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ランド・ウォーカー  作者: 紀一
日本
7/18

存在理由

秋田へ入ったカイ達は、森の中で銃創のある鹿と出くわした。そして一発の銃声が深い森にこだまする。

7 存在理由


 それは突然の出来事だった。山形を出て秋田へ入ったジープの前に、突然鹿が飛び出したのだ。今となってはどこへ行っても周囲は深い森に囲まれていて、野生動物がかつてアスファルトで立派に舗装されていた道へ飛び出す事など日常茶飯事だ。だがその鹿が現れた瞬間、急ブレーキを踏んだカイの頭をタケルが助手席から掴んで低く押し込んだ。

「痛えな! 何すんだよ!」

 タケルは押し込んだカイの上に覆い被さるようにしながら、忙しく周囲を見回している。

「あの鹿、銃で撃たれた傷がある」

 最後まで言い終えるかどうかという時、車に驚いて一瞬足を止めた鹿の頭を一発の銃弾が貫通して行った。その銃声に、後部座席でもシズマが頭を低くする。

「カイ、早くアクセル踏め!」

 身を低くしたままハンドルを握り、フロントガラスの向こうを覗き見るタケル。カイは前も見えないまま、とにかく急いでアクセルを踏んだ。その拍子に、進路に倒れた鹿を右側のタイヤが踏み付けて行く。車は大きく揺れるも鹿が撃ち殺された現場を遠ざかるが、今度は前方に人が飛び込んで来た。まだ距離があるのですぐに轢くような事はないが、その人物は道を譲る気は無いようで、車の進路を塞いでいる。

 タケルはその姿を認めるなり、カイに言った。

「カイ、進行方向に人が居る。猟銃を持ってるから、あの鹿を撃った奴だろう。どうする? 轢く?」

 その途端、カイはブレーキを踏む。

「轢くわけねえだろ!」

「え、そうなの?」

 勢いよく止まったため、カイは危うくハンドルに頭から突っ込むところだった。それを何とか踏み止まり、ゆっくり体を起こしながら言う。

「森の中にまだ仲間が居るかもしれない。それに、北海道の現状を考えると銃の一挺でもあった方が良いだろう。最終的には弾も全部もらう」

「そんな物を要求したら代わりに何をねだってくるだろうな……。銃は猟師の商売道具だろ? それを渡すかな」

 後部座席から聞こえるシズマの声に、カイはフロントガラスの向こうに立つ人物を視界に捉えながら平然と言う。

「誰がそんなもん頼むかよ。まずは上手く誘導して奴の拠点に案内させる。仲間の数を把握したら、あとは奪うだけだ」

 銃を持ってこちらを睨んでいるのは、若い女だった。

「ちょっと! 人の獲物踏み潰しといて、何も言わずに素通りする気じゃないでしょうね!?」

 女は見上げる高さのフロントガラスを鋭い目で睨み上げている。その手に握られているライフルは、今のところ銃口を空に向けたままだ。

「出て来て謝罪くらいしたらどう?」

「タケル、先に降りろ」

「は? 俺が?」

 タケルは前を見たままのカイを横目に見ながらも、仕方なく助手席のドアを開けた。女はナイフの切っ先のような眼光を、すっと助手席へ向ける。

「ごめん、ごめん、わざとじゃない」

 苦笑しながら現れた大男を、女は上から下までまじまじと眺めていた。そんな女をタケルもじっと見下ろす。女は地底人によく居るような血色の悪い華奢なタイプとは正反対で、小麦色の肌にしっかりとした無駄のない体つきをしている。地上で自由に動き回っている時点で、間違いなくランド・ウォーカーだ。

