く考える素振りをしてから、先程出会った騎士の男であるガウェインを思い出した。酒場の約束は断ろうと思っていたが、今回だけは断る理由に使えるかもしれない。
「…今日は先約があるんですよ。だから着いていくのは無理ですね」
「先約?」
「ガウェインと酒場に行く約束をしているんです」
「ガウェイン?お前、ガウェインの事は覚えているのか?」
アーサーが妙に真剣な表情をして此方に詰め寄って来たので、マーリンは少しだけたじろぐ。
「彼とは初対面ですよ。彼に酒場に誘われたので…」
「お前は王の言葉よりも奴の言葉を優先するのか?」
「先に約束したのは彼です」
「…マーリン」
アーサーが「マーリン」と名前を呼ぶ時、その響きはいつも怒っているか、命令口調の時かそういう時だったが、今回は少し違ったように聞こえる。マーリンがハッとして上を見上げると、アーサーは「今すぐ準備をしろ」とだけ言い出て行ってしまう。
アーサーは誰に対してもあの酷く傲慢な命令口調なのかと思ったが、昨日一日観察しているだけでマーリンは理解してしまった。自分に向けてしか、あの様な一方的な態度を見せないと。
(でも何故僕にだけ?)
マーリンは王のベッドを少しだけ見つめて、首を動かしてから腕を組んだ。
言われがるまま馬の準備をし、途中で再び会ったガウェインに酒場の約束は無理になったと伝えてから、アーサーが馬に乗りこむと同時にマーリンも馬に乗り込んだ。マーリンの周りを取り囲んだ少数の騎士達はマーリンのことを何処か興味深そうに視線を送ったが、マーリンはその視線にすら気づかない。
「陛下、本当にマーリンの記憶が…」
「ああ、そうだ。このことはくれぐれも他言無用だぞ」
古株としてずっとアーサーの傍に着いているレオンは重々しく頷く。その横に居たパーシヴァルは物珍しそうにマーリンを見る。
「何もかも覚えてないのですか?」
「そうだ、全て忘れてしまっている。自分の名前さえもな」
馬を走らせ、たどたどしくマーリンが後ろを着いているのを確認しながら二人の騎士と、アーサーは馬を軽快に走らせる。レオンは何故記憶を失ったマーリンを連れてきたのか疑問に思ったが、アーサーのマーリンを見る目つきを見て、その理由が直ぐに浮かぶ。
もしかすると陛下はマーリンに記憶を戻そうとしているのではないか。
今回の遠征は敵国を通るわけでもなく、同盟国に向かう秘密裏の旅だ。だからこそ、陛下はよく見知ったキャメロットの道並みをマーリンに見せたいのかもしれない。アーサーのずっと傍に居たからこそ、アーサーの考えをすんなりと理解したレオンは心の中で頷いてから、馬を軽く蹴った。
陽が傾き始めると、アーサーの言葉によって直ぐに野営の準備が始まった。薪集めやら他にも様々なことをやる必要がある。マーリンが直ぐに薪を集めに行こうとすると、アーサーに声をかけられる。
「お前はこっちだ。食材の準備をしろ」
「…?はい」
二人の騎士は直ぐにアーサーの意図を理解し、率先して薪集めに行ってしまう。アーサーと二人きりになってしまったマーリンは落ち着かない表情で食材を黙々と切っていく。
「あの、アーサー」
「何だ?」
「そんなに見られると、やり辛いのですが…」
「そうか、我慢しろ」
「我慢しろと言われても…」
マーリンがアーサーの発言に心で溜息をつきながらも、ようやく全ての食材を切り終えると、アーサーは満足そうに頷く。
「お前が食材の準備している所は、久々に近くで見たが器用なものだな」
「そうですか?」
「今のは褒め言葉だぞ、マーリン」
「…ありがとうございます」
マーリンの言葉を聞くと、再びアーサーは満足そうに頷いて近くの丸太に腰を掛ける。少し経ち大量の薪と共に帰って来た騎士達の薪を使い、マーリンがぐつぐつと食材を煮込んでいると、今か今かと期待の視線を送られる。それに少し可笑しくなってしまい、マーリンがくすりと笑うと、アーサーはいち早くそれに目をつけた。
「何か可笑しいことでもあったか?」
「…いえ、まるで親鳥の餌を持つ雛みたいだなと」
「だそうだ、サー・レオン」
「全員ですよ」
きっぱりとマーリンが言い放つと、何処となく辺りは笑い声に包まれる。空気が和らぎ、今までの様にいつものマーリンが居るように思える。アーサー以外の者も、マーリンが記憶を失っているなど簡単には信じてはいなかった。しかし当の本人に、「貴方の名前は?」とまるで初対面の様に聞かれてしまい、直ぐにその考えは覆されてしまった。
食事が終わり、夜もふけたのでようやく就寝の時間となった。順番にしている番の役目は今日はパーシヴァルであり少し離れた場所に向かってしまう。アーサーは習慣でマーリンの傍に座るとマーリンを見上げた。
「毛布はどうした?」
「ここにありますよ」
アーサーに毛布を手渡してから、自身も眠りにつく為に毛布を取り出す。マーリンがアーサーから大分離れた所に行こうとするのを見て、アーサーは直ぐに名前を呼んで引き止めた。
「何ですか?」
「お前は俺の傍だろう?いつもそうしていたじゃないか」
「寝る場所くらい、何処でも…」
「マーリン」
アーサーは強引にマーリンの手を引くと、自身の近くに座らせてしまう。マーリンは反論の言葉を出そうとしたが、アーサーが早々に毛布を被り、目を閉じてしまったのを見て、仕方なくアーサーの傍で毛布を被る。
「貴方は本当に強引だ」
マーリンが呟いた言葉にも、アーサーは聞こえているのか聞こえていないのか一度だけ寝返りをうつだけで、何も返そうとはしなかった。
夜中あまりの息苦しさにマーリンは自然と目が覚めた。息苦しさの正体が直ぐに目に入ると思わずギョッと目を開いたまま、寸での所で声を上げるのをグッと耐える。
すぐ目の前にはアーサーが居た。寝息を立てていることから眠ってはいるのだろうが、相手の息の音が聞こえる程に距離が近い。うぐ、と声にならない息を吐いて、ようやく気づいたことはアーサーに抱きしめられているということだった。いつの間にアーサーは僕の所まで来たのだろうか。寝るときは少し離れた距離だったのに。
「アーサー」
誰かを起こさない様に、アーサーにだけに聞こえる声で囁く。しかしアーサーには聞こえなかったのか、より一層腕の力を強められてしまう。マーリンはアーサーを押し返そうとして、小さな悪戯心が沸き上がった。こっそりとアーサーの腕の隙間からアーサーの耳朶に触れる。ツゥッと一撫でしてみてからアーサーが微かに唸り声を上げたのを見て、更に行為は大胆なものになっていく。耳に触れていた手は彼の頬にまで到達し、頬の肉を少しつまんでみる。ここまでされてもアーサーが少しも目を覚まそうとしないので、少しだけアーサーの警戒心の無さに心配まで覚え始め、マーリンが彼との距離を更に縮めてみると、突然アーサーの目は見開いた。
「アーサ―…その…これは…んっ!?」
力強く、アーサーの唇が重ねられる。動揺する口元にアーサーの舌が強引に捻じり込む。微かな唾液音が聞こえ、ようやくアーサーの舌と自身の舌が絡み合ったのだと理解する。歯の隙間を撫でられたかと思うと、今度は角度を少し変えて更に深く合わさっていく。はぁと息を吐くが、それでもアーサーは唇を合わせるのをやめようとしない。
「…っぅ」
マーリンが苦しそうに体を動かすと、アーサーは力強く抱きしめていた腕の力を少し弱める。その瞬間、マーリンが身じろぎをしたのを見ると、逃さない様に、「マーリン」と耳元で低く囁く。マーリンはビクリと肩を揺らして、アーサーに瞳を合わせた。アーサーの瞳は何かに揺れている。自身をマーリンと呼んだことから相手がマーリンという人物と思っているのだろうか。
「…アーサー?」
