第十一聖
沼地に到着した一行は馬車を降りた。
さっきは何もできずに棒立ちしていた十子だったが、
このままじゃ駄目だと自分に言い聞かせて頭を働かせた。
聖女の異能をフル稼働してこの状況を打開しようと画策した。
“透視”で水深を確かめ、腰の高さ程度のルートを構築した。
ここはいわゆる底なし沼ではないようで安心した。
“浄化”で周囲の泥の濃度を薄め、歩きやすくした。
総代の矢傷から雑菌が入らない効果も少しだけ期待できる。
“豊穣”で水草が急成長して進路の痕跡を隠してくれた。
一日一回しか使えないが充分な結果をもたらしてくれた。
“追跡”は範囲内にいる生存者の位置情報を得られる便利能力だ。
セイシェルはまだ生きていて、敵の数はどんどん減っている。
“千里眼”は“追跡”よりも詳細な情報を得ることができるが、
使用中は幽体離脱のような状態になるので安全な場所でしか使えない。
“隠密”はこの状況ではあまり役に立たない。
近くにいる相手には見えなくなるという能力で、
範囲外からは丸見えだし音や接触で気づかれてしまう。
”翻訳“は言語を理解する能力なのでここでは意味がない。
”予感“と”幸運“は曖昧すぎてよくわからない。
やはりこの3つの中のどれかが偽物だと思われる。
今はその特定よりも生存戦略を考えるべきである。
総代の背中には10本以上の矢が刺さっている。
それらはリーダーが放った矢より細く、威力は弱いようだ。
万が一を考えて“解毒”を使ったが毒の反応はなかった。
聖女の回復魔法でどうにかできないか聞いたところ、
失った血は元に戻せないという事がわかった。
止血できる環境で抜かないと失血死してしまう。
急がないとまずい。これ以上仲間を失いたくない。
“無敵”がある以上、こちらから攻撃を仕掛ける事はできない。
範囲外からの攻撃には無力という事実はさっき学習した。
交戦状態で切り札となり得る能力は“支配”と“時間停止”だ。
“支配”は特定の一人を命令に従わせる能力で反則的に強い。
ただし相手が複数だと間に合わないし、“無敵”を貫通するのかは不明だ。
十子はこの能力でよくいたずらされていたが、最近は大人しい。
“時間停止”は本人が使い道のない能力だと言っていた。
その名の通り時間を止められるが、自分も動けないらしい。
アリス自身が解除しない限りずっと止められるそうだが、
何もいたずらできないので虚しいと言っていた。
◇
沼地を歩き始めてから2時間ほどが経過した。
四方八方を見渡しても変わり映えのない景色で、
隊列を崩したら方向を見失うのは確実だった。
追手との距離はだいぶ離れているようで、
今は余裕があると判断してアリスに“千里眼”を使わせた。
その結果、あと30分程度で沼地を抜けられるという朗報が得られた。
女性信徒2人は喜びを露わにし、残る1人は不満を口にした。
「あなたが大陸を出るなんて言わなければ
こんな事にはならなかったのに……
聖女様が望む通り、残れば良かったのに…
そうすれば誰も死ななかったのに……!