「あんた、運転手じゃないでしょ。運転手出しなさいよ」

「やっぱそうだよな。おい、カイ!」

 タケルに呼ばれ、カイはアタッシュケースを後部座席のシズマに隠すように言って渡し、運転席から降りた。

「いかにも温室育ちって感じね」

 カイを見るなり女はそう吐き捨てる。内心腹立たしく感じながらも、カイはそれを一切外へ出さずに言った。

「獲物に傷を付けた事は謝る。銃声に驚いてついアクセルを踏み込んだ」

「へえ。もしかして銃を見た事ないの?」

「ああ。この辺じゃ珍しくないのか」

「まあね。この辺は私の縄張りだけど、猟をするランド・ウォーカーは他にも居る」

 すると女はライフルの銃口を二人の後ろに止まったままの車へ向ける。

「この辺じゃ、こう言う自衛隊の車の方が珍しいわね。みんな北海道へ出払ってるから。あんた達も北海道へ行くの?」

「まあ、その予定だ」

「ふうん」

 女はライフルの銃身を肩に乗せて二人と車をよくよく眺めていた。その熱心な視線を余所に、タケルが笑顔で言う。

「なあ、あの鹿、一人で食うの?」

 思いもしない突然の問いに、女は一瞬目を丸くしてタケルを見返したが、途端に笑い出した。

「ははは! なによ、急に。真っ先にそれ訊く?」

 カイはそんなタケルに目を細めるが、女は寧ろ機嫌が良くなったようだ。涙を拭って大きく頷く。

「そうよ。だって私一人で動いてるんだもん。もしかして、あんたも食べたいの?」

 するとタケルは胸を張って言った。

「ああ。食べたい」

「最後にご飯を食べたのはいつ?」

「今朝だ」

「飢えてる訳ではないのね」

「こいつはいつでも何か食いたいんだよ」

 カイはそう言って自分達が踏み付けて来た鹿の死体を振り返る。食べられなくなった訳ではないと思うが、あれを見てもなお食欲が湧くタケルが信じられなかった。

「一部潰れた鹿でも良いなら、食べさせてあげても良いわよ。ただし、こっちの欲しいものを払ってちょうだい」

「何が欲しいんだ?」

 俄然乗り気のタケルに、いつもなら盛大な溜息の一つでもこぼすカイだが、上手くいけば女の拠点へ入り込めるかもしれないと思い、ここは黙って見守る事にした。

 女はにこりと微笑んでタケルを見上げる。

「私の要求は、あんたがあの鹿を私の家まで運んでくれたら話す」

「え? でもそれじゃあ俺の方が……」

「よし、それでいこう」

 タケルの声を遮ってカイが決着を付けた。タケルは不服そうにカイを振り返るが、カイはそんな事など少しも気に留めていない。女の提案は願っても無い申し出だ。

「じゃあ決まりね。私はイズミ。あんた達は?」

 カイは半ばうんざりしながらも通り一遍の自己紹介をした。

「俺はカイ。このデカいのがタケルで、車に居るのがシズマだ」


 タケルは血を滴らせる鹿の足を掴んで持ち上げた。ちょうど胴体部分にタイヤの幅と同じ窪みができている。押し出された内臓が土に混じってぬらぬらと光っていた。

「これさ、ここで捌かないの?」

 先を行くイズミが一つに束ねた長い髪を揺らしながら振り返る。

「そんなに遠くないから、そのくらい運んでよ」

 その後ろ姿に軽く溜息を吐き、タケルは後ろを振り返った。カイとシズマが乗る車が、後ろから徐行で二人に付いて来ている。イズミが言うには家の近くに空き地があり、そこに車を停められるらしい。そこまで転がすのだ。転がすついでに鹿も乗せてくれと頼んだが、汚したくないと言うカイにあっさり断られた。