「…マーリン、ここにいろ」
アーサーはもう一度腕の力を強めると、マーリンを荒々しく引き寄せる。最初は「王妃と間違えているのではないですか?」と冗談を言って済まそうかと思った。それが彼にとっても良いだろうと思ったから。
それでも余りにもアーサーの瞳が真剣だったから、僕はもう何も言えなくなってしまった。
ガイアス以外の城の人間は皆僕をマーリンと呼ぶ。皆が別の僕を見ている。それはもう理解していた。アーサーの呼ぶその名前は、更により強く。
僕はアーサーに抱きしめられながら、彼が「マーリン」と呼ぶ、僕とは別の存在のことをぼんやりと考えていた。
翌朝のアーサーはいたって何もなかった様にごく普通であった。準備をしてから馬で更に走らせ、同盟国に謁見をした。その間も彼はごく普通に王としての役目をしていたし、マーリンはマーリンで昨日の事には一度も触れなかった。
キャメロットに戻るまで、マーリンはあの夜のことは夢だったのではないかと考え直していた。城に着いてから、マーリンは疲れた体を引き摺ってガイアスの元に帰った。ガイアスは何も言わずに僕を迎えてくれ、本来ならばここから出て行かなければならないというのに、ガイアスの優しさに甘えてしまった。
翌日の早朝、アーサーはガイアスの元を訪れた。最早習慣化してしまったその行動をする度に、ガイアスを驚かせていた。
「マーリンはまだ寝ているか?」
「…ええ」
「そうか、あいつは何か言っていたか?」
「何か、とは?」
「いや、何も言ってないのならいいんだ」
アーサーは考え込むような素振りをして、マーリンの寝室の方を見据える。少し経ちマーリンがガイアスとアーサーの話し声に起き、半ば強引にアーサーがマーリンを連れて行ってしまうと、ガイアスはアーサーの行動の意味を考えていた。
マーリンが全てを失ってまで彼を救った。彼が魔法使いだった。その事実は彼にとってどれ程大きい出来事だったのかが分かる。悪くて死刑、良くて追放、二つの選択肢から選ばれると思っていた。それでも運命とはどのように運ぶか結末が訪れないと分からないと。ハッキリと理解した。
早朝のまだ人気のない城で、マーリンはアーサーの背中を見ながら、ふてぶてしく呟いた。
「何故僕を迎えにくるのです?」
「お前が俺の従者だからだ。言っておくが、例えお前が了承しようが、しまいが決定権は俺にある。俺は王だからな」
「…まさか毎日迎えにくるつもりですか?」
「お前が俺の元に自ら来るようになるまでな」
マーリンはアーサーの発言に、あまりにも驚いて立ち止まるとアーサーは直ぐに振り向く。
「アーサー、貴方は王なのでしょう?従者とは王に仕える者のはずです。王に仕えるべき人間に、何故そこまで?」
「…普通の従者なら話は違っていただろうな。お前は特別だからだ、マーリン……お前は何にも変えられない存在だ」
マーリンは息を呑んでアーサーを見つめた。アーサーの表情は今の言葉が真実だと物語っていて、マーリンはこの王に反抗している自分が何だか馬鹿らしいように思えてしまった。
「…分かりました。貴方がそこまで言うのなら、僕は貴方の従者になります」
「…っ本当か?」
マーリンの言葉に、アーサーはまるで子供の様に顔を輝かせる。アーサーという王は、たったこの短い期間で、王として城の者、民、全てに信頼されている人物だということが分かった。しかし幾ら皆に謳われようとも彼はまだ完璧ではない。少なくともマーリンにとってのアーサーの印象はそう見えた。彼を支える人間は必ず必要だ。それは僕自身で無くても良いかもしれない。それでも彼が僕を必要とするのなら、僕はアーサーに応えよう。
僕が、彼がマーリンと呼ぶその人物に対して興味が湧いてしまったというのも実は理由の一つであるが。
それから瞬く間に、鎧磨きやら、部屋の掃除やら次々と従者の仕事が降りかかり、マーリンは少しだけ簡単に従者を引き受けたことは、急ぎ過ぎたかもしれない。と思い直していた。
1章 アーサーの思い 完
2章 マーリンとエムリス
キャメロットの王、アーサーの従者になってから1カ月が経った。城にも慣れ、城の召使のとも親しくなってきた頃、召使の一人であるジェシファーはうず高く積まれた高価な皿を洗いながらぽつりと呟く。
「最近の王国はとても平和になったわ」
マーリンは彼女が本当に嬉しそうな表情を浮かべていたので、不思議に思いながらも隣に立つ。
「キャメロットの昔ってどうだったの?」
「あら、やだ。マーリンは私のすぐ後にこの城に入って来たじゃない。もう忘れてしまったの?ま、いいわ。話してあげる。昔のキャメロットは…」
彼女は昔のアーサー、王がどのような人物だったのか、マーリンが来た頃からどれ程、彼の印象が変わっていたのかから始まり、この城で起こった様々な事件について事細かに話しだした。まるで懐かしむ様に、あの時はこうだったわよね。と同意を求められマーリンは曖昧な表情で頷くことしかできない。その度に「マーリンって実は忘れっぽいのね」と笑って彼女は続きを話してくれた。
「それであの時の城はもう大変…前の陛下がトロールに…あら?マーリンどうしたの?」
「君はこの王国が好きなんだね」
「勿論よ。ここだけの話、昔の今の陛下は暴れ放題だったわ。でもね、陛下は変わった。陛下が居たからこそ、今の王国があるのよ、マーリンもそう思うでしょ?」
マーリンは何処となく頷いてから、再び王国の素晴らしさについて語り始めた彼女を見てぼんやりと考える。今では自分がマーリンと呼ばれるのも慣れてしまったが、未だにその名で呼ばれることには違和感が付きまとう。彼女を含めこの城の者は僕が知らないことを、まるで僕が知っていることが当然と言いたげに話しだすのもマーリンという人物が原因なのだろう。この城で起こった、ウーサー王がトロールに惚れ込んだ話や、それと同時にアーサーの様々な女性関係の秘話、召使の間だけで起こったちょっとしたハプニング、全て初めて聞く話なのである。
「それでその時…マーリン、何処に行くの?皿洗いならもう終わったわよ?これからが話の面白い所なのに」
「アーサーの所に行かないと」
マーリンは「話してくれてありがとう」と彼女に言い残したまま、足早に厨房を後にする。城の長い廊下を歩きながらも、マーリンは何処か上の空であった。だからこそ、前から来る人物に気づいていなかった。ぶつかりそうになり慌てて顔を上げると、ここ最近親しくなってきたガウェインが微笑んだ。
「おっと、マーリン、今終わりか?」
「いや、これから最後のおつとめにね」
「よし、終わったらいつもの所でな」
「うん」
最初こそ彼は強引で考えていることがさっぱり分からなかったが、案外話してみると彼はとても気さくで話しやすかった。ガウェインと何度か酒場に行く内に友人関係にもなり、彼は唯一マーリンが昔のことを何も知らなくても「気にしなくていい」と笑い飛ばしてくれる人であった。マーリンはガウェインと軽く別れ、気分を良くしながらアーサーの部屋の扉を開けると、そこに王妃の姿はなく、アーサーだけがふてぶてしく椅子に座っていた。
「マーリン、遅かったな」
「貴方の服を洗っていたのですよ。王妃は?」
「今夜は用事があるらしい。遅くなるから先に眠っていてくれと」
「そうですか。王妃が……珍しいですね」
「…ああ、そうだな」
突然アーサーがマーリンの方へジッと視線を送って来たので、「何ですか?」と思わず聞き返す。
「グィネヴィアのことを王妃と呼ぶのは何故だ?前は名前で呼び合っていたじゃないか」
「あの方は王妃ですよ。前の時など、僕には分かりません」
