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ランド・ウォーカー  作者: 紀一
日本
1/19

ランド・ウォーカー

黒い霧が現れて八十年。カイは施設耐久年数の限界に達しようとしている原発に代わるエネルギー源を得るため、タケルと共にアメリカを目指す。

1 ランド・ウォーカー


 この世界に、真に美しいものが存在しているのか。かつての地上には確かにあっただろうか。あの黒い霧が立ち込める前の地上には。


 人々は地下へ降りた。

 あの黒い霧が遥か北の大地、ロシアの凍てつく土から水蒸気のように天へ昇り始めて八十年近くが経った。人も殆ど暮らしていない北の外れに突如として現れた黒い霧に、世界中から学者やマスコミが山のように押し寄せた。当時、霧を採取して現地で可能な限りの解析が成されたが、その正体は全く解らなかった。人類が未だかつて遭遇した事のない物質だった。学者の中には霧のサンプルを持ち帰り、本国でより精度の高い解析を試みる者も居た。だがやはり結果は同じだった。

 そうする内に、ある事件が起きた。現地に構えられた学者やマスコミの拠点、通称「霧の村」で多数の死者が出たのだ。その死因もまた、解らなかった。外傷は無く、画像を精査しても内臓の損傷も無い。血液から有毒物質も検出されない。窒息した形跡もない。霧の村の変死体は、全て眠るように死んでいた。

 その事件は世界中を不安の渦に突き落としたが、その渦が更に多くを飲み込むまで、そう時間は掛からなかった。

 霧が広がった。これまで黒い霧がぼんやりと立ち昇っていたのは、たかだか十メートル四方程度の広さだったが、それが二日で三倍近く広がったのだ。地面に亀裂がある訳でもなく、地下にガス溜まりがある訳でもない。黒い霧は何の前触れもなく、土から滲み出て来る。

 そんな中、当たり前のように世界中で終末思想が再熱した。世界の終焉は北からやって来る。誰もがそう予感した。だが霧は、そんな都合の良い危機感すら打ち砕いた。

「ロシアの霧」と名付けられた黒い霧は、四か月後にはアフリカから、七か月後には中東から立ち昇った。そしてその間にもロシアの霧は広がる一方だった。終焉はどこからでもやって来るのだと人々は察した。


 その頃には霧の特徴も多少は認知されて来ていた。とは言っても、ごく表面的な特徴に過ぎないが。霧は土から立ち昇る。水やアスファルトなど、土が露出していない場所からは現れない。ならば土を全て覆ってしまえば良いのだろうと思われたが、そうはいかなかった。どうやら霧が立ち昇ると、その黒い微粒子は風に乗ってどこへでも流れ着くようであった。霧の湧く場所から離れていても、風下の集落で何人も変死していたと言う話は世界中で聞かれた。そして、何より人々を震撼させたのは霧の出る周期だった。ロシアで出現してからアフリカ、中東、南米、東南アジアと続いて出現したが、次第にその間隔が短くなっていた。

 いつ自分達の足下から霧が湧くか分からない。その恐怖から、アメリカでは人々は国の対応を待たずにハリケーン用に備え付けられている地下シェルターへ逃げ込み始めた。外出は最低限にとどめ、必要な場合は携帯端末などで地上の様子を確認して恐る恐る外へ出るようになった。

 日本でも地下への熱が高まり始めた。アメリカ製の家庭用地下シェルターもよく売れた。そんな中で当たり前のように国による国民保護が強く求められた。そこで白羽の矢が立ったのは各地に設けられていた豪雨災害用の地下貯水槽だった。政府は尻に火が点いたように大急ぎで貯水槽を避難所へ改装した。特に東京都のそれは大掛かりで、見上げるほどの地下空間に地上から団地を移し替えたような様相になった。

 勿論、既存の地下空間だけでは全国民を収容できない。当然新たな地下居住区の建設も急がれた。この一大事業のために国庫は枯渇し、国債がこれまでにない勢いで発行された。だが先の見えない混乱の中でそれを買おうなどと言う国民も少なく、やむを得ず国は地下への居住権に金額を付けて売る事にした。予め医療や警察、自衛等の枠を一定の割合で確保し、その他の区域を一般枠として販売した。建設経費等を賄うためのその値段は非常に高価だった。


 最初に黒い霧が湧き上がってから八十年が経った。

 この頃には日本のみならず、世界中の国で地下での生活が当たり前になっていた。電力や上下水は地上の施設から供給され、食料は殆どが地下での水耕栽培で育てられるものとなっていた。そうして人類はなんとか食い繋いできたが、経済や地域間の流通はもはや崩壊し、科学技術を有していながら生活自体は原始的にならざるを得なかった。

「そしてこの社会を支えているのは君のようなランド・ウォーカーだ」

 カイはこの長い歴史の講義のような時間を、部屋の隅にある壁のヒビを見ながら聞いていた。目の前の中年男はその視線に気が付いたようで、壁とカイの間に入り込んで虚ろな視線を遮る。

