2年生・夏 コーヒー店でのほろ苦い恋
8月の上旬、暑さで項垂れる毎日が続く。風も熱波となって吹き付ける。
「空、アンタいい加減に起きてらっしゃい。」
下で母の呼ぶ声が聞こえる。こう熱いと起きるのもシンドイ。
階段を上ってくる音とともに母の声が聞こえる。
「今日はバイトなんじゃないの?」
「近いし、まだ間に合うよ。」
「まったく…茜ちゃんに迷惑かけないようにしてよね。」
そういうと、母は階段を下りて行った。
そういえば、あの日以来、平山とは週末のバイト終わりに少しだけ会っているんだった。それも茜さんのアシストが効いてはいたが、茜さんには何も話してないし、最近口数も少ない。
着替えて階段を降りると母が麦茶を酌んでいた。
「あら、空も飲むかい?」
「ああ。」
麦茶を受け取ると、母は座布団に座った。
「茜さん、何か言ってた?」
「何が?」
母は目を大きくして聞き返す。
「いや、何でも…」
「アンタ、何か茜さん困らせてるんじゃないでしょうね?」
「そんなわけない、あの人が困るなんてありえないよ。」
「…空はそういうとこ、優しくないのよね。」
「どういうこと?」
目を細めて俺は聞き返す。
「女性は小さいことで、意外に傷つくものなのよ。」
「言いたいことがあるなら言えばいいじゃん。」
麦茶を飲み干しながら、俺は笑い飛ばして言う。
「言えることならね。」
母のその言葉は、少し刺さったような気がした。
「いいから、早くバイト行ってらっしゃいよ。」
そう言いながら、母は洗濯を干しに外に出てしまった。
俺も時計を見るなり、急いで家を出た。
今日のバイトもあと少し。このところ天気も不安定で、傘の忘れ物が多く、スタッフ用の傘立てはいつも以上に溢れていた。この後はまた平山とドーナツをテイクアウトし、出掛ける予定だが、傘を忘れていたのにこの時に気が付いた。
それにしても茜さんのテンションは相変わらず高くない。
『チャリンチャリーン』
ドアの鈴が鳴ると、そこには平山が白と水色のボーダー柄の傘を持って立っていた。
俺は急いで平山に近づく。
「来ちゃった。」
「ああ…」
お互い赤らめながら呟くように話す。
「いらっしゃいませ。」
茜さんが後ろから声をかける。
「お客さんに失礼でしょ。どうぞお好きな席へ。」
俺に注意した後、平山に優しい視線を送る。
茜さんの注意がいつも以上に厳しく感じた俺は茜さんに頭を下げ、そのまま平山に視線を合わせる。
「終わるまで待ってて。」
「わかった。」
そういうと平山は席に着く。
「ごめんね。何だか腹が立っちゃって。」
「すみません。どんな人にも平等に接しないといけないのに、つい。」
頭をまた下げて、俺は謝る。
顔を上げると茜さんは睨んではいないものの、妙に怖い顔に感じた。
こんな茜さんは初めてかもしれない。
ー
「ごめんごめん、私もストレスで当たり散らしたらダメだよね。」
茜さんが誤魔化すかのように笑ってそう言うと、カウンター奥の控え室に引っ込んでしまった。
すぐさま茜さんが顔だけ出し、こちらを向くと、ドア上に飾られた時計を指をさして「もうあがる時間だよ」とジャスチャーする。
俺は後頭部に手を当てて頷くと、事務所のロッカーに向かった。
着替えを済ませて、控え室による。
「お疲れ様です。」
茜さんにそう言って平山の席へ向かう。
平山はこちらを見える席で手を振っている。
「お待たせ。」
「お疲れ~。」
平山がこちらに笑みで返す。
「マスド行こうか。」
そのまま行くそぶりの俺の腕を平山は掴む。
「ちょっと今日はここにいたいかも。」
「え?」
茜さんがいるせいか、平山をそこで女性扱いするのも擽ったい。一緒に居れるのは嬉しいのは事実だが。
「まぁ俺は構わないけど。」
俺は強がりながらも少し照れる。
「ねぇ、あの女の人が茜さんて人?」
平山と茜さんには接点はない。俺が小学四年の時に平山は学区の反対に引っ越してきた。3つ上であることがあって学校では面識はなく、俺も平山と親しく遊ぶわけもなく、茜さんの存在を知る由もない。
「そうだよ、怖いだろ。」
冗談ぽく俺は話す。
「うーん…そうだねぇ。」
「何、その深みのある言い方は。」
俺も意地悪そうに冗談を言う。
「全然わからないし、直感なんだけど…」
俺は難しい顔をして、平山の続くだろう話を聞く。
「茜さんて、空クンのことさ。」
平山は茜さんに視線を送る。
「空クンのこと…」
ーーー
少し沈黙が走る。
「何でも知ってそうだね。」
平山が視線をこちらに戻して、いつもの微笑みをする。
「そ、そんなこと…」
俺は下を向いてそう呟く。
「いやいや、直感なだけだから。」
平山はまた、視線を茜さんに送る。
「ねえ、一緒にコーヒー頼みに行こうよ。」
平山は少しイタズラっぽく提案する。
「えー、何かイヤだな…」
「なんで?」
「何か、見せつけてる感じしちゃう。」
「寧ろ、ちゃんとアピールした方がよくない?」
「いやいや…」
平山と居れる妙な高揚感もあってか、渋々ながら一緒にコーヒーを買いに行く。
「いらっしゃいませ。」
「アイスブレンド。」
「私はカフェラテかな。」
「お待ちください。」
茜さんが対応していると、何か擽ったい感じがした。