「…そうか。だが、お前は俺に対してはあまり変わらないな。いつまで経っても主人に不届きな言葉を平気で言う駄目な従者のままだ」
「はいはい、そうですか」
マーリンはテーブルの上に置いてあった少量の食器を片づけ、蝋燭を吹き消していく。今夜はアーサーの務めが終わったら、ガウェインとの酒場の約束がある。マーリンの少し浮かれた気分はアーサーにまで伝わったのか、アーサーは眉を顰めた。
「やけに、嬉しそうに見えるな。何かあったのか?」
「いいえ?何も」
「何かあっただろう。正直に言え」
「何もありませんよ」
てきぱきと部屋の片づけを終え、アーサーの寝床を整えてから「さあ、出来ましたよ」と満足そうに頷いてマーリンはアーサーの方を見る。しかしアーサーはマーリンの態度が面白くないのか、寝床ではなくマーリンの方へ近づく。
「マーリン」
「…はい」
「お前まさか、恋人でもできたのか?」
突然アーサーが突拍子もないことを言い出したので、マーリンは呆然と口を開ける。アーサーの方を見ると、アーサーはジッと此方を見つめている。この様子では本気で僕に恋人ができたとでも思っているのだろう。大体目覚めてからまだ一か月しか経ってないのだ。この城や国で暮らしたのもまだ短いのだから、恋人など出来るはずもない。
「はあ…いませんよ」
「いや、お前をずっと見ていたがそんな様子のお前は初めて見た。お前は最近夜の外出が多いそうじゃないか」
「そんなこと、誰に聞いたのです?」
「…誰でもいいだろう…正直に話す気になったか、マーリン」
何故アーサーはそんなに僕の私生活が気になるのだろうか。従者の私生活など、王にとっては関係のないことだろうに。マーリンは腕を組んでから、少し首を振った。
「…酒場ですよ」
「…酒場?またお前酒場通いをしているのか!誰と行っている?」
「ガウェインです」
「ガウェイン?いつのまに親しくなったんだ?」
「いつでもいいでしょう。彼は良い人です。聞きたい事はもうありませんか?蝋燭の火も消してしまいましたし、そろそろ寝て下さい」
マーリンはまだ何か言おうとしているアーサーを無理やり寝床に入れてから、部屋を出て行った。足早に城の廊下を歩きながら、深く溜息をついた。
「アーサーは何で僕のことばかり気にするんだろうか」
ガウェインと二人、賑わいを見せる酒場でエールを飲みながらマーリンはポツリと呟いた。
ガウェインはエールを飲む手を止めて、「そりゃ、あれだろ」と話し始める。
「お前のことが心配なんだろ?お前は三カ月も寝たきりだったからな」
「心配?あれが心配する態度なの?そもそもただの従者に対して、アーサーは何故そこまで?」
「それは簡単だな。お前だからだろ。今までのアーサーの行動を見ていればよく分かることさ。アーサーはお前に何か言ってなかったか?例えばそうだな…「マーリン」について」
「マーリンに?ああ、馬鹿で駄目な従者で…僕に普段言っていることを言っているよ」
「それ以外は?もっと好意的なことだ」
「好意的?そんなこと聞いたことも……」
マーリンは最初にアーサーと出会い、同盟国の謁見に着いていったあの日のことをふと思い出す。野営をした夜、アーサーは僕に近くに居るようにと言った。それから夜中目を覚ましてみれば、アーサーは僕を抱きしめていて、そして…彼は僕のことを「マーリン」と呼び…
「キスをされただって!?」
知らない内に考えが声に出てしまっていたらしい。いつの間にかガウェインは大きく目を見開いたまま、大声を上げていた。酒場のざわめきのお陰で周りには聞こえていないのが、幸いと言うべきか。
「マーリンとアーサーは恋人同士だったの?でもアーサーには王妃が…」
「いや、これは簡単な話じゃないな。というか俺が聞くべきことだったのか?…聞いちまったものはしょうがないか。いいか、これは複雑な話だ」
「複雑?」
「ああ、凄くな。あまり立ち入るべきではないかもしれないが、どうしてもお前がその真実を知りたいなら良い方法があるぞ」
「良い方法?それは?」
マーリンが余りにも純粋そうな顔で聞いてくるものだから、ガウェインは罪悪感が湧いたが、この際もう仕方がない。そもそもアーサーがマーリンとの関係をただ単なる友人関係ではなく、そこまでの想いへ成長させていたとは思いもよらなかった。アーサーとマーリンは信頼関係で結ばれた友人関係だった、それをマーリンから引き出そうとしていたのに、思わぬ事実を知ってしまった。これはマーリンの友である自身の宿命か。
「夜の周りに誰もいない時間帯になったら何も言わず、ただ「アーサー」と呼んでみろ。そうだな、最初は聞き返されるかもしれないが、何度もだ。その時のアーサーの反応が答えだ」
「そんなことで分かるの?」
「分かるさ、お前ならな」
マーリンは今一理解していないようだったが、暫く考え込んでから「分かった、やってみるよ」と答える。ガウェインはマーリンを危険な道へ導いてしまったかもしれないと思ったが、マーリンならば何とかなるだろうと思い直す。マーリンは真実を知っていた方がいい。その事実が何であれ、何がきっかけでマーリンの記憶が戻るのかも分からないのだから。
ガウェインの言っていた、チャンスはその数日後に訪れた。再び王の寝室に王妃の居ない夜が訪れ、アーサーは寝室で書類と睨み合いをしていた。実行するなら今しかないと、マーリンは抱えていた食器を奥に片づけてから、アーサーに歩み寄る。書類を見ているだけで、此方を見ようとしないアーサーに、マーリンは口を開いた。
「アーサー」
アーサーにだけに聞き取れる声で、小さく呟く。アーサーは「何だ?」と目線をマーリンの方に向けると、マーリンは何も言わず、もう一度「アーサー」と声に出す。
「何だ、マーリン。言いたいことがあるなら言ってみろ」
「……アーサー」
「マーリンふざけているのか?」
「アーサー」
流石のアーサーもマーリンの様子がおかしい事に気づいたのか、ゆっくりとその場を立ち上がると、マーリンの目の前に立つ。マーリンに向けられた視線は、マーリンの心の奥の底まで見破られてしまうようだ。マーリンは負けずと、もう一度アーサーの名を呼ぶとアーサーは「まさか」と首を振る。
「お前、マーリンなのか?記憶が戻ったと言いたいのか?」
「……アーサー」
「……名前しか話せないのか?」
僕は思わず、縦に頷いてみるとアーサーは驚いた表情を見せてマーリンの頬に手を添える。その手のひらは思ったよりも熱く、頬にじんわりと感触と熱が浸透していく。アーサーは何を思ったのか、マーリンをただ引き寄せて抱きしめる。マーリンは声を出してしまいそうになったが、寸での所でそれは耐えた。
「…マーリン」
「………」
「何も言わなくていい。マーリン、お前のしたことは分かっている。お前の真実も、あの日全て知った」
アーサーは僕だけを見つめていて、マーリンはようやく分かってしまった。彼がマーリンと呼ぶ人物は、僕のことだと。その事実に気づいた瞬間に、言い様もない恐怖が襲う。僕が一体何者なのか、急に分からなくなってしまった。マーリンが体を少し震えさせると、アーサーは静かに、マーリンの頬に手を添えゆっくりと距離を縮めていく。マーリンはそのまま逃げようともせず、ただアーサーの行いを受け入れた。唇同士が重なり合うと、アーサーは突然マーリンを抱きしめる力を強める。舌の圧迫感と感触にマーリンは声にならない声を吐き出したまま、アーサーを受け入れていく。ようやく解放されたと同時に、アーサーはマーリンを寝台の方に押し倒す。マーリンは目をいっぱいに広げたまま、アーサーの目に視線を合わせる。
「……マーリン」