「ねえ」

 前を行くイズミが肩越しに言う。

「タケルは北海道で何するの?」

「さあ、何だろうな。その時による」

「やっぱり招集されたの?」

「いや、別の仕事だ。カイを助けてやらないといけないんだよ」

「ふうん。カイってそんなに重要人物なの? そうは見えないけど」

「まあね。俺にも全然そんな風に見えない」

「良いね」

「……何が?」

 イズミはただ前を向いて深い森を真っ直ぐ進んで行く。右手に握られたライフルは、そんな背中には全く似合っていない。

「立派な仕事があって」

「立派かどうかは知らねえけど」

 イズミは何も返さない。ただ黙々と歩みを進めた。

 それから暫く森を進み、漸く家が見えて来た。

「あれが私の家」

 タケルは鹿を一度地面に下ろし、先にある家を見る。遠くないと言っていたわりに、それなりの距離があった。体力的には全く問題ないが、これで現れた家が東山で入った小屋のようではさすがにうんざりする。

 イズミが指さす先には、想像していた以上の家があった。小屋ではなく、確かに家だ。木造平屋建てだが、玄関には引き戸、ガラスの入った窓もあり、屋根には瓦が乗っている。

「すげえな。本当に家だ」

「だから家だって言ったでしょ? 何だと思ってたのよ」

「小屋なんじゃねえかと……」

「そんな暮らし、まっぴらごめんよ」

 そう言うとイズミは後ろから付いて来ている車に空き地の方を指示し、自分はそのまま家へ向かう。玄関へ向かう前に家の横にある井戸の方へ行くので、タケルもその後に続いた。

「鹿はここで捌くから、その台の上に置いて」

「はいよ」

 銃を近くの切り株に立てかけ、イズミはナイフを取り出して鹿の皮を剥ぎ始める。その手捌きは驚くほど素早く、的確だった。

「お前、この生活長いのか?」

「もう六年くらいにはなるかな」

 タケルは改めて家を見る。年季は入っているが、しっかりとした造りだ。素人が即席で作れるような構造ではない。

「この家は誰が?」

「さあね、もらった物だから、誰が建てたかは知らない」

「そうだ、鹿を食わせてくれる代わりにお前が欲しい物って?」

「食事の準備ができて、全員揃ったら言うわ。何を食べられるかでその対価として相応しいか、考えが変わるかもしれないでしょ?」

「そんなに面倒な物なのか?」

 イズミはナイフを台に突き立てて笑った。

「さあ、それは人によりけり。ところで、シズマって事はあんたのもう一人の仲間も男?」

 タケルは不思議な質問に首を傾げる。

「ああ、男だ」

「分かった」


 カイはイズミが示した空き地に車を停めた。そこは家のすぐ近くだが家との間には木々が薄い壁を作っており、一続きにはなっていない。タケルとイズミは先に家の方へ向かったが、今のところ銃声はしないのでタケルは無事だろう。

「彼女、一人なんだって?」

 後部座席ではシズマがアタッシュケースを座席の下に押し込んでいる。

「ああ。この辺は自分の縄張りだと言ってた。それに、食事も一人だと」

「こんな山奥に女の子が一人で住んでるなんてね」

「……女の子? そう言うタイプじゃねえだろ」

 ケースを隠し終えたシズマは顔を上げてカイに念を押した。

「カイ、分かってるだろうけど、本人の前ではそう言うの出さない方が良いぞ」

「分かってるよ」

「女の子には優しくした方が良いよ」

 カイは無人になった車に鍵をかけ、目を細めてシズマを見る。

「……何で? 優しくして何か良い事でもあんのかよ」

 するとシズマは楽しそうに笑った。

「その逆。優しくしないと何かしら悪い事があるの」

「……面倒くせえ。女だろうが男だろうが、俺の目的を果たせればそれで良い。あの女も、銃と弾が手に入れば後は用無しだ」

「出た、出た、そう言ういかにもってやつ。まあ、ちょっとは演技してくれよ」

「逆に、お前は何で周りの奴に気を遣うんだ? 無駄じゃないのか」

 シズマはそう言うカイの肩に、優しく手を置く。

「顔を殴られるのと、こうして手を置かれるのと、どっちが友好的に感じる?」

「こっちの方がマシに決まってる」

「だろ? 人は優しくされる方がより多くのものをリターンする。逆に敵意を抱いた相手には良いものを返さない。情けは人の為ならずって言葉もあるだろ? 優しくした方が良い反動があるんだよ」

