1年生・立春 プロローグ
千葉県の千葉市、数ある中の駅の一つから俺は通学している。
駅と自宅の間はそれなりに離れていて、自転車かバスで通学している。
駅周辺には、飲食店やデパート、オフィスビルが並んでいる。
通勤時間帯は車の通りも多く、夕方は駅方面に赤いテールランプが連ねて見える。
その最後尾あたりを一本曲がると住宅街があり、その中の一つに俺の家がある。
2階から階段を降りてくるとカレーのイイ匂いがしてきた。
廊下を抜けてリビングへ入るとますます匂いも濃くなっていく。
「おい、明日いつものコーヒー豆買ってきてくれるか?」
父がテレビを観ながら俺にそう伝える。
「うん、わかった。」
そういうと、二千円を貰い、財布に入れる。
「空もそろそろアルバイトとかしないの?」
隣のキッチンで母がカレーを作りながら独り言のように言う。
「そうだね、学校にも慣れたし、二年生になったら経験してみようかな。」
うちの高校は社会勉強のためにもアルバイトは認可されている。ただし簡単な面接や、親の許可は必要で、平日は2時間までなど、細かい決まりも多い。
「空は人見知りするし、母さんは心配よ。アルバイトも務まらないんじゃないかって。」
母は過度の心配性で、尚且つ世話焼きだからか、何かと俺のやることに過剰反応する。
「大丈夫だよ。」
俺は一言だけ返す。
「ダメなことが早く分かるなら、それはそれでいいんじゃないのか。」
父がテレビを観ながら言葉を挟む。
「お父さんは呑気なんだから…」
母が顔をこちらに向けて呟く。
「はは、そうかな。空、今夜はカレーで食後のコーヒーに残りの豆全部使うからさ、明日よろしくな。」
父がテレビを消してこちらに視線と体を向けながら嬉しそうにそう話す。
お釣りはお駄賃とのことで、コーヒーを買うのは俺にとっては臨時収入みたいなものだが、最近はあることから、俺もそのコーヒーを頂いている。
「カレーにコーヒーが合うのが、俺はまだよくわからないけど。」
冷蔵庫から麦茶を取り出しながら俺がそう言うと、
「味覚なんてマネするものじゃない。自分がいいと思うものが一番いいんだ。」
父は他人事のように言いながら、トイレに立っていく。
麦茶をコップに入れ終えて、再び冷蔵庫に戻す。
「空は好きなコとか出来ないの?」
母が潜めた声で言ってくる。
「いないし。」
俺は簡潔に即答する。
「あら…じゃあ、逆に告白されたりもないの?」
「ありえないだろ。」
母はゴシップが好きなせいか、最近は俺の恋路にもゴシップ性を求めてくる。もはやここまでくると笑うしかないが。
実は初恋の告白は誰にも相談できず、振られたショックを母に話したのだが、それが失敗だった。以降は何かと俺の恋路を聞いてくるようになり、次の恋愛が芽生えたとき、実は母には話さなかった。だからと言って結果が変わるはずもなく、以降俺は恋愛からは距離を置いている。
その時、相談したのが親友の陽介だ。陽介については後に詳しく話すとして、その恩もあってか、今は彼の恋路を見守っている。
「星場にしたら?」
俺が麦茶を飲み干すタイミングで母が急に話し出す。
「え、何が?」
「お父さん来週誕生日だし、星場珈琲のお豆、買ってあげなさいよ。お母さんお金出すから。」
星場珈琲は2年前くらいに近所に出来た大手のコーヒー店で、巷では星場と言われている。出来たばかりの頃、家族で行った際に父が大いにそこのコーヒーを絶賛していたのを思い出した。
「ああ、いいかもね。」
「空が買ってきてくれたとなれば、お父さん凄く喜びそう。」
父を想像しながら嬉しそうにカレーを作る母を見て、こちらが恥ずかしくなってきた。
しかし、人を愛するってそういうことなのかもしれない。
そんな母を横目に俺はコップを流しに置いた。