アーサーはマーリンの頬に、キスを軽く落とす。マーリンの首元が覆われたスカーフを剥ぐと、その首元にまで口づけをした。ただ呆然とアーサーのする行為を受け入れることしかできないマーリンは、微かに吐息を吐く。アーサーの手はマーリンの体の上を自由に動き回り、その手が胸の突起に何度も触れる。マーリンはようやくここで、アーサーのする行為の意味に気づき、直ぐに目を伏せてその考えを追い払った。そんな筈がない。あり得ない。否定の言葉を頭で浮かべてみても、アーサーの行為は進んでいく。
「……っふ」
気付けばアーサーの手は、下腹付近に触れており、マーリンは必死に耐えていた声を漏らした。アーサーはその声を聞き、何処か安堵したような表情を見せ、更に下の方へ手を滑らせていく。高ぶりだしただでさえ熱い中心に触れると、マーリンはもう声を抑えていることが出来ない。
「…っぁあ」
アーサーの手は次第に早められ、マーリンは何度もあられもない声を吐き出してしまう。それに恥ずかしさまで覚え、マーリンはアーサーの服の袖を掴んで首を横に振った。
「……駄目です、アーサー」
その声が聞こえたのか聞こえていないのか、アーサーは少し微笑むと、ズボンの中に手を強引に入れて、中心を形どる様に直に触れる。マーリンが目を伏せると、長い睫毛がちらりと見える。アーサーは瞼に口づけを落とし衣服の中で、触れる手つきを強める。
「…っぁ!あああ!」
マーリンはびくびくと体を揺らし、体を少し仰け反らせる。アーサーはそれでも手つきを弱めずに、到頭マーリンは何度か体を揺らしてから、達してしまう。頭がボーっとして、景色が揺らめいて見える。僕は何てことをアーサーとしてしまったのだろうか。よく見ると、アーサーの中心も高ぶっていることが衣服の上からでも分かるほどで、僕は思わず息を呑んでしまった。
「……アーサーこれは…っん」
マーリンが息を荒々しく吐くと、アーサーは余裕のない表情のままもう一度マーリンに口づけを落とした。ぐいぐいと強く押し付けられているのは、紛れもなく先程から主張されているアーサー自身で、マーリンはカァッと頬を熱くさせる。アーサーがマーリンの耳朶に舌を這わせると、マーリンは少し身じろぎをしてその感触に耐える。アーサーはそのままマーリンのズボンをはぎ取り、そのままマーリンの後ろ付近を探っていたかと思うと、ある一点の場所でツプリと指を入れた。
「…っぁ!?」
マーリンはあまりの驚きに、アーサーを呆然と見つめる。突然襲った今までに感じたこともない圧迫感と、指の感触が中を掻きまわすように蠢いている。背中に感じるのは、ふわふわとした王の寝台の感触でそれに相反するように、アーサーと触れる行為が高質な室内をただならぬ空気に変化させる。十分に慣らすように中を施されるとマーリンは汗に濡れた額を気にする事もなく、深い吐息を吐いた。アーサーがこんな風に僕に触れるとは夢にも思っていなかった。まさかあの夜のほんの少しの口づけから、マーリンへの興味が、アーサーとこのような行為をするきっかけとなってしまうだなど、誰が想像しただろうか。
十分に施された中に、アーサーの熱い高ぶりが触れるとマーリンは微かに体を震えさせる。
アーサーは、マーリンの髪に少し触れた。
「お前が拒むのなら、これ以上はしない……今ならまだ引き返せる、元に戻れる」
「…アーサー」
「お前の記憶が失ったと聞いた時、この感情はもう閉じ込めてしまおうと考えていた。だが、そう簡単には行かない様だ、マーリン。一度自覚してしまえば、もう俺は元に戻れない。だからこそ、お前に選択肢を委ねている。記憶を失ったお前に」
「アーサー、気づいていたのですか?」
「…お前の反応を見ていれば分かる。記憶は失ったままだとな。何年もお前と一緒に居たのはお前だけの事実ではないぞ。…お前の秘密には、今まで気づかなかったがな」
「……秘密?前も言っていましたね。僕の秘密とは一体何なのです?」
「正直俺は迷っている。お前の事をどうすべきか……だが既にこの行為をお前にしている時点で、俺の答えはもう出ているのだろう」
「…………」
アーサーはそのまま何も言わなくなってしまったマーリンから離れようとした為、マーリンは引き止めるようにアーサーの袖を掴んだ。アーサーは驚いた様にマーリンを見つめてから、マーリンが微かに頷いたのを見て更に目を見開かせる。
「……僕は、何故こんな想いになるのか分かりません。貴方と知り合ってからまだ短く、貴方は王だというのに…」
「…マーリン」
「アーサー、この気持ちは何でしょうか。僕は一体どうなってしまったのか、分からない。ただ何かに突き動かされるような、そんな気がするのです」
アーサーはマーリンの唇に軽く触れた。マーリンは全てを受け入れるように目を伏せると、アーサーはゆっくりと自身を押し入れていく。突然大きく加わった圧迫感にうぐ、とマーリンは喉を鳴らす。
「…っぁ」
「…マーリン」
アーサーの瞳は、確かにマーリンを見て揺れていた。アーサーは時々僕を見る時、切なげな表情を浮かべていた。何か言おうとして、結局口を閉ざし。そんなことがこの一か月間ずっと続いた。ずっと彼は僕の中の「マーリン」を探していたのだろうか。マーリンは自分の中を満たしていく熱を感じながら、ああ、と声を上げる。アーサーは負担をかけない為に、前も同時に触れると、ようやくマーリン快楽の籠った吐息を吐いた。すっかり僕の上着はたくし上げられ、下は全てはぎ取られている。それだというのにアーサーは殆ど気崩していなく、ずるいと思ってしまった。
「…っん、っぁ……んん」
マーリンはアーサーにだらしない顔を見られるのが気恥しく、両手の腕で自身の顔を覆う。折角隠したというのに、アーサーはそれが気に入らないのか、マーリンの腕の間から頬に触れる。そのまま腕を簡単に避けられてしまい、僕は少し恨みを含んだ目でアーサーを見つめると、アーサーはようやく可笑しそうに笑った。
「もう俺に隠し事をしようとするな。お前は十分に俺の為にやってくれただろう」
「アーサー…」
「お前は、そのままで居てくれたらいい」
アーサーはマーリンに口づけを落とす。軽い戯れのような物から、徐々に深い物へ。舌と舌同士がぶつかり合い、どちらが自分の舌なのか分からなくなってしまうほどに。アーサーと繋がり合い、お互いがお互いを無意識のうちに求め合う。襲い来る運命に抗うように、何度も何度も名前を呼んだ。この夜が永遠に続くようにと、叶いもしない願いを想って。
それから関係が大幅に変わったかと言えば、あまり変わったとは言えなかった。アーサーは王として国をしきりに出て行かなくてはいけなかったし、僕はそんな彼の傍に着いていく、いつも通りの関係だった。
結局あの行為をしたのはあの夜一度だけ。口づけを軽くすることはあったが、頻繁ではない。決して周りに知られてはいけないということも、理由の一つだった。
これからまた再び長い遠征へ出なくてはいけなく、マーリンは城中を準備の為に走り回っていた。そんな中、突然王妃に城の廊下で呼び止められ、マーリンは足を止めた。「マーリン」と親し気に呼ぶ彼女のことも、僕は何も知らない。マーリンが立ち止まると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「この城にはもう大分慣れた?」
「はい、王妃様」
「マーリンがそういう風に呼ぶの、何だか新鮮ね。でも寂しいわ。いつも通りグウェンでいいのよ」
「ですが…」
「決まりね。マーリン、これから遠征に向かうのでしょう?なら、とっておきのものがあるの」
王妃は微笑んだまま、手に持っていた首飾りを取り出した。半透明に青く光る石が付いており、高価そうなものだ。