「聞いているかね、カイくん」

「ええ、はい」

「君、今年でいくつだね」

「確か……十八です」

「では勿論、ランド・ウォーカーは知っているね」

「はい」

「では説明してくれ」

 カイは椅子に座ったまま男の苦々しい表情を見上げた。

「ランド・ウォーカーは地上に出ても死なない人間」

「そう、一言で言えばその通りだよ」

「原発も下水処理も水道管理も、ランド・ウォーカーがやってます。無賃で」

 すると男は明らかに不快な表情をした。

「ああ、確かに彼らに支払う金がない。だが、その分食料などの配給を優先的に行っている」

「そして嫌われている」

「嫌われてなどいないよ、それは誤解と言うものだ」

「良いんです。俺はもう嫌われてますから」

 男は気味悪そうにカイを見下ろす。カイは黙ってその目を見上げた。大豆とコオロギが主食となった今、どのようにして蓄えたのか見当もつかない贅肉を蓄えた男の顔には、明らかな苛立ちと不快感が広がっている。

「ランド・ウォーカーは他者と繋がりを持ちたがらない。そのせいで誤解されているのだよ」

「別に俺、逃げ出そうとか思ってないので、そんなに持ち上げてくれなくて良いですよ。で、俺が呼び出されたのって何の用ですか」

 まるで予めプログラムされた台詞を吐き出すロボットのような少年。この特徴は殆どのランド・ウォーカーに共通するものだ。稀に多弁で陽気なタイプもいるが、どちらにせよ、他者への共感能力が壊滅的に欠けている人種だった。

「カイくん、君も属している東京地域の電力供給を支えている東北の原発だが、とうに稼働年数が限界を超えているのは知っているかね」

「はい。だから大急ぎで太陽光パネルを置いてるじゃないですか」

 ああ言えばこう言う、可愛げのない子供だと男は目を細めた。

「俺も今はその現場で働いてますよ。でも最近は霧が多くて、作業がなかなか進まないし、労力かけてる割に日光が遮られて発電量はあまりないそうです」

「そうなのだよ。君達ランド・ウォーカーの献身には皆、日々感謝しているよ」

「献身のつもりはないですけどね。食い扶持のためです。皆そう言ってる」

 男は一度咳払いをした。

「とにかくだ、カイくん。君への依頼はその電力供給に関わっている」

「でしょうね」

「……アメリカへ行ってくれ」

 カイは目を丸くして男を見た。こんなに驚く事も滅多に無い。

「アメリカ?」

「そう。厳密には南米だ。だが、まずはアメリカで技術者に会って来て欲しい」

「いったい何の技術者ですか。わざわざアメリカだなんて」

「去年、アメリカの科学者が雷のエネルギーを回収し、逐電する技術を開発したそうだ。物好きな探検家のランド・ウォーカーがここへ立ち寄った際に口にしていた。今、北米ではベネズエラのマラカイボ湖に年中発生している雷を利用して、潤沢な電力が供給されているそうだよ」

「へえ、そんな技術を教えてくれるんですかね?」

「政府たっての願いとなればかつての同盟国ならば無下にはすまい。日本で実用化したとしても、マラカイボ湖のように年中雷が発生している必要はない。雷のエネルギーなら一発でも大勢を養えるのだよ。日本でも問題なく使える」

「そうですか」

 その技術で日本でも電力を補えるようになったら、次の仕事は下水処理か。カイは気が重くなった。

「でも、アメリカなんてどうやって行くんですか。飛行機も船もまともなのは何も動いてないのに」

「海峡を渡る程度なら船もまだ動いているよ。飛行機は燃料や霧の嵐のせいで飛んでいないが、それも短距離なら可能かもしれない」

「俺はそんな物、操縦できませんよ」

「そんな事は百も承知さ。君には車を使って陸路を行ってもらうつもりだ。海を渡る時は地元の人間に強力を仰いでくれ。パスポートと政府の協力要請書を渡しておこう。恐らく必要になるだろう言語全てで書かれているから安心したまえ」

 カイは表情で「面倒くさい」と訴えた。だが男は構わず話し続ける。

「提供するのは我々の持てる技術と資材を駆使した電気自動車だ。時間はかかるが、海路も空路も無いとすれば陸路で行ってもらうしかないのだよ、カイくん。通信機能が生きていればこのような大掛かりな依頼をする必要も無いのだが、君も知っている通り霧は電波妨害もするのでね」

「でも、俺が確かにアメリカへ行ってそのデータを受け取ってここへ戻って来るなんて保証はありませんよ。途中で死ぬかもしれないし、気が変わってどこかで自由に暮らし始めるかもしれない」

 すると男は今まで以上に真面目くさった顔で念を押した。

「カイくん、君に課されたこの任務はここ東京地域の日本人だけではなく、日本列島中に生き残った日本人全員の命に係わる重大事項なのだよ。君はそれだけの人々の命を背負っているんだ。それでものうのうとアメリカ西海岸で暮らす気か」

「ランド・ウォーカーにその手の脅しは通用しないってご存知でしょう。人の事なんてどうだって良いんですよ。俺達がどうして地底人のために働いているか分かりますか」

「…………」

「俺達は勝手に地上へ出て行って自由に暮らしたって良いんだ。霧を吸ったって死なないしね。でも、一人でサバイバル生活をするのは物凄く面倒だし骨が折れる。だから地底人に頼まれた仕事をして、地底人が地下で育てた食い物をもらって生きる方が楽だからなんだ」