 カイは何も言わずにそっぽを向いた。

「ほら、今だって俺がカイを殴ってたら殴り返しただろ? でも肩に手を置いただけだからそっぽを向かれるだけで済んだ」

「……なるほど」

「女の子には特にそう言うのが大切なんだ。男より感情的な生き物だから」

「分かった。銃のために何とか心がける」

「宜しく」

 それから二人が家へ向かうと、ちょうど家の影からイズミとタケルが出て来た。イズミは鉄製の大きな鍋を持っている。

「ちょうど良かった。どうぞ」

 そう言って玄関の引き戸を開けた。鍵はかかっていないようで、そこからもこの一帯に人が居ないのだと分かる。

 玄関を入るとすぐ左に縁側が伸び、正面に一部屋、その隣に広めの部屋が一部屋ある。正面の部屋に囲炉裏があった。カイは初めて見る縁側を覗く。今は窓が全て閉じているが、表に面した長い通路は一面が窓になっていて外を見渡す事ができる。その縁側の突き当りにも部屋がある。扉の形や大きさから察するに風呂場だろう。

 イズミは囲炉裏のある部屋に入り、天井から下がっている囲炉裏の鉤に鍋をかけた。

「窓を開けて来るから、この部屋に居て」

 三人は通されるがまま炉端に腰を下ろした。カイは注意深く部屋を見回すが、銃に関わる物は置いていない。恐らくこの隣の部屋なのだろうが、襖が閉まっていて確認できない。今すぐにイズミを黙らせて家を物色しても良いが、肝心のライフルはまだイズミが背負っている。返り討ちにあっては手に負えない。

 そんなカイの思考を読み取ったかのように、タケルが力強く鍋を指さしてきた。どうやらこれを食べるまでは凶行に及ぶなと言いたいようだ。

「お待たせ。野菜も持ってきたから、これも入れよう」

 戻って来たイズミはライフルを背負っていなかった。銃がこの家の中に保管されている事は間違いない。玄関にも鍵をかけていなかったのだから、今更鍵付きの金庫など出て来ないだろう。最悪の場合、イズミを殺しても銃は手に入れる事ができるはずだ。

「料理と言っても、普通に鍋だけどね」

 囲炉裏にかかっている鍋を見て、シズマが口を開いた。

「これは何のスープ?」

 鍋の中には既に白く濁った水が張ってある。

「鹿の骨からとったスープよ。今日の昼食のために朝作っておいたの。あんた達、運が良いわね」

 スープが温まって来たところに、イズミは野菜を入れた。そこでカイがいよいよ本題を切り出す。

「で、あんたの要求は何なんだ?」

 するとイズミは鍋の様子を見ていた手を止め、三人に向かって顔を上げた。その表情は硬く、いったい何を要求する気なのかと三人は身構える。事によってはここでこの女を殺そうか、とカイは内心考えていた。