「ごめん、やっぱ俺、先に席に戻ってる。」
「あ、空クン。」
そのタイミングで茜さんが笑っている。
「ああいうところあるから、よろしくね。」
「分かりやすすぎるんですよね。」
平山も笑っている。
席で二人コーヒーを飲むと、しきりにドーナツと陽介の話になった。どうやら、陽介は栗原さんに振られたらしい。しかし、正確には振られたというより先に釘を打たれたというべきか。そのショックを和らげてくれたのは乙武さんらしく、以来、乙武さんには頭が上がらないらしい。
そんな栗原さんは初恋の人一筋。幼馴染の彼に何年も片想いらしい。そりゃ、釘を打たれるわけだ。
そんなマスドの人間模様を聞いていると、俺も改めて平山に想いを伝えたくなった。
無論それはちゃんとシチュエーションを整えてからにするべきだろうが。
「そういえば星場にもドーナツあるんだってね。」
平山が話を切り替えて、星場のドーナツを誘う。
「ああ、夏限定のサマーリングもあるよ。」
「そっか。じゃ、一緒にドーナツ食べませんか?」
「え?」
そういうと、二人で顔を見合わせて大笑いし、ドーナツを買いに行く。
「いらっしゃいませ。」
いつの間にか茜さんと小坂さんが入れ替わっていた。
小坂さんは29歳のベテランのスタッフで、コーヒーソムリエの資格もある。俺も将来、コーヒーソムリエを目指してみたいと考えている。コーヒーのことには詳しい小坂さんだが、男に関しては疎いことを気にしているらしい。
「サマーリング2つ、お願いします。」
「かしこまりました。」
小坂さんがこちらに一礼すると、サマードーナツを取り出す。
俺はサマードーナツを2つ受け取ると、席に戻ろうと振り返ると、サッと雨が降っている。
「雨だね。」
平山はそう言いながら席へ歩いていく。
2つのドーナツを机に置くと、平山はスマホで写真を撮り始めた。
「美味しそう。」
燥ぎだす平山。
無理もない。ドーナツの真ん中には海をイメージしたミントアイスが乗っていて、ドーナツはイチゴチョコとホワイトチョコでデコレーションした浮き輪のようになっている。最後に上から細かいパチパチキャンディが降り注がれている。
「まさに夏だよな。」
「そうだね。」
一口食べるとパチパチ音を立てる。
「空クン、パチパチ言ってるよ。」
「いや、俺が言ってるんじゃないからさ。」
そういうと、平山も一口食べる。
「碧も俺と同じ。パチパチ言ってるじゃん。」
「え…」
その時、平山の、碧の視線は出口を見ていた。
『チャリンチャリーン』
ドアの鈴がなると、茜さんは純白の傘を差して雨の中、帰っていった。
「平山?」
平山は口も目も開いたまま、茜さんの後ろ姿をずっと追っているようだった。
「茜さんに何か用事でもあったの?」
俺は平山と同じく茜さんの後ろ姿を見ながら、そう問いかけた。
「…ううん。」
ようやく一言話してくれたかと思うと、少し俯き、首を振る。
「そういえば、空クンがマスドで私に『一緒にドーナツ食べませんか』って言ってくれた日、あの日も雨が降ってたなって。」
平山は何故か少し悲しそうに話す。
「そうだったか。それがどうかしたか?」
俺は無邪気に返す。
「帰りにいきなり相合傘だったのを思い出して。あの時は嬉しかったから。」
「じゃ、今日も相合傘で送るよ。」
俺は恥ずかしさをかなぐり捨てて勢いで言う。
「その傘でまた相合傘なんて、俺もちょっと照れる。」
有頂天だった俺は、カッコつけて恥ずかしさをカミングアウトしたつもりでいた。
平山は目を合わせず、ため息をついた。
『チャリンチャリーン』
「陽介?」
「お、空か。邪魔だったか?」
陽介が奇遇にも星場に雨宿りするように来た。
「私、今日はもう帰るね。」
「え?」
俺は呆気にとられる。
そのまま店を出ていく平山の手を引く。
「どうしたの?俺、何か言った?」
ワケが分からず俺は少し不満げに言った。
「・・・」
平山は目をそらし、握られた手を弾く。
「言いたいことがあるなら言えばいいじゃん。」
俺は少し興奮気味に言った。
「言えないよ、そんなの。」
今朝の母とのやりとりが、少し横切る。
「わかったよ。俺は陽介と暫くまだいるから、今日はここでお別れしよう。」
少し冷静になって言ったつもりだが、角のある言い方しか俺にはできなかった。
そのまま振り返って陽介の方へ歩み寄る。
「…この傘じゃないよ。」
平山がポツリと言う。
俺は歩みを止めた。
「え?」
「空クンとの思い出の傘は、この傘じゃない。」
視線を下に向けながら平山は微笑みながら言う。
その時、俺は背筋に冷たいものが走った。
俺の顔色が変わると同時に平山は、碧は涙ぐんだ目で俺の目を見る。
「私が空クンと初めて相合傘した、思い出の傘はさ…さっき茜さんが差してた傘だよね?」
この時の、未熟な俺にはわからなかった。
ーそんな小さなこと、たかが傘だし、気にし過ぎだよ。
でも今ならわかる。
母の言う「…空はそういうとこ、優しくないのよね。」
ーごめんね。イヤな気持ちにさせてたね。そういうつもりじゃないんだよ。
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