「それなら、その地底人とやらが死に絶えたらどうする。集団を作れない君達は野生動物さながらに山野を駆け回ってその日その日の食い扶持を手に入れるんだぞ。それでも良いのか」

「新手の脅しかな」

「どう取ってもらおうと自由だ。だが君の生活もかかっている事だと自覚するべきだな」

「アメリカの西海岸にはここよりもっと良い地底人が暮らしているかも。そうしたら俺は戻りませんよ」

「大丈夫、君には相棒をつけるからな。その相棒には君と共に情報を手に入れる以外にも任務を課している」

「……相棒? ランド・ウォーカーですか」

「そうだよ」

 男は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「君が子供の頃から外国語を学んできたように、その相棒は戦う技術を身に付けて来た。我々はランド・ウォーカー達に君のような外交能力以外に戦闘能力も与えてきたのだよ。地底人は地底人を守るために君達に食い扶持と能力を与えたのだ」

「そいつに俺を殺させる気ですか」

 男は大いに頷いた。

「君達ランド・ウォーカーは自分の身が何よりも大切だ。君がこの任務を放り出そうとすれば、その相棒に殺されるのさ。どうだい、やる気になったかい」

「やる気にならなければ、あんたはこの場で俺を殺すんだろ」

 何も言わないが、男の目はその問いに頷いて返した。働かせるために育てた駒が働く能力を持たないのなら、そんなものを生かすだけ労力の無駄とでも言いたげだ。

「地底人は同じ地底人を守るためなら何でも殺す。俺達より質が悪い」

「好きに言いたまえ。さあ、そうと決まれば早速相棒と対面してもらおうかな」

 そう言って男はカイに背を向けて部屋の外へ出て行った。カイは男が居なくなった途端に椅子から立ち上がり、今まで座っていた椅子を持ち上げて壁のヒビへ向かう。黒い霧は土から湧き上がる。カイに迷いはなかった。

 椅子を高く振り上げ、壁のヒビを目がけて振り下ろす。だが、その腕を後ろから駆けて来た誰かに掴まれた。驚くほどの怪力だ。

「それは止めた方が良いなあ、カイ」

「いてえな、放せよ」

 カイは後ろから自分の腕を鷲掴みにしてきた男を睨んだ。男はどうやら自分と同じくらいの年頃だが、とにかく体が大きい。いったい何を食べればそうなるのかと訊きたいほどに。

「お前が椅子を離すなら放してやるよ」

「お前が先に放さないとできるわけねえだろ。ここで離したら椅子が頭の上に落ちるんだぜ」

 男は楽しそうに笑った。

「あはは! それもそうか!」

 漸く男の大きな手が腕から離れ、カイは一先ず諦めて椅子を下ろした。ここの地底人どもを何人か殺してやろうと思ったが、成功しなかった。その失敗を招いた張本人を振り返る。がっしりとした体躯の大男だ。

「紹介しよう、彼が君の相棒のタケルくんだ」

「どうも」

「こんなデカブツが電気自動車に? 燃費が悪くなる」

「言っておくが、彼を同行させるのは君の身を守るためでもあるのだよ。地上は警察機能が全く停止している。言わば無法地帯だ。その中を突っ切って行くのだから用心棒も必要だろう」

「こいつだってランド・ウォーカーなんでしょう? 俺を守る義理も義務もない。気まぐれに俺の首をへし折ったって良いんですよ」

「俺はそこまで馬鹿じゃねえよ」

「そうか、馬鹿に見えたよ」

「人を見かけで判断しない方が良いぜ、カイ。見かけが全てならお前はただのイカレポンチだ。目が死んだ廃人だよ」

「強ち間違ってないぜ」

 そんな二人の間に男が割り込んで制した。

「喧嘩は止したまえ。これから長い旅を共にする相棒だぞ。タケルくんにはこの任務が無事遂行された暁に、中央都市への永住権を約束してある」

「そう言う事だ。俺にも得する事があるんだよ。当たり前だろ?」

「なるほど、お前は中央都市に住みたいのか」

 中央都市は皇族や自衛、警察、医療業界のエリート達が暮らす地底の桃源郷と言われている。誰もその景色を拝んだ事もないが。

「そんな、あるかどうかも分からない物のためにやるのか、お前」

 カイの敵意を弾き返すように、タケルは笑った。

「あるかどうかも分からないから行ってみたいんだろ? もし無かったら、長い旅行だと思えば良いさ」

「随分な楽天家だな」

「お前は考え過ぎだよ」

「さあ、顔合わせはここまでだ。早速君達に預ける車と物資を見せよう」


 男が二人を連れてきた先は、自衛隊の車両が置かれている地下倉庫だった。そこには有事の際にランド・ウォーカー以外の人間も地上へ上がれるよう、高機能なろ過装置を搭載した特殊車両がずらりと並んでいる。その光景を眺めながら、今以上の有事が今後起きるとしたら間違いなく人類の滅亡だとカイは思っていた。

 男はその暗い緑色の車両の群れから、一台を示して見せた。

「これが君達に与えられる車両だ。全て保存食だが、半年分の食糧と万一のために医療キットも積んである。燃料は蓄電池と燃料電池の両方が使用可能だ。また、最新型太陽光パネルが屋根に備え付けてある。発電機も持たせよう。これはガソリンかアルミで発電が可能だ。アルミの場合は溶解液に限りがあるので、なるべくガソリンが入手できると良い」