「私と、寝てくれない?」

 部屋の中が真空のように静まり返る。タケルは平然としているが、カイとシズマは言葉を失っていた。

「よろこ……」

「あのな、いったい何考えてんだ?」

 タケルを遮ってカイがイズミに噛みつく。シズマに優しくしろとは言われたが、とてもそんな平静な心持ちでは居られなかった。

「話すと長いから、良いか悪いかだけ教えて」

「いやだ」

「もっと自分を大切にした方が良いよ」

「断る理由はない」

 カイ、シズマ、タケルがそれぞれ返答し、イズミはタケルに椀と箸を渡す。

「交渉成立ね、タケル」

 タケルが椀を受け取った瞬間、カイはその場から立ち上がった。そしてタケルを見下ろして言う。

「タケル、分かってんだろうな」

 いつもなら置いて行くと言うはずのカイがそう言わない。その真っ黒い目が自分に言わんとしている事をタケルは解っていた。

「ああ、任せとけ」

「じゃあ、俺達は車に戻る。さっさと来いよ」

「いや」

 出て行こうとするカイとシズマに、タケルは堂々と言う。

「戻るのは夜中、いや、明日の朝だ」

「……勝手にしろ」


 家を出たカイとシズマは、そのまま車に戻って適当に保存食を口に運んだ。確かにあの鍋は美味そうだったが、あれを食べるために払う代償が気に食わない。

「今回は随分とタケルに優しいね」

 後部座席では味気ない保存食をかじりながらシズマが足を延ばしている。カイはシートの背もたれを倒してフロントガラスの向こうに広がる空を見上げた。梅雨に入ったせいか、すっきりとしない空だ。

「北海道の状況を聞く限り、タケルが居ないと安全を確保できないからな。本当だったら車の鍵もあるし、あいつをここで置いて行きたいくらいだ」

「それにしても、あのイズミって子、なに考えてるんだか……。あんな人初めて会ったよ」

「こんな山奥に一人で住んでて、頭がおかしくなったんじゃねえか?」

「自分の価値があの鹿鍋と同じだって事だろ?」

「俺には理解できない」

「確かに」

 するとシズマが起き上がってカイを覗き込む。

「なあ、明日の朝までここでタケルを待つのか? しかもこんな近くで? 気まず過ぎるだろ」

 カイは少しの間考えを巡らせていたようだが、ボトルから水を飲んで言った。

「気は進まないがここで待つ。タケルの野郎も馬鹿だが俺の目的を知ってるはずだ。女をどうするか勝手だが、銃の一式は持って帰ってくるだろう。だが、あいつがしくじった時の事も考えないといけない」

 シズマは目を丸くして、寝たままのカイを見る。

「タケルがあの子に負けるって事?」

「あいつは女となったら目が無い。薬でも盛られればすぐ死ぬさ。シズマはあのイズミって女がこの車を随分熱心に眺めてたのを見たか?」

 シズマは最初にイズミがこの車の前に立ちはだかった時の事を思い返した。確かに、タケルとカイを見る以上にこの車をよく見ていた気がする。

「珍しかったんだろ?」

「そうかもしれない。だが、北海道の事にも妙に関心があるようだった。タケルがしくじった場合、あの女は俺達を殺しに来る。そう思わないか」

「まさか、この車が欲しいって事? これで北海道に行くのか?」

「可能性としてはゼロじゃねえって話だ。だから、俺は奴らが宜しくやってる間にその対策を打つ」

 そう言うとカイは倒したままのシートの上で身をよじり、後部座席の荷物に埋もれている袋を引っ張り出した。

「これだ」

「何それ?」

 大きな袋の中から、カイはワイヤーのついた棒のような物を取り出して見せる。

「罠だよ」


 タケルは驚くべき勢いで鹿鍋を平らげて行く。この鍋は恐ろしく美味かった。鹿の骨からとったと言うスープが野菜と肉をより濃厚な味に仕上げている。このスープのおかげか、鹿肉の臭いも気にならない。元々そんな事を気にするタケルではないが。

「もっとゆっくり食べなよ。詰まらせるよ」

 向かいに座るイズミは目を丸くしてそんなタケルを見ていた。タケルは自分が食べる何倍もの速さで吸い込んで行く。

「え? いつもこうだけど?」

「もうちょっと味わったら?」

「味わってるよ。すごく美味い! ありがとう!」

「……ありがとうって……、別にあんたのために作ったんじゃないけどね」

「でもお前が獲ったやつだろ」

「この程度ができなきゃ、生きていけないから」

 そう言って肉を口に運ぶイズミ。その顔を真っ直ぐ見て、タケルはふと湧いた疑問を口にした。

「お前さ、何でこんな場所に住んでんの? 居住区の方が楽じゃん」

 イズミは一旦箸を置き、囲炉裏の灰をぼんやりと見る。

「確かに、居住区なら何かしら仕事をすれば適当に衣食住が保証されて楽に生きていける。でも、なんかそれにうんざりしたのよね。こんな下らない事のために私って生きてるのかなって」

