第九聖
十子が異世界に来てから三ヶ月が過ぎた。
まだぎこちないが、初歩的な会話ができるくらいには現地語を習得した。
聖女教に入信する気はないが、アジトに住まわせてもらっている身として
食事の用意や掃除、洗濯などの雑用をこなして友好的な関係を築き上げた。
総代の名前はヴェルハルトだそうだ。
セイシェルは男爵家の生まれらしい。
信徒のジョッシュには子供が3人いる。
イザベラは犬が苦手なのに好かれる。
生きる上では必要のない情報だが、十子はそれを知れて嬉しかった。
世界が変わっても人それぞれに生活があり、社会が形成されている。
元とあまりにもかけ離れた世界だったらきっと絶望していただろう。
アリスの性格がコロコロ変わっていたのは“異能”を判別するためだったようだ。
彼女の意思とは無関係に常時発動している能力以外は、
ラジオの周波数を合わせるように人格を切り替える必要があるそうだ。
彼女には13の異能があるとされており、歴代聖女の記録と照らし合わせて
“支配、翻訳、解毒、浄化、豊穣、透視、千里眼、追跡、隠密、予感、幸運”
が判明し、最後に確定した異能は“時間停止”だった。
残る1つは野盗に襲われた時に経験した不思議な現象だ。
敵味方問わず、あらゆる攻撃を無効にする完全防御能力で前例がない。
総代はその能力に“慈愛”と名付けたかったようだが却下された。
アリス派の多数決により、それは“無敵”と呼ばれる事になった。
“無敵”のデメリットは害虫やネズミを駆除する時に
いちいちアリスを効果の範囲外へ出さないといけない事だ。
アリスは十子にべったりなので巻き添えで十子も移動させられた。
◇
資料室の書物も少しは読めるようになっていた。
魔王亡き時代になぜ聖女を求めるのか、そもそも聖女とはなんなのか、
十子の中で解決していない疑問があり、調べずにはいられなかった。
全ての書物に目を通したわけではないが収穫はあった。
聖女教団は“聖女を召喚する儀式“それ自体が目的だったのだ。
聖女召喚のノウハウや歴代聖女の記録を後世に残す事が彼らの使命だった。
教典によると勇者とは魔王を倒すだけの存在であり、
世界平和を維持するのは聖女の役目だとされている。
いつの日か新たな魔王が現れ混沌の時代が訪れた時、
勇者と聖女の存在は世界にとって必要不可欠になる。
教団は暗黒時代の到来に備えていたのだ。
ただ、その方法が十子には受け入れ難かった。
聖女の器となる少女が清められた短剣で自らの心臓を刺し、
異世界より召喚した魂を器に宿らせて絶命後、転生を果たすのだ。
転生した少女の魔力は強化され、自らの傷を完全修復し始める。
それが儀式成功の証明となる。
儀式が成功すると、器の記憶は残るが人格は上書きされる。
失敗すればそのまま無駄死にするだけだ。
文字通り信仰に命を捧げる行為で、とても正気とは思えない。
やはりこの集団は邪教徒そのものであると再認識させられた。
ちなみに器の転生よりも魂の召喚がメインの儀式なので
“聖女召喚”という名で呼び伝えられている。
◇
アリスを観察していてわかったことがある。
基本的にどの人格も正直な性格だが、一人だけ嘘つきがいる。
“人形”。それが彼女の主人格なのだろう。
その人格だけがアリス自身を他人のように扱っていた。
信仰のために意思や感情を殺して生きてきた“アリス”の本体だ。
現地人である人形以外の人格をカウントすると異能は12個しかない。
知識でカバーできる“翻訳”か、証明の難しい“予感”、“幸運”が偽物だろう。
なぜ十子がそんな推理をしているのかというと、
儀式に関する記述を読んで気づいてしまったからである。
あの儀式は失敗していた。
アリスは死なず、転生を果たさなかった。
心臓を刺して魂を宿らせた後に絶命するはずが、
彼女は“支配”を無自覚に使い儀式を中断させ、
手当てを受けた事により一命を取り留めたのだ。
総代や信徒たちは異例の事態に混乱したものの、
異世界からの魂を呼び出す事には成功したので
“儀式は成功した”と思い込んでしまったのである。
もしかしたら“幸運”は本物なのかもしれない。
◇
十子はずっとアジトに引き篭っていたわけではなく、
帝都へ行く機会があれば便乗し、情報集めに尽力した。
古書店の店主は良き友人としてアドバイスを与えてくれる存在だった。
彼の紹介で豪商アランという人物と知り合う事ができた。
どこで知ったのか十子が邪教徒の世話になっている事は密告せず、
口封じのつもりなのか取引を持ち掛けてきた。
その話を飲めば西の大陸イージアとの商船にタダで乗せてくれるだけでなく、
通貨の両替や仕事の斡旋などの様々なサポートを約束するとの事だ。
アランは“90年代製の最新機種”の携帯電話を欲しがった。
時代の超越者は滅多に現れないのでスーパーレアアイテムらしい。
十子は制服以外で日本から持ち込んだ唯一のアイテムだったので
手放したくない気持ちが強く、その場では返事を保留にした。
◇
それから更に三ヶ月が過ぎた。
十子は制服に着替え、ノルマリス港に向けて出発した。
目指すは西の大陸イージア、チルトランド王国領日本人村。
この世界には他にも同胞がいると知りながら、まだ1人も会っていない。
港までの見送りのメンバーはアリスと総代に信徒が16人、
これが最後だと察したのかセイシェルも同行してくれるようだ。
“無敵”のおかげで安全だとは思うが、彼は念のために武器を携行していた。
スリムで繊細な雰囲気の男なので、てっきり細身の剣を使うのかと思いきや
その背中にはギロチンの刃のような馬鹿でかい大鉈を担いでいた。
アリスは十子を行かせたくない様子だったが、
“支配”の能力で引き留めるようなことはしなかった。
十子はもう邪教集団とは一切関わりたくないというのが本音だが、
この半年で多少は情が移っていたので別れの言葉は言わないと決めていた。