「貴方の為のお守り。使ってくれる?」
「これは、アーサーに贈った方がいいのでは?とても高価なものみたいですし…」
「貴方との友情の証よ。マーリン。ほら身に付けてみて」
マーリンは言われるがままに、首飾りを身に着けると王妃は「やっぱり似合うわ」と嬉しそうに微笑む。何故従者である自分にこんな物を贈るのか分からないが、王妃もたまには気まぐれに物を与えることもあるのかもしれない。マーリンは素直に礼を言ってから、アーサーの元に走り出す。王妃、グィネヴィアはマーリンの走り去る背中を見ながら小さく呟いた。
「ごめんなさい、マーリン。貴方は私をよく助けてくれて、とても感謝しているわ。それでも、もうどうしようもできないの。貴方が彼を守る様に、私も彼を守りたい気持ちは同じ。だから…ここでお別れよ、マーリン」
グィネヴィアは前を見据えながら、目を伏せる。次に目を開けた時には、もうマーリンの姿は何処にも見えなかった。
「遅いぞ、マーリン」
長い期間の遠征の準備だったため、マーリンは何とか準備を終えアーサーの元に走り寄ると、やはりアーサーは何処か不機嫌だった。
「すみません、他の皆は?」
「言ってなかったか?今回は周りに知られてはいけない旅だ。人数は少ない方がいい。お前だけを連れて行く」
「でもそんな遠くに二人きりで?危険では?」
「だからこそ、なるべく人目につかぬよう慎重に動けよ、マーリン」
「…分かりました」
マーリンは腑に落ちない表情のまま、馬を準備する。その間もアーサーはマーリンにジッと視線を送っていて、僕は到頭アーサーの方に振り向く。
「何ですか?僕に何か言いたいことでも?」
「何もないが?」
アーサーは本当に何も言う事はなかったのか、不思議そうな表情を浮かべている。マーリンは自分の気のせいだったと納得させて、馬の上にアーサーを乗せてから、自分も馬に乗ると馬は軽快に出発した。
馬を暫く走らせてから、細い道で走るのは危険なため、ゆっくりと馬を歩かせているとアーサーは突然話し始めた。
「ここの道はいつものことだが、周りが見えにくいな。これでは周りに誰か居ても気づきにくい」
「…そうですね」
「だが、逆に考えると隠れるにはもってこいの場所という訳だ。俺がこの道を通る理由が分かったか?」
「ええ、地図を見せられた時に分かっていましたよ」
「そうか、お前はやはり馬鹿ではない様だ」
アーサーは何処か嬉しそうに微笑んでいる。マーリンはアーサーの表情にフッと笑みを
見せてから、突然周りの異変に気付き「シッ」とアーサーを制した。
「……マーリン?」
「…静かすぎませんか?鳥の鳴き声一つしていません……っ!?」
マーリンが周りを見回したと同時に、木の隙間から何かが光るのが見えた。直ぐにそれが矢の先端だという事に気づき、その矢は真っ直ぐにアーサーに向けられていてマーリンは馬から飛び移りアーサーを抱きかかえる。
「アーサー!」
「……っ!?」
矢はアーサーとマーリンの横をすれすれで通り過ぎ、近くにあった木の幹に深く突き刺さる。アーサーを抱きかかえたまま落馬した衝撃で、マーリンは低く呻き声を上げる。
「…っう!」
「マーリン!…っ」
瞬く間に、周りに山賊達に囲まれてしまいアーサーはマーリンを寝かせたまま直ぐに立ち上がり、剣を引き抜いた。その瞬間、山賊達は一斉にアーサーを襲ったが、簡単に躱しアーサーは的確に相手を一撃で倒していく。アーサーの思わぬ強さに山賊達は、負けずと周りに合図する。その瞬間に一斉に矢がアーサーに向けられてしまい、これではアーサーも避けることもできない。アーサーは矢を避ける為剣を掲げたが、剣一つでは防げない程の数が放たれる。矢がアーサーの体を突き刺す瞬間、倒れ込んだマーリンの目が黄金に光った。
矢はアーサーに突き刺さることはなく、逆方向に飛んでいき矢を打った本人達に突き刺さっていく。
余りにも不自然な挙動をした矢に、山賊達は目を見開き、「ひぃ」と悲鳴を上げた。
それでもアーサーを殺そうとする行為は止めずに、驚いたまま周りを見回しているアーサーの後ろから剣を振り下ろす。マーリンはマーリン自身にも分からないまま、ただ自身の頭に湧き上がる呪文を低く呟いた。それだけで倒れた兵士が持っていた剣が空中に浮き、今まさにアーサーを殺すべく剣を掲げていた山賊の首に突き刺さった。
気付けば、あんなにも大勢居たはずの山賊達は全滅していた。マーリンは自分がしたことも分かっていないまま、倒れた体を起こすと無言のままのアーサーに目を合わせる。
「…アーサー」
アーサーは無表情だった。自身がしたことは、この国で違反とされている魔法だ。何故魔法が使えたかは分からないが、気づけば息をするように魔法を使ってしまっていた。マーリンは自身の手を見つめてから、その手が震えていることにようやく気が付いた。
「…マーリン、また使ったのか」
「……これは…一体、どうして…僕は……」
「…マーリン?」
「僕は……魔法使い?」
マーリンは恐る恐る呟いた。その言葉にアーサーは少し目を伏せてから、縦に頷く。アーサーは既に知っていたのだろうか。魔法を禁止とするキャメロットで魔法を使う事は死刑となると、召使たちに教わったことがある。最初は魔法という文明があることにも驚いたくらい、僕は魔法のことは何も知らなかった。知らなければ良いという訳でもない。しかし何故アーサーは事実を知っていながら、今まで僕の事を生かしていたのか。
「……アーサー、僕は…」
「お前は今のままでいいと言ったはずだ。だがあまり目立つようには使うな。まだまだ魔法の事を改めるには、俺にも国にも時間が必要だ。分かったなら、もうここを離れるぞ。いつ追手が来るかも分からないからな…恐らくこの襲撃は城の中に密告したものが居たのだろう。わざわざこのルートを通るとは、誰も思う筈もない場所を選んだ。…マーリン?どうした?」
「……っうう!……ぐっ」
マーリンは突然喉に焼けつくような痛みを感じ、首元を抑えた。目の前がちかちかとして、景色がぐらついていく。立って居られない程の強い痛みにマーリンは唸り声を上げて、地面に倒れ込む。アーサーが直ぐに走り寄る音が聞こえたが、アーサーがマーリンの元に行く前に、マーリンは意識を手放した。
アーサーは直ぐにマーリンを抱きかかえたまま、馬を連れ森の中に入った。身を隠すには深く入り組んだ森が一番だ。いつ山賊の追手が来るかも分からないこの状況化で、意識を失った者を連れて歩くのはかなりのリスクがあったが、アーサーは何とかマーリンを救おうと必死だった。
(何にやられたんだ…?矢は刺さってはいないから矢の毒という訳でもない。この異様な熱は何だ?)
マーリンは突然倒れ込んだ。走り寄った時には既に意識はなく、額に手を当ててみると信じられない程の熱があった。人工的に引き起こされたものだろう。マーリンはしきりに苦しそうに喉を抑えている。毒の可能性が最も高い。アーサーは直ぐに隠れるには良さそうな木々に覆われた場所を探し当てると、ぐったりとしたマーリンを横に寝かせる。直ぐに水の入った袋をマーリンの口元まで運んでみるが、マーリンは飲むことが出来ないのか、ただ水滴は口元に流れ落ちる。アーサーは少し考えてから、自身が水を煽ると、唇を重ね合わせマーリンへ水を流し込んだ。
マーリンの息は荒く、苦し気な吐息は止まらない。首元を少しでも軽くするべきだと、マーリンの赤いスカーフを取ると、アーサーは大きく目を見開く。
(首飾りだと…?石が光っている?)
明らかに不自然な光を纏っている石の付いた首飾りが、マーリンの首元に付いていた。いつの間にこんな首飾りを付けていたのだろうか。
(魔法か…!?)