「……下らない事?」

「そう。この辺の居住区は地下の水耕栽培施設があまり充実してなくてね、私は子供の頃から山で猟をする仕事をしてた。それを地底人に渡して、勝手に料理されてくるものを食べてたの。でも、それって自分のために獲って自分で食べても同じでしょ?」

「料理の手間は無いけどな。それに、獲れない日があっても食っていける」

「人間が居ない山は動物だらけだから、よほどの事が無きゃ獲れないなんてないわよ。天敵が居なくなって動物の警戒心も弱まってるし。熊にだけ気を付ければ大丈夫」

「へえ、そう言うもんか。それで山に?」

「そう。自分のためだけに生きたら、何のために生きてるのか、分かる気がして」

「そっか」

 するとイズミはまだ中身が入っている椀を置き、大きな溜息を天井に流した。

「でも、分からないの。結局、毎日食べて寝るだけ。私って……何のために生きてるのかな」

「さあ、何だろうな」

 タケルはすっかり鍋を平らげると、椀と箸を置いて立ち上がる。イズミは座っているせいで余計に大きく見えるタケルを見上げた。タケルはそんなイズミに微笑んで手を伸ばす。

「じゃあ、やるか」

「食べたばかりだけど……」

「俺は問題ない。時間も限られてるし」

「あの鹿をここまで運んで来たのに、随分元気なのね」

 苦笑するイズミに、タケルは静かに言った。

「生きてるって感じられるか、知りたいんだろ」

 イズミはそっと笑って、タケルの手を取る。


 カイは車から降り、家からこの車までの道のりを改めて見直していた。この家は平屋だから高い場所から直接狙撃されるとは考えづらい。木に登ったとしても、この距離では家から出て目ぼしい木を物色している内に自分達に見付かれるだろう。

 逆に近付いて来るとしたら、この車は車高が高いのでドアを開けないとシートに座っている人間を撃つ事はできない。その上、イズミはこの車が自衛隊の車両だと分かっているので、防弾仕様だと考えているはずだ。間違いなくドアを開けさせて直接鉛球を撃ち込んで来るだろう。

 そうなれば、イズミが通るであろう道筋は自ずと明らかだ。カイはその進路上に穴を掘り、括り罠を仕掛けて葉や枝で覆う。今のところイズミが罠を使っている様子は無いが、この手の道具に無知とは思えない。幸い、銃も見た事が無いような都会育ちだと思っているので、その先入観を逆手に油断させられれば良いのだが。

 罠を仕掛け終わる頃にはすっかり空は暗くなっていた。当初の宣言通り、タケルはまだ家から出て来ない。カイはふと家の方へ目を向けたが、すぐに車に向き直って運転席に戻った。

「罠仕掛けたの?」

 後部座席で横になっていたシズマが顔を上げる。

「ああ。どこ掘ってたかは見てただろ。運転席へのルートと、後部座席へのルート、それぞれに仕掛けてある。間違って踏むなよ」

「分かってるよ。どの道、もう寝るし」

「もう寝るのか? この状況で寝られるお前も、なかなか良い神経してるよな」

 すると後ろからは眠たそうな声が返って来た。

「だって、カイが起きてるんだろ? だったら俺は寝てても良いじゃん」

「……まあな」

 カイは静かになった車内で窓越しにぼんやりと曇り空を見上げる。イズミは何故あんな要求をしてきたのだろう。ずっとその疑問が頭から離れなかった。単なる男好きな女のようにも見えなかったが。