全部あんたのせいよ!どうしてくれんのよ!?」
彼女は十子に対して明確な敵意を示していた。
敬虔な信者だからこそ、信心のない十子を嫌っていた。
聖女様にお気に入り扱いされていた十子が憎らしかった。
「…よさんか、イザベラ
トーコのせいではないのはお主もわかっておろう」
総代はフォローしてくれたが、十子自身は彼女の言葉に思う所があった。
それが結果論だとしても自分の行動が周りに影響を与えたのは事実だ。
野盗というあからさまな悪人がいたとしても原因を作ったのは自分だ。
悪かった。反省してる。そんな言葉には意味がない。
巻き込んだ人たちに最大限の誠意を示す方法はただ一つ、
生き残るために全力を尽くす。ただそれだけだった。
◇
馬車が暴走した後、セイシェルは孤軍奮闘していた。
聖女が近くにいないおかげで思う存分に大鉈を振り回す事ができ、
辺りには首のない死体が散乱していた。彼の二つ名は“断頭台“であった。
「まったく、私は何をやっているんでしょうかねぇ…
誰かのために体を張るなんてガラじゃないのに……」
急所こそ外してはいるが、彼も多くの矢傷を受けていた。
手負いの状態で半数の野盗を始末した。充分な成果だった。
それでもまだ足りないと思った。まだやるべき事がある。
弓矢持ちを一匹でも多く道連れにしようと力を振り絞った。
照明の魔法は明るくするだけではなく、極めれば逆に暗くする事もできる。
彼は周辺に濃い闇を発生させ、坂の上の弓矢部隊が狙えないようにした。
そのまま撃ち続ければいいものを、痺れを切らした数人の男が坂を下り
声を出す間もなく闇の中で次々と斬首刑に処されていった。
その戦法で7人の弓兵を狩る事ができた。
弓矢を拾い、矢の飛んできた方向へ撃ち返すと「ギャッ」と汚い声が聞こえた。
矢なら地面にいくらでも落ちている。奴らは撃ちすぎた。
大鉈で急所をガードして矢が飛んでくるのを待って反撃。
この戦法で更に5人を狩った。
闇を利用した戦いでスコアを伸ばせたが、その代償は大きかった。
相手から彼が見えなくなるだけでなく、彼も相手が見えなくなり
闇の中から突然現れる矢の全てに対応できなかったのである。
闇が晴れ、残った男たちが処刑人の姿を探すも見当たらない。
2人の下っ端が坂を下り、警戒しながら進むがそこには死体の山しかない。
そして、死体の山の中から飛び出した凶刃により2つの首が宙を舞った。
拾った首をぶん投げ、命中した男はパニックを起こして斜面を転げ落ちた。
生死確認はせずにその首も斬り落とした。
処刑はまだ終わらない。
弾幕が薄くなったのを感じ取り、死体を盾にして坂を駆け上がった。
剣を抜いた者、降参の意志を示す者、逃げようとする者全てを斬った。
対岸の残党に剣を投げ、矢を撃ち込み、矢が切れれば石を投げた。
◇
帝国騎士セイシェルはやり遂げた。
リーダーを含めた4人は逃してしまったが、野盗の一団を壊滅させたのである。
騎士団がその気になればいつでも潰せる相手ではあったが、
上層部から重要度が低いと判断され放置してきた連中だった。
それでも多くの被害者がいる事は報告に上がっており、
いつかは誰かが対処しないといけない問題ではあった。
この功績は隠したい。出世なんかしたくない。彼はそう思った。
十子たちに合流して口止めしないとまずいと思い、
満身創痍の体を引きずって歩き出した。
しかし、彼はその歩みを止めねばならなかった。
野盗の援軍が到着したのである。
もう大鉈を振るう体力は残っていない。
魔法を使うための力もほぼ使い切った。
目が掠れて弓矢の狙いも定まらない。
それでも50人の悪漢をこの先に行かせるわけにはいかない。
そう覚悟を決めて斜面を滑り下り、彼らの前に堂々と姿を晒した。
男たちは大量に転がっている首無し死体を見て困惑している様子だった。
集団の中央にいるモヒカンの男が話しかけてきた。
「……なんだテメェ、ボロボロじゃねえか
まさかここの死体は全部テメェの仕業……なわきゃねえよな」
セイシェルは話につき合わず、おもむろに指を鳴らした。
すると一瞬だけ強い光が発生し、集団は一瞬だけ顔を背けた。
「チッ、なんのつもりだテメェ……
その体で俺らとやり合おうっての……うおっ!?なんだァ!?」
地面には割れた2つの瓶。
立ち昇る緑色と紫色の煙。
目の痛み。刺激臭。喉の渇き。
頭痛。吐き気。動悸。手足の痺れ。
呼吸困難。意識混濁。幻覚。痙攣。
「──毒だ」
死。