 カイは怪訝そうにそのジープ型の車両を眺めているが、一方でタケルは目を輝かせている。

「これで地上を自由にドライブか! 最高だな!」

「タケルくん、自由ではない。アメリカへ向かってもらわないと困るぞ」

「はいはい、分かってますよ」

「どうだね、カイくん。何か不足はあるかい」

「窓は強化ガラスですか。寝込みを襲われたら困るんで」

「ああ、言うまでもなくそうだよ。タイヤも地下の防土パッキンに使用されている特殊素材だ。そうそう簡単にバーストやパンクは起こすまい。万が一起こしても二本までは替えが搭載されているよ」

「至れり尽くせりだな、カイ」

「お前、馴れ馴れしい奴だな」

「カイなのにカイって呼んじゃ悪いのかよ」

「……何でも良いよ」

 二人は車両の中に積まれている物資を確認していく。

「水は?」

 カイは食糧の中に水がない事に気が付いた。

「水は地下において貴重品だ。申し訳ないが地上で調達してくれ。浄水装置と殺菌剤を入れてあるから、それを使うと良い」

「そうですか」

「カイ、山に行ってみようぜ。きっと人間どもが居なくなってきれいな水がたくさんあるぜ」

「……ああ。何でも良いけどお前、自分が人間じゃないみてえな口ぶりだな」

「それではカイくん」

 男は手にしていたアタッシュケースを丸ごとカイに渡した。

「この中にはパスポートを始めとする必要書類が全て入っている。間違えても失くさないよう頼むよ」

「分かりましたよ。また取りに戻るのも面倒だ」

「君にも何か任務達成時の報酬を与えようと思うが、何か希望はあるかい」

 カイは迷わず言った。

「もう俺に構わないでくれ」

「……ああ、そうしよう。二人とも、ここを出る前に会っておきたい人は居ないかな」

 タケルなどは既に助手席に乗り込んでいた。

「え? 居ないね! 早く行こうぜ!」

「何でお前が助手席なんだよ。頭使えねえならせめて体力くらい使えよ」

「時々代われば良いだろ? 面倒な奴だな」

 カイは一度舌打ちをして運転席に乗り込んだ。

「カイくんは誰か居ないのか? 家族が居るだろ?」

「家族なんて居ないようなもんですよ。もう行くんで、ゲート開けて下さい」

 二人の少年はジープに乗り込んでエンジンをかける。その様子に、男は黙って車庫を出て行った。

 車庫の扉を閉め、二つあるゲートのうち手前のものを先に開く。二人の乗ったジープがそこを潜ったのを確認すると、一度ゲートを閉じて外へ通じるゲートを開いた。ゲート間の空間を映し出すモニターには、深緑のジープが外界へ出て行くのが映っている。ジープが出て行くのとは逆に、黒い霧がのろのろとゲート間のエリアに入り込んで来た。男はすぐにゲートを閉じて排気装置を起動する。

「ランド・ウォーカーめ……」


 東京都の地下居住区を出たカイとタケルは、さっそく水を調達するべく多摩地域へ向かう。長年手入れされていない道はそこら中雑草と巨木と化した街路樹だらけだ。アスファルトも街路樹の根が盛り上がり、ひび割れていた。風雨に晒されて穴が空いている場所も多く、こんなジープでなければ走るだけで一苦労だ。フロントガラスの先は見渡す限り青々と茂るジャングルで、人類が滅亡すると次に栄えるのは植物だと言うが、この光景を見れば誰でも納得するだろう。

「なあ、カイ、猪って食った事あるか?」

「…………」

「おい、聞こえてんだろ」

「よくしゃべる野郎だな。食った事ないよ。そんなもん、地底人どもが持って来るわけねえだろ。だいたい大豆かコオロギだよ」

「だよな? じゃあさ、多摩の山に行ったら猪獲るわ! 俺、肉食ってみてえな!」

「お前が勝手に獲って来る分には自由だ。俺は水を汲む」

「よし、保存できねえし、余ったらお前も食えよ。ただしよく焼かねえと病気になるらしいから、それだけは気を付けろよ。お前が死んだら旅が終わっちまうからさ」

「お前は病気にでもなって少し静かになった方が良いんじゃないか?」

「俺は言語化する事で思考を整理してんだ」

「内言語で終わらせてくれ。俺は静かな方が好きなんだ」

「知るかよ。俺は俺の好きにする」

 カイはハンドルを握りながら大きな溜息をついた。こんなに盛大な溜息を吐いたのはいつぶりだろう。恐らく、まだ小さかった妹が転んで泣いた時以来だ。だいたい、ランド・ウォーカーをこの閉鎖空間に二人詰め込む時点で無理がある。今すぐにでも投げ出してしまいたい任務だが、こればかりはどうにもできない。この怪力馬鹿に絞め殺されるくらいなら、存在を無視した方がマシだ。そう思ってアクセルを踏み込んだ。

 ジープは多摩地域の山間部で停車した。かつてはキャンプ場として使われていたのであろう場所だ。そこは駐車場跡のようで、比較的平坦な場所に停める事ができた。駐車場を抜けると、すぐ目の前が河原になっている。周囲は見渡す限り深い森が広がり、ここなら猪でもビッグフットでも何でも居そうだった。

