第6話
それから二日後。学園に併設されたカフェテリズでアリシアは紅茶を飲んでいた。向かい側にはふんわりした雰囲気に優しげな瞳を持った少女。学友のリズ・ストークスだ。
「リズさん、ごめんなさいね」
「いえいえ。他ならぬアリシアさんの頼みですもの」
「すぐさま動いてくれて、助かりました」
スコーンにクロテッドクリームを塗って口に運んでいると、サンドイッチをもぐもぐと頬張る第三王子を引っ張りながらノーリッツが突撃してきた。
「さ、探しましたよッ!」
「ひっ」
「リズ嬢……!」
「大丈夫よリズさん。何があっても私が守りますからね」
「あ、アリシアさん……!」
リズが頬を染めてアリシアを見つめたところでノーリッツが悔しそうに唇をかみしめたが、ハッと気付いてアリシアを睨む。
「アリシア嬢、何をしたんですかッ!」
「何の話ですの?」
「とぼけないでください! あなたと話した翌日から、クラスの女子たちにひそひそされるようになったんです! あなたが何かを言いふらした以外に考えられません!」
「被害者であるリズさんが誰かに相談したとか、そういう可能性は?」
「リズさんはおっとりしていて誰かを陥れたり、誰かに相談するなんて出来ないタイプです!」
鼻息荒く、頬を紅潮させながら断言するノーリッツだが、それは逆説的にアリシアならやりかねないと判断した、という意味でもある。
「リズさん聞きました? リズさんが一人で抱え込むタイプだって分析して襲ってきたみたいですよ」
「あ、アリシアさん……私、怖いです。手を握ってもらえますか……?」
「ぼ、僕の前でイチャつかないでくださいッ! それよりアリシア嬢、説明してください!」
「ノーリッツ様。クラスの女子達はどんな様子でしたか?」
「僕や殿下のことをチラチラ見ながらひそひそと内緒話をしているんです。クスクス笑われたりして、何を言われているかと思ったら……!」
「大丈夫です。性犯罪者に向けられるのは絶対零度の視線ですので、笑われている時点でノーリッツ様の犯罪行為はバレていません」
「それなら良かった……って、誤解です! リズ嬢もゴミをみるような目で僕を見ないでくださいッ!」
誘導尋問だが、被害者のリズからすればノーリッツが自白したようにしか聞こえないのだからドン引きするのも仕方ないことだろう。
「調べはついているんです! 妹君のエリス嬢からあなたが侍女とこそこそ何かをしていたと!」
「えっ、わざわざエリスから話を聞くなんて……リズさんの次は私がターゲットなんですの?」
「僕はリズさん一筋ですッッッ! ああ、なんで引いてるんですかッ!?」
「ストーカー……私の次はアリシアさんまでもを毒牙に掛けようと……!」
「ちょっと待ってください! まだ何もしてないじゃないですかっ!?」
「「……”まだ”……?」」
「言葉のあやですぅぅぅぅぅぅぅ!」
泣きべそをかき始めたノーリッツだが、絶叫のせいで周囲からの注目を集めていた。その中には当然ノーリッツのクラスメイトもおり、
「ひそっ、ひそひそ」
「クスクスクス」
「ひそひそ、ひそォ……」
「ほ、ほらぁ! 何か変な空気になるんですよ! 僕はおろか、ゴードン殿下が問いただしても曖昧に微笑むばかりで!」
「大丈夫です。あの方たちはおそらくあなたたちの《《ファン》》ですから」
「……ファン?」
アリシアの言葉が理解できず、ノーリッツが固まる。
妙な静寂が辺りを支配したところで、先ほどまでひそひそしていた者たちが近づいてきた。第三王子であるゴードンに軽く頭をさげてからリズとアリシアに近づく。
「新作、さっそく読みましたわリズ先生!」
「原案のアリシア様もごきげんよう! 主従を超えた本物の愛! 素敵でしたわ!」
「ありがとうございます」
「アイデアは全てアリシアさんのものですわ」
「あの、せっかくなのでお二人のサインを頂けませんか!?」
女生徒が取り出したのは娯楽小説。それも貴族向けに出回るような立派なものではなく、平民たちでも手を出しやすいペーパーバックの一冊だ。
「何ですか、それは! ちょっと見せてください!」
「きゃっ」
「ちょ、ちょっと」
ノーリッツが無理矢理手に取る。
「……『第三王子と強引従者のイケない放課後』……? 何ですかコレは! ま、まさか殿下と僕を……!?」
男性同士の恋愛を主軸にした、耽美小説だった。
「もう、何を言ってるんですか。セメは情熱的なケダモノ系従者のノータリンッツくんですし、ウケの名前もグードン殿下ですよ?」
「ノータリンッツくんが泣きながら『僕にはあなたしかいないんですぅー!』って迫るシーンは涙なしでは読めませんでしたわ!」
既視感のあるシーンにノーリッツがめまいを覚えてふらつく。
どう考えても自分がモデルだ、と思う一方で、それを主張してしまえばリズにフラれたことや、性犯罪者扱いされそうな言動についてバレてしまいそうで何も言えなくなる。
「同好の志から手書きの紙束が回ってきましたが印刷したものは販売しないんですか?」
「私と侍女が徹夜で書き写したのは早く読んで欲しかったからよ。心配しなくても出版社が印刷を頑張ってくれてるから、近いうちに市井にも出回るわ」
「やった!」
「まぁ本当に頑張ったのは私じゃなくてリズさんですけど。事情をお願いしたらたった一日で書き上げてくれたんだもの」
「アリシアさんの考えた設定やストーリーがそれだけ素晴らしかったんですわ」
唐突に生まれたド腐れ空間にノーリッツはもはや失神寸前だった。
どうしてクラスメイトがヒソヒソしていたのか。
自分だけでなく殿下までもがヒソヒソされたのか。
妙な笑みや視線がどういう意味なのか。
それに思い至ってしまったのだ。
「ま、まさか、その、僕と、ゴードン殿下の、その……絡み、を……?」
「いやですわノーリッツ様。私たちが楽しんでいるのは愚鈍ゴホン、グードン殿下とノータリンッツくんの絡みです。ええ、創作上の人物ですし、実在の人物とは何の関係もありませんよ?」
楽しそうに告げるアリシアだが、その視線はノーリッツの手元へと注がれていた。
サンドイッチを食べるゴードンをがっしりとつかんだ、ノーリッツの手へと。
「続編はピクニックにしましょう。食事に夢中なウケを人気のない森まで引っ張り込み、護衛に見付かるかもというスリルの中で──」
「しししし、失礼しますっっっ!」
ノーリッツはゴードンを引っ張って慌てて逃げ出した。
きゃあ、と黄色い悲鳴をあげる女生徒たちとともにそれを見送ってから、アリシアはリズに向き直った。
「ありがと、付き合ってくれて」
「良いのよ。元々書いてたヤツをちょっと変えてから、名前を差し替えただけですもの。それよりも書き写したやつ、後半でキャラクターの名前に誤字が増えるのはやっぱりわざと?」
「うふふ、なんの事かしら。徹夜の疲れで誤字が増えただけよ。知り合いに似てる名前だから余計にね」
「そういうことにしておきましょ」
二人は続編のシチュエーションについて打ち合わせをしてから帰路に就いた。