こんな不可思議な輝きを持つ石など見たことがない。アーサーは咄嗟の判断で首飾りを引き千切ると、マーリンは喉を抑えていた手を緩めようやく荒々しい息を収めた。一体この首飾りは何なのか。マーリンが好んで付けるものとも思えない。誰かに貰ったか、あるいは無理やり付けさせられたか。いずれにしろ良い物ではない。
アーサーは引き千切った途端、光が収まった首飾りをジッと見つめた。
マーリンが目を覚ますとそこは何とも不可思議な空間だった。下を見れば、水面が揺らめいており今まさに水面の上に立っているような感覚が訪れる。不自然な光が辺りを包んでおり、ここが普通とは違う場所だということが一目で分かった。
「…エムリス」
突然脳内に声が響く。ハッとして周りを見回すと、すぐ後ろから再び名を呼ばれて反射的に振り向いた。
「……っ!?」
「…エムリス。まさか君がここに現れるなんて」
後ろには、僕が居た。いや、正確に言えば僕の姿をした何かだ。マーリンが目を見開いたまま、立ち尽くしていると、目の前の僕は少し口角を上げる。
「僕はマーリン。君はずっと、違和感ばかりだったろう。僕がその正体だ」
「…君がマーリン?」
「僕はイアルドア村の生まれで、ドラゴン使いの父さんと、優しい母さんが居る。父は前に死んでしまったけど、気づかぬ内に僕の傍に居た。キャメロットに来てからは、ガイアスの元で暮らし、アーサーに仕え、僕はずっと従者の役目を果たしていた。運命に抗うように、僕は何度もアーサーを助けた。全てこれは僕のことだ」
「…なら何故、僕の事を皆マーリンだと?」
「それは君が僕でもあるから。君と僕は同じ存在だ。同じ……定めを背負った魔法使いだ」
目の前のマーリンは、突然手を前に掲げたかと思うと、静かに小さな炎を出した。無機質な光で包んでいた空間が、そこだけは柔らかな光が覆う。
「…魔法使いとは、孤独で、それでも戦わないといけない。例え相手が強大な敵だとしても」
「……君はずっと戦ってきたの?」
「…僕は魔法が認められる日を信じて、今の今までずっと戦っていた。でも今の僕にはもう戦うことはできない。だから…僕は君に、使命を託す」
「何故君は戻ってこられない?僕はあそこに居るべきではない。キャメロットの人々…そう、アーサーだって君を待っている」
「僕はもう、死海の者だ。この記憶がここに来たと同時に、僕の中の「マーリン」は死んだも同然だ…唯一、僕の代わりをすることが出来る者がいる。それは君だけだ」
目の前のマーリンは炎をふわりと空中に上げ、真っ直ぐに僕を見た。その瞳は全てを覚悟したように、切なげで苦しくて、それでもハッキリとした強い意思を感じた。
「…君の使命は、アーサーを守ること。僕の最大の力である、禁忌とされる魔法を使って。例え相手が誰だろうと、君は己の力を上手く使っていかなければならない」
「……マーリン」
「アーサーを正しい方向に導いて。今もまた、王国に危機が迫っている。アーサーの命が狙われると同時に、必然的に君自身の命も狙われるだろう。何回も助けてあげられる訳じゃない。今回は特別だ」
目の前のマーリンは何か呟いたかと思うと、瞳が黄金に光った。それと同時に、僕の体が少しずつ消えていくのを感じる。まだ君に聞かないといけないことがあるのに、声すらも出ない。
「…エムリス……君は今、僕の力全てを引き継いだ。これで魔法も思うように使えるようになるはずだ…頼んだよ、エムリス」
僕は目の前に手を伸ばした。それでも彼には届かずに、無機質な光が辺りを包み込んだ。
「……マーリン!」
ハッとして目を開けると、アーサーの顔が見えた。アーサーはマーリンを見た途端ホッと息を吐いて笑みを見せる。
「…もう駄目かと思ったぞ、マーリン」
「……アーサー」
マーリンは体を起こすと、ゆっくりと辺りを見回す。木々が自分達を包む様に生い茂り、近くには焚き木が用意され、火が燃えている。自分はどうなってしまったのかと考え込む。
「一体何があったのですか?」
「…お前は急に倒れたんだ。苦しみ方が尋常なものではないから、毒かと思い冷や冷やさせられた。俺には毒を治療する知識は乏しいからな。だが、それは違った…この首飾りに見覚えはあるか?」
アーサーが取り出したものは、紐が千切れてしまった王妃から貰った首飾りだった。それは王妃から貰ったんですと言おうとする前に、アーサーは先に話し出す。
「これは魔法の物だ。何度かこういった類の物をよく見たことがある。一体これが何の効力を持つか分からないが、お前が倒れたのはこれが原因だ…一時期お前は息も微かになっていた。まさか、夜までに回復するとはな」
「……それが、魔法のもの?」
「ああ、そうだ。誰にこれを渡された?」
それを渡してきたのは王妃だ。しかしもしそれが魔法のもので、更に害を与えるものだとしたら、これはアーサーに伝えるべきことではない。もしこれが王妃の意思で渡されたものだとすれば、王妃は罪を犯したことになる。マーリンは静かに首を振った。
「いいえ、見覚えがありません。いつ渡されたのかも」
「…なら、これは知らぬうちに付けさせられたものとなるな。今回の山賊の件といい、城に密告者が居て、俺の命どころか、お前の命まで狙ってきたことは確かだ。これは城に戻ったら早急に調べる必要がある」
「……この首飾りの件は僕に任せて下さいませんか?」
「…そうか。分かった、首飾りは任せよう」
アーサーから首飾りを受け取ると、マーリンは青い無機質な石を眺める。なぜ王妃が魔法の首飾りを自分に渡したのか。その目的はとっくに分かっている。恐らく王妃は自身の命を狙った。王妃とマーリンの関係は一体どうだったのか。何故王妃が僕を殺そうとするのか。その目的は分からない。ただ一つ分かることは、これはアーサーの問題ではなく、僕の問題だという事だけだった。
それから数日後、無事に謁見先に着くと謁見を終え、アーサーとマーリンはキャメロットに戻った。行きはあんなにも大変だったというのに、帰りは何事も起こらずに、警戒をしていたからか、拍子抜けした。
城に着いてからマーリンは馬を馬小屋に入れるべく、馬を引き連れていると突然上から視線を感じ、何の気なしに顔を上げる。
(―――!?)
王妃グィネヴィアは此方を見下ろしていた。無表情で何を考えているかは分からないが、バッチリと目が合ってしまう。マーリンが死んだと思っていたのか、その瞳だけは大きく見開かれていた。マーリンは直ぐに目を逸らすと、表情を崩すことなく足を進める。背中に突き刺さるような視線が、僕にずっと纏わりついていた。
マーリンはガイアスの元に帰ると、直ぐにガイアスに首飾りを見せた。ガイアスは少し考え込む様に首飾りを眺めてから、「これは何処で手に入れた?」と低く囁く。
「……王妃から貰ったんです。友情の証だと」
「…これを友情の証と王妃が言ったというのか?」
「…ええ、それは魔法で作られたもの。そうですね?」
ガイアスと暮らし始めてから、分かった事がある。ガイアスは博識で大抵のことは何でも知っていた。それにあの死海の狭間が夢ではないとすれば、ガイアスはずっと「マーリン」と暮らしていた。すなわち、マーリンの秘密についても良く知っている存在となる可能性が高い。
「エムリス。もしや、魔法を知ったのか?」
「はい。僕はアーサーの目の前で魔法を使いました。僕も最初は何が起こったか分からないくらい…でも今なら魔法が何なのか、分かります。何故なら…「マーリン」と会ったから」
「……っ!?」
ガイアスは大層驚いたのか、足元をふらつかせる。マーリンが咄嗟に支えると、ガイアスは息を深く吐いた。
「…そうか。マーリンと…マーリンはお前に何を伝えた?」
「…アーサーを導き、守ってほしいと。僕は何故彼が戻れないのか、彼に聞きました。彼はただ一言、自分は既に死海の者だからと。もう戦う事はできないと。唯一使命を背負えるのは僕しか居ないと。そう言って僕に魔法の全てを託しました」
「…何てことだ……マーリンはずっと死海の狭間に捕らわれ続けているということか」
「彼を救う手段はないのでしょうか?僕は、ここに居るべきでは無い。すぐに彼を見て分かりました。魔法を使ってでも、彼は取り戻せないのですか?」
ガイアスは目の前のマーリンの気持ちが痛いほど分かっていた。エムリスという存在になってしまったマーリンにはもう何も残ってはいない。あるのは無遠慮に与えられた魔法という力だけ。彼を培っていた全ては消えてしまった。それを取り戻したいと思うのは、当然のことだろう。これを伝えるのは、残酷なことだ。それでも、ガイアスは静かに呟いた。
「それは無理だ。例えお前の魔法を持ってしても、一度失った代償はもう元には戻らない。最も大切なものを犠牲にすることで、失いかけた命を取り戻した。それはもう変えられない取引と同じなのだ、エムリス」
「…代償?マーリンは一体何をしたのですか?」
「…アーサーの命を救ったのだよ、エムリス。自身の記憶の全て、マーリンを培っていた全てを犠牲に」
「…………」
僕は何も言えなかった。マーリンのあの覚悟を決めた表情は、全てを物語っていたのだ。
魔法の力全てを引き出す為に、マーリンは自身の全てを犠牲にした。魂に刻まれた、記憶そのものを。一度魂から引き離された記憶は、永遠に死海の狭間を彷徨い続けるのだろうか。
余りにも過酷で、悲惨だ。それでもマーリンは、アーサーの為にその道を選んだ。