 カイはエンジンを切ると黙って車を降りた。タケルも勝手に助手席から飛び出して行く。

「よし、猪探すぞ!」

「…………」

 ここであの体力馬鹿を置き去りにして行ってしまおうか。カイは名案を思い付いたが、タケルが快活な笑顔で言った。

「なあ、カイ! 車の鍵は俺が持ってくぜ! どうせ俺を置いて先に行っちまおうと思ってんだろ!」

「……別に」

「お前みたいな野郎が考える事は俺にも解るんだよ。俺だってこう見えてランド・ウォーカーだからよ」

「お前がランド・ウォーカーだって事に、俺は一切の疑いがないぞ」

「ああ、そう。まあ良いや。水やっといてくれよ」

 そう言ってタケルは山へ入って行く。その手には何やら棍棒のような物が握られているが、よく見ればそれはただの鉄パイプだった。

「……何だあれ、原始人かよ。いや、原始人だって飛び道具を使ったぞ」

 きっと銃を待たせれば自分がタケルを殺すかもしれないと警戒されているのだろう。あの馬鹿が寝ている隙に銃を掠め取ってこめかみに一発ぶち込めば、全て丸く収まるのだから。問題があるとすれば、車が汚れると言う事だけだ。

 いや、だがタケルがあの鉄パイプ一本しか持っていないとしたら、あの馬鹿は自分を鉄パイプで護衛するつもりなのか。もともと当てにはしていないが、この先どこかであの馬鹿を置いて行く事を真面目に考えた方が良いと思った。そうでなくては食糧と水の無駄だ。

 一先ず自分は自分の目的を果たそうと、カイは浄水装置と貯水タンクを持って河原へ向かう。このタンクは一つに十リットル入れる事ができる。殺菌剤を入れれば三つほど入れておいても暫く飲食に使えるはずだ。タケルがビッグフットでも捕まえて戻って来たら、満水のタンクを車まで運ばせよう、そう思った。


「猪ってどこに居るもんなんだろうな」

 タケルは金属バット片手に山道を進んで行く。人が通らなくなった山林は縦横無尽に木々が枝を伸ばし、道と呼べるものは獣道しかない。タケルは草の陰に見える獣道の先を目で追う。獣道があるという事は獣が居ると言う事だ。そしてその細い道の途中、動物の糞を見付けた。これが猪のものかは分からないが、大きさからして兎でない事は確かだ。

「兎なんて面白くねえよな」

 狩猟については詳しくないが、通常なら罠を仕掛けたり猟銃を使ったりするはずだ。だが今はそんな物は無いし、罠を作る知恵も自分にはない。あるのはただ好奇心とやる気と体力だけだ。

 暫く獣道を行くと、木の幹に泥が擦り付けられたようなあとがあった。しかも何やら動物の毛が付着している。茶色っぽくて固い毛だ。

「きっと猪だ」

 タケルは直感し、どこかで待ち伏せる事にした。もしかしたら猪がまたここを通るかもしれない。だが一歩藪に踏み込んだところでまた考え直す。藪の中で待っていても臭いで気付かれる可能性が高い。

「どうするかなー」


 河原で水を汲んでいたカイは、浄水装置が透き通る川の水を自動で汲み上げているのをじっと見ていた。このポンプも電気で動いている。手動でも動かせるが、電動で動く内はこれで済ませるつもりだった。

 タンクに水が溜まるまでの間、カイは河原の石を裏返してその下を覗いて回った。前に年寄りから聞いた事がある。まだ日本でも霧があまり出ていなかった頃、河原の石の下に居る沢蟹を食べたとか。確か、その話だともっと山奥の渓流だったかも知れない。こんな開けた河原では居ないだろうか。

 何個か石を引っ繰り返したところで、漸く一匹の小さな沢蟹を見付けた。触る気にはならなかったが、生まれて初めて見る沢蟹に、どこか不思議な感覚があった。どうして野生動物はあの霧で死なないのだろう。そもそも霧は人間の居る場所でしか発生しないと言う。その上、一度湧き出たらずっと湧き続けている訳でもないのだ。ある程度時間が経つと消える。そしてまたどこかから湧き出す。

 三つ目のタンクに水が溜まる頃、遠くからタケルの声が聞こえて来た。他に人間の居ない静かな山でタケルの大声が驚くほど響く。

「カイ! 見てみろ!」

「…………」

 カイが見向きもしないので、タケルは走って来て背中を向けたままのカイの肩を引っ張った。

「聞こえてんだろ! ほら、猪だ!」

「おい、マジかよ……」

 タケルがぐいと差し出した猪は見事に頭をかち割られていた。濃い茶色の毛皮が赤い鮮血で染まっている。タケルが持っている鉄パイプにも毛の纏わり付いた血糊がべったりと膜を張っていた。