「シズマ」

 一人で黙っていては自分まで眠くなる。カイは空を眺めたままシズマを呼んだ。眠そうな返事は少し遅れてやってくる。

「うん?」

「一人で黙ってると眠くなる。起きててくれないか」

「ああ、分かった」

 シズマは上体を起こして助手席のシートに寄り掛かる。そしてカイと同じようにフロントガラスの向こうを眺めた。

「今何時?」

 カイは腕時計を確認する。

「もうすぐ十時になる」

「意外だな。もっと遅いかと思ってた。夕飯食べ損ねちゃったけど、どうする?」

「なんだか腹が減らない」

「まあ、夕飯にしては遅いし。良いか」

 すると、フロントガラスに雨粒がいくつか落ち始めた。ただでさえ眠くなる空気に、雨粒が鉄の塊を叩く音が加わる。そんな中、カイがふと口を開いた。

「考えても意味が無いのに、考えちまう事ってあるだろ」

「うん? 俺はあまり無いかも」

 シズマはにやりと笑って運転席のカイを覗き込む。

「あの子の事だろ?」

 カイはその視線に眉を寄せながらも、小さく頷いた。

「あいつがどうしてあんな要求をしてきたのか、気になるんだ」

「本人に訊いて来れば? タケルの事だから、まだ頑張ってるんじゃないの」

「勘弁してくれ……」

「はは、冗談だよ」

 車を叩く雨粒の音は徐々に数を増していく。窓の向こうの景色も水滴に遮られて見通せない。

 シズマは後部座席のシートにもたれて言った。

「思うに……カイが俺を起こしたのと似てるんじゃないかな」

「どう言う事だよ」

「カイは夜、静かな車内で一人だと眠くなるから俺を起こした。俺が起きていて話し相手になれば眠くならずに済むから。そうだろ?」

「ああ」

「あの子も似てるんじゃないかな。誰かが居て、自分を起こしていてくれないかって」

 カイは雨に濡れる生け垣を見る。あの向こうに二人が居る。妙な感覚だった。

「ランド・ウォーカーが他人を必要とするか? 俺達は自分のために生きてるんだぞ」

「所詮は俺達ランド・ウォーカーも人間って事なんじゃない? 人間ってさ、結局は社会ってやつの中で生きる動物だろ? 俺達も愛着や執着は無くても、自分の存在価値を証明する足がかりが必要なんだろ」

 そう言うシズマにカイは少しの間黙っていたが、徐に後部座席を振り返る。

「お前もそうなのかよ」

「俺は温泉と美味い食い物があれば良いよ。そりゃあ、たまには誰かと話したりしたいと思うかもしれないけど、基本的には自分が満足できる事が一番だな。カイは?」

「……分からない。何の束縛も無い生活をした事がないから、想像できない」

「ふうん。そう言うもん?」

「ああ」


「タケル、ちょっと休憩」

「え? もう?」

 イズミは乱れた髪を整えながら体を起こした。正確な時間は分からないが、外はすっかり暗くなっている。二人でこの部屋に入ってから、恐らく十時間は経っているだろう。ここに至るまでに何度か休憩を申し出たが、タケルは数分休むとすぐに起き上がる。とても同じ人間とは思えない体力だ。

「恐ろしい体力ね……。ちょっと水持って来るから」

「ありがとう」

 上着を肩に掛け、イズミは部屋を出て行った。タケルはその後ろ姿を布団の上から見送っていたが、襖が閉まるなり部屋の中を見回す。行為の最中も時折探ってはいた。ここまで時間をかけて何の収穫も無くては、さすがにカイに毒でも盛られそうだからだ。いや、自分にとっては大いに収穫があるのだが。