マーリンは気づいた時には、涙が溢れていた。何故、マーリンがその道を選んだのかはもう分かっている。彼にとっての全ては、「アーサー」だから。
「……エムリス」
「……っぅ……」
マーリンが涙を抑えるために、両手で顔を覆うと、ガイアスも涙を浮かべたままマーリンを抱きしめた。何よりも大切なものを失ってしまった。それはガイアスにとっても、マーリン自身にとっても同じことだった。
ようやく呼吸が落ち着いたころ、マーリンとガイアスは椅子に座り、お互いが向き合っていた。机上に置かれた物は、王妃から渡された首飾りで、ただぼんやりとそれを見つめていた。
「…この石には何の効力があるのです?」
「本になら載っているかもしれない。例えば、この本は?」
ガイアスに渡された、古びた分厚い本をパラパラとめくってみるとあるページでめくる手を止めた。本に描かれた石の形状は首飾りの石にそっくりで、美しい青で描かれている。
「…これは?」
「…それは、実在するものではない。伝説上の話だ。魔力を増大させる力を持つと言われている。その威力は我々が考える力を越えるそうだ」
「…でも、そっくりです。石の形状も、色も。…もしこれが魔法によって作られたものだとしたら?だとしたら納得がいきます。効果は分かりませんが、魔力を増大させるという訳では無い…もっと別の力だ」
「エムリス。あまり深く考えるのはやめた方がいい。王妃のことをアーサーには話しておらんな?」
「ええ。アーサーを巻き込む訳には行きませんから。もっと別の手段で、この石のこと調べてみます」
マーリンは夜も遅いというのに首飾りを持って扉から出て行ってしまう。ガイアスは、本を閉じるとカムランの戦いの後、グィネヴィアに呼び出されたあの日のことを思い出していた。王妃もまたマーリンの秘密を知ってしまった。あの時の王妃の瞳は全ての謎が解けたと同時に、覚悟をした目つきをしていた。
王妃は何をマーリンに思ったのか。その事実を知った上の王妃の行動の全て、マーリンを殺すことが王妃にとっての答えなのか。人間の心というものは難しい。かつては友人として、あんなにも仲が良かった二人が、不可思議な運命で結ばれてしまうなど、誰にも予想がつかないことなのだ。
マーリンは城から離れ、森の中を走りながらただ一点のことを思っていた。死海の狭間で出逢ったマーリンは、「父はドラゴン使い」と言っていた。そして、魔法の力が受け継がれると同時に、マーリンはドラゴン使いとしての知識も知ってしまった。マーリンは頭に沸き上がった言葉を一心に夜の闇に向かって、叫んだ。少し経つと風音と共に、大きなドラゴンがマーリンの目の前に降り立つ。ドラゴンはマーリンを見下ろした。
「マーリン…いや、エムリス。この私がまた呼ばれることになるとはな」
「……君は、ギルガラーだね。「マーリン」が教えてくれた」
「そうとも。私の時代はもう終わったのだ、エムリス」
「一つだけ君に聞きたい事がある。この首飾りの石に見覚えが?」
マーリンが首飾りを掲げて見せると、ギルガラーは少し目を見開く。少し唸ったようだったが、ゆっくりと口を開く。
「…その石は、魔法使いを殺す為に作られたもの。エムリス、一体何処でそれを手に入れた?」
「…魔法使いを殺す?これは魔力増大のものでは?」
「確かにそれは、かつて魔力増大の力を持っていた。しかし遥か昔、人間の力では太刀打ちできない魔法使いを殺すために、その石は改良されたのだよ。「魔法」によってな……石を身に付けたものが魔法を使うと、自身に跳ね返る。陰の力となり、魔法使用者の命を奪う。魔術師の持つ魔力が強いほど、より強力なものとなるのだ」
「……そんなことが」
マーリンは直ぐに石を自身から離すように持つと、ギルガラーは羽音を少し立てる。
「その石は魔法によって作られ、魔法の力でしか壊せないものだ、エムリス。一刻も早く壊すがいい」
「…これは証拠だ。まだ、この石の入手源がどこなのか、分かっていない」
「誰に渡されたというのだ?その石は普通には手に入らないもの。それはもう分かっているな?」
「この石は……王妃に渡されたものなんだ」
「何だと?」
ギルガラーは暫くその石を見つめると、「そういうことか」とポツリと呟く。
「…王妃はお前のことを知ったのだな?」
「…王妃は僕が魔法使いということを知っている。僕を殺そうとした理由は王国の為?」
「………人間は愚かな生き物だ。それは昔から変わらない。ただ単に王国の為とは考えづらいだろう、エムリス。いずれにしろ、その問題はお前に振りかかることになるだろう」
ギルガラーは大きく翼を広げると、飛び立ってしまう。マーリンは少し揺らめいて飛ぶギルガラーを見て、手に持つ石を強く握りしめた。
二章 マーリンとエムリス 終わり
三章
この数日間、王妃はアーサーの部屋には居たが、僕を見ても何も言わなかった。確かな証拠もなく、王妃だけを責められないのは分かっている為、マーリンも敢えて何も言わなかった。アーサーはここ最近先日の経路を教えた密告者が誰だったのかを調べているが、成果は見えないと言っていた。あの首飾りは身に着けることは危険な為、自身の寝室に置いてある。アーサーもあの首飾りに関して何か分かったかと聞いてきたが、僕は何も分からないと答えた。王妃の視線を感じながらの質問だった為、慎重に言葉を選びながら。
ここ最近ずっと誰かに見られているような気がする。それは王妃の視線か、はたまた別の誰かか。いずれにしろ、良くないものだということは分かっていた。
夜にアーサーの寝室に行くと、王妃の姿は見えなかった。そういえばあの事件が起こる前も王妃は度々部屋にいなかった。
「アーサー、明日の準備は済みました」
「お前にしては早かったな。今日はもう下がっていい」
「……あの、アーサー」
「何だ?」
アーサーは羽ペンで書きこんでいた手を止め、此方を見上げる。
「王妃に何か変わった様子はありましたか?」
「グィネヴィアに?特に何もないが?…何かあったのか?」
「いえ、何もないのならいいのです。それでは僕はこれで」
「…待て、マーリン」
アーサーに背中を向けようとした動きをピタリと止めて、アーサーの方に振り向くとアーサーはいつの間にか立ち上がっており、自分のすぐ目の前に来ていた。
「…何ですか?」
「お前、隠し事をしてないか?何か俺に言いたいことがあるんだろう」
「…何もありませんよ」
アーサーは僕が何かを隠すことに異常に敏感だ。一体その理由が何なのかは分からないが、僕の行動を見張っていたいのだろうか。アーサーは溜息を軽くついてから、マーリンをジッと見つめる。この表情の時のアーサーは、中々引き下がってはくれない。
「…マーリン、これ以上何かを隠そうとするのはやめろ」
「何も隠していることなんて、ありません」
「そうか、なら言ってもらうだけだな」
アーサーは突然マーリンの顎を掴んで、ぐいと上に引き上げたまま唇を押し当てた。マーリンは突然のことに思わず離れようとすると、アーサーは無理やりマーリンの首の後ろを抑えてしまい、身動きが取れない。
「…んっ…」
マーリンがあまりにも抵抗を見せたので、アーサーは眉を顰めてマーリンから離れる。マーリンの苦し気な表情を見て、その表情は驚きに変わった。
「…マーリン?」
「…僕は、マーリンではありません。アーサー。それにこの関係だって続けるべきではない」
「いきなり、どうした?」
「…ごめんなさい、アーサー」
マーリンはアーサーを突飛ばして、扉から走り去った。マーリンの横顔は僅かに涙が浮かんでおり、アーサーは呆然とその場に立ち尽くす。自身のしている行動は分かっている。マーリンを求めてしまった行動は、王の模範的行動とは言えない。
記憶を無くしたマーリンはいわば自由だ。もう王国に捕らわれる必要もないのだろう。
それでもアーサーはマーリンを手放したくはなかった。例えマーリンが魔法使いであれ、もう自由の身だとしても、マーリンは必要不可欠な存在なのだから。
マーリンは夜で人通りが少なくなった、キャメロットの街を彷徨っていた。あれからガイアスの所に戻る気も起きずに、騎士の見張りに隠れながらもぼんやりと星を眺めたい気分だったのだ。夜は流石に冷え込んでおり、マーリンは少し身震いをする。風も強く、長時間居るべきではないという事は分かってはいるが、中々戻る気にはなれない。
(これから、どうしようか…)
マーリンは宛もなく足を進めていると、あるごく普通の民家の前で足を止めた。何故なら良く見知った単語が聞こえてきたからだ。
「アーサー・ペンドラゴンが…」
(…アーサー?王のことを話している?)
マーリンは周りを見てから、民家の影に隠れると人影だけが見える窓の隙間から室内を覗き込む。顔は見えないが、二人の男が机上の何かを指差した。
「今度は、ここか?」
「ああ、そうだ」
「……分かった」
男達は、室内についていた蝋燭の火を吹き消す。王を讃える話をしていた、という訳では無いだろう。いずれにしろ、男達が何を見ていたのか知らなければならない。男達が扉から出てくるのを見ると、マーリンは咄嗟に魔法を使い男が持っていた紙を空中に浮かせる。男はすっぽりと紙だけが手から抜き取られたことなど気づかずにそのまま夜の街に消えてしまった。マーリンは空中に浮いた紙を自身の方に引き寄せると、直ぐに紙を広げた。
(これは……今度の遠征の経路!?)