「そのパイプで獲ったのか」

「ああ。まあ、こいつが罠に掛かってたところを見付けたから殴ったんだけどな」

 カイは赤い血を滴らせる猪の亡骸を眺めながら首を傾げる。

「こんな山奥で猪を獲る奴がお前以外にも居るのか……」

「よほど人間嫌いなランド・ウォーカーでも居るんだろ。でもこの猪は俺のだぞ。罠を仕掛けたのが誰だろうと、とどめを刺したのは俺だ」

 タケルは猪を河原に下ろし、ナイフを取り出して皮を剥ぎ始めた。動物を捌くなど初めてのはずなのに、なんと手際の良い事だろう。

「その猪の所有権なんざ何でも良いんだよ。そんな事より、罠に関する知識が欲しい」

「は?」

 血糊で赤く染まった手で前髪を払ったせいでタケルの額には赤い筋ができた。それを臭い物でも見るように眺めながらカイは続ける。

「あの車は強化ガラスに強化ボディ。そう簡単には襲われないだろうが、今後何に出くわすか分からないんだ。罠の知識があるに越した事はない」

「まあ、そうかも知れねえな」

「……興味ないなら興味ないって言えよ」

 タケルは手際よく肉を捌いていたが、顔を上げて言った。

「興味ない」

「だろうな。俺はその罠を仕掛けた奴を探す。お前は肉を焼くなり好きにしろ」

「はいよ。残ってたらお前にもやるよ」

 カイは何も言わずにタケルが出て来た森の方へ向かった。

 木々が生い茂る森に踏み込むと、草木が倒された細い道を見付けた。つい今しがたタケルが作った道に違いない。この跡を辿れば猪が掛かっていた罠に行き当たるだろう。

 森は思っていた以上に深い。何十年も人間が手を加えていないせいで下草も伸び放題だ。木の密度も高いので、まだ日が出ている時間なのに地面には限られた光しか降りてこない。この密林の中をタケルはよく通ったものだと思った。

 タケルが通った後の道を進んでいると、周囲にいくつか獣道がある事に気が付いた。きっとタケルはこれを目安に猪を探したのだろう。そして暫く進むと、そこには虎ばさみが一つ転がっていた。牙のように鋭利な刃には猪の足が一本刺さったまま残されている。どうやらタケルは罠の外し方が分からず、その場で足を切断して置いて行ったようだ。

 カイは罠がまだ戻されていない事を確認するなり生い茂る草木の中に身を隠した。この罠を仕掛けた人物がその内様子を見に来るはずだ。いつになるかは分からないが。


 それから三十分はそこで座っていた。そろそろ諦めて戻ろうかと思った時、罠の向こうの草が揺れた。そして草木をかき分ける音と共に男が一人現れる。眼鏡をかけて無精ひげを生やし、かなりくたびれた様子だった。中年と言うには若そうだが、全体的に立ち込めている疲労感のせいで実年齢を想像できない。

 男は切り落とされた猪の足を見て顔を青くする。警戒した様子でせわしなく周囲を見回し、人の姿がないと分かると罠を元に戻した。そして残された足を持って再び緑の中へ消えようとする。

「すみません」

 カイは茂みから立ち上がって緑が覆い隠そうとする背中に声を掛けた。突然カイに呼び止められ、男は心臓を鷲掴みにされたように目を剥いて振り返る。

「そんなに驚かなくても」

 カイは茂みから出て男と向き合った。男は相変わらず顔面蒼白でカイをまじまじと見ている。

「その猪を横取りしたの、俺の連れなんです。一言お詫びが言いたくて」

「……連れ? 君はどうしてこんな山奥に居るんだい」

 男が初めて声を発した。恐怖に震える声だった。

「ちょっとお遣いを頼まれて」

「……ランド・ウォーカーなのか」

「はい」

「私は長居できない。詫びはいいから、これで失礼するよ」

「あ、待って下さい」

 男は怪訝そうに振り返る。

「罠について教えてもらえませんか」

「別に構わないよ。だが話なら私のシェルターでしよう。ここではいつ死ぬか分からないから」

「ああ、そうか」

「付いて来なさい」

 この男はランド・ウォーカーではないようだ。それなのに防護服も着ずにこうして地上へ出て狩りをしている。よほどの訳があるのだろう、カイはそんな事を考えながら足早に進む男を追った。

 男のシェルターは罠があった場所からさほど離れていない場所にあった。極力外へ出る時間を短縮するためだろう。シェルターは地下の大型居住区が実用化される前に流行った家庭用の物だった。今となっては殆どの人間が大型居住区に移り住んだが、今でもこうした家庭用のシェルターを好んで使っている人間も居るとは聞いていた。

「狭い場所だが我慢してくれ」

 カイはシェルターの中をぐるりと見回した。これは四人家族用だろう。一人で住むには充分過ぎる大きさだ。だがその空間の殆どを雑誌や本が埋め尽くしているせいで、本来の広さの何倍も狭く見える。

「いえ、寧ろ突然おじゃましてすみません」

「見ての通りお世辞にも快適な生活とは言えなくてね。お構いはできないが話だけならできる。罠の事だったかな」

「はい」

 男に勧められ、カイは椅子に腰を下ろした。

「どうして罠の事を知りたいんだ?」

「地底人に頼まれたお遣いがわりと面倒で、長旅になるんです。でも地上は治安が悪いし、自衛のために活用できそうだと思って」

「なるほど。東京の居住区から来たのかい」

「はい。つい数時間前に出て来ました。自衛隊の車で移動してるんです」

 男は興味深そうにカイを眺める。

「ランド・ウォーカーにそんな貴重品を持たせて外へ出すとはな。よほど重大な依頼なんだろう」

「まあ、そうですね」

 すると男は背後の本棚から一冊の分厚いファイルを取り出した。

「東京の居住区で自衛隊の車両を提供するような依頼を出すとしたら政府しかないな。罠に関する知識は全てこのファイルに収めてある。私も元々こんな世界とは無縁でね。素人がまとめたものだからどれだけ役に立つかは保証できないよ」