 銃とその一式が保管されている場所は既に突き止めている。あとは自分が満足したら行動に出るまでだ。

 襖が静かに開いた。イズミは盆の上に湯呑を二つ乗せている。その中の一つをタケルに差し出した。

「はい」

「どうも」

 タケルは受け取った湯呑を口に運び、水をそのまま飲み干す。

「ごめんね」

 そう言うと、イズミは水を飲まずに立ち上がった。タケルはすっかり見慣れたその姿を見上げながら、布団に沈み込んで行く。

 そんなタケルに、イズミは小さな声で呟いた。

「生きてるって感じたよ」

 布団の上で漸く寝息を立て始めたタケルを見下ろし、イズミは服を着てライフルを取り出した。水を取りに行く途中で時計を確認したが、既に深夜零時だった。外からは雨の降る音がする。足音を消すには好都合だ。

 裏口から外へ出ると、イズミは空き地に停めてある車へ注意深く近付いて行く。昼間のやり取りからすれば、タケルが朝帰りだと思っている二人は既に寝ているだろう。あの車両は外から撃っても貫通しないだろうから、どのみち中の人間を起こしてドアを開けさせなければならないが、寝起きなら多少はぼろが出るはずだ。

 この時季のわりに冷たい雨が降りしきる中、ぬかるんだ土の上を進んで行く。そうして運転席の数歩手前まで来た時、何か異質なものを踏んだ感覚と同時に、右足首に痛みが走った。

 見れば、金属製のワイヤーが足首をきつく捉えている。

「括り罠……」

 その時、目の前の車が低いエンジン音を唸らせた。白いヘッドライトが暗闇を照らし、深いタイヤ痕を残しながらバックする。そして進行方向をややずらし、罠に掛かったイズミを光の中に浮き上がらせた。

「どう言うつもりよ!」

 イズミが叫ぶと、白い強烈な光の中からカイの声が返って来る。

「銃を遠くに投げろ! そうしないと轢き殺す!」

 カイの要求を余所に、イズミは声のする方へ一発撃ち込んだ。銃声が雨音を切り裂く。だが、弾は固い装甲を破る事はなかった。

「最後の忠告だ、銃を捨てろ!」

 イズミが再び照準を合わせたその時、背後から伸びて来た大きな手がライフルの銃身を掴む。そして抵抗する事などできようもない怪力でライフルをむしり取った。

 その手が誰の物かはすぐに分かる。イズミは地面にしゃがみ込んだまま、背後の人物を見上げた。

「タケル……どうして……」

「俺にあんな薬が効くと思うか?」

 ライフルの銃口はイズミの額を捉えている。

「……タケルだけは、一緒に居てくれると思ったのに。だから毒にしなかったのよ」

 タケルの指は引き金に乗っていた。ヘッドライトに照らされるその目は、これまで見ていた目とは全く違う、無感情なものだ。そしてタケルは雨に濡れながら言った。

「悪いな。俺には生きる理由がある」

「……カイ?」

「そうだ」

 イズミは冷たい土に目を落としながら笑う。

「カイが羨ましい」

 次の瞬間、鋭い銃声と共にイズミは雨に沈んだ。


 タケルはライフルを持って車へ向かう。運転席の方へ行くと、ライトを落としたカイが窓から顔を出した。

「生きてたのか、タケル」

「当たり前だろ、俺はまだ仕事を終えてない」

 差し出されたライフルを受け取りながら、カイは横たわるイズミを見やる。

「お前も薄情な奴だな」

 そう言うカイの視線を追うように、タケルもイズミを振り返った。

「俺は俺の生きる理由を守っただけだ。お互い様だろ」

「まあ、いいや。家の中にまだ弾とかあんだろ?」

「ああ、ちゃんと確認したぜ。俺だってただ何も考えずに楽しんでたわけじゃない。こう見えてちゃんと仕事してるんだ!」

 カイはうるさそうに顔を背けて家の方を指さす。

「分かったよ。じゃあ仕事ついでに弾も一式持って来いよ」

「はいはい」

 歩き出したタケルを、カイは大声で呼び止めた。

「タケル!」

「何だよ? まだ何かあんのか?」

「服を着てから出て来い!」

 タケルは盛大な溜息をついて何も言わずに歩いて行った。


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