王宮だけで秘密裏に話されていた経路が漏れている。そうなれば大問題となってしまう。あの男達を追わなければならない。マーリンは男達が去っていた方向を向くと走り出した。
男達の痕跡を辿りながら、少しの時間が経過した。尾行するのは、初めての事だが何故か感覚が隠れる場所を瞬時に見つけ出してくれ尾行自体は楽だった。男達が入って行ったのは、山奥の古びた廃屋だった。見るからに怪しい雰囲気を纏った廃屋は、普段人が出入りする場所でもない。マーリンは息を殺して、廃屋の窓から室内を覗き込む。室内は暗く、中はまるで見えない。暫くして、男達二人が外に出てきてからマーリンはこっそりと廃屋に忍び込んだ。
(一体何をしていたんだ…?)
マーリンが詳しく室内を調べようとしたところで、後ろに視線を感じ振り返った。
「…っは!?」
その瞬間、猛烈な衝撃と共にマーリンはその場に倒れ込む。男達二人は無表情のままマーリンを見下ろした。
「これが、本当に王妃様の言っていた最も危険な人物なのか?」
「突然の王妃様の呼び出しだったから、あの家で準備をしたが…まさかあんなことで本当に罠にかかるとはな。さて、どうする?命令ではすぐに殺せということだったが…」
「一体どれほどの人物なのか、気にならないか?アジトに連れ帰って様子を見てみることにしよう」
男は意識を失ったマーリンを雑に抱きかかえると、マーリンの首元に付けたスカーフが床に落ちたが、男達は気づかずに古びた廃屋から出て行った。
ぽたりと冷たい何かが頬に落ちた。その感触で目を開けると、ぼんやりと見えるのは無機質な壁で、混濁したままの意識を無理やり覚醒させる。パッと顔を上げると、男二人が机の上で、サイコロを淡々と転がしている。
「……ああ、起きたか」
1人の男がこちらに気が付き、立ち上がる。サイコロはそのまま床に転がったが気にもせずマーリンをジッと見た。
「…何が目的だ?」
「そう急くな。俺は雇われ暗殺者さ。お前のことは何も知らない」
「…誰に指図を受けた?」
「それは契約上言えないな。どっちみちお前は殺される運命なのは分かるな?だが、取引をすれば助けてやると言えば、どうする?」
「…取引?」
「ああ、俺はお前の事は何も知らない。何故あの方がそこまでの人物だというのかも、さっぱり分からねえ。だから、俺はお前のことに興味がある。お前の秘める力を見せてくれよ。そうすれば、考えてやってもいい」
誰に雇われたのかは分からないが、直ぐに殺さずに力を見せてみろとまで言う。男の意図は何なのか、どっちみち見せたところで殺すのは変わらないだろうに。マーリンは瞬時の内に判断した。今は手足を縛られ、自由ではない。だが、魔法は使える。ならば男の望み通りに力を見せ、その隙に男達を倒すしかない。
「…分かった。見せるよ」
「物分かりが随分いいじゃないか」
「…この状況では選択肢もないからね」
「まあ、そうだろうな。正しい選択だ。さあ、お前の力は何だ?」
男がそう言ったと同時に、マーリンの瞳は黄金に光った。男が目を見開くと同時に、辺りに飾られていた武器達が宙に浮き、男達を襲う。流石は暗殺者というべきか、寸での所で交わしたが、男達が武器に捕らわれている隙にマーリンは手足の自由を奪っていた縄をとっくに解いていた。
「…こいつは驚いたな。お前、魔法使いか!」
男はこの状況にも関わらず、ハッと笑みを浮かべるともう一人口を開こうとしていなかった男の瞳もまた、黄金に光輝く。マーリンがその男に気づいた時には、男は既に呪文を呟いた後であり、マーリンの周りにもまた剣が浮遊していた。
「…まさか、こいつが魔法使いなんてな、思いもよらなかっただろ?」
「…ああ。それに呪文も呟いてなかった。ただの魔法使いではないな…よっぽどの熟練者と見える」
マーリンは男の仲間も魔法使いであったことに大層驚いたが、お互いがお互いを一歩も譲らないこの状況で、緊迫した空気が流れ始める。男と暫く睨み合う形で居たが、男はフッと笑みを見せると、魔法使いの仲間を手で制する。それと同時に、マーリンの周りを浮遊していた剣は床に音を立てて落ちた。
「もういい。十分に分かった。お前……俺達の仲間にならないか?」
「…何を言っている?」
「この隣の魔法使いはな、かなりの努力家なんだ。やっと魔法を習得して、ここまでの使い手になった。魔法を禁止する国で魔法を学ぶことがどれだけ危険か分かるか?それでもこいつはそれを成し遂げたんだ。今の今まで影の様に暮らしてな」
「………」
「暗殺者の言葉なんて信じられないか?俺達は、ドルイドとは違う。俺は魔法何てからっきし駄目だしな。でもな、俺は魔法に可能性を感じた。この世界の可能性を。だからこいつと一緒に密かに動いていた。王国のものと繋がってまでな」
「目的は王国を滅ぼすことか?自分が王になれるとでも?」
「…いや、それは違うな。王に興味はない。あるのは可能性だけだ。魔法によって構成される国がどのようになるのか、見てみたくはないか?」
魔法を使えば死刑にされる。その事実はもう分かっていた。だからこそ、数々の悲惨な事件が起きたことも、噂から知った。魔法は公に使えるものではない。それでも「マーリン」はこの王国で長年、アーサーを守る使命を成し遂げていた。彼が望んだものは何だったのだろうか。彼はアーサーを救うと同時に、一体何を捨てたのだろうか。
「何もすぐに答えなくていい。お前にはお前の考えがあるだろうからな。それに…あのアーサー王の元で従者をしているくらいだ。よっぽどの考えでもあるんだろ?」
「………」
「後はもうお前の好きに出て行ってくれ。俺達を殺そうとはするなよ?もう俺達にお前を殺す気はないからな」
「暗殺者なんだろう?誰かに命令されたのではないのか?」
「お前が魔法使いなら、お前を殺す理由はなくなった。また後日、返事を聞きに行く。それまでに考えておいてくれ」
マーリンがようやく浮遊させていた剣の魔法を解くと、男はニヤリと笑みを見せる。マーリンは古びた建物から出て行く途中で、魔法使いである男の仲間を見たが、男の顔はフードに隠れ見えなかった。
建物の外観は何てことのない、民家だった。民家に偽装した連中のアジトという訳だろうか。どっちみち、自分を生きたまま帰したところでもうこの場所は使われることはないだろう。気づけば外はすっかり明るくなっており、自分が丸一日気を失っていたことが分かる。少し足を進めると見慣れた景色が見えはじめ、城からそう遠く離れてはいない距離だということに安堵する。
マーリンが足を進めていると、先程訪れた廃屋が見えてきた。やはりここはアジトまでの通り道だったのか。そのまま通り過ぎようと思ったが、話声が聞こえてきた為マーリンは足をピタリと止めた。
「……痕跡はもうないのか?」
「…はい、足跡はここで途切れております」
(この声は…!?)
マーリンが走って廃屋の傍まで行くと、馬と共に、アーサーとその騎士達が廃屋の周りを取り囲んでいた。アーサーの手にはマーリンのスカーフがあり、その表情は険しい物だった。
「アーサー!?」
「………マーリン!」
僕が思わず声を掛けたと同時に、アーサーはマーリンの姿を見止めると直ぐに此方に駆け寄った。同時に抱きしめられてしまい、マーリンはその反動で少しよろめいた。
「今まで何をしていた?」
「…それは……気になる事が…」
「…それで攫われたのか?怪しげな男二人組に」
「…っ何故それを?」
「民からの見回り騎士への報告だ。偶然真夜中に窓から見たらしい。怪しげな男二人がお前そっくりの恰好をした男を連れ去るのをな。一体誰にやられた?」
マーリンは咄嗟にそこで口を閉ざした。アーサーに真実を伝えるべきなのか。あの男二人組のもう片方は魔法使いだった。それを伝えれば彼らは必ず処刑されてしまう。マーリンは瞬時に考え、1つの真実だけを伝えることに決めた。
「暗殺者のようです。詳しくは知りません…それと、そろそろ離してくれませんか?苦しいです」
マーリンはアーサーにきつく抱きしめられたままで、騎士達の視線も痛く感じていた所だった。アーサーは直ぐにマーリンを離すと、マーリンを上から下までジッと眺める。マーリンは動かずに居ると、アーサーは「目立った外傷はないな」と笑みを見せた。