 カイはテーブルに出された分厚いファイルを手に取って中を流し見て行く。様々な種類の罠が写真つきで事細かに解説されている。

「凄いですね、これを一人で?」

「ああ、元々ジャーナリストでね。調べ事や文を書くのは得意なんだ。今ではこんな山奥で細々と暮らしているがね。こうして人と口を利くのも久し振りなんだよ」

「そう言えば、どうしてこんな場所で生活を? 個人シェルターを使ってる人間はたいていもっと街中に住んでますよね」

 大して興味はなかったが、話を一通り聞かないと地上へ戻れなさそうなので話を掘り下げた。

「去年、ある重大な事実を掴んでね。それを発表しようとしたら命を狙われるようになった。だから街から逃げ出したのさ」

「何を掴んだんです?」

 男は今更ながら警戒した様子でカイを見る。カイは久し振りに作る愛想の良い笑顔で笑って見せた。

「もしも俺があなたを殺すために寄越されたなら、地上に居る時点でやってますよ」

「……そうだな。君達はそう言う人間だ」

 男は一息ついてから続ける。

「君もランド・ウォーカーなら一度は依頼への対価として提示された事があるかもしれないが、中央都市の事だよ」

「ああ、あの地下の桃源郷って言うやつですか」

「そうだ。政府は報酬意識が強いランド・ウォーカーに対して、依頼の対価として度々提示する。だが、実際は中央都市などと言う物はどこにも存在しない。あらゆる物資が不足している中、報酬を支払えないから嘘で彼等を釣っているだけなんだ」

「ランド・ウォーカーだって馬鹿正直にそんなもの信じていませんよ」

 テーブルを挟んで向かい合っている男は、眼鏡の奥で苦々しく目を細めた。

「いや、君達が中央都市を信じているかいないかは大した問題ではない。問題は依頼を完了した後、中央都市へ案内すると言って連れて行かれたランド・ウォーカーは誰一人として戻って来ないと言う事だ」

「まあ、表向きは中央都市の住人になったって事になってますからね」

「君は彼等がどうなったと思う?」

 男の重々しい問いに、カイは至ってあっさりと答えた。

「殺されたんじゃないですか」

 あまりに呆気ない正答に、男は一瞬黙り込む。その目には非情さへの嫌悪感がうっすらと浮かんでいた。そして遠慮がちに口を開く。

「やはり何とも思わないのか」

「ええ、まあ」

「同じランド・ウォーカーが利用されるだけ利用されて最終的には殺されるんだぞ。君もいつそうなるか分からない」

「俺は中央都市なんて興味ないんですよ。今回の依頼だって受けなければ殺すと脅されました。仕方なく受けたけど、成功報酬は今後一切俺に構わない事ってのにしたんです」

「君の連れは? 同じランド・ウォーカーなんだろ?」

「ああ、あいつは中央都市に行くとか言ってましたね。信じてる感じはないけど、本当にあるか確かめるって言ってましたよ」

「止めた方が良いんじゃないか」

 カイは天井に視線を流して息を吐いた。

「別に、あいつが殺されても俺には関係ないし」

「……そうか」

「それより、ランド・ウォーカーが騙されて殺されるのを止めるために政府を糾弾しようとしたんですか」

 男は視線を落としたまま頷いた。

「ああ、そうだよ。ランド・ウォーカーも同じ人間だ。殺されて良いはずがない。私は政府の凶行を暴きたかったんだ」

「……そうですか。俺達みたいな人間のために自分の人生を棒に振る事なかったのに」

 男は漸く視線を上げた。その目にはカイの淡白な表情が映っている。

「自分の人生を懸けなければ、ジャーナリストなんてできないのさ」

 その時、シェルター内のスピーカーから人の声がした。これは地上の音を届けるスピーカーだ。繰り返し聞こえる声に耳を傾けると、タケルの声だとすぐに分かった。隣の山まで響きそうな大声でカイを呼んでいる。

「カイ……君の名前か?」

「はい。こいつが俺の連れです。そろそろ行かないと。このファイル、いくつか資料をもらっても良いですか」

「全部持って行って良いよ。バックアップはあるからね」

「どうも」

 カイが席を立つと男も立ち上がった。

「地上まで出なくても、ここで良いですよ」

「いや、君にその気がないなら私が君の仲間に中央都市の事を知らせよう」

 その言葉を聞き、カイは立ち止まって男をじっと見た。

「中央都市が無い事をあいつに言う?」

「ああ。そうしないといずれ殺されてしまうんだぞ」

「そうか……」

 カイはファイルをテーブルに置いた。男は不思議そうにその様子を見ている。

「あいつにそれをバラされると、あいつは俺を殺して自由の身になっちまう」

「え……」

 金属のパイプで作られた椅子を、カイはしっかり握って頭上に振り上げた。あの部屋では振り下ろす前にタケルに止められたが、今度は邪魔するものなど何もない。白いパイプ椅子は勢いよく振り下ろされ、男の頭を直撃した。男は短い唸り声を発して床に倒れ込む。床に転がった男は朦朧とする意識の中で痛む頭に手を伸ばすが、その手が傷へ触れる前に冷たいパイプは何度も振り下ろされた。そして伸びかけた手は力なく床に垂れる。

 男が動かなくなったのを確認すると、カイは椅子を床に放ってファイルを手に取った。白いパイプ椅子は足の角が赤く染まり、シェルターの清潔な壁にも点々と血が付いている。

 スピーカーからは相変わらずタケルの声がする。それを聞き流しながらカイはシェルターの中を見て回った。さっきファイルを流し見た時にいくつかの罠を写真で確認した。実物の在庫がまだこの中にあるかもしれない。反撃されるリスクを考えると殺して奪うと言う方法は最終手段だったが、思いがけず持ち主が死んだので、どうせ使われないならもらって行こうと思った。


「カイ! どこ行きやがった!?」

 森を歩き回ること数十分。カイが居なければいつまで経っても出発できない。タケルは鉄パイプを振り回してはそこら中の木に当たり散らしていた。そこに茂みの奥からカイの声が飛んで来る。

「うるせえな、ここに居るよ!」

「遅えぞ!」

「罠の情報を手に入れた。あと実物もいくつか。他にも食糧とか色々もらった」

 カイの持つ袋を覗き込んでタケルは目を輝かせる。

「すげえ! えらく親切な人間だな! まさかランド・ウォーカーじゃねえだろ?」

「ああ、ランド・ウォーカーじゃなかった」

「お前、地底人のふりしたのか? 普通の人間はランド・ウォーカーに親切にしねえからな」

「まあ、少しは丁寧に振舞ったけど、多少話を聞いただけだ」

 二人は車を停めている場所まで戻って行く。空は徐々に茜色に染まり始めていた。

「へえ、それでこんなにくれたのかよ、すげえな。女か?」

「男だった」

 するとタケルはにやりと口角を上げる。目を細めてカイを上から下まで見て言った。

「そう言う趣味の男か」

 カイは汚物を見るような目でタケルを見上げる。

「お前はどこまでも野卑だな」

「何の見返りもねえのにこんなに物をくれる人間が居るか? いや、居ないね!」

「変わった奴なんだよ」

「ふうん」

 車に荷物を積むと、タケルが河原の方を指さした。

「猪、ちょっと残ってるぞ」

「……全部食えよ」

 薄暗くなってきた河原には、ぼんやりと焚火が見える。どうやら本当に焼いて食っていたようだ。

「お前も食えよ。もしも病気になった時、お前だけピンピンしてたらムカつくだろ」

「知らねえよ、勝手に死ね」

「いいから食え!」

 タケルが鉄パイプを握るのを見て、カイは仕方なく河原へ歩いて行った。そして焚火の傍に置いてある大きな石に腰を下ろす。焚火の傍には即席の串に刺さった肉があった。タケルの性格からは想像もできないほど几帳面に切って串に刺さっている。一度焼いてあるようだが、カイは念のために再度火に当てる。

「もう焼いたぞ」

 向かい側の石に座ってタケルが目を細めた。

「肉を食うのは初めてなんだよ。どう食っても俺の勝手だろ。これ、味ついてんのかよ」

「塩を振った」

 貴重な塩をこんな物に使うとは。内心がっくりと肩を落とすカイだったが、悔やんでも塩は戻らない。それならせめてこの肉を食べて自分の体に還元するしかない。

 再度焼いた肉は見た事のない照りがあり、嗅いだ事のない匂いがした。確かに美味そうではあった。カイは意を決して肉にかぶりついた。

「どうだ!?」

 向かいのタケルは身を乗り出してカイの様子を見ている。

「……固い」

「そうなんだよ! 肉って固いんだよ! でも美味いだろ?」

「……よく分からん」

「つまんねえ野郎だな。待てよ、思えばこの猪もそのどっかの誰かからもらったんだよな? やっぱすげえ親切な人間だな」

「もらったんじゃねえよ。これはお前が勝手に持って来たんだろ」

「どんな奴だった?」

 カイはなんとか肉を引きちぎって噛みしめながら考えた。どんな奴と言われても言葉に迷う。

「……ジャーナリストだったって」

「名前は?」

「知らない」

「名前も聞かなかったのかよ」

「そんなもん知ってどうすんだよ」

「まあ、それもそうか」

 それからだいぶ時間をかけて、カイは漸く肉を食べ終えた。本当であれば今頃あの男が食べていたであろう肉だ。肉が刺さっていた串を火の中に投げ込んで、赤く揺れる炎を眺める。あの男がどうして自分の命を懸けてまでランド・ウォーカー達を助けようとしたのか、いくら考えても分からなかった。最終的には考えるのを止めた。何十年も前の研究で明かされた事だが、ランド・ウォーカーとそうではない人間では脳の働き方が少し異なるらしい。それは生まれつきのもので治療はできないそうだ。

 考えたところで無駄